ニナとエラとカレン
ニナは不幸にも家族に売られた女だ。
母親が病でこの世を去ってから、酒に溺れた父親に売られた。
街に運ばれる最中、人買いが何度も何度もニナを弄んだ。
挙げ句の果てに、ニナは賊に売られ、縛られ、地獄の日々を味わった。
涙も声も枯れ、全てに気力を無くしたある日、朦朧とする意識の中で、遠くに神を見た気がした。
ニナは神に願った。
死なせて欲しいと。
心の中に入り込むような声がした。
死んではならない、と。
それなら、助けて欲しいと願った。
人として生きる機会が欲しい、人として死ねる機会が欲しいと。
その声はもう聞こえなくなった。
また、賊の男達が小屋に入ってきた。
死にたい、死のう。
食を絶てば死ねる、そうしよう。
そう決意した直後、賊の男達の体が引き裂かれ、かわりに緑色の髪の毛の青年が居た。
目でその青年に訴えた。
その剣で殺して欲しいと。
言葉は出なかったが、その意思は間違いなく伝わったはずだった。
しかし、青年は自分を殺さなかったばかりか、自分を縛りつけている縄を切って、自分をベッドから起こすために抱き寄せてくれた。
何故だかわからないが、その青年にしがみついて離したくなくなった。
そして、その青年は自分を娶ると言い出した。
一ヶ月で人生がまるで変わった。
地獄の日々の中、早くしにたいと思っていた女が、何故か城持ち男の夫人である。
城持ち男の城は強奪したものだし、そもそも男も叛徒であるが、ニナはそういうことは気にしなかった。
いま、夫ウォルフとその仲間は毎日忙しい。
ニナにはよくわからないが、かなり大きなことをやっているようだ。
ニナは特に仕事を割り当てられていないが、何か自分でも出来ることは無いものかと、城内をよく歩くようになった。
城内の大工仕事を手伝おうとしたが、危ないからと止められたり、せめて皆の昼食の用意をしようと思ったが、地下にある倉庫から食料を全て自分で厨房まで運ぼうとすると、やはり危ないからと大騒ぎした老兵達が飛んできた。
厨房で料理をしようとしたが、そもそも今日まで料理らしい料理をしたことが無く、むしろ料理を作る老兵達の足手まといになった。
それならばと、作られた食事を外で仕事をしている者達に届けて渡した。
城の面々からは、城主の妻自らが昼食を渡してくれたと評判が良かったはずだが、今度はガノンが慌てて飛んできて、やはり危ないからと止められた。
さすがに頭にきて、鼻息荒くガノンに突っかかったが、城の面々の殆どはウォルフ一党に加わって日が浅いこと、元はほぼ全員が犯罪者であることなどを説かれ、逆に怒りは頂点に達した。
『日が浅いというなら、ガノン殿も同じではありませんか!ガノン殿の言うことは聞くのに、他の人は危ないから近づくなというのは理屈に合わないじゃないですか!そもそも、犯罪者だから危険だと言うなら、私の夫も犯罪者です!夫の友人も犯罪者です!馬鹿にしないでくださいっ!』
ニナはガノンに料理を投げつけ、自分の部屋に引きこもってしまった。
『おいおい、俺はウォルフや誰かさんのせいで多忙なんだぜ。物資や補給やら整備やらの処理以外に、人生相談まで俺の仕事に組み込もうってのかよ。』
そう言いながら、投げつけられた料理のあとが服についたガノンを見て、明らかにビッグの口端は笑っている。
『ま、戦いじゃ無敵に近いあんたでも、女には敵わないってことか。』
『そう笑わんでくれ。本当に困っておるのじゃよ、ニナ殿には。』
『おう、困れ困れ。俺ばかりが頭を悩ますのは不公平だからな。』
『頼むよ、知恵を貸してくれ。』
普段は想像出来ないほどに困り果てたガノンの顔つきを見ると、ビッグは最早笑いが止まらなくなってしまった。
『ちょうど良いと言えば、ちょうど良かった。』
『なにがじゃ?』
『一階に少し広い部屋があるから、そこを怪我人や病人が詰める場所にしたい。エラにそこを仕切らせよう。』
『ウォルフ夫人にそこをか。なんとも不安が残るというか』
『あのなぁ、心配なのがわからんわけでは無いが、それを言い出したらきりが無い。女だから配慮は必要だが、遠慮し過ぎるとまた怒られるぞ。』
『わかった。ビッグ殿に任せる。』
『おう。』
ガノンが去った後、ガノンは老兵の一人にニナを呼ぶように頼んだ。
ビッグから呼び出され、怒られるのかと思ったが、診療所を作れと言われた。
ニナは診療所にする予定の部屋に入った。
初めのうちは、作れと言われても何から始めれば良いのかわからなかったが、部屋を歩き回ったり、床に寝転んでみたりしている内に色々なことが浮かんできた。
ビッグが一階に診療所を作ろうとした理由もわかった。
怪我人や病人を二階に上げるのは負担が大きく、人手も必要になるかもしれない。
更に一階のこの部屋からなら、井戸が近いため水の確保が容易だ。
万が一、戦が起きて外に出られない事態になっても、地下室に水堀と繋がる水場はある。
石造りだからこそ、床に病人や怪我人を寝かせては体が余計痛くなってしまう。
傷病者を寝かせるための場所と、診察や治療をする場所の割り振りはどうするか。
そもそも診察や治療を出来る人間が、いま城の中にどれほど居るのだろう。
色々なことを考えながら、城の中を歩き回っていると、一人の少女が壁の近くに座り込んでいた。
