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軍備再編成

シリウス帝国南部 幽霊城


数週間前、ガノンが手下の五十を各地に散らしていた。


ウォルフも別にガノンには何も聞かなかったが、この五十は戻って来ると二千に膨れ上がっていた。


『二千か。ま、こんなもんじゃろうな。』


ガノン自身は可も無く不可も無くと言った表情だったが、幽霊城の面々は大いに混乱した。


ましてや、補給関係を任されているビッグは、兵力が五倍になったことを知って、頭を掻きむしっていた。


『ビッグ、安心しろ。事務作業はここまでだ。』


『あ?どういう意味だ?』


『実戦指揮に戻って貰う。』


『戻るのは構わないがな、誰が補給をやるんだ?』


『お前の女房に頼んだよ。』


『がめついぞ?』


『覚悟の上だ。』


ビッグとしては、五倍に膨れ上がる物量を捌ける自信は無かった。


むしろ、良いタイミングで実戦指揮に戻れて、本心では胸を撫で下ろしていた。


新たに連れて来られた二千は、総合的に質は悪くなかった。


いずれも各地にくすぶる共和派の残党だと言うが、ガノン自身が用兵時代に目を付けた連中も居るようだ。


『騎兵を増やしたいと思っていたんだ。いま、やっと百騎まで増えたが、数の上ではまだまだ話しにならない。』


『騎兵は難しいぞ、ウォルフ殿。兵の質は勿論、馬の質、それがどれだけ平均化されるか、そして指揮官の技量と判断力。』


『ロッカとガノン殿かな。』


『アフレック殿はどうじゃ?』


『本人が嫌がっている。』


言いながらウォルフは苦笑してしまった。


実際、頼んではみたものの、ウォルフもガノンもアフレックに兵の指揮は向いていないかもしれないとは思った。


『騎兵は騎兵でも、本隊の騎兵に回すよ。アフレックは。』


『わしも騎兵だけの指揮となるとなぁ、指揮官の頭数が足りんじゃろ?』


『両方指揮なさりたいか?』


『無論じゃろ。』


出来れば三軍組織したいのだ。


更に騎兵のみの独立遊軍。


敵の攻撃を凌いでいなすための三軍と、敵を撹乱するための遊軍。


ウォルフの戦の考え方に合う編成は、概ねそのようになる。


ただ、三軍の中にも歩兵と騎兵は居るに越したことは無いのである。


『ま、現状無理なものは無理さ。』


実はカレンも騎兵指揮の技量がなかなかあるのだが、さすがに今は前線に出せない。


というより、本人は出たがっているが、ビッグが激怒するに決まってる。


ロッカとビッグの扱いをそれぞれどうするかである。


ロッカの騎兵を独立遊軍とするのか。


ビッグを歩兵指揮官としてウォルフ隊かガノン隊に組み込むのか。


『遊軍は三軍をしっかり組織してからで良くはないかね、ウォルフ殿。』


『いや、遊軍は絶対に必要だ。数が少ない以上、優秀な遊軍が居るか居ないかで我々の戦は決まってくる。』


『なら、もう答えは出ておるじゃろうが。』


『ロッカのみが遊軍というのが厳しいかもしれないと思う。』


『ロッカ殿の資質は今ひとつかね?』


『ガノン殿はどう思う?』


『中々だとは思う。遊軍は出来るだろうが、あるいは一軍を率いる才覚の方があるかもしれんな、あの若者は。』


それはウォルフ自身も感じていた。


ロッカを遊軍で使うことが多かっただけで、ロッカ自身の指揮能力は柔軟性と広さがある。


そういう意味では、ゆくゆくは一軍を率いさせることを視野に入れる必要はあるかもしれない。


しかし、それも今より人材にゆとりが出た場合の話しである。


結局、当面の編成は以下のように発表された。


第一軍指揮官 ウォルフ


第一軍副指揮 アフレック


兵員 一千 (内騎馬二百)



第二軍指揮官 ガノンドルフ


兵員 八百 (内騎馬二百)



