出奔
西側諸国 騎馬民族の草原地帯
シリウス帝国との戦争は敗北に終わり、西側各国は講和条件である莫大な賠償金の支払いと、破壊された地区の修復、後に帝国に供出しなければならない軍の再編成などに追われた。
初戦でアムレートに手痛い損害を受け、リアスの率いる竜騎兵に無謀にも騎馬で挑み壊滅寸前にまで陥った騎馬民族は、身も心も疲れ切った状態で草原に戻ってきた。
講和により、騎馬民族は賠償金が課されない代わりに草原から出ることを禁じられた。
一時は暗殺の危機にさらされていたグラム族の新たな王であるボルスは、騎馬民族全体の復興を誓い、各部族の賛同の元にハン(王)の座に就いた。
ボルス・ハン誕生の影に、デベ族が居たことは言うまでもない。
壊滅しつつあった騎馬民族の軍を持ちこたえさせたのは、やはりデベ族の首領ウベキと二人の息子の功績が大であった。
ウベキの長男リンケは、政治にも通じた万能肌の男であり、父と共によく民族全体の崩壊を防いでいた。
次男ジョエキは無口な青年だが、戦場では巧みな指揮で味方の撤退を助けた。
ボルス・ハンは、ウベキを万人長の長とし、リンケをそれに次ぐ地位に就けた。
ジョエキも万人長に就任させる予定であったが、ここで思わぬ事態が起きた。
ジョエキの失踪である。
ボルスがハンに即位する前夜のことである。
ウベキは最初、ジョエキが言い出したことの意味がわからなかった。
リンケが机を蹴倒して怒り狂っている。
『ジョエキ、何を言っているのだ?わしには理解出来ん。もう一度言ってみよ。』
『今夜、ここを出ていきます。』
『貴様、自分が何を言っているのかわかっているのか!』
リンケは怒りで顔が赤黒くなっている。
『ジョエキよ、訳を言え。明日には、わしも兄もお前も、この草原で絶大な権力と財を手に入れることになるのだぞ?草原の縄張り、馬、牛、羊、それに三人とも一万人を率いる長に任命されるのだぞ?』
『存じております。』
『それが不服なのか?』
『はい。』
リンケの怒りが沸点を超え、ついに剣を抜いた。
『そこへ直れ、ジョエキ!貴様のような親不孝者の首は、今この場で俺が刎ねてやる!』
『よせ、リンケ。兄弟で殺し合うとこなど、わしは見たくない。剣を納めよ。』
リンケは鬼の形相のまま、それでも剣だけは鞘に納めた。
『ジョエキよ、頼む。訳を聞かせてくれ、訳を。財と地位と草原での暮らしを捨てて、お前は何を求めるというのだ?』
『アムレートの首。』
ウベキは絶句した。
『それが、草原と栄光を捨ててまで欲しいものなのか、ジョエキよ。』
『草原の者だからこそ、アムレートの首が欲しいのです。欲しい物があれば奪う。それが草原に生きる者の掟でしょう。』
『時代は変わったのだ!これからは我々のような草原の民でも、政治が必要だ!』
『それは私が欲しい物ではありません、兄上。』
様々な考えがウベキの脳内を駆け巡った。
三十年前、草原の蒼き虎と呼ばれ覇を競っていた自分が見えた。
ボルス・ハンの父と熾烈な抗争を繰り広げ、最後に敗れた。
戦で敗れたわけでは無かった。
従っていた部族が次から次に寝返ったのだ。
政治や謀略の前に屈した。
敗者として草原の片隅で静かに暮らすことを選んだ。
蒼い虎とまで呼ばれた男は、いつの間にか牙を抜かれたも同然に生きてきた。
生まれてきた長男には、政治の大切さを教え育てた。
優秀な息子が育ってくれたと思った。
次男にも同じように教えたが、こちらは快活さに欠けた。
いつも優秀な長男の影に次男が居たが、それはそれで良いと思った。
数ヶ月前、シリウス帝国の騎馬隊相手に全滅しかけた戦。
まともに戦えたのは自分達が居た第三陣だけだと思っていた。
しかし、違っていた。
あの時、もし第三陣に居たのがウベキとリンケだけであれば、第三陣は全滅していたのでは無いかと思い始めた。
あの時、ウベキは第二陣が潰れるのを見て圧倒されていた。
リンケも同じだったはずだし、第三陣に居た者全てが凍りついていたはずだった。
ジョエキだった。
あの物静かな、控え目なジョエキが叫んでいた。
そして、ジョエキが言う通りに自分も、リンケも、第三陣全てが動いたのだ。
草原の蒼い虎は、もう自分では無いのだ。
