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 雪音は小学校に上がり、今年からぴかぴかの一年生になった。

 学校までは今のアパートから徒歩10分くらいの道のりであるが、何度も俺と一緒に登校するうちに雪音は帰宅ルートも完璧に覚えた。


 母さんの教育がよかったのか、特に両親が家に居ないことに対して不満の訴えは全く聞かれない。

 しかも父さんもほぼ夜中に帰ってくるので、家族4人で過ごす時間はこの慌ただしい朝だけだ。

 先に出勤した母さんを見送り、父さんもスーツを着ながら雪にアパートのスペアキーを渡している。


「雪、今日は父さん雪が学校終わる時間に戻れるかわからないんだ。だから鍵頼むぞ?」


「はぁ~いっ!」


 父さんは今日観光の仕事が入っているようで、昼飯の時間に合わせて大体一度戻るのだが、今日は難しいとのことだった。

 鍵当番となった雪音は靴ベラのついた鍵を持ちじっと眺めている。


「ユキ、ひろちゃんが授業終わるまで待ってるー」


 雪音は1年生なので、4時限目で学校が終わる。

 俺達4年生は5限目まで授業があるため、俺を待つなら昼食をどうにかしなくてはならない。


「俺を待ってたって仕方ないだろ、給食ないし」


「やだっ。ひろちゃんと一緒に帰るの!」


「……いいから、先に帰れよ。待ってたら兄ちゃん怒るからな?」


 ぷうと頬を膨らませたユキは、黄色い通学帽をかぶると、俺よりも先に学校に行く準備を済ませ、不貞腐れた様子のまま靴を履いていた。



「おーっす、弘樹」


「おはよー」


 近所に住んでいる拓斗は保育園からの友人で、同じ地区だったので小学校も一緒だった。

 同じ時間に交差点で待ち合わせているのだが、向こうから手を振って近づいて来た。


 先に準備をして家を出ていた雪音は俺の服の裾を引っ張ったまま、まだ機嫌が悪いのか一切こちらを見ようとはしない。

 だったら一人で学校に行けばいいものを、絶対にひろちゃんとじゃないと嫌だと駄々を捏ねる。

 俺だって友人と一緒に色々な話がしたいのに。雪音がいると、拓斗も少なからず気をつかう。


「雪音ちゃん、おはよう」


「……おはよぉ」


 拓斗の挨拶に、ふいっと顔を背けて小さな声でそう言う。

 幾ら機嫌が悪くても、雪音は絶対に俺から離れようとはしない。どうしたもんか……

 いつもと態度が違う様子を見た拓斗がこっそりと俺に耳打ちしてきた。


「雪ちゃん機嫌悪いの?」


「今日俺と一緒に帰るって言うこと聞かなくて……」


「えぇー?マジ?そういうの可愛いじゃん。俺も妹ほしかったな~」


 結局学校に到着するまでの10分間、雪音は一言も喋ることはなかった。

 俺は雪音を1年生の教室前まで見送ると、4年生の教室へと足を向けた。


 今日の授業は殆どが上の空で全く内容が入ってこない。

 ……朝はああ言ったものの、本当に雪音が外で待っていたらどうしようかと不安になる。

 4時限目を終えるチャイムが鳴ったと同時に、俺は1年生の教室へと足を向けた。


 雪音の教室をふと覗くと、既に中は無人となっており、しん、と静まり返っている。

 安心した俺の様子に気付いた1年生の担任が訝し気な様子で声をかけてきた。


「あら雨宮君。1年生は今日4時限で終わりだからもうHR終わって帰ったわよ?お家の鍵かしら」


「帰ったならいいんです。鍵は雪音が持ってるので」


 失礼します、と雪音の担任に頭を下げ、再び自分の教室に足を向ける。

 ――何だ、きちんと家に帰ったなら安心だ。

 俺はもやもやしていた気持ちが晴れるのを感じ、仲間達と給食の準備に戻った。




* * * * * * *




「……猫」


 雪音は弘樹に嫌われたくないという思いから、一人でとぼとぼと家まで帰ってきた。

 しかしその入口には天敵が陣取っている。


「うぅ……どうしよう」


 真っ黒の毛並みに、黄色い眼がギラギラ光りながら、時折こちらを見ている。


 ――雪音は2歳の時、母さんの友人の飼っていた猫に触ろうとして、顔を引っかかれた苦い記憶がある。 それから猫が苦手になっていた。


 今となっては猫よりも身長はとうに勝ってるが、また襲ってきたらと思うと怖い。

 時計が無いため、今何時かわからない。

 アパートの陰に隠れて、誰か住人が通りかからないかなと思うが、そういう時に限って誰も来ない。


「お腹空いた」


 お昼前に帰れる日だったので、食べ物もない。

 きゅる~と鳴いた腹の虫に雪音はしゃがみながら目を閉じてただじっとしていた。


 ――いつも感じている優しい手が頭をぽんぽん撫でる刺激に、雪音はふっと目を開ける。

 視界に入った手を追いかけて顔を上げると、そこにはランドセルを背負った弘樹の姿があった。


「何やってんだ、雪」

「ひろちゃん……」


 アパートの入口の方を見ると、先ほどまで陣取っていたはずの猫達はいなくなっていた。

 弘樹に続いて雪音もアパートの階段をゆっくりあがる。


「あのね、ひろちゃん。あそこに猫が居たの」


「うん、知ってる」


 ――よほど怖かったのだろう。

 雪音はいつも以上に弘樹のシャツを引っ張りながら後ろをついてくる。


「ユキ、だから入れなかったの」


「うん、知ってる」


 雪音に右手を伸ばし、家の鍵を受け取る。

 カチャリとドアを開けて、

「……腹減っただろ?冷蔵庫に母さんが入れてくれた飯あるから、それ温めよ」


「ひろちゃん大好きっ!」


 雪音は嬉しそうに弘樹に抱きつき、腕に頬を摺り寄せた。

 朝にちょっとした口論になったことで、雪音は弘樹に待っていた訳では無くて、猫の所為で入れなかったという事を必死に伝えていた。


 そんな言葉がなくても、弘樹は悟ってくれていたのだ。

 それが嬉しくて雪音は何度も何度も弘樹の腕に顔を摺り寄せた。


「暑い…離れろって!攻撃しなければ、猫は襲って来ないよ」


「ひろちゃんが来てくれたから猫いなくなったんだよ」


 雪音は靴を脱ぎ部屋に入った瞬間居間にある時計を見て満面の笑みを浮かべた。

 5限目の後は、大体みんな疲れてHRが無駄に長引くことが多い。

 弘樹は授業が終わった後、何かしら言い訳をして走って帰って来たのだろう。

 背中に滲んでいる汗がそれを暗に物語っていた。


「何、ニヤニヤしてんだよ……」


 母の作った料理を冷蔵庫から出している間も、幸せそうな顔でこちらを見る雪音に、一抹の不安を感じる弘樹であった。

2016.7.31(11.27 改稿)

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