ニナよりも幾つか年下で、ウォルフに似た男が連れてきた少女だ。
ニナは少女の隣に座った。
『こんなところでどうしたの?』
ニナが呼びかけても、少女はうつむいて返事をしない。
噂では、少女は南部に来るまで何度も敵の襲撃に遭い、それから口をきかなくなってしまったらしい。
『私、ニナっていうの。』
名乗ってはみたが、少女の返答は無い。
しかし、自分が隣に座った時、少女は微かにだがうつむいた。
意思はまだあるのかもしれない。
また来るね、風邪ひかないようにね、と言いニナは立ち去った。
次の日から、ニナは診療所の準備を進めた後で少女の所に行き続けた。
少女の名前がエラというのは、老兵から聞いた。
エラを連れてきたウォルフ似の男は、この城を奪った後に何か事情があるらしく、この一ヶ月ほど城に居ない。
少女を置いて事情も何も無いと思うが、とにかくニナはエラに語りかけ続けた。
何日かして、ニナがいつものようにエラに声をかけると、エラをニナの方を見た。
いつものように話し始めると、また下を向いてしまったが、やはりエラの中に意思は確かに生きている。
ウォルフのことや、城でのこと、ウォルフの仲間のこと、色々なことを話してきたが、ある日突然、ニナは自分の過去を話し始めた。
母が死んだこと、売られたこと、辛い目にあったこと、死にたいと思ったこと、今でもそのことを夢に見ることを初めて話した。
傷ついて言葉を失っている少女に自分は何を話しているのかと、ニナは後悔した。
自分が一番可哀想だと言いたいのかと、自分で自分を少し責めた。
ニナはごめんねと言い立ち上がった。
去ろうとすると、手を掴まれた。
エラだった。
エラが涙を流していた。
ニナはエラを抱きしめた。
ビッグは少し後悔し始めた。
ニナに診療所の準備を任せれば、少しは大人しくなるだろうと思った。
逆だった。
ニナはますます張り切り、次々に注文をつけてくる。
診療所の手配に関しても、人手が足りない中でかなりの量の要求をしてくる。
挙げ句の果てに城内の便所の不衛生さをうるさくまくし立て、なら自分でやれと怒鳴り返したら、本当に自分一人でやりそうになったので、慌てて老兵達を十人程ニナに付けた。
結局、ビッグの仕事量は再び激増する羽目になった。
苛々が募る日々に、ニナがとんでもない要求を突きつけて来たのは、エラがニナと行動することになって三日目のことだった。
『駄目だ。それだけは絶対に許さん!』
『許さんとは何ですか!理由を教えてください!』
『地下牢につないだケベックは、俺達の敵で、かなり危険な男だ。牢から出せるわけがない。』
『危険な、ではなく、危険だったでしょう!』
『今でも危険だ。それは間違いない。』
『しかし、人手が足りないんでしょ!』
『反乱を扇動する可能性もあるし、君を人質にでもとられたら、こちらはもう手出しが出来ない。それをよく理解してだな』
それでも納得しないニナを、ビッグは怒鳴りつけて追い返した。
苦労が絶えないビッグだが、本当の災難が本人に迫っていることを、この時はまだ知るよしも無かった。
女商人カレンが幽霊城にやってきた。
ガノンが城を留守にしている時だったが、城の物資を担当している者に挨拶をしておきたいと申し出があったため、居合わせたガノンの部下がビッグの居る小屋に連れて行った。
カレンは部屋に入った瞬間、ビッグに飛びかかり顔面を拳で容赦なく殴りつけた。
止めに入ったガノンの部下も顔面に肘を喰らい倒れた。
倒れているビッグに馬乗りになったカレンは、老兵達の静止を無視して、鬼の形相でビッグの顔面を手加減なく殴り続けた。
老兵達が外に助けを呼び、たまたま戻ってきていたロッカと部下達が小屋に飛び込み、カレンを引き離しにかかった。
結局、部下二人を殴り倒された挙げ句、自身も数発拳を受けたロッカ自身がようやくカレンを取り押さえ、大声で叫び続けるカレンを地下牢に閉じ込めて鍵をかけた。
ビッグは先月に引き続き、顔面を腫れ上がらせて高熱を出し、ニナが準備中だった診療所の入院患者第一号になってしまった。
戻ってきたガノンが、地下牢にいるカレンに事情の説明を求めたが、カレンは断固として口を開かなかった。
高熱が少し治まって、幾らか顔の腫れも退いてきたビッグにはロッカが色々問いかけたが、ビッグはすぐに布団を被って質問に答えようとはしなかった。
翌々日、ビッグはまだ熱があったが仕事に戻ると言い張り、ニナに一喝されても無理矢理に診療所から出ようとしたが、エラが投げた何かが後頭部に当たり、失神したところを数人がかりでベッドに戻されると、ニナによってベッドに縛り付けられてしまった。
夕方、ビッグが目を開けるとウォルフの顔があった。
起きようとしたが、動けなかった。
『ニナがお前をベッドに縛り付けた。』
『やり過ぎだろ、怪我人相手に。』
『そうは思わないが。』
ウォルフの静かな目が、ビッグをじっと見ている。
ビッグは隠れたかったが腕も胴体ごとベッドに縛り付けられたため、布団に潜ることが出来ない。
ウォルフは自分から何も問いかけない。
ビッグはウォルフの目を見ないように顔を背けた。
そのままの状態が一時間ほど続いたが、ウォルフは無言でビッグを見続けた。
『あいつは、俺の女房だったんだ。』
やっと口から出たビッグの声は、少しうわずっているように聞こえた。