『ジョエキよ、わかった。今晩中に去れ。そして、二度と戻るな。』
ウベキはそう言ってテントを出ていった。
ジョエキが出発してしばらくすると、背後から騎馬が複数で追ってきた。
凄まじい勢いである。
先頭にはリンケが居た。
ジョエキは馬上で兄が追いつくのを待った。
『なかなか、迫真の演技だったろ?』
リンケが不敵な笑みを浮かべて言った。
『兄上、感謝します。』
『あれくらいしないと、父を納得させる方向には誘導出来んさ。今はすっかり大人しいが、あれでも昔は蒼い虎と呼ばれた傑物だったらしいからな。』
かしこまる弟に、兄は向き直って言葉を続けた。
『困ったことがあったら、いつでも手紙をよこせ。大概のことは兄が何とかしてやる。それと、アムレートと決着をつけたら、必ず一度戻って来い。』
『父上は戻って来るなと』
『子に会いたくない親など居るものか。お前の決意が鈍らないように、父上なりに気をつかったのだ。』
そう言って、リンケは少し離れた場所にある丘を指差した。
ジョエキが目を凝らすと、暗闇で見えにくかったが丘の上に父が居た。
父が小さく穏やかに手を振った。
『ジョエキ、お前が蒼い虎だ。決して泣くなよ。』
兄の優しい言葉が、弟の目頭を更に熱くさせた。
人の才能というのは見かけによらないものらしく、粗野で知られる巨漢ドン・ビッグもその例に洩れない才能を有していた。
少し前まで逃避行をしていた一党の数が膨れ上がったばかりか、拠点の数も増え、範囲も広がり、その拠点をまとめる作業、物流を管理する作業、物資を把握し分配する作業と、とにかく事務作業の量が圧倒的に増えている。
これまで、一党の裏方作業は老兵が担ってきたが、彼らとて元々そういった作業に慣れていたわけでも無く、ましてや明らかに広がりすぎた活動範囲全ての事務作業をこなすのは、もはや不可能であった。
この膨大に膨れ上がった事務作業に対応できたのがビッグだというのは、周囲をいささか驚かせた。
『まったく。ガノンとその部下が合流して、更にこの城にもともと居た連中まで合流するとなると、百が六百五十に膨れ上がったわけだ。しかも、集落の移住と占領、整備も進めて物流も見ろとさ。ウォルフの奴は俺を殺す気だぜ。』
明らかに冷やかしに現れたロッカに、手を休めないままビッグは愚痴を重ねた。
『この城の周辺領域に対して、ここまで大きい戦略を練っていたとはね。ウォルフの兄貴は考えることの大きさが違うと感心はするんですがね。』
『構想を練る方は良いさ。やらされる方はたまったもんじゃねぇよ。』
そう言いながら、老兵達が二十人がかりで滞っていた仕事を、ビッグは次から次へと片付けていく。
『昔、何かやってたんですか?そういう仕事を
。』
『しがない物売りだったがな、まったく芽が出ないうちに気がついたら賊になってたよ。それでもせっかく生き残ったってのに、今度は裏方作業に殺されそうだ。』
『それだけ仕事が早ければ、商売も相当儲かってたでしょうに。』
『全然。商売は利益を上げなきゃならんならな。俺はそれが苦手でな。いまやってるのは利益なんぞ関係無しに金を使う方だから、むしろ楽なもんさ。あのじじい、相当蓄えこんでやがるからな。』
『ガノン殿、なかなかの金持ちだったんですね。』
『決めたぞ、ロッカ。俺はあのじじいの財産を全部使い果たしてやる。俺の人生最後の目標だ。』
『打ち負かされた復讐ですか?』
『お前、ぶっ殺すぞ。』
ロッカが大笑いしている。
ビッグが、ふと手を止めた。
『あの後、結局どっちが勝ったんだろうな?』
『はて?確かに。』
ロッカが気絶しているビッグを運び出した後、ウォルフとガノンは真剣で勝負をした。
どちらかが死ぬかもしれない、とガノンが呟いたのをロッカは確かに聞いた。
しかし、翌朝になると二人とも何事も無かったかのように現れ、何事も無かったかのように今後の戦略を話し合っていた。
『ウォルフの兄貴が勝ったと信じたいんですがね、想像がつかないんですよ、いまいち。』
何故だ、と聞くのをビッグはやめた。
ロッカの言うことが、ビッグにはよくわかったからだ。
ガノンの強さは常軌を逸している。
立ち合ってみて、この老人は人間では無いと思う程に強すぎた。
