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商人の戦い

イーリス公国 首都シエラソルタ


『貴女は、この国の成り立ちを御存知だったかしら?』


高貴な衣に身を纏った老女は、カレンのカップに茶を注ぎながら語りかけた。


老女といっても、老婆では無い。


穏やかな雰囲気が漂う知的な老女で、実際その通りの人物である。


カレンは、この老女とは公平に取り引きをするよう心がけている。


小細工が通用しないからだ。


この老女となら大きな取り引きも出来るが、一度でもカレンがしくじると二度と取り引きはしないだろう。


『ずっと昔、伝説の勇者イーリスが建国したと聞いたことはあります。勇者イーリスは、この大陸の発見者だとも。』


『本当だと思う?』


『イーリス公である貴女がそれを言ってしまうのですか?』


彼女が二十五代目のイーリス公である。


約七百年の歴史があるというが、伝説はどこまでが真実で、どこまでが虚構なのかはわからない。


『イーリス公といっても、ご先祖様の頃に比べたら勢力も領地もだいぶ減ってしまったわ。もっとも、私の器ではこの領土でもまだ広いくらいだと思っているわ。』


『ご冗談を。』


カップに入った茶を一口飲んだ。


幽霊城で飲む薬草茶とは比べものにならない程に美味い。


『あなたのことだから、必ず来ると思っていたのよ。大陸一やり手の商人ですもの。』


『大陸一かどうかはさて置き、私がまた来ると?』


『あなたの要求もわかっているつもりよ。』


イーリス公は微笑みながら言った。


こちらを見下したり、不快さなど全く無い微笑みだ。


それでいて、おそらくこちらの要求する物は全て見通している。


これだから、この方は油断出来ないのだと、カレンは内心苦笑した。


『私は生まれてこの方、この国から出たことも無いし、人生の殆どをこの館で過ごしてきたから、貴女のような生き方が羨ましいわ。』


館といっても、幽霊城の五倍の広さはある宮殿である。


しかし、それを語る時のイーリス公はいつも少し寂しそうだった。


『イーリス公。帝国軍が二万の精鋭を南下させます。率いている将軍も優れていて、兵士も実戦で幾度も勝利を挙げた精鋭中の精鋭です。兵力も物資も更なる量が必要です。』


『止められそう?その二万の精鋭を。』


『一度は止められると、我々の頭領は断言しました。二度目は苦戦し、今のままでは三度目は負けるかもしれないと言っております。』


出発前にウォルフに問いただした結果、ウォルフの口から出てきた答えだった。


『一度止められるだけでも至難の業なのではないかしら?』


『それは間違いありません。』


『そういえばね、この間は聞きそびれてしまったことがあるのよ。』


『なんなりと。』


『あなた、どうして自分の会社を畳んでしまったの?』


『畳んではいないつもりですが。』


『でも、あなたは独立商人をやめて幽霊城専属になっている。何故かしら?』


『それは』


言葉に詰まってしまった。


ガノンと取り引きをしていた時は、ここまでやるつもりは自分でも無かった。


その理由を言えば、もしかしたら笑われるかもしれなかった。


『亭主が、夫が居るのです。あの城の中に。』


『貴女、結婚してたの?』


イーリス公は少し驚いた様子だった。


結婚し、離別し、再び夫婦になるまでの流れをどう説明したら良いのか、カレンはわからなくなった。


『愛してるのね、旦那さんを。』


『はい。』


顔から火が出るかと思った。


『貴女、顔が赤いわよ?』


言われなくてもわかっているが、顔から熱は引きそうに無かった。


『かわいい。今の貴女が、私一番好きよ。』


『お、お戯れを。』


正直に答えすぎたことを、カレンは心底後悔していた。


『信じるわ、貴女のこと。』


ドアを誰かがノックした。


イーリス公が入ることを許可すると、一人の壮健な若い武将が入ってきた。


明らかに冗談の類いは通用しない、そんな生真面目そうな軍人である。