第三軍指揮官 ドン・ビッグ


兵員 歩兵のみ五百



遊軍指揮官 ロッカ


兵員 騎兵一百


残りの二百強は予備兵とし、城を護る任に就くことになる。


『それと、そろそろ決めなきゃならんことがある。』


『他にあるか?』


『我々徒党の名前じゃよ。』


『帝国が叛徒とか賊徒とか呼ぶだろ、どうせ。』


『だからと言って、自分達で叛徒だ賊徒だと名乗る訳にもいかんだろう。』


『ま、無難に南部連合軍で良いだろ。』


ウォルフの素っ気なさに、ガノンはかなり呆れている。


『お前さんは、こういうことにわくわくしないのか?』


『あまり。名前なんか、後で幾らでも代わるかもしれないし。』


『若いくせに夢が無いのう。』


『他に決めなきゃいけないことは?』


『城の名前じゃな。』


『幽霊城だろ?』


『おいおい、本拠地の名前が幽霊城のままというのは』


『まずいかな。』


『かっこ悪い!』


ガノンがむきになってきた。


意外とこういうことに拘りたいたちらしい。


『何か候補は?』


『ノートリアス城!』


『なら、それで良いんじゃないか。』


ウォルフの脳内は、既に次の戦を戦っていた。





帝国側でも、再編成は行われていた。


もっとも、帝国側ではまず最初の時点で規模が違うことが起きていた。


西側諸国から多額の賠償金の支払いが開始されたことから、その約半分に当たる金額を国民に還付し、税負担を軽くしたのだ。


未だ各地に潜伏する共和派達や反皇帝派の勢いを挫くための政策だった。


軍事面に於いては、オズワルドの軍に加えて工作隊を編成した。


工作隊は募集した民兵が主な構成員であるが、南部の拠点施設の建設に従事するための人員である。


これは、南部の入り口と言われる『血の道』と幽霊城近辺までの間に集落が無くなり、物資の補給線を構築することが出来なくなったためである。


南進する帝国軍は、拠点を新たに一つずつ建設しながら進軍することになる上に、建設途中の拠点を死守しなければならない。


そして、それこそが鉄仮面と呼ばれる叛徒の首領の敷いた、ある種の焦土作戦であった。


道なりに進むのであれば約二百キロである。


それも、水場が少ない荒野を進む道である。


帝国軍は、来たるべきイーリス公国侵攻のためにも、この二百キロの道程に大小併せて十箇所の拠点を築くことにした。


こうして、出陣の日を迎えたオズワルドは精鋭二万と共に南進を始めた。


二万のうち五千は、かつてアムレートが育て上げた重装騎馬であり、さらに五千の騎馬、一万の歩兵に工作隊を加えた大軍であった。





時を同じくして、幽霊城の物資を任されたカレンはいきなり大技をやってのけた。


かつて、ガノンが奪い取ってカレンとの商品の交換に用いた財の数倍を城に運び入れていた。


更に東からカレン商会の人と財が次々に運び込まれて来た。


帝国軍が使わない川を使った輸送路であった。


想像を絶する物量に、今まで散々物を捌いてきたビッグでさえ面食らっていた。


『なんの騒ぎだよ、こりゃあ。』


『騒ぎ?東から自分の商いを丸ごと持ってきただけさ。』


『南から入ってきた財は何だ?』


『ああ、あれか。あれは傭兵代さ。』


『傭兵代?』


『イーリス公国から引っ張ったのさ。イーリスに攻め入る予定の帝国軍と戦ってやるんだ。傭兵三千人分の給金一年分。奴等、喜んで払ったよ。』


『そんなやり方ありかよ!』


『うるさいねぇ!こういうのはね、引っ張ったもん勝ちさ!だから、あんたは甘いんだよ!』


そう怒鳴ると、カレンはさっそく自分の部下と部屋に籠もって打ち合わせを始めた。


『やり手じゃのぉ、ビッグ殿の奥方は。』


しみじみとガノンが言った。


『あいつめ、どんなえげつない交渉をしたんだか。』


そう言うと、ビッグは新たに編成された自分の部隊の元に歩いて行った。


ビッグの部隊に配属された兵士達は大柄で力自慢の者が多い。


