貴公子帰還
赤い仮面の皇帝シリウスは居城の敷地内から十年以上出ていない。
皇太子時代は病弱を危惧されていたが、近年やはり体調が優れないことが多いという噂がよく流れる。
皇帝の体調があまり良くないのは事実であるが、皇帝が居城を出ないのは健康上の理由よりも多忙であることが大きい。
即位後の共和派との熾烈な抗争が長引いたこともあり、帝国内には問題が山積みであった。
世論からは批判の対象になることがあるが、皇帝にとって大陸の統一は最優先事項である。
何としてでも、可能な限り早く大陸は一つの統治体制下に置かなければならない。
自分の正義と周りの正義に隔たりがあることは皇帝自身も理解しているが、それでも皇帝は自分の正義を曲げるわけにはいかないと信じている。
前王朝時代から散発的に発生する地方反乱は、即位前から皇帝の頭痛の種となっていた。
稀に起こるかなり大規模な反乱と、共和派の嫌がらせのような破壊行為や治安を乱す行為は、鎮圧しても次から次に出てくるため、根治する術を見つけられない。
大陸統一のために割きたい軍や優秀な指揮官が、地方に取られてしまい、四天王より下の将軍達が育っていない。
呼び出していたオセローが、静かに執務室に入ってきた。
細身で色白で感情を表に出すことが無く、見た目の印象通り冷徹な判断を瞬時に下せるが、それでも皇帝から見ればオセローは甘いところが時折ある。
『アムレートを元帥に昇進させるとのことですが。』
『オセローは反対か?』
『反対は致しませんが、アムレートが戦略的決定や立案に向いているとは思いません。』
無表情で感情のこもらないようにオセローは話す。
だが、いま語った内容は本心だろう。
リアスあたりなら、感情的な理由から反対するだろうが、オセローは感情で動くということをしないよう自らを律している人間だ。
『アムレートを元帥に昇進させたとして、足りない物を埋めるには何が必要だ?』
『軍師でしょうな。』
『オズワルドでは駄目か?』
『オズワルドは戦略実行より、アムレートが好きなようにやることを支えようとする傾向があります。』
皇帝は仮面の下で大きなため息をついた。
赤い仮面の口もとは横一文字の形で開いているが、皇帝の表情は口もとすら外からは見えない。
『オズワルドは独立させ、新たに五人の将軍をアムレートの下に付けたいと思います。』
『アムレートは怒るであろうな。』
『アムレートの元で役に立つ将軍であれば、その五人でも可能と考えますが、南部を掌握するために、一方面をそのまま任せることが出来る力量の持ち主が必要かと。』
普段はアムレートに好きなようにやらさせているが、オズワルドは第一級の軍人である。
二万程度の軍を指揮したこともあるが、そもそも西側諸国との戦いに用意した大軍勢の編成や兵站などは、ほとんどオズワルドが整えていたようなものだ。
荒廃して反抗勢力が多数存在すると思われる南部をまとめ、更に南進するには南部をそのまま任せられる存在が必要だった。
南部だけを考えるのであれば、皇帝は間違いなくオセローをその任に充てただろうが、オセローには全体戦略は勿論、東部戦線を担当させなければならない。
帰還中であるアムレートを南部に充てることも考えたが、アムレートは強すぎることが問題で西側諸国との戦いを膠着させてしまった。
おそらく、今のままでは南部でも同じことをしてしまいそうな気はする。
『新たに編成したアムレートの軍団も調練なりが必要でしょう。アムレートはそちらに専念させてよろしいかと。』
『オセロー、お前の東部戦線をアムレートに任せたらどうだ?お前も多忙だろう。』
『ご心配なく。』
無表情で答えたオセローであるが、オセローが受け持つ仕事の範囲がやはり広すぎる気がする。
そんなことを考えながら思い出したことを皇帝は口に出した。
『コーエンが討たれたらしい。』
『ほう、南部のコーエン将軍でございますか?』
『賊に討たれたそうだ。』
『それは、また。』
『南進の際には、コーエンの名も編成案に入れていただけに、残念な話しだ。』
コーエンのような人物であれば、アムレートの補佐として間違いの無い仕事をしたかもしれない。
オセローの控え室にオズワルドが通された。
厳めしい顔つきの赤茶色の髭男が、大きめな躰を緊張させながら入ってきた。
『何故呼ばれたかわかるか?』
『いえ。』
『思い当たるふしも全く無いか?』
『・・・いえ。私の能力が及ばぬばかりに。』
『能力?私も陛下もお前の能力が不足していると考えたことは無いが。』
『しかしながら、元帥閣下。』
『一言多い上に、更に余計な言葉を上乗せするな。時間の無駄だ。』
オセローの鋭い視線にオズワルドが完全に凍りついた。
『お前をアムレートの補佐から外し、南部都督代理に任命する。来るべき南征に備えて南部を平らにせよ。』
『私がでございますか?』
『同じことを何度も言わせる人間は好かん。』
オズワルドは黙って頭を下げた。
『ここからは独り言だ。』
オセローの珍しい発言に内心は驚いているかもしれないが、オズワルドは眉一つ動かさず姿勢も崩さなくなった。
『アムレートは元帥に昇進する。いずれは帝国の兵権を全て任されるであろう。その前に、欠点は全て治しておく必要がある。更に、来るべき南征に備えて有能な指揮官が必要だ。』
オズワルドが僅かにうつむいた。
『アムレートには私が話しをする。お前は即座に自分の編成を始めるように。お前の出発を確認した後、アムレートは元帥に昇進することになっている。』
