オセローの元帥府
シリウス帝国 帝都 オセローの元帥府
オセローが元帥に昇進したのは十年も前である。
事実上、軍政における大きな権限を与えられたオセローは、当時各地に散らばっていた共和派を殆ど根絶やしにするという苛烈な手段をとった。
人々はオセローの冷酷さを恐れた。
隣国の軍が侵入してきた際も、情け容赦ない包囲殲滅をした。
降伏の申し出も拒否したという。
皇帝シリウスとの関係は極めて良好であるが、オセローのこうした過激な対処に関しては、皇帝自身も良くは思っておらず、激しく叱責したことも珍しくはない。
功の裏側に闇が多いためか、それともオセロー自身が自分に権力が集中することを嫌ったからなのかは定かでは無いが、オセローが自らの元帥府を設立したのは、元帥昇進から五年も経った頃だった。
そして、自身の元帥府内に歴代元帥が設けなかった機関を二つ置いた。
諜報機関と魔術研究機関である。
共和国時代も諜報機関が無かったわけでは無いが、元帥府の中には無かった。
国家の管轄だったからだ。
しかし、他国に比べてシリウス帝国の諜報機関が脆弱であることから、オセロー自らが抜本的な改革を行い立て直した。
そういった経緯から、シリウス帝国の諜報機関はオセロー元帥の元帥府内部にある。
魔術研究機関に関しては、元々は国家の管轄でも軍部の管轄でも無かった。
研究者達が立ち上げた研究所以外のものが、そもそもシリウス共和国時代は存在しなかった。
シリウス帝国に時代が移り変わり、皇帝シリウスが大陸統一の意思を明確にすると、一番の難敵は大陸の東側に位置するサラーム教国である。
政教一致の国家であり、神秘的な思想を重んじるサラームでは魔術研究も盛んに行われ、魔術師達で編成された軍事部隊もある。
これに対抗するために、オセローは国有の魔術研究機関を設立し、その機関が休息な成長を遂げるために、やはり自らの元帥府内にそれを設けた。
オセロー元帥自身が、自分の業務や元帥府内のことに関しては秘密主義を貫いているため、この諜報機関と魔術研究機関の存在は、他国は勿論のこと、自国の者ですら知っている者が限られている。
存在を知っている者からは、オセロー機関と呼ばれている。
オセロー元帥自らが改革した諜報機関なので、そのように呼ばれているが、その機関の能力は改革から僅か五年で他国を凌ぐものになった。
帝国の東側は非常に栄えており、大きな都市が幾つもあるが、ドワーフや鳥人族、エルフといった人間以外の民族がひっそりと暮らしを営む地域が少数ではあるが存在している。
帝国東部の少数民族地帯と呼ばれる地域に、忍びの里と言われる町があった。
先祖から代々受け継ぐ伝統的な技を使い、戦闘、潜入、情報収集、後方撹乱、暗殺、警備などを行う『忍び』と呼ばれる部族が住む町である。
オセローは、この忍びに目を付け、忍びの里内の最大派閥を抱き込んだ。
以来、シリウス帝国は諜報戦で他国を圧倒し続けている。
魔術研究と諜報機関を取り仕切り、多忙を極めていたオセローの元帥府内に激震が走ったのは、南部にオズワルドが出陣する直前のことであった。
事の発端はアムレートが西側で戦をしていた頃、帝国西部の都市アルザリで起こった。
魔術研究の一員が、アルザリ内で合成獣の生成と死者の軍事利用実験を実施したが、地元の探偵社に妨害され、実験は失敗に終わった。
情報の機密を守るため、諜報機関にその探偵社潰しを命じたが、探偵社の面々は忍び達の執拗な襲撃から逃れ続けた。
更に南部国境付近を、叛徒が僅か数日の内に占拠し、予想を遥かに上回る速度で拠点を築き上げている。
そして、南部に配置していた諜報員達の多くと連絡が途絶えた。
オセローはオズワルドの出陣を延期させ、南部の情報収集のため諜報員を増加させる手配に忙殺されることになった。
もう、三日は寝ていない。
自らの指揮する東部戦線も拡大させなければならない最中に、南部の情勢そのものが変わってしまったらしい。
諜報機関の会議に出席したオセローは、壁に貼り出された南部の地図に目を凝らし続けていた。
『最後に届いた情報を整理しますと、南部に居る賊が三つ集結し、周辺の集落をまとめ上げていることまでは確認できております。』