最近はガノンの部隊とも調練を行い、大盾を用いた戦い方を取り入れてもいる。


騎兵が戦局を左右する野戦において、ビッグの歩兵部隊は突破力と防御力共に申し分ない戦い方が出来る。


部隊の指揮官としてのビッグは、危険な場面では自分を必ず前線に晒す。


逆に腰を落ち着かせて構えておくべき時は、後ろから兵士を叱咤し、絶対に前には出ない。


そこに、ビッグという男に備わっている、一つの将器のようなものがある。


簡単に見えて、実は徹底することが最も難しいことをしっかりやる。


それが部下のやるべきことを簡単にする。


押すのか、引くのか。


耐えるのか、避けるのか。


ビッグ自身も尋常では無い腕力の持ち主である。


ガノンは、ビッグが馬に乗れないことが惜しいと思った。


あれだけの将器を持った者が歩兵のみの指揮というのが、本当に惜しい。


それは、仲間としてというよりも若い将器を見つけた一人の老将としての意見ではあったが。





久しぶりに、ニナを激しく抱いた。


何度も何度も繰り返し抱いた。


ウォルフは決して好色な男では無い。


むしろ、性欲はかなり控え目な青年である。


しかし、戦の前だからなのか、この時は自分の中に棲む獣を何度も外に放とうとするうちに、何度もニナを抱いてしまう。


そうして気がつくと朝になっている。


朝になり、我に返ると昨夜の自分のしたことが夢そのものの様に思える。


日中、何も変わらず診療所の仕事をしているニナを見ると尚更である。


やや寝不足の感も否めないが、ウォルフの頭脳は、はっきりと帝国軍の動きを読んでいた。


あとは此方が、どう動くかだけである。


帝国軍の将軍オズワルドが出陣したのと奇しくも同じ日、叛徒の頭領である鉄仮面ことウォルフは各指揮官を会議室に集めた。


『おそらく、そろそろ帝国軍は我々の居る南部を掌握する目的で南下を開始する頃だ。敵は拠点を築きながら南下してくるので、もし何事も無ければ、三ヶ月後にはこの城に迫るだろう。』


『ノートリアス城だ。』


ガノンが口を挟んできた。


『何事も無ければと言うが、何事も起こすつもりは無いのか?』


ビッグの質問に、会議室の面々が笑い出した。


『今回、初めのうちは攻撃はしない。血の道から此方まで四分の三の距離まで来た地点で開戦する。』


『随分、半端な位置で仕掛けることになりませんかね?』


ロッカの発言に何人かが頷いた。


『敵は輸送部隊も、おそらく拠点の建築要員も率いているんだろ。なら、拠点の建築を進めさせるより、進めている最中に襲う方が良いと思うんだがな。』


『大規模に攻めれば、攻める我々の補給も困難になる。』


ウォルフの返答に、ビッグは確かにと頷くしかなかった。


『とはいえ、まったく手出しをしないというのも良くない。時間稼ぎというわけでは無いが、敵の不安要素は一つでも増やすなり、膨らませるなりするに限る。』


『大将お得意の嫌がらせ作戦が出るぞ。』


ビッグの一言に、再び会議室が笑いに包まれた。


『嫌がらせ作戦の実行は、ロッカ。お前の遊軍に全て押しつけるつもりだ。』


『たった百騎でですか?これじゃあ、敵に対する嫌がらせなのか、俺に対する嫌がらせなのかわかりゃしない。』


『アフレック殿。貴君もロッカに同行して頂きたい。』


『構わないが、私は指揮は出来ないと思う。』


『指揮はロッカがする。ただ、今回は敵の騎兵が精強だという。ロッカやロッカの部下を護って欲しい。』


『それなら、承知。』


『俺に護衛ですって?』


ロッカは思わず笑ってしまった。


『おとなしく護衛されるべきだ、ロッカ殿。オズワルドはこれまでの敵とは格段に違う。上官に恵まれれば、四天王に入っていてもおかしくは無い。』


ガノンが口にした四天王という言葉に、一堂の顔色が変わった。


『四天王といえば、アムレートとかいう若造が何故か入っているらしいじゃないか。確かに活躍はしてるみたいだけど、なんであんな若いのが四天王と呼ばれてるんだい?それも、今や元帥になったっていう。』