『叔母上。お呼びと聞き参上致しました。』


『客人の前で叔母上と呼ぶのはお止し!』


カレンが聞いたことも無いような厳しい口調が、イーリス公から出た。


カレンも少し驚いたが、軍人は更に驚いたようだ。


『それと、ジャンも呼んだはずよ。』


『それが、ジャンの奴は身分証明書を忘れたとかで、下の衛兵に』


『まったく、貴方達兄弟ときたら。』


ドアをノックする音が再び聞こえ、今度は明らかに軽そうな男が入ってきた。


『入りなさいと私が言ったら入るのよ、ジャン!』


『あ、すいません。やり直しますか?』


イーリス公も頭を抱えてしまっている。


『カレンさん、大きな声を出してしまって申し訳ないわ。私の甥で、将軍を務めているポールとジャンよ。』


カレンは苦笑を押し殺して二人に頭を下げた。


『ポール、ジャン。貴方達兄弟は、一軍を率いてカレンさん達の援軍としてシリウスに入って頂戴。これはイーリス公国の国防に関わる重大な任務です。』


『ご冗談でしょう、陛下!この女は賊徒です!我々軍人に、賊徒の援軍になれと!』


『私の客人に失礼ですよ、ポール!』


『しかし!』


軽薄そうなジャンがポールをなだめた。


『叔母上、じゃなかった。陛下!兄上であるポール将軍は懸念しておられるのですよ。軍が国境を越えたら、これは国際問題になりかねないですから。』


『あら。それなら、貴方達二人だけでシリウスの軍勢と戦ってくれるのかしら?』


『いえ!陛下の御命令とあらば、軍を率いてシリウスに入りますです、はい!』


『その程度のことは覚悟の上です!軍人は政治を省みなくてよろしい!』


イーリス公は恐縮しきった甥っ子二人を下がらせた。


『私には子が居ないのだけれど、あの子達も親が居ないから、私が親代わりを。子育てって難しいわね。』


名君と名高く、政治的手腕は大陸随一と謳われるイーリス公をもってしても、子育てや教育というのは難しいものらしい。


『あの二人、軍人としては優秀なのだけど。公国を担う者としての気品や礼儀が、ね。』


『イーリス公が仰るなら、さぞ優秀な軍人なのでしょう。心強いです。』


『あの二人に計五千を預けるわ。使い方は貴女と貴女の頭領に任せるわね。』


『こちらとしては願っても無いですが、戦ですので生きて帰れる保障はありませんよ?』


『覚悟の上です。覚悟の上で、あの二人も軍人になりました。』


毅然としていたが、カレンは違和感を感じていた。


『イーリス公、無礼を承知で申し上げます。私は貴女に嘘をつかずに取り引きをしてきました。だから、貴女にも嘘をつかないで欲しいのです。』


イーリス公の目に明らかに動揺が見られた。


三度、ドアをノックする音がした。


イーリス公が入室の許可を与えると、甥っ子二人が入ってきた。


いきなり生真面目なポールが胸を張って言った。


『陛下!我々は軍人です!命などとうに捨てています!』


『二人とも盗み聞きをしていたのですか!無礼ですよ!』


『軍人が死地に赴くは必定!陛下の甥だからという理由で逡巡するのは、我々軍人に対しての侮辱です!いっそ死をお命じ下さい!』


鈍い音がして、ポールの体が飛び、壁にぶつかった。


『甘ったれたこと言ってるのはどっちだい!この世間知らず!』


カレンの右の拳は、偉丈夫であるポールにもかなり効いたらしかった。


『いっそ死なせろなんて、二度と親に言うな!親代わりに育ててくれた人も親だ!親に対してそんなことを言う甘ったれ、こっちから願い下げだよ!』


『おのれ、無礼な!』


剣を抜こうとしたポールの右手を、ジャンが押さえた。


『ま、ここは私めにお任せを、兄上。』


相変わらずジャンは、この期に及んで軽そうな笑顔でポールをひとまず制した。


『叔母上!もとい!陛下!五千を率いてシリウスに入るのは、私だけで十分だと思われます!』


『なっ!ジャン、お前』


『兄上は真面目過ぎますので、いざとなったら死ぬまで戦ってしまう可能性があります。その点、私でしたら兄よりは不真面目に出来ておりますので、戦死するくらいなら逃げます。』