『それは既に承知している。消息を絶った五十人もの諜報員の行方を知りたい。』
文字通り不眠不休のオセローだが、その鋭い頭脳が衰えているようには見えない。
会議の場内に、独特の緊張感はいつもと変わらず漂っている。
『推測でものを言うのは好きませぬが』
諜報機関の長であるハンゾウが口を開いた。
『貴公の言う推測が、当たっている可能性はあるのか?』
相変わらず冷たい声をオセローは発したが、このハンゾウという男は、オセローが相手でも滅多に怯まない。
『当たっている自信はあります。』
『外れたらどうする?』
『外れたのなら、むしろ幸運です。』
オセローの脅すような物言いにも全く怯まない百戦錬磨の忍びである。
『申してみよ。』
『殺されたとみて差し支え無いでしょう。』
『殺された?五十人全員がか?』
『はい。』
敢えて、一番最悪な推測をハンゾウが口にしてきた。
忍び達の実力を過不足無く把握しながらも、その実力に絶対の自信を持っている男が、五十人もの忍びが全滅したと言ってのけたのだ。
『ハンゾウ。五十人もの忍びが、まとめて殺されるなど有り得ることなのか?』
『先月までなら有り得ないことでしたが、今は有り得ると思っております。』
『ほう。そんな話しを聞かされた私としては、南部の忍び達の質を疑わざるを得ないところだが。』
『恐れながら、元帥。』
恐れてなどいないくせに、と思わず言葉に出そうになった。
寝ていない事が、やはり多少は影響しているのかもしれない。
『南部に配置している忍び達は、かなり質の高い連中です。先日もイーリスの軍勢を退却に追い込んだばかりなのをお忘れですか。』
『なるほど、確かに。』
イーリス公国の軍二千が、幽霊城占領に動いた際、その二千に奇襲をかけたのは幽霊城に籠もる賊だった。
現地の忍び達は、それを更に利用して、補給を待つイーリス公国軍の補給を完全に途絶えさせた。
結局、イーリス軍は撤退せざるを得ない状態に追い込まれ、その軍勢を解散して自国に退いた。
現地での急ぎの判断は、現場に任せるのがハンゾウのやり方で、ハンゾウが現場を任せる程の部下が、誤った判断を元に行動するようなことは確かに無かった。
ましてや、二千の軍勢を退却に追い込むことが出来る程の判断力を持っているのだ。
ハンゾウの言うことに間違いも無さそうではある。
『では何故、優秀なはずの五十人がみすみす殺されたと、貴公は思うのか。』
『敵がそれより遥かに優秀だったからでしょう。』
漠然とした答えは好きでは無い。
ましてや、推測では尚更である。
しかし、もしハンゾウの推測が外れていたとするならば、五十人の忍び達は無事なはずである。
何らかの事情で情報が遅れているだけということになる。
それならば、確かにハンゾウの言う通り、推測が外れていた方が幸運ということになり、危惧するほどの問題は無い。
しかし、ハンゾウほどの男が最悪の推測を導き出したのである。
むしろ、最悪の事態に向けて行動を起こさなければならないという結論が、既にオセローの脳内には出ていた。
『五十人を倒したのは何者なのか、ですか。』
それまで押し黙っていた諜報機関の補佐官ウェーバーが口を開いた。
戦闘関係は素人だが、計略や攪乱といった戦略的な知恵が利く。
『何者か話し合うことで結論が出る話題では無いと、俺は思うぞ。』
『明確な回答を出すなら無意味でしょう。しかし、あたりを付けるだけなら。』
『あたり?』
オセローもハンゾウ同様に明確な結論は出ないと思ったが、ウェーバーはそれを察した上で何らかの道筋を導き出しているようだった。
ウェーバーが立ち上がり、地図に線と点を描き込み始めた。
南部の縦の道沿いにあった点が、国境に添う形になり、それを矢印で繋いでいる。
そして、帝都から血の道を経由して幽霊城まで一つの線で繋いだ。
ウェーバーが描いた点と線を改めて見て、オセローは益々事態が抜き差しならないことを悟った。
『幽霊城か。』
ハンゾウも察した。
オセローにしてもハンゾウにしても、そしてウェーバーにしても、実は五十人を消した犯人がイーリス公国の諜報員だと信じたかったのだ。
五十人が消えたのは最悪に近い事態だが、イーリス公国の諜報部が相手なら幾らでも巻き返しがきく。