カレンの言葉にビッグも頷きながら反応した。


『戦上手かもしれんが、そんな若造の部下だったのがオズワルドだろう?数は圧倒的だが、前に戦ったコーエン将軍以上の敵なのか?』


『大方、皇帝の男妾かなんかじゃないのかって噂もあったよ、アムレートは。かなりの美男子だからね。皇帝もアムレートには中々ご執心らしいよ。』


『なんだ、カレン。アムレートを見たことあるのか?』


『サラーム馬を買い集めててね。馬を納めた時に一度だけ。ありゃあ、相当もてるよ、女にも。』


『ほう、カレンが言うなら間違いない。こいつはかなり面食いだからな。』


『カレン姐さんが面食いねぇ。旦那さんの顔を見ると説得力無いなぁ。』


『おい!』


笑って会話に割って入ったロッカに、ビッグとカレンが一斉に机を叩いた。


『アムレートは天才じゃよ、戦の。わしはかつてアムレートが指揮する戦いを見物したことがあるが、生まれつきの天才というのはああいうものかと思った。』


まるでリーファ元帥の再来、という言葉をガノンは飲み込んだ。


『天才美少年のお付きって、大概ぱっとしない奴多いってのが相場じゃないか。』


カレンがなおも食い下がる。


よほどアムレートの顔は気に入っているらしい。


『天才の副官を務めあげるというのは、凡人には出来ないことだと思う。』


ウォルフが話し出したので、一応皆が静かになった。


『今回南下してきた軍は、我々を鎮圧した後にイーリス公国に侵攻するための軍だ。本来であれば、四天王の誰かがその任に当たるはずだが、オズワルドが抜擢されているというなら、オズワルドの指揮官としての力量は既に準元帥級と見るべきだろう。』


ウォルフとガノン両名が、敵将を高く評価していることを改めて知った一堂としては、今度はそんな相手にどうしたら勝てるのかという疑問が頭をもたげてくる。


ましてや、敵の兵力は此方より遥かに上なのだ。


『迎撃する我々の拠点は、おそらく古代遺跡の街になるだろうが、そこからどうやって戦を展開するか、思案のしどころじゃのう。ロッカ殿が嫌がらせを仕掛け続けるのは決まりとして。』


『それも無事に俺が生き残れるかどうか怪しい雰囲気ですけどね。』


『残念だな。お前みたいな奴が苦しんで死ぬ様を見るのが、医者の真似事をしている数少ない楽しみだったんだが。』


今度はケベックが不敵な笑みを浮かべて口を挟んできた。


『おや、元頭領。指揮官でも無いのに会議にご出席とはご苦労様です。』


ロッカも意地悪な笑みを浮かべて応戦した。


『今更苦労などしたくも無いが、お前達の頭領に呼ばれたのでな。』


『よさんか、まったく。我が軍の会議は脱線が多くていかん。』


『いいんじゃねぇか、別に。真面目になって勝てるのが戦なら、全員とっくに堅気になっちまってるよ。』


ビッグなど、もはや本線に話しを戻すまいとしている。


『そもそも、堅気だったらこんな阿呆なことをしてるわけがない。』


再びケベックが口を挟む。


『堅気になるくらいなら、お前の首をすっ飛ばしてやりてぇよ。』


『腕の次に首か。やはり人間は頭が悪いのだな。最初から首を刎ねれば、一回で全てが済むというのに。時間と労力の無駄遣いが好きなのが人間なのだから、仕方ないのだろうが。』