『貴様、軍人としての』


『それに!もし、万が一シリウスがこの国に到達してしまったら?或いは、サラームあたりが攻めてきたら?誰が国を守ります?』


軽薄な口振りだが、確かに筋は通っているようにも思えた。


『ジャン、貴方だけで大丈夫?』


『叔母上!私は』


『ポール!貴方は黙りなさい!』


イーリス公に一喝され、鼻血を吹いた鼻を押さえながらポールは黙った。


『陛下!御命令下さい!私めに軍と共にシリウスに入れと!そして、決して死ぬなと。』


『わかりました。ジャン、貴方に任せます。しかし、決して死んではいけません。これは厳命します。』


『安んじてお任せあれ。』





取り引きはまとまった。


ジャン将軍以下五千の兵力以外にも、武具と兵糧、黄金、その他の物資も補給されることになった。


予想以上に引っ張れたが、それは派遣するのがイーリス公の甥であるというのが間違いなく大きいのだろう。


『感謝しますよ。兄を殴ってくれて。』


馬を寄せてジャンが話しかけてきた。


『皮肉か?それとも喧嘩を売ってるのかい?』


『まさか。本心ですよ。この任務についたら、兄は多分死んでしまうのでね。』


『自分は死なないという自信があるようだが、戦はそんなに甘くないよ。』


『俺は大丈夫ですよ。死ぬくらいなら逃げますから。』


カレンはこのジャンという男の軽薄さに苛立ちを覚えると共に、力量に疑問を感じてもいた。


それに、あまり馴れ合いたくは無い。


『あまり怖い顔しないでもらえませんかね?きょうから一応仲間なんですから。』


『仲間の全員と仲良くしなきゃいけない法は無いんでね。』


『仲悪かったら連携出来ませんよ。』


『あんたとは連携しないから、安心しなよ。』


『つれないなぁ、人妻は。』


いらっとしたので懐にしまっていた小刀をジャンが乗る馬の尻に投げた。


『嘘でしょ!』


尻に小刀が刺さった馬が激しく暴れ、ジャンはしばらく振り落とされそうになった。


『なんてことするんです!落馬したら死ぬかもしれないでしょうに!』


『おやおや?あんたは死なないんだろ?』


カレンは意地悪く笑って後方に下がった。


下がりながら思った。


馬の暴れ方は尋常では無かった。


それでも、ジャンは落馬せずに堪えた。


馬の力に決して逆らってはいなかった。


あの男は、なかなかやるかもしれない。





国境付近までウォルフが手勢と共に迎えに来ていた。


『予想以上の首尾だな、相変わらず。』


今日のウォルフは完全武装に身を包んでいる。


フルフェイスの兜を被っているウォルフは、普段の優しげな印象が全く無い。


この姿のウォルフが戦っている場面をカレンはまだ見ていないが、ビッグやロッカの話しによると、自ら剣を振るうウォルフは相当容赦が無いらしい。


『失礼ですが、ウォルフ殿ですか?』


ジャンは相変わらず軽薄に話しかけてきた。


『そうだ。』


『イーリス公国将軍のジャン・イーリスといいます。鉄仮面の噂はイーリスまで届いていますよ。』


『そうか。よろしく頼む。』


それだけ言うと、ウォルフは行軍中の兵士を見に行った。


『あれ?カレンさん、俺なにか悪いこと言いましたか?』


『いや。ああいう奴なのさ、あの姿の時は。』


『変わってるなぁ。』


『お前が言うな。』


しばらく行軍を続けると、物資を運ぶ輸送隊と行き違った。


『ウォルフ、あれは?』


『街造りの物資だ。』


『造ってるのは街だけかい?』


『今はな。』


この辺りの散らばっていた集落を、幾つかにまとめて街にした。


更に勢力を北上させれば、更に街は増えるだろうが、今は内政を任せられる人材が枯渇しており、現在の街の数だけでもぎりぎりのところで維持出来ている状態だった。


兵力と物資を整えたいま、カレンが次に仕入れたいのは内政面の人材であったが、軍事面の人材が潤沢かといえば、決してそうでもない。


五千の補充は疑いの余地無く大きい。


今回の取り引きでカレンが引っ張ろうとした兵力は、実は二千程度であった。


それが五千である。


確かに、イーリス公国にとっては幽霊城付近で帝国軍を止めることができれば、国防を考えれば大きな利点がある。


しかし、イーリス公国の兵士である。


それが、一党の殆どの兵力を占めることになる。


果たして統一は取れるのか。


ウォルフの指揮に素直に従うのだろうか。


幽霊城一党そのものがイーリス公国の勢力下になってしまうということになるのでは無いのか。


頭数が大事だと言っても、それが内部分裂を引き起こす要因であるならば、それは恐ろしい劇薬を腹内に抱え込むのと同じことになりはしないか。


様々なことを考えている間に、行軍は小休止になった。


小休止にも関わらず、丘というには高さが足りないが、小高い地を囲むようにイーリス軍が整列を始めている。


よく見ると、小高い地にはジャンが立っている。


『よし!よく聞け、お前等。俺は今をもってイーリス軍の将軍を辞める!』


兵士達はもちろん、部隊長達もざわめいた。


しかし、動揺は一瞬だった。


『考えなくてもわかると思うが、そもそも俺は将軍なんて柄じゃない。俺なんかが将軍として五千を率いてみろ!お前等、全員死ぬぞ!まぁ、俺は逃げるけどな。』


イーリス軍五千がどっと沸いた。


『という訳で、ここから先は全員鉄仮面ウォルフ殿の指示に従え!それが、たぶんお前等が一番生き残る確率が高いぞ。いいな!俺は降りたからな!』


そう言うと、ジャンは自ら胸についた将軍の証を取り外し、イーリス軍の将軍が指揮をするための指揮杖を跪いてウォルフに捧げた。


『ウォルフ将軍!我々、イーリス軍の五千名と遊び人一名、計五千と一名はこれよりウォルフ将軍の指示に喜んで従います!』


それを合図に、五千の兵士が一斉にウォルフに向かって跪いた。


ウォルフは黙って指揮杖を受け取ると、それを掲げた。


五千の兵士達がまた沸いた。


ジャンが何かをウォルフに語りかけたが、苦笑しながらカレンの所に降りてきた。


『心配ありませんよ、カレン殿。あの五千は鉄仮面ウォルフ殿の活躍を知っている連中です。良い兵士達ほど、良い指揮官の指揮には喜んで従うものです。』


『心配などしていないよ、私は。』


『ならそういうことにしておきます。なんにせよ、これからは気軽に接してください。もう軍人じゃないので。』


『ウォルフと何を話した?』


『あぁ、さっきの?せっかくだから兜を取って顔を見せてやって欲しいと頼んだのですがね、断られたんですよ。恥ずかしいからと。』


気軽な遊び人の元将軍は、もうウォルフが好きになってしまったらしい。


軽薄そうな男だが、人望もあり頭もきれる男なのだとカレンは思った。

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