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「真珠が縫い付けてある?」
わたしが涙ながらにおじいちゃんとの愛の物語を語っているというのに、パブロは金目のものだけに興味を示した。
下手くそな刺繍が施してあるハンカチで涙を拭いながら、頷く。
「そうよ。うんときつく縫い付けてあるから、財布自体を切り刻まないと取れないの」
「ふぅん」
パブロは含みのある表情で、何かを考え込んでいる様子だ。
何だろう。真珠の付いた財布は、スリの間では何か特別な意味をもつのだろうか。
「それがどうかかしたの?」
「いや、財布を取り返すだけなら簡単かもしれないと思ったんだけど、財布自体に価値があるとなると、ちょっとそれは難しくなるなと思って……」
「どうして?」
「あー、スリってのはさ、普通は現金にしか興味がないんだ。だから大抵、財布を掏ったあとはすぐに中身だけ抜き出して、抜け殻は道端に捨てる」
だから財布だけを取り返したいなら、町中を探し回れば運がよければ財布は見つかるかもしれないとパブロは言う。
「気が遠くなる話ね」
わたしは頭を押さえながら弱音を吐いた。町中を探し回ると簡単に言ってくれるが、訪れてたった二日でこの町に打ちのめされている田舎娘にとっては、なかなかに難易度が高い。
「それがそうでもないんだよ。今この町のスリどもは財布の収集競争やってるから」
「収集競争?」
「あのさ、そもそもスリってのは女を狙わないんだよな。体に手を伸ばされたらすぐに気付くし、現金もあんまり持ってないしさ。だから普通なら、五十代くらいのバリバリ稼いでる男を狙うわけ」
パブロいわく、女性が身に付けている装飾品などは、掏れないことはないがあまり魅力はないという。なぜなら宝石類は換金するという行為自体に金がかかるうえ、足がついてしまい下手をしたら警察に捕まってしまうからだ。
「じゃあどうしてわたしは狙われたの?」
「この町のスリの顔役はイベント好きなんだ。だから時々期限を決めて、その期間どれだけ財布を掏れるか競わせることがある。一番財布を掏った奴に賞金を授与するとか言ってさ」
「そのイベントが今この町で行われてるってこと?」
なんて悪趣味な。そしてわたしはなんて運の悪い女なのだろう。
「そのイベントが終わったタイミングで、大量の財布が処分されることになる。だからイベントの終了日に顔役の家のゴミ捨て場をこっそり探せば、財布は見つかる」
でも、とパブロは苦い顔をする。
「あんたの財布には真珠がくっついてるんだろう? 多分イベントが終わったあと、あいつはあんたの財布を金に換えるんじゃないかな」
「でも、お金に換えるには手間がかかるんでしょう?」
「そりゃあね。でも間違いなく金になるんだから、せっかく手にいれた宝石を売らないわけないだろう」
この町のスリ御用達の、宝石商がいる。そいつは手数料はぼったくるが、警察の目をかいくぐって盗品を売り飛ばす腕がある。
パブロの話を聞きながら、わたしは絶望した。売られてしまえば、もうおじいちゃんの財布は絶対に取り戻せない。
ハンカチを握りしめ思いきり嘆き悲しむ体勢に入ろうとしたとき、ふと気付いた。わたしの財布を持っている男はパブロの知り合い。それなら返してもらえばいいのだ。パブロを通じて。どうしてこんな簡単なことに気づかなかったんだろう。
「嫌だ。あんたがぼんやりしてたのが悪いんだろ。自力で取り返せよ」
パブロの返答は実に素っ気なかった。突然突き放されてわたしはその温度差に対応し損ねた。
「どうして? 顔なじみなら口利きしてくれたっていいじゃないの」
助けてもらって当たり前といわんばかりのこの言動から、わたしという人間の生まれ育ちを推し量ることが出来ると思う。
両親や世間にいろいろ不満を抱いてはいるけど、実際のところ、わたしは健気で素直で可哀想な子供という役を演じきれていない。だから周囲にあまり同情してもらえないのだろう。
衣食住に困ったことがない子供特有の、いざとなれば周囲の人間が自分に手を差しのべてくれるべきと考える謎の尊大さが、わたしを不遜な人物に見せている。
やれば出来るなんて言葉があるけど、分かっていても出来ないこともある。窮地に立ったとき、自分の都合を他人に押し付けずにすむ方法を、誰か教えて。
「あいつとは折り合いが悪いんだ。だから俺が頼んだところで、財布は帰ってこないよ」
パブロにも都合があるらしい。でもわたしは望みを捨てることが出来なかった。
「さっきみたいに、掏り返したり出来ないの?」
「絶対バレるし。第一、今もまだ持ち歩いてるかどうか分かんないじゃん」
もっと討論の授業を真面目に聞いておけばよかった。わたしにはパブロを言いくるめて味方につけるほどの話術が無い。華麗に演説して称賛されている自分を空想することが時々あるけど、現実は実に厳しい。
「まあそういうことだから、諦めな。その金で大人しくお家に帰りなよ」
今わたしの手の中にあるお金は、掏られた財布に入っていた額より少し多いくらい。だからわたしが失ったものは、おじいちゃんの形見である財布だけ。わたしはあの財布を金に換えようなんて考えていなかったから、実質失ったものはそんなに多くはないけれど、でも大事なものを諦めなければならないことは確かだった。
「あなたは大丈夫なの? 金貨、一枚減っちゃったけど……」
一応わたしにも、他人を思いやることは出来るのだ。申し訳なさそうな顔を作ってパブロを見ると、彼は小さく肩をすくめた。
「ああ、いいよ別に。そこらへん歩いてる金持ちの財布を掏れば、金貨なんていくらでも手に入るし」
なるほど、その手があったか。
と返せるほどわたしはまだ、社会の荒波には揉まれていない。
「だめよ、そんなの」
世間知らずな正義感をふりかざし、善人ぶってはみたけれど。
パブロの面倒くさそうな顔を見て、自分の方が間違っているかもしれないとすぐに考え直してしまうわたしは、このままではろくな大人にならないだろう。
「あんたのために刑務所に行くなんてごめんだよ」
じゃあどうして助けてくれたのだろう。もしかして、こういうことは何度か経験があるのだろうか。
「ひょっとして、刑務所を出てからもスリを続けてたの?」
「いや……。また捕まる危険を冒すのは馬鹿馬鹿しいと思ってただけで、必要に迫られたらいつでもまた――」
「つまり、刑務所を出てからは一度もお金を盗んでいないのね?」
パブロは何故か、決まり悪そうに頷いた。元スリとしてのプライドと戦っているのだろうか。
「わたしが警察の人に事情を説明しようか?」
「いいのか? 財布を掏られても警察に行かなかったのには理由があるんじゃないのかよ」
言われてみればその通りだ。
無断で外泊したことがバレることなんか、パブロが刑務所に入ることに比べたら大したことがないと、常識のある人なら思うかも知れないけど。
刑務所という場所の粗悪さを肌で知らないわたしには、一ヶ月の居残りとパブロの人生を天秤にかけることが、出来てしまうのだ。
「でも、だめよ。せっかく足を洗ったのに」
「だめって言われてもなぁ。そうするしかないじゃん」
「残りのお金を返すから、それでどうにかならない?」
「中途半端な額の金を持ってる方が逆に怪しまれるし。それにその金手放して、あんたこれからどうすんの」
机の上に並べてある銀貨と銅貨を眺めて、わたしたちは自分たちの無力さに想いを馳せた。