『おい、ガノン殿。こいつの言う通り、あの時に腕じゃなく首を刎ねちまえば、会議はもう少し短くなったぜ、たぶん。』


『まったく、緊張感が無い連中じゃな。』


『結論から言うと、算段は全て付けてある。』


再びウォルフが口を開いたが、今度はひと呼吸だけ置いて、話しをちゃんと続けた。


作戦の全貌が明らかにされた時、それまでふざけていた面々は、急に緊張感のある面持ちになった。


『確かに展開はそうなるかもしれんが、古代遺跡の街付近で敵を迎え討って勝てるのか?それに、それだけじゃ敵は終わらんだろ。』


『終わらん。敵は必ず再編成をして決戦を挑んでくる。その決戦を制する必要がある。』


『決戦と言っても、敵が望む形の決戦は用意してやれないがな。』


ウォルフの一言に、一堂が頷いた。






地下牢に戻ろうとすると呼び止められた。


振り向くと、仮面の男アフレックが立っていた。


『少し話しがしたい。』


他の者が居ない場で、アフレックが他人に話しかけること自体が珍しいのだが、その相手がましてや嫌われ者の自分である。


ケベックも、これには内心で測りかねるものがあった。


『私は夕方以降は地下牢に戻ることになっている。そこで良ければ聞いてやる。』


『構わない。』


追い払いたい気持ち半分で言った言葉だったが、あっさりアフレックが同意してしまったので二人で地下牢に降りた。


ニナはもう地下牢に戻る必要は無いと言っているし、ウォルフもかつてのケベックの部屋を開けたままにしているが、ケベックは夕方以降は頑なに地下牢に戻り続けている。


地下牢と言っても、入っているのがケベック一人なので、今は牢番すら置いていない。


牢に入っても、鍵を掛ける者は居ない。


しかし、通路に灯りを灯す者は必ず居るし、朝になると灯りを持ってニナ達が迎えに来るので、寝る時間以外は暗闇というほどでも無い。


牢の中はベッドと用を足す為の便座があるだけで、他には何も無い。


ケベックはベッドに腰掛けると、アフレックを見据えた。


アフレックも、何故か牢の中に入って来ている。


『話しても構わないか?』


『お好きに。』


『あんたは薬に詳しい。』


『薬というよりは薬草だ。それも熟練の医者にはかなわない程度だ。』


『記憶に関わる薬は無いか?』


『記憶?記憶の、なんだ?』


『三年以上前の記憶が無いのだ、俺には。』


ケベックは黙って聞いている。


『たまに夢で誰かに追われて逃げる、そんな夢をみる。それが、おそらく、夢なのだが夢では無い。間違いなく、体験したことがあるような、そんな気がするのだ。』


アフレックの言う通りであれば、その夢は無くしている記憶の一端なのだろう。


ふと、ケベックは思った。


アフレックが強いということくらいは、弓以外の武技に通じていないケベックにもわかる。


しかし、これほど強い男が夢の中とはいえ、果たして誰から逃げたのか。


ましてや、それが残っている記憶だというなら、失っている部分にはどれほどのものがあるのか。


『三年以上前の記憶が無いのなら、覚えている限りで一番古い記憶では、お前は何処にいたのだ?』


『たしか、アルザリの近くだと思う。』


『思う?』


『草原を彷徨っていた。布切れを纏い、顔に仮面を付け、確か腕には鎖も付けていた。そこをエラとスリーが見つけた。あの二人が俺の保護者だ。』


『保護者か。面白い表現だ。』


皮肉を言いながらも、アフレックの記憶が有る時期よりあちら側には、壮絶な何かがあったことは間違いないようだ。


『お前の素顔は皆が知っているのに、結局お前は仮面を付けている。何故、素顔で行動するのを嫌がる?』


『俺にもわからん。ただ、素顔だとやはり落ちつかないのだ。』


ケベックは少しだけ考えたが、すぐに結論を出すことも無いと判断した。


『ご足労頂いて恐縮だが、これはやはり薬草の範囲外だ。どうにもならんな。』


『そうか。』


うなだれるアフレックに、一つ問いかけた。


『もし、記憶が戻らなかったら、お前は不幸なのか?』


アフレックも少し考えたようだが、首を横に振った。


『不幸では無いと思う。わからんが、少なくとも俺は不幸では無いのかもしれない。』


『なら記憶に拘る必要も、過去に拘る必要も無い。どうせ人間ふぜいが抱えるつまらん記憶なのだろう。望もうが望むまいが、思い出す時は思い出す。』


『そうか。そういうものか。』


アフレックと話していると、いつもそうなのだが、この男は素直過ぎると感じてしまう。


ケベックが薬だと称して毒を煎じても、おそらく飲んでしまう気すらする。


『エラは良くなるだろうか。』


自分の時よりも、明らかに声色は深刻そうである。


本当はこちらの話しをしたかったのかもしれない。


『良くなるとは?口がきけるようになるということか?』


『そうだが、その、心の問題が』


『心を病んでいる人間がいつ治るのかわかるなら誰も苦労などしない。』


『そうだな。すまなかった。』


アフレックの言葉を遮り、少し強い語調になっていた自分の言葉に、ややケベックは違和感を感じていた。


そうした理由が自分にもわからなかったからだ。


『お前も忙しくなるだろうが、こちらに居れる間は可能な限りエラと一緒に居てやれ。』


『わかった。わざわざ、すまなかったな。』


アフレックはそう言うと、力無く去って行った。


その後、ケベックは何に自分が苛立っているのかを発見出来ないまま、夜の暗闇を迎えた。

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