嫉妬その2 ☆
俺は