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 善意のなかに潜む(あら)を見つけたとき、正真正銘の悪を見つけたときよりも得意な気分になってしまうのはどうしてだろう。


 パブロを刑務所から出してあげた、侯爵夫人の善意。体の弱い妹をちやほやする、親戚連中の善意。わたしにたくさんのお小遣いを送りつけてくる、パパとママの善意。


 その善意のなかの粗をせせこましく引っ張り出しては、わたしは得意な気分になっていた。


 誰も踏み荒らしていない雪原に足跡を残しているような、そんな快感があった。


 きっとわたしだけが特別ではないのだろう。いつか皆気づくのだ。人は鏡のようなもので、自分も同じ過ちを犯しているということに。悪意は無かった。善意だから許されると、そんなことを言って見苦しく自分を守ろうとしたって、人は鏡だから、どうしたって見破られるし、それは正真正銘の悪よりもはるかに醜い。


 パブロもきっと、失望したに違いない。わたしも結局、その他大勢のうちの一人だということに気づいて。醜い善意で、小さな子供一人、救うことも出来ずに。




「もう泣くなって」


 病院からの帰り道。見るも無惨な泣き顔を通行人に披露しながら歩くわたしに、パブロは力なく声をかけてきた。


 他人のフリをすればいいのに、パブロはずっとわたしの側を離れずにいる。


 女の子は病院を出てすぐ、沈んだ顔で自分の住みかに帰っていった。怪我は治療できたけど、お金は手に入らなかったから、彼女にとってはあまり嬉しい展開ではなかったのかもしれない。


「なぁ、怒鳴って悪かったよ。謝るからさぁ……」


 弱り果てた表情で呟くパブロに、わたしはくしゃくしゃになった顔を向けた。


「わたしの方こそ、ごめんなさい。金貨三枚なんて、すぐには調達できないかも」


 パブロは気まずそうな顔で頭をかいた。それから、ハンカチを取り出してわたしの涙を乱暴に拭った。もちろんパブロが取り出したハンカチというは、わたしのハンカチである。


「いいよ、あれはどうせ、侯爵夫人の金だし」

「でも、金貨が三枚ないと刑務所に入れられちゃうんでしょう?」

「いや、それは……」


 どうにも歯切れが悪い。根気強く待っていると、パブロは叱られた子供みたいな顔でわたしの顔を見返してきた。


「ロベルトから聞いてないのか……?」

「何を?」

「金貨が三枚ないと刑務所に戻されるって話、あれ、嘘なんだ」


 わたしは一旦、斜め上に視線を持ち上げて頭の中を整理したあと、再びパブロに向き直った。


「え、じゃあ、あれは盗んだお金なの?」

「侯爵夫人に金を貰ってるのは本当だけど、警察が俺を刑務所に戻したがってるって話は、嘘。スリなんかそこらじゅうにいるのに、警察が俺のことだけ目の敵にするわけないだろ」


 そう言ったパブロはなぜかちょっと、悲しそうだった。


「どうしてそんな嘘ついたの?」


 パブロは別に、嘘をついてわたしを(おとし)めたりはしていない。しいていうならわたしは借金を返すために食堂で働くことになったけど、わたし自身はその事を後悔していないばかりか、旅の失態を挽回するチャンスを作ってくれたパブロに感謝しているくらい。


 パブロは決まり悪そうに足元を睨み付けて、ポツリと呟いた。


「誰も俺のことなんか、気にしてないし」


 そんなことない、と返すべきだろうか。たとえその言葉が本心でも、今わたしが口にする言葉は全て、どんなに高尚に聞こえるように取り繕ったとしても安っぽくなってしまう気がした。


「そんなの、格好悪いだろ」


 そう言って、パブロはハンカチをわたしに手渡したあと、歩き出した。たくさんの人影にあっという間に溶け込んでしまったパブロの背中を、今から追いかけて見つけ出すことなんてわたしにはきっと出来ない。


 わたしは刑務所から出てきたばかりの、パブロのことを想像した。


 警察と関わりをもってしまった彼のことを、かつての仲間たちは疎ましく思いこそすれ、歓迎はしなかっただろう。スリは大抵、集団で動いて財布を狙っていると、いつかパブロが言っていた。彼はその集団とやらから、弾き出されてしまった。刑務所から救い出してくれた侯爵夫人は、生きていくためのお金は与えてくれても、パブロの仲間にはなってくれない。ほの暗い過去を思わせる傷痕が、目につくところにある。一体誰が、彼を受け入れて、その孤独を理解してくれるというのか。




 いつだったか。寄宿学校で授業を受けていたとき、どうして勉強しなくちゃいけないんですか、と生徒の誰かが尋ねたことがあった。先生は、勉強したくても出来ない子もいるのよ、と答えた。


 ちゃんとした答えにはなっていないはずなのに、先生の言葉に一瞬怯んでしまったわたしたちは、先生の言う「勉強したくても出来ない子」というのを「恵まれない子供」という、自分たちとは別の生き物として見ていたのかもしれない。


 わたしの不幸と、その子たちの不幸はどんな風に違うのか。それは、物差しで測ることが出来る性質のものなのか。


 わたしたちはその子たちのために勉強に勤しみ、彼らより恵まれていることを償わなければならないのだろうか。それでも「恵まれない子供」は、わたしたちのことを知らないし、わたしたちが勉強すればするほど恵まれるということもないのに。


 乱暴に言ってしまえばきっと、"わたし"と"彼ら"は同じだろう。生まれ育った環境が違っても、同じ"不幸のもと"を持っている。表に現れる形が違っているだけ。それがわたしと、「恵まれない子供」の違い。


 だからきっと、わたしはパブロのことを理解することが出来る。誰にも関心を払ってもらえない孤独が恥ずかしくて、警察に目をつけられているという嘘をついてしまう、パブロのことを。わたしが知っている、わたしの形の孤独で、きっと彼に寄り添うことが出来るはず。


 誰にも気に留めて貰えないというのは、パブロの勘違いだといつか気づいてくれればいいと思う。かつては犯罪者だった彼にも、ちゃんと優しさがあるってことをわたしが知っていると、早く気づいてくれればいいのに。

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