オズワルドが何も言わないのを確認したオセローは、オズワルドに退出を命じた。
入ってきた時より少し小さく見えるオズワルドの背中を眺めながら、オセローは少し自嘲した。
自分も一言多い、まだまだ甘い。
激しくやり合ったが、オセローはアムレートの言い分を全て認めず、即座に新たな軍団編成と調練にかかるように言い放った。
納得がいかなかった。
何故、自分の育て鍛えあげた軍を取り上げられるばかりか、優秀な副官まで取り上げられなければならないのか。
戦場では圧勝しているのだ。
その後、敵がこちらとぶつかるのを突如避け、都市や要塞に籠もったのは、自分の失態では無く敵の都合だ。
挙げ句、西側の戦場そのものまでリアス将軍に取られてしまったようなものだ。
リアス将軍は着任早々、竜騎兵を率いて敵方の要塞や都市を敵の兵士や住民ごと破壊している。
戦どころか一方的な虐殺である。
全てに納得がいかなかった。
オセローの執務室で、新たに自分の麾下に入る将軍五人を紹介されたが、それも面白くない。
あの五人も少しは優秀なのかもしれないが、オズワルド一人には遠く及ばないだろう。
自分が言うのもおかしいが、五人とも年齢が若い指揮官である。
一から鍛えろと言われているようなものだ。
しかも、調練と編成が仕上がるまで自分を戦場に出さないとまで言われ、オズワルドにも会えないと言う。
怒りに震えながら歩いていると、突如後ろから掴まれ、引っ張られた。
怒りの勢いそのままに摑んだ者を見ると、呆れた笑みを浮かべた四天王筆頭マクベスが居た。
『ちょうど良いところに居たな、坊や。ちょっと付き合えよ。稽古をつけてやる。』
『稽古?』
怒りなどどこかに飛んでしまい、新たに冷や汗が垂れた。
『剣の稽古に決まっているじゃないか。どれだけ腕を上げたか小生自ら確認させて頂こうか。』
マクベスは無口だが、アムレート相手だとやけに喋る。
『いや、自分はこれから軍団の編成が・・・』
絶対にやらない、やりたくないとまでオセローに言い放った軍団の編成を今は口実にしているが、とにかく逃げなければと必死である。
『残念ながらアムレート将軍。この稽古は皇帝陛下御自ら私めに命じられた仕事でしてな。諦めてお付き合い頂こうか。』
愉しそうに皮肉を並べるマクベスは、絶対にアムレートを逃がすつもりが無いらしい。
今日は何でこんなについてないんだと、アムレートは戦場での勇敢さとは真逆で泣きたくなった。
一時間ばかり、マクベスに叩き伏せられ続けた。
アムレートとて、帝国軍人の中では屈指の剣士である。
それが、太刀打ちすら出来ず打ち倒され続けた。
この一時間、マクベスは自分の木剣を受けも避けもしていない。
自分がマクベスに仕掛けると、マクベスがそれより早く自分を打ち倒してしまう。
痛みや疲れも限界であるが、こんなやられ方をし続けたら発狂してしまいそうである。
しかし、マクベスにやめる気配が無い。
こちらが打ち込まなければ、マクベスも打ってこない。
打つのをやめて木剣を置けば良いと思ったし、立ち上がらなければ良いとも思った。
しかし、マクベスが自然に放つ何かがアムレートにそれを許さなかった。
完全に生殺しである。
マクベスはあえて、アムレートよりも薄く少し短い木剣を使っている。
骨は折れないだろうが、痛みを感じる場所を積極的に叩いてくる。
顔面なども決まって剣の腹で叩いてくる。
顔面を叩かれる度に屈辱感は増す。
とっくに心が折れていた。
それでもマクベスはやめることを許さない気を放つ。
突如、アムレートの視界の景色が変わった。
戦場、周りでは敵味方が斬り結んでいる。
目の前にマクベスがいる。
普段、マクベスが背中に背負っている大剣を抜いている。
殺される、間違いない。
戦場でマクベスがその大剣を抜いている時は、殺し合う時だけだ。
このままでは負ける。
斬り合いに負けるのでは無く、戦に負けるのだ。
それは嫌だ、絶対に嫌だ、それだけは耐えられない。
アムレートが強く剣を握った。
負けてはいけない、負けたら次は無いのだ。
否、次が無いから負けられないのでは無い。
死ぬことより負けることが耐えられないのだ。
力が漲った。
死んでも負けるものか、必ず斃す。
アムレートが全力で突進した。
首元に風を感じたが、斬られる前に躱した。
力いっぱいマクベス目がけて飛んだ。
刺し貫かれた、胸を、大剣で。
心臓が二つに裂かれた感触が来たが、これを待っていた。
勢いそのまま、マクベスの顔に剣を突いた。
凄まじい衝撃を全身に感じ、目の前が暗くなった。
『悪くない突きだ。俺で無ければ、お前に勝てる奴などおらんよ。』
アムレートは完全に伸びている。
最後のアムレートの突きをマクベスが躱し、突いてきた手を摑むとアムレートを投げで床に叩きつけたのだ。
マクベスは失神しているアムレートを起こそうかとも思ったが、しばらく寝かせてやろうと思ってやめた。
『これでよろしかったので?』
マクベスが言葉を出すと、柱の影から皇帝が姿を見せた。
皇帝はマクベスとアムレートを少しだけ眺めた様だったが、マクベスに軽く頷くと踵を返して去って行った。
もう一つ視線はあったが、その視線の持ち主は皇帝が去るより早く居なくなった。
マクベスが少し呆れて口もとを綻ばせた。
『まったくもって、過保護だな。』
言っては見たが、自分はどうなのだ。
自問した後、自答はせずにマクベスは持っていた木剣を片付けた。




