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 血を分けた弟のようなものと言っていたくせに、ロベルトはパブロのことがずいぶんと気に入らないみたいだ。やっぱり嘘つきは、ロベルトの方だったってことになる。そう気づいて、わたしはほんの少しだけ残っていたパブロへの不信感をようやく綺麗さっぱりぬぐい去ることができた。


 パブロにはロベルトに対して、積年の恨みのようなものがあるらしい。わたしの財布を取り返せなかったことよりも、今はロベルトに対する恨みに燃えているみたい。


「なぁロベルト。お前、何で俺のものばっかり欲しがるんだ?」


 パブロの問いに、ロベルトは頬をひくつかせた。


「うぬぼれんじゃねぇよ。俺がいつお前のものを欲しがった?」

「顔役に俺の悪口吹き込んで、俺の母さんに手を出して。俺と組みたいって言い出したのはお前だろう。それなのにあっさり裏切って、俺は刑務所に行ってなにもかも失った。これ以上何が欲しいんだよ。俺と親しくなりそうな人間はそうやって事前に摘んでいくのか? お前さぁ……」


 パブロはひどく冷たい目でロベルトを見つめながら、少し笑った。


――異常だよ。


 そうパブロが口にした瞬間、ロベルトは再びパブロの胸ぐらを掴んで、彼の頬を思いきり殴り付けた。


「パブロ!」


 わたしはひとつ悲鳴をあげて、地面に倒れたパブロの側に駆け寄った。

 パブロはどこかを切ってしまたらしく唇の端から血を流していたけど、血を拭うこともせずにロベルトをずっと睨み付けていた。


 殴ったのは自分なのに、ロベルトはどこか動揺しているように見えた。


「俺が、俺がお前を顔役に紹介してやったんだ! 俺がお前を掃き溜めから救い上げてやったのに、ちょっと手先が器用なくらいで上の奴らにもてはやされやがって、調子に乗ってんじゃねぇ!」

「…………はぁ?」


 険しかったパブロの表情が少しゆるんで、まさしくポカンという表現がぴったりの顔になった。


「掏り方だって、適当じゃねぇか。お前には品ってものがねぇんだよ!」

「おい待てよ。そんなことで今までずっと、俺のことを目の敵にしてたのか?」


 勘弁してくれよ、とパブロの顔が言っている。わたしもパブロと概ね同意見である。


 しかしロベルトは真剣に文句を言っているらしい。ものすごい剣幕で、地面に倒れているパブロに掴みかかって彼のことを殴り始めた。


「やめてよ! パブロが死んじゃう!」

「うるせぇ、部外者は引っ込んでろ!」


 何度も殴られているのに、パブロは全くやり返さない。周囲には興味津々な顔をして二人の喧嘩を見物している観光客がいる。


 わたししかいない。パブロを助けられる人間は。


 わたしはみぞおちの辺りに力を入れて、ロベルトに思いきり体当たりした。


「やめろって言ってんでしょー!」

「うわ、何だ!」


 わたしはロベルトと共に、パブロの体の上から地面に転がり落ちて、二人でぐるんと一回転した。


「ロベルト! あなたには悪魔がとり憑いているわ! 今すぐ祓わなければ!」

「は? 何を……痛ってぇ! 痛い痛い、やめろ!」


 ロベルトの体をべしべし叩いていたら、力ずくで突き飛ばされた。硬い石畳の上に放り出されても、わたしは諦めない。なぜならわたしはこの街に訪れてからというもの、数々の洗礼を受けて、一回りも二回りも成長したんだもの!


「おお、神よ! 嫉妬という悪魔にとりつかれたこのものを救いたまえ!」

「ひぃ、やめろ! こっち来るな!」


 天を仰ぎ、祈るようなポーズをとりながらロベルトに近づく。ロベルトはわたしの動きを警戒しながら後ずさっている。


「我の財布を奪い取ったこのものの罪を(きよ)めたまえ! このものの汚れた魂を救いたまえ!」


 頭を振り乱しながら迫真の祈りを捧げるわたしを、観光客たちは呆然と眺めている。


 ロベルトはすっかりわたしの迫力に気圧されてしまったようだ。未だにわたしの動きを野良猫みたいに警戒しながら、ちょっと震えている。


「あ、あ、頭おかしいよあんた……」


 負け犬の遠吠えにしても弱々し過ぎる声でそう吐き捨てたあと、ロベルトは小走りで走り去っていった。


 ふん。


 悪魔祓いごっこを知らないなんて、遅れてるやつ。


 わたしは寄宿学校の中では悪魔祓い役として定評があるのだ。あまりに演技力がありすぎるために、寄宿舎の同室であるマルセラに「もうそれで商売始めれば? ぜったい儲かるよ」と言わしめたほどである。


