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 どうかわたしのことを愚かな娘だと思わないで欲しい。


 確かに寄宿学校を無断で抜け出すなんて、馬鹿なことをしたと思う。


 だけど、待ちに待った長期休みに迎えに来てくれるはずだったパパとママが、妹の具合がよくないから夏の間はそのまま寄宿舎で過ごしてくれと、そんな手紙をよこしてきたのはわたしのせいではないはずだし、大人の都合を何もかも許容できるほどわたしが寛大じゃないことだって、十六歳という年齢を考えればまぁ、仕方がないと言えるんじゃないだろうか。


 わたしはお金をたくさん持っている。それが、娘を寄宿学校に送り込んだパパとママの、罪悪感の賜物(たまもの)であるとちゃんと知っている。


 わたしはそこそこ、賢い。寄宿舎を抜け出してもバレないための、策を巡らすことが出来る程度には。もっとも、その賢さは学校の成績にはほとんど反映されないのだけど。


 大体、お金をたくさん持っていて、長期休みに両親に見捨てられて、そこそこ知恵の働く、そして最も浅はかなことをしでかす年代のわたしが、大人しくいい子にしていると思う方が不自然なのだ。


 だからこれはきっと、落ちるべくして落ちた運命の恋だと、そう断言しても誰にも文句は言われないと思う。






 観光地といえばスリ、スリといえば観光地というように、観光地とスリは切っても切り離せない、熟年夫婦も真っ青の固い絆で結ばれていると聞いたことがある。どうせなら有名な観光地に行ってしまおうと浮ついた気分で逃亡計画を練っていたわたしにとって、その伝聞はインパクトに欠けていたのだろう。つまりすっかり忘れていたのだ。


 天に向かってそびえる、美しい建造物。活気溢れる街並み。それらのものにすっかり目を奪われていたわたしは、彼らにとって、典型的な観光客であり、なおかつ優等な餌食であったに違いない。


 財布が無くなっていることに気づいたのは、手頃な食堂に身を落ち着け、注文した料理を全て平らげたあとだった。


 一人での外食が初めてだったわたしは、多分そのとき罠にかかったネズミのように震えていたことだろう。自分では精一杯に平静を装っていたつもりだったけど、あとから思い返すと散々な振る舞いをしていたと思う。


 とにかくあのときわたしは、料理の代金を払えないことと、それを伝えればあの怖い顔の店員がますます怖い顔になるだろうことと、寄宿学校の先生たちとそれから両親に、逃亡したことがバレてしまうかもしれないことを考えて、縮み上がっていた。


 だから柄の悪い、おまけに左のこめかみにナイフで切りつけたような傷痕のある、いかにもワルっぽい男の子に「何か困ってるのか」と声をかけられたときは、本当に救われた思いがした。


 知らない間に財布を()られていたと男の子に訴えてから、わたしは自分の思慮の浅さに思い至った。財布を掏られたとなれば、警察に相談するのが普通だろう。とすると、財布を盗まれたと主張するわたしに対して、男の子が「警察に行け」と至極親切な助言をすることは目に見えている。


 警察に行けば名前と年齢を聞かれる。未成年だと分かれば保護者に連絡が行く。これすなわち逃亡計画の破綻である。ああ神よ、なぜわたしをお見捨てに。


 外はカラッと晴れていて気温も暑すぎず寒すぎずちょうどいいというのに、わたしはだらだらと冷や汗を流した。真っ青になって押し黙っていると、目の前に一枚の金貨が差し出された。


 そのとき自分が何を考えていたかなんて、今はもう覚えていない。ただ呆然と、男の子と金貨とを交互に見て、わたしがこの金貨を受けとる流れなのだと察して、手を伸ばしてしまった。


「それだけあれば、足りるだろ」


 そう言って立ち去った男の子を、呼び止めることすら出来なかった。


 足りないなんてものではない。金を与えておけば親の務めは果たされると信じている両親でさえ、わたしに金貨を持たせたことはない。


 さっそく無愛想な店員に代金を払い、それから呆然としながら大量のおつりを受け取り、やっぱり呆然と、宿に帰った。


 宿代は前払いだったから、野宿をするなんてことはしなくてすんだけど。

 もし宿代を払っていなかったとしても、あの男の子がくれたお金でほとんどの危機は乗り越えられたと思う。なんといったって、彼はわたしに金貨をくれたのだ。


 日が暮れて、夜が来て、朝が来て。


 さすがに我に返る。

 こんな大金、見ず知らずの人から譲って貰っていいわけがない。


 自分がその程度の良識は持ち合わせていたという事実に、わたしは少し、安堵した。もしこのまま手の中にあるお金を持って寄宿舎に帰っていたとしたら。数年後、分別というものを身に付けたときに、過去の行いのせいで自分を恥じることになってしまっただろうから。


 とにかく手の中にあるこの大金を、あの男の子に返さなければ。そうして自分は厚かましい人間ではないということを証明しなければ。


 そう決心してわたしは再び、あの食堂に赴いた。


 男の子は昨日と同じ場所に座っていた。


 つまらなそうに本を読んでいる。両足は机の上に乗っていて、靴のすぐ隣でコーヒーカップが湯気を立てている。


 なんて行儀の悪い。


 わたしは男の子に話しかけることを、数秒間躊躇(ちゅうちょ)した。


 躊躇したのがいけなかった。店員に客だと勘違いされ、誘導されるがままテーブルの前に腰を下ろしてしまった。


 男の子に返す予定のお金しか持っていないのに。代金を払えないと分かっていながら、よどみなくコーヒーを注文してしまう。


 完全に話しかけるタイミングを逃してしまい、わたしは昨日と同じように冷や汗を流すことになった。


 とりあえず、落ち着こう。


 微かに震える指で、鞄からタバコを取り出す。マッチを擦って火をつけた瞬間。


「おい」


 (くだん)の男の子が、わたしのことを思いきり睨み付けてきた。

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