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 わたしは最近、学んだことがある。


 もしかしたら一部の方々の非難を買ってしまうかもしれないけど、恐れずに言おう。


 お客様とは、悪魔だったのだ。


 この結論に至った経緯を、順を追って説明しようと思う。






 わたしは多分、敬虔という部類に入る人間だろう。何故かってそれは、わたしが生きる術を学んでいる場所が、神を最上のものとして敬うことを強要する寄宿学校だから。


 感受性という点では、わたしは特に優れているわけでも劣っているわけでもないと自分では思っている。でも十六歳という年齢が、物事に感化されやすい性格の一因であることは疑いようのない事実だ。


 誰だって、今すぐにありとあらゆる物事の本質を完璧に見抜いたり、信仰は自分で選べるものだと悟ったり出来るならとっくにそうしているはず。


 だけど十代で世の中の(ことわり)全てを合理的に理解することなんて不可能。自分だけは正しいと思い込んでいることのほうが、物事に感化されやすいことよりもよほど問題では?


 つまりわたしが言いたいのは、神は「盗むなかれ」とおっしゃってるってこと。


 パブロがくれたお金を持って、無事に寄宿舎に帰ることが出来たとして。


 そのせいで、パブロが再び道行く人の財布を()ってしまうのだとしたら。


 それはわたしも、盗みの一端を担ったってことにはならないだろうか。


 だからといって、パブロに刑務所に行けなんて言えない。まあ知り合って一日の女に刑務所に行けと言われて、パブロが頷くとは思えないけど。


 減ったお金を増やすには、どうすればいい? 子供も大人も、誰もがこの問いの答えを求めている。そしてこの問いに対する答えは非常にシンプル。働けばいいのだ。


 もっと簡単な方法がいい、と誰も彼もが思っているけど、結局のところどんなに地道でも、働くことが手っ取り早くお金を増やすことに繋がることは揺るがない事実。犯罪に手を染めるという選択を除けばの話だけど。


 だからわたしは仕事を探した。運のいいことにすぐに見つかった。わたしとパブロが出会った食堂の給仕である。


 プエンテという店は、プエンテ夫妻が営む素朴な食堂。今まで二人きりでお店を切り盛りしてきたそうだけど、最近客の入りが増えたとかで、ちょうど、給仕係を雇いたいと考えていたらしい。


 ちなみにわたしがこのお店で働ける期間は一週間と五日。なぜってそれは、寄宿学校の先生たちの休暇が二週間だからで、その期間、寄宿舎の生徒の監視は腰の曲がったおばあさんがすることになっているからで、寄宿舎を抜け出したことが上級生にバレないように奮闘してくれる友人の技量にも限界があるからで、これが一番大事なところだけど、わたしは宿屋に、その期間の宿泊代しか払っていないから。


 短い期間だけわたしを雇うことを、夫妻は了承してくれた。人を雇うことが初めてだから、自分たちも短い期間の方がありがたいと言ってくれた。


 もしわたしが見識ある大人だったなら、身元のわからない未成年の小娘をなんの契約も交わさずに雇ったこの夫妻のことを、ちょっとどうなの、といぶかしんでいただろう。


 幸運にも、この夫妻はちゃんと、仕事の最終日に約束通りの給金を払ってくれた。万が一、使われるだけ使われたあと、契約を交わしていないから代金は払わないなんてことを言われていたら、今ごろどうなっていたんだろう。


 さて、朝の九時から夜の五時まで。一日あたりの給金は銀貨一枚。パブロが刑務所に行かなくてすむようにするのに必要なお金は、銅貨五枚。つまり、わたしは一日働くだけでパブロの刑務所行きを阻止することができる。


 でもちょっと待って。わたしは掏られた財布の中に、財産のほとんどを入れていた。だからこのままでは、浪費したわけでもないのに手元にお金が全くないという悲しい状況に陥ってしまう。


 第一、寄宿舎に帰るためには銀貨一枚が必要。それに食べるものだって必要。心の余裕だって。


 二日働いて、二日休む。このスパンなら、わたしは寄宿舎に帰るまでに銀貨六枚を手にすることができる。


 ここからがようやく本題。


 わたしは給仕という仕事に多少、いえ、ものすごく夢を見ていた。


 愛想のいい笑顔でお客さんを迎えて、常連さんと楽しい世間話をして、気のいいお客さんが気の利いたお世辞を言ってくれたなら、こちらも気の利いたサービスをしてしまうというような。


