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 ロベルトと話をしたあの日、パブロは食堂に戻って来なかった。


 だから真相は分からずじまい。


 わたしには考える時間が必要だったから、それでよかったのかもしれない。


 次の週にパブロと食堂で顔を合わせたとき、わたしは何度も練習した台詞を思い出しながら、ロベルトのことを切り出した。天気の話でもするような調子で、ロベルトはパブロが、わたしの財布を盗んだって思ってるのよ。おかしいでしょ、と笑い話にしながら話してみた。


 パブロの機嫌はみるみると下降線をたどって、元々悪かった目つきがさらに悪くなってしまった。


「お前その話、信じてんの?」


 そういえばパブロと出会ってから、こんな不機嫌な声をぶつけられたことは今まで無かったな、とわたしは頭の片すみで考えた。彼は愛想はないけど、不機嫌になるということは滅多になかったから。


「まさか、信じてないわよ」

「なんで? 俺が嘘ついてるかもしれないだろ」


 そう言われても、パブロが好きだから信じたいだなんて、本人に言えるわけないし。大体、好きだからという理由はあまり理知的とは言えない。


 答えに窮したわたしをどう思ったのか、パブロは無言で食堂の外に出てしまった。


 わたしは急いで、後を追った。


「怒ってるの?」

「怒ってねぇよ」

「怒ってるじゃん」

「うるせぇな。お前に関係ないだろ」


 わたしは、巧みに人込みをすり抜け歩くパブロの真後ろに、ぴったり張り付いて歩いた。そうしないと向かいから歩いてくる人にぶつかってしまうから。だからわたしはパブロの気持ちを彼の表情から窺い知ることが出来なかった。


「あいつ、嘘つきよね。あのロベルトってやつ」

「どうでもいい、そんなこと」


 冷たい声で突き放されて、とうとう心がくじけてしまった。必死に追いかけていた背中を無言で見送る。


 まさかロベルトの話題でパブロの機嫌をこんなに損ねてしまうなんて思わなかった。


 触らぬ神になんとやら。もう寄宿舎に帰ろうか。時間が全てを解決すると誰かが言っていたような気がするし。


 そう考えていたとき。道の端の方に、うずくまる小さな影が見えた。七、八歳くらいの小さな子供だった。腕から赤いものが(したた)り落ちている。それが血だと分かったとき、わたしの心臓は嫌な音を立てた。女の子は声を上げて泣いているのに、道行く人々は誰も立ち止まろうとしない。


 なんとか人込みをすり抜けて、建物が作った影の中で膝を抱えてしゃくりあげている女の子に声をかけた。女の子は、わたしを見るなり血だらけの腕を差し出してきて、手のひらを広げた。


「病院に行くお金がないの。おねぇちゃん、お金ちょうだい」


 よどみない台詞を少しだけ不審に思いつつも、血を流す小さな腕に気をとられて上手く頭が働かなかった。急いでポケットを探り、手持ちのお金の、数を数える。


「今はこれしかないけど……」


 銀貨一枚と、銅貨を数枚手渡そうとしたとき。腕を誰かに掴まれた。


「やめとけ。そいつ、物乞いだ」


 振り向くと、いつの間に引き返して来たのか、険しい顔のパブロがそこにいた。

 わたしはパブロの言葉をわざと聞き流した。


「ねぇ、パブロ。お金持ってない? 食堂に置いてきた財布の中に銀貨が二枚入ってるの。あとで必ず返すから」

「だから、そいつは物乞いなんだって」

「でも怪我してるわ」

「見て分かんねぇのか? わざとやったんだよ。そんなのにいちいち金恵んでたらキリねぇだろ」


 パブロと言い争っている間に、女の子は再び泣き出してしまった。ごめんなさい、と何度も呟いている。わたしは急いで、その手にお金を握らせた。


「ねぇ、これでお医者さんに見てもらえるでしょう? だから泣かないで」


 必死に慰めようとしていると、パブロがわたしの腕を掴んで思いきり引っ張った。間近で向き合ったとき、パブロまで泣きそうな顔をしていたので、わたしはもうどうしたらいいのか分からなくなってしまった。


「お前全然分かってねぇよ!」


 怒鳴り付けられて、肩がはねた。通行人の視線が集まる。パブロは人々の視線に関心を向けずに、わたしの瞳だけを見据えていた。


「こいつが自分でこんな稼ぎ方考えつくと思うのか? 金なんかやったら、次はどうなると思う。腕切りつけるだけじゃすまねぇぞ!」


 必死に説得しようとする彼の、こめかみに自然に、視線が引き寄せられた。


 どうしてそんなところに傷を負ったのか、本当のところは結局分からずじまい。でも顔に傷を残すことをパブロが望んだわけがないことくらいは、わたしにも分かる。


「じゃあ、それじゃあ……病院に、病院に連れていく」


 わたしは泣きじゃくっている女の子をなんとか抱え上げて、歩き出した。


 パブロが後をついてくる。


「だから、そんなことしても意味ないんだって」

「絶対に連れていく。絶対に治してあげるから」


 それは、女の子に言い聞かせているつもりだったけど、本当はパブロに向けて放った言葉だったのかもしれない。


 パブロは呆れ果てていたけど、わたしを放っておくことはしなかった。それどころか、近場の病院にわたしを誘導してくれた。おまけに、物乞いの子供を診察することを渋った医者に、金貨を三枚握らせたのだ。その金貨は手放すべきじゃないって、今度は逆にわたしがパブロを説得することになった。


 パブロは「別にいいから」の一点張りで、聞く耳を持たなかった。女の子は無事に治療を受けることが出来た。傷は残らないだろうという医者の言葉に、胸を撫で下ろしたのは多分、わたしだけではなかったはずだ。

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