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その道の、というのがどの道なのか正直よくわからないし、寄宿学校の先生に尋ねてみても多分詳しくは教えてもらえないだろうけど、でもパブロの風貌はまぎれもなく"その道の"人間というやつだった。
彼のこめかみの切り傷は、数々の修羅場をくぐってきた証しのように見える。実際はつまらない理由で傷を負ったのかもしれないし、あるいは、悲しい理由なのかもしれないし、便利だと言うくらいだから、自分でつけた傷なのかもしれないけど。
この頃からだと思う。
パブロのことが気になるようになったのは。
この柄の悪い男のことを、わたしはほとんど知らない。彼もわたしのことをほとんど知らない。もっとも、わたしの人生なんて、言葉にしてしまえばあっという間に説明できてしまうような、まだまだ薄っぺらいものだ。
でもわたしの視点というのは、ひょっとしたら彼にとっては新鮮なんじゃないだろうか。彼の視点がわたしにとって、新鮮なのと同じように。
わたしは彼の目を通して世の中を見て、彼がわたしの目を通して世の中をみたら、素晴らしいことが起こるような気がする。
パブロが何を考えていて、何が好きで、どんな夢があるのか知りたいという気持ちは日に日に大きくなっていくけど、でもそんなこととても打ち明けられない。
だってそんなのまるで、愛の告白みたいだから。
わたしはパブロと出会った瞬間から、自分はきっとこの人を好きになるに違いないというかすかな予感を持っていた。
それは別にロマンチックな直感なんかではなくて、寄宿学校という女の園に閉じ込められている自分は、近い年頃の、親切にしてくれるような男の子には無条件で惹かれてしまうだろうということを知っていたから。
もし、初めての一人旅行や初めての仕事を体験している期間、一番長くわたしと接していたのが、おじいちゃんの財布を掏ったあの男前のスリだったなら、わたしは間違いなくあの男に惚れていたと思う。
それでも、パブロには何か特別なものを感じる。そう本気で考えてしまうわたしはやはり、恋愛に対して年相応の薄っぺらい憧れを抱いている。
ところで、ことあるごとに人として至らない部分を年齢のせいにしてしまうことを、どうか見逃して。
だってわたしにとって、年齢という分野は経験していない部分が多すぎて手に余るんだもの。
大の大人でも、この分野を完璧に支配している人は少ないんじゃないだろうか。
パパは若さに対するコンプレックスを、自分よりうんと若い女の人を好むことで克服しようとしている。
ママは歳上のパパと結婚することで、老いへの恐怖を和らげようとしたというのに。
とすると、私は一体どんなコンプレックスから、パブロに惹かれているんだろう。
家族の欠点をあげつらって不幸な子供のフリをしているけど、実際のところは本当の不幸なんて知らないことに対する、コンプレックスだろうか。
だからパブロのこめかみにある傷痕を見ると、こうやって、鼓動が速まるのだろうか。
「財布、返して」
いつの間にか無くなっていた財布を取り返すため、わたしはパブロに詰め寄っていた。
パブロは今日は珍しく机から足を下ろしていて、代わりに頬づえをついて態度の悪さを演出していた。
「だっせぇ財布」
「仕方ないじゃない。これが一番安かったんだから」
素直に差し出されたペラペラの財布を、わたしは乱暴に取り上げた。
ふてくされた風をよそおいながら、パブロと気安い関係になれていることを内心嬉しく思う。さらに短くも長かったアルバイト生活から解放されたことにも、心が弾んでいた。
「財布なんてものを持つやつの気が知れない」
パブロのこの言葉を、わたしは今までにも何度か耳にしている。財布は人間が身に付けるものの中で最も不要で邪魔な代物、というのが彼の持論だ。
「財布が無かったらお金を持ち運べないでしょ」
「ナタリア、お前、ガキの癖にもう常識に凝り固まってんのか。財布なんか無くても金は持ち運べるだろ」
「でも、裸で持ち歩いてたら危ないじゃない」
「わざわざ貴重なもんを一ヶ所にまとめて取り出しやすいようにしとく方がよっぽど危ないんじゃないの」
一理ある……気がする。
「そこまで言うなら、試してみる」
わたしは尊い労働で稼いだ銀貨五枚と銅貨十枚を、そのまま鞄の内ポケットに入れた。それからパブロが言うところのだっせぇ財布を、ポケットに入れる。
本当は銀貨を丸々一枚、パブロにあげようと思っていたのだけど、中途半端に金が余ると警察に不審がられるから、という理由で受け取ってもらえなかった。
結局彼には銅貨五枚を渡して、これにて二人の貸し借りはゼロになってしまった。
「また来んの?」
興味のないフリをしながら聞いてくるパブロ。フリというのは、わたしの願望。
「プエンテさんたちに会いに、来るかもね」
「へぇー」
わたしはまた上手く寄宿学校を抜け出すための計画を、寄宿舎に帰る前からもうすでに立てはじめていた。もちろん、またパブロに会いたいから。彼がこれからも、この食堂で行儀の悪い格好で待っていてくれたらいいのにと、密かに祈らずにはいられない。
寄宿舎には無事に帰ることが出来た。運のいいことに、先生たちや上級生たちには、わたしが寄宿舎を抜け出したことはバレていなかった。
ポケットに入れていた財布は、いつの間にか無くなっていた。寄宿舎に帰る道中で掏られたのかもしれない。鞄に入れていたお金は全部無事だったから、パブロの言っていたことはやっぱり正しいのかもしれないと、わたしは自分の考えを改めなくてはならなくなった。