 でも理想と現実の間には氾濫(はんらん)した川が流れている。激流を渡る技術を持たないわたしは現実という岸に取り残された。


 なぜ客というものはあんなにも横柄なのか。


 たかが銅貨一枚のコーヒーくらいで王様のごとく振る舞う様は滑稽としか言いようがない。


 さらに。


 わたしは確信している。


 奴らは相手を選んでいる。


 プエンテ夫妻に対しては、皆大人の対応をする。ところが小娘であるわたしに対しては、なんとまあ子供のような振る舞いをするではないか。


 だから、お客様は悪魔だった、という話に繋がるわけだ。


 だけど結局、これが人間の本質なのかもしれない。本当は皆、王様になりたいのだろう。それとも心の底から真面目な気持ちで、自分は偉いと思っているのだろうか。


 わたしはどうだろうと食堂で働いている間よく考えた。時々、砂の中に隠された砂金のようなお客さんがいて、とても親切にしてくれることがあった。彼らと接しているとますます考えさせられた。わたしはこれまで店員さんに、心からお礼を言ったことがあっただろうか。


 いつもパパやママや大人たちに任せっきりにはしてはいなかっただろうか。


 無知は子供の特権?


 じゃあわたしはこれ以上子供になることは決してないのだから、砂の中の砂金になる方向で、これからの成長計画を立てなければならないだろう。




 ある日、へとへとになって働きながら、汗を拭おうとエプロンのポケットを探ると、ハンカチが消えていた。


 犯人は分かっている。


 毎日毎日、売れない画家か小説家かというくらいに、食堂で暇を潰しているパブロである。


 彼はわたしが悪魔相手に必死に奮闘している隙に、時々、わたしが身に付けているものをこっそり掏ってくる。


 多分、遊んでいるつもりなんだろうけど。


 こちらは必死なのだ。


 慣れない仕事であくせくしている最中に、そういうちょっかいを出されると本当にイラッときてしまう。


「パブロ」


 相変わらず両足を机の上に乗せている行儀の悪いパブロは、最上級の厳しい顔を作って片手を差し出しているわたしを見上げて、のんびりと口を開けた。


「ナタリア、汗かいてるぞ」

「知ってる。ハンカチ返して」

「何回掏られても学ばないんだからなぁ」


 呑気に笑っているパブロに、わたしはかなり苛ついていた。


 悪意が服を着て歩いているのかと言いたくなるくらいの客が今、わたしが注文を取りに行くのをイライラと片足を揺すりながら待っているのだ。


「笑えない。早く返して」

「落ちつけよ。深呼吸しろ。あいつはいつだって今にも噴火しそうな火山みたいな奴なんだから、びびるだけ損だって」

「人の気も知らないで……」


 いい加減しびれをきらしてパブロの懐に手を突っ込もうとしたとき、ビリビリと耳に響くような怒鳴り声が聞こえてきた。


 ほらきた。


「どうなってんだこの店は! 注文も満足にとれないのか!」


 この前は、注文が聞き取れなかっただけで噴火した。


 こうしょっちゅう噴火していては疲れきってしまいそうなものだが、残念なことに彼は無限のエネルギーを蓄えているらしい。頃合いを見計らって自分より弱い人間にはた迷惑なエネルギーをぶつけている。


「うるせぇよ、少し待たされたくらいでわめくんじゃねぇ」


 パブロの威嚇はなかなかに迫力があったが、わたしは睨みをきかせている彼の口を急いで塞いだ。


「や、やめてよ。ますます怒っちゃうでしょ」


 予想に反して、どれだけ待ってみてもお客さんが激昂することはなかった。


「顔に傷があるってのは、こういうときに便利だよな」


 なんの感情も含まない顔をして、パブロがボソッと呟く。


 今にも噴火しそうだった火山が静かになったので、わたしは少しだけ余裕を取り戻し、とくに深い考えもなくパブロに尋ねた。


「どういう意味?」

「俺の劣悪な生まれ育ちを勝手に想像してくれる人間が、世の中にはたくさんいるって話」


 さらによく分からなくなり首を傾げたわたしを無視して、パブロは呑気にあくびをして、会話を終わらせた。

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