ウォルフも強いが、ウォルフが人間離れしたあの老人を打ち負かすことも想像出来なかったし、そもそもあの老人が負ける図が想像出来ないのだ。
しかし、翌日からガノン一派はすんなりウォルフ一党に合流し、極めて自然な形でこの一党の首領はウォルフで、ガノンが軍師として居る。
お互いに口にしたわけでは無いはずなのに、何故か自然とそうなっており、自分達もあまり疑問らしい疑問を感じないまま、気がついたらその体制で事が進んでいた。
城を奪い、それも数の上では思ったより人が死なない形で奪ったため、もともと城に居た五百程の賊も傘下に入った。
反乱を起こされると厄介だと思ったが、五百人にしてみれば、外の世界では生きられない上に、この大所帯を導かなければならない重圧を被ってくれるなら、ケベックで無くても構わないという空気感があり、ビッグはやや嫌悪感を感じた。
しかし、日が経つ内に五百人の顔つきが何故か生き生きとしたものに変化しつつある。
国が出来ようとしている、それも人々の手で造られていく国が。
国を造るというのは、こういうことなのかもしれない。
ウォルフが公言した訳では無いが、ウォルフのしていることは間違いなく国造りであった。
再び机に運ばれてきた膨大な資料に気がつくと、ビッグは溜息をついて再び仕事を始めた。
ロッカも仕事に戻っていった。
『ピッキー殿は出て行くか。』
部下の報告を聞き、ガノンは溜息をついた。
誤算が重なった、と言えば言い訳になる。
そもそもガノンは、ピッキーが他人に大きく感情移入するとは思っていなかった。
少なくとも、初め闘技場で会った時はそういう感じもまるで無かった。
他人を力尽くで屈服させ、自分を認めさせること、喧嘩や殴り合いを好み、闘技場で名を売って、いずれは集落の支配者の座を奪うことを考えていたが、奪った後のことにはあまり計画も無い、その程度の者だと思っていた。
潜入を依頼した時も、成功した暁には百人の手下を付けると約束しただけである。
特異な外見ゆえに差別され、不遇を味わい生きてきたが故に形成された歪んだ人格も、潜入者として申し分ない資質と判断した。
潜入させた結果、わずか三ヶ月でピッキーは変わった。
人を率いる者としても、人格も成長していた。
それをガノンは見誤った。
ドロスの死の責任を、ピッキーはガノンにもガノンの部下にも求めなかった。
戦でのことで、戦では人が死ぬのだ。
それも、善人も悪人も問わずに死ぬ。
それが戦だ。
それを理解してはいるが、自分のものとしては遂に受け入れきれなかった。
ガノンはピッキーに一言も声をかけなかった。
ピッキーもガノンに一言も話しかけなかった。
あの日から、ずっとドロスが居た部屋に籠もっている。
そんなピッキーに忸怩たる思いが無いわけでは無いが、心のどこかで遠い昔の友の死を引きずり続けている自分のことを思い出すと、ピッキーに何かを言うという行為が、ガノンには出来なかった。
皮肉なことに、ドロスが死に、ケベックは一命を取り留めている。
地下牢に閉じ込めているが、ケベックは死ななかった。
部下の口から、ピッキーにケベックを殺しても良いと伝えたが、ピッキーは遂にそれすらも応じなかった。
翌日、ピッキーは城から出て行った。
条件付きで暇を貰った。
用事が済んだら戻るという漠然とした条件であるが、アフレックもウォルフも許可をくれた。
二人とも用事については聞かなかったし、スリーも言うつもりも無かった。
自分達をアルザリで暗殺しようとした集団は、おそらくスリーが捨てた故郷と関わりがあると、スリーはにらんでいる。
道中、なんとか上手く追撃を躱し続けたが、居場所が発覚すれば、間違いなく再び襲われるだろう。
あの事件以降、エラは心を閉ざしたかのようになり、口もまともにきかなくなった。
大人として、エラのような子供には責任を感じていた。
何かを摑むため、スリーは遠い昔に捨てた故郷に戻ることにした。
道中、先に出立した筈のヒヨコ男が前を歩いていた。
自分同様に東部を目指して歩いているらしい。
声をかけるべきか迷ったが、あの日の光景を思い出すと、声をかけることに引け目を感じた。
スリーは女の姿をして、ヒヨコ男を脇から追い越して先を急いだ。




