魔術
シリウス帝国東部山岳地帯 鳥人族の集落
ヒヨコは飛び立とうとしては、岩場から落ちるというのを、もう何日も繰り返している。
警備隊長クォーツは、任務そっちのけでヒヨコの自殺行為を何日も飽きずに眺めている。
このヒヨコは、とにかく頑丈だ。
岩場から落ちると、三メートルほど転がりながら落ちる。
何十回も落ちているが、全く諦める様子も、死ぬ様子もない。
クォーツが何度声をかけても、無視して飛ぶ、落ちるを繰り返している。
仕方がないので、六日目の昼に鳥人族の長老を連れてきた。
長老は高齢で、目もあまり見えないが、ヒヨコの近くに連れて行くと、途端に首を傾げた。
『魔力を感じる。』
『魔力ですって?そんな高貴な力が備わっているようには見えませんけどね。』
クォーツがグアッグアッと笑いながら言ったが、長老は首を傾げたままだ。
『そこの黄色いの。飛べるかもしれん方法はあるぞ。』
長老の呼びかけに、ヒヨコはゆっくりと振り向いた。
『お、振り向いた。あいつ本当に飛びたいらしい。』
ヒヨコはゆっくりと岩場から降りてきた。
長老は近年稀に見る速さで、ヒヨコの顔を両手でがっしり掴んでまじまじと見た。
『おい、この爺さんはなんだ?』
突然の暴挙に、ヒヨコは怒っている。
怒ってはいるが、年寄りに暴力を振るうことはしないようだ。
あろうことか長老が、こんどは手のひらでバシバシとヒヨコの頭を叩き始めた。
『おい、クォーツ。この爺さんブチ殺していいか?』
やはり年寄りでも暴力を振るうタチのようだ。
『間違いない!お前さん、間違いないぞ!』
『無視か!この爺さん、無視か!』
『お前こそ、ここ数日ずっと無視してただろうが。』
長老がおもむろに杖を構えた。
『まず、よく見ておくのじゃ。』
そう言った刹那、長老の杖の先が光ったと思うと、火柱が上がり、天空目掛けて飛んで行った。
『これが、いわゆる魔術というやつじゃ。大したことはないがな。』
『大したこと、ない?大ありな気しかしないんだが。』
さすがのヒヨコも唖然としてしまっている。
『本来、鳥人族には大なり小なり魔力というのはある。わしのような百年に一人の逸材は別としても、簡単な魔術は大体の者が使える。』
『クォーツ、お前も使えるのか?』
ヒヨコの問いかけに、クォーツは魔術で応えた。
ヒヨコの傷が少しだけ良くなった。
『俺は大したことは出来ない。やれてもこの程度さ。』
『さて、ヒヨコよ。』
『待て、ヒヨコじゃねぇ。俺の名はピッキーだ。』
『ピッキーか、ふむ。それでな、ヒヨコよ。お前さんは、わしやクォーツとは違う種類の魔術を既に使っておるのじゃ。』
『あん?俺は魔術なんざ使えねぇぞ。』
『いや、間違いない。お前さんは既に使っておる。今まで、死ぬほどの大怪我を負っても、死なずに生き残ってきたはずじゃ。』
魔術なぞ使った覚えはもちろん無いが、確かに毒を受けても、尋常ではない攻撃を受けても、ヒヨコことピッキーは生還してきた。
『俺も不思議だと思ってたんだ。ヒヨ、いやピッキー。この数日間、お前、何十回と頭から落ちてるのに、死ぬ気配すら無い。』
ピッキーは、ますますわけがわからなくなりそうだったが、言われてみれば、自分の頑丈さは確かに異常なのだろう。
『お前さんは、おそらく我々鳥人とドワーフの混血。混血児は大概生まれる前か、生まれて直ぐに死んでしまう。だが、成長する者も稀におる。そして、無事に成長したものは、種族を超越した力を得ることがある。』
長老は、そこまで言うと天を仰ぎ、大きな溜息をついた。
『あの男、リーファという青年もそうじゃった。』
『リーファ?誰だよ?』
ピッキーの問いに、クォーツは驚きでひっくり返りそうになった。
『お前、バカか!リーファ将軍といえば、シリウス共和国時代に名を馳せた天才的な軍人だぞ!』
よくは知らないが、大物の名前が何故このタイミングで出てきたのか、ピッキーは測りかねていた。
サラーム教国 シリウス帝国東部戦線基地
オセローの元帥府内にある魔術研究機関の次席補佐官ネルソンは、ウェーバーから借りた忍び達の報告を基地内の自室で待っていた。
ネルソンは、実はシリウス人ではなくサラーム人である。
幼少期に、ネルソンの父親が異端の疑いをかけられたため、家族でシリウスに亡命したのだ。