 悪魔祓いの儀が終わったと見るや、観光客たちはバラバラと歩き去っていった。聴衆の関心はあまり長続きしないらしい。悪魔祓いを商売にするにしても、なかなかに厳しいものがあるかもしれないわ、マルセラ。


 パブロはまだ地面に尻餅をついていて、わたしのことを口を大きく開けたまま見つめている。殴られて口が切れているのに、痛くないのだろうか。


 彼の側に歩み寄って血を拭ってあげようと、ポケットを探る。ハンカチが無い。パブロを見ると、自分でハンカチを取り出して顔を拭っていた。もちろんわたしの下手くそな刺繍付きハンカチである。


「ねぇ、パブロ」

「……なに?」


 パブロは少しだけわたしと距離をとろうとしている。祓われるのが怖いのかもしれない。


「どうしてロベルトがわたしの財布を持ち歩いてるって思ったの?」


 パブロはロベルトに騙したな、と言っていた。この前話したときはベストの内ポケットに入れていた、とも。


 パブロはふて腐れたような顔で、そっぽを向く。無言で切り抜けようとしているようなので、わたしは天に向かって両手をかかげ神に祈りを捧げる体勢に入った。するとパブロは慌てて口を割った。






 パブロはこの街の顔役が開催していた悪趣味なイベントが終わる前に、ロベルトの家を訪れたのだそうだ。ロベルトがわたしの財布を宝石商に売る前に、財布を返して欲しいと彼に頼み込んでくれたらしい。


 でも、ロベルトはパブロの頼みを聞き入れてくれなかった。それどころか、元々売って金に換えてしまうつもりだった真珠付きの財布を、手元に置いておくことにした。わざとらしくベストの内ポケットに財布を入れて見せて、この財布を手放すつもりはないと、パブロに宣言したのだという。


 わたしにだって分かる。それが、パブロを挑発するための行為で、ロベルトがその後もベストの内ポケットに、わたしの財布を隠し続けるわけがないってことくらい。


 でもパブロは真に受けてしまったらしい。彼が刑務所に入れられたのは、先ほどの二人の会話から察するにロベルトに嵌められたせいだろう。パブロは一度裏切られているのに、どうしてロベルトの挑発に乗ってしまったのだろう。


「どうしてロベルトの言葉を信じたりしたの?」


 パブロは視線を泳がせて、うつむいた。


「あいつにだって、良いところはあるんだ」


 なんだかパブロが捨てられた子犬のように思えてきた。血を分けた弟のようなもの、というロベルトの言葉は、ひょっとしたら本当だったのかもしれない。


 わかり会える部分が多いから余計に、ロベルトはパブロのことが憎かったのだろうか。どんなに憎く思っていても嫌いにはなれない家族みたいな、そんな存在だったのだろうか。


「喧嘩、弱いの?」

「弱くねぇよ」


 ちょっとからかってみたらパブロはわかりやすく拗ねてしまった。その様子が小さな子供みたいで、思わず笑ってしまう。


「じゃあどうして殴り返さないのよ」


 あの不遜な兄貴分に一発お見舞いしてやればよかったのだ。


 パブロは口元を曲げて変な顔をして、それから何かを呟いた。


「――だろ」

「え、何?」


 よく聞き取れなかったのでパブロの口元に耳を寄せる。瞬間、大きな声が鼓膜を震わせた。


「優しい男が好きなんだろ!」


 きぃん、と耳鳴りがして、咄嗟に耳を押さえる。しばらくして、その言葉の意味を考える余裕が生まれる。パブロの顔を見ると、彼は顔を真っ赤にしてちょっと怒ったような表情をしていた。


「もうお前の財布なんか知るか!」


 言いながらパブロは勢いよく立ち上がって、わたしを置いて歩き出してしまった。


 わたしは口角を数秒間かけてしっかりと持ち上げたあと、パブロの背中を追った。


「ねぇ、今のどういう意味?」

「もうお前の財布を取り返す手伝いはしないって意味」

「その前の話よ。パブロ、わたし好みの男になりたいの?」

「うるせぇ!」


 パブロは走って逃げてしまった。行き先は分かっているから、追いかけたりはしない。あの食堂でもう一度、しつこく問いただしてみよう。


 わたしは一人で、口元を押さえて笑い声を上げた。人の目なんてもう気にならない。ごめんねおじいちゃん。財布は取り返せなかったけど、わたし今、とっても嬉しいの。

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