しかし、南部の変化そのものが、その信じたかった微かな希望を砕いた。
イーリス公国が仮に介入してきたとしても、南部全てを動かすほど、南部の地理、特に集落の数や位置には明るくないのだ。
『犯人は間違い無く、幽霊城に居ると考えて良さそうですね。』
ウェーバーが描いた点と線は、それがもし本当ならば、実に広大な戦略を叛徒がやってのけたことになる。
『奴らが集落から住人を動かし、国境沿いの地域、それも幽霊城付近に動かして、その人的資源をもって街を建設していく。その分、血の道をから幽霊城までは人が居ない荒野が広くなります。もし、このタイミングでオズワルドの軍勢が南下していたら』
『飢えるな、間違いなく。それか、行軍が遅くなる。』
『これは、焦土作戦のようだな、まるで。』
『まさしく。それも、極めて建設的な焦土作戦です。我々、シリウス帝国軍に対しての。』
『奴ら、それを僅かな期間でやってのけた。』
『やってのけたのは僅かな日数ですが、計画自体は中々練られていたと見るべきでしょう。』
ハンゾウも唸った。
帝国軍は戦う前に先手を取られていた。
『どうやら、事態は予断を許さぬようだ。ハンゾウ。貴公は自ら南部の諜報網復旧の指揮を執れ。』
『承知しました、閣下。』
『ウェーバー。幽霊城には我々と拮抗する諜報機関があると考えるか?』
オセローの質問に、ウェーバーは少し考えてから首を横に振った。
『それは無いでしょう。ただ、ここ最近の間だけ、諜報員達を手玉に取った者は存在しています。』
『馬鹿な、有り得ん。』
ハンゾウが反論したが、オセローが手で制した。
『ハンゾウ殿、居るのです。残念ながら。アフレック探偵社の者達が。』
さすがにハンゾウも黙った。
質の高いハンゾウの部下達は、二千の軍を退却させることに成功はした。
しかし、アフレック探偵社の者達を殺害することには失敗し続けていた。
『しかし、アフレック探偵社と幽霊城には関わりは』
『あったとしたらどうです?過去には無くても、今現在、手を組んでいるとしたら?』
『叛徒が我々の情報を探ることは出来なくても、我々の諜報員を勢力内で消すことは可能ということか。』
オセローは、それ以上のことを言わないようにした。
オセロー、ハンゾウ、ウェーバーという諜報機関を動かす者達の中では、もう既に出せる限りの結論は出たのだ。
自室に籠もって少しだけ仮眠をとったが、ハンゾウが面会を求めて来た。
執務室に通すと、まず書類を一つ渡された。
『サラーム教国で政変とはな。』
冷たい声でそう言ったが、それはオセローを内心動揺させるには十分な報せであった。
『教皇が政治的な意味で倒れるとは、誰も考えつきもしませんでした。』
政教一致のサラーム教国は、代々の教皇が国の頂点に立っていた。
ところが、ここ数年の間に情勢はこちらも変わっていた。
サラーム教という絶対的な宗教内に新派が数年前から現れた。
絶対的な宗教と言っても、サラーム教自体が宗教的解釈の違いから二大派閥を有していたが、その二大派閥とは別の新派が、二年程で国内最大の支持を得るに至った。
そして、新派の創始者が勝手に教皇を僭称した。
これに教皇率いる保守派、保守派と普段は対立する革新派の二大派閥が手を組んで対抗したが、なんと二大派閥が敗れ、教皇が正式に退位する結果になった。
新派の創始者は、民衆から救世主と呼ばれているらしい。
本来であれば、敵国の混乱は好機なのだが、今回は少し嫌な予感がしていた。
ハンゾウがもう一つ、今度は大きな封筒を手渡してきた。
『嫌がらせや毒物による暗殺の可能性があるので、念のため封を切って中を確認させて頂きました。』
封筒には《南部の老人より》と書かれていた。
封筒の中から、古びてぼろ同然の布きれが出てきた。
布きれを広げると、それは軍隊の隊旗のようだった。
その旗の紋章に見覚えがあった。
青い旗、兜と盾と鎧が描かれている。
『陛下にお知らせせねばなるまい。』
『閣下、その旗は何なのです?』
ハンゾウが首をかしげて聞いてきた。
『ガノンドルフ元帥を知っているか?』
『噂は一応。』
『これは、ガノンドルフ元帥の旗だ。』
ハンゾウが固まった。
大昔の出来事、それも葬った筈の過去が再びオセローに襲いかかってきた。