シリウスで生きてきたが、ネルソンはサラームの神を信仰している。
亡命者ではあったが、ネルソンの父親ピトはサラームでも指折りの魔術師であり、魔術研究の権威でもあった。
オセローが元帥府を設立した際に、父は魔術研究機関に、ネルソン自身は当初諜報機関に入った。
諜報機関の補佐官ウェーバーとは同期である。
ネルソン自身も、父の教育があったおかげで、魔術師としても研究者としても、実力は帝国内屈指である。
それを知ったオセローが、ネルソンの配属を魔術研究機関に移した。
ネルソンは諜報機関内でもウェーバーに並ぶ功績を挙げていたし、諜報の仕事の方が好きであったが、年老いた父の激務が少しでも軽くなればと、異動を了承した。
父ピトは、魔術研究機関の主席補佐官であるが、最近はもっぱら教育機関の運営に携わることが多くなっているため、次席補佐官ネルソンが実質的には魔術研究機関を支えている。
本来であれば、ネルソン自らが戦地に赴くというのは認められないことだが、魔坑石の研究という口実はオセローが納得せざるを得ないだけの価値があった。
実際、前線基地に入ってからもネルソンは魔坑石の研究を進めているし、機関の仕事も滞らせてはいない。
忍び達五人は、危険な任務を課していたにも関わらず、約束の日に五人全員が前線基地に戻ってきて、報告書と衣服を提出した。
ネルソンは報告書より先に、衣服を独自の研究機にかけて徹底的に調べた。
忍び達の衣服には、魔坑石を粉状にして様々な液体を染み込ませたものを織り込んでいた。
前線基地に近い箇所に居た三人の衣服からは、想定した範囲内の反応しか無かったが、サラームの首都サラーム・ロマに居た忍びと、屍族の拠点付近に居た忍びからは、想定を超えた反応があった。
他の三人から得た情報は、優先的にウェーバーの元に送り届けたが、残りの二人からは口頭で更に情報を聴き出す必要があった。
屍族の拠点付近に居た忍びは、諜報として有益な情報を持ち帰ってきた。
屍族はイーリスに侵攻しているが、屍族の拠点には日々死体が運び込まれ、屍族の兵士として再生産されていた。
そこには前教皇達の姿もあったという。
死体だけでなく、犯罪者や過激なサラーム教狂信者の一派、老人達もそこを目指して移動させられている。
本人達には巡礼と説明されているらしい。
忍びが更に深く潜入しようとしたところ、著しく体調の異変を感じたため、前教皇を含む拠点に居た指導者らしき者達の似顔絵数点を確保して戻ってきたという。
似顔絵に描かれた者達の顔は、その殆どがネルソンの知る顔だった。
前教皇や枢機卿達だった。
二人だけ知らない顔があったが、ネルソンは似顔絵と報告書の内容、口頭による聴き取りの内容を全て暗記すると、似顔絵の写しと報告書をウェーバーの元に送った。
サラーム・ロマに潜入した忍びの報告書も、かなり興味深い内容だったが、教皇が民に向かって語りかけた日に、その忍びも体調を崩したという。
話しを聴きながら、ネルソンはふと忍びに似顔絵を二枚見せた。
自分が知らない顔だった二枚である。
二枚のうちの一枚は、新教皇ネブカドネザルだとわかった。
もう一枚はわからなかった。
報告書の内容で不思議なことは、サラーム・ロマと屍族の拠点で二人の忍びが体調を崩したのは同じ日で、同じ日に教皇はサラーム・ロマと屍族の拠点に居たことになる。
この二地点は、人間の足どころか馬を使っても、同じ日に移動できる距離ではない。
早馬でも絶対に三日以上はかかる。
忍び達を退室させた後に、ネルソンは一人で考えた。
二人の忍びが体調を崩したのは、衣服に織り込んだ魔坑石によるものだ。
圧倒的な魔力に触れることで、粉末にした魔坑石が反応した時、人間に多少の毒性がある液体が滲み出るようにしていた。
鍛え抜かれた忍び達なら死ぬことはないが、数日間は体調を崩すのだ。
忍び達は引き続き優秀な仕事をするだろう。
魔坑石の研究も格段にすすんでいる。
しかし、ネルソンはどうしてもサラーム・ロマと屍族の拠点に行かなければならないと感じていた。
正直なところ自分の命は惜しいが、今はそれどころでは無い気がするのだ。
ネルソンはしばらく悩んでから、三通の手紙を書き始めた。
宛先は父ピト、ウェーバー、そしてオセロー元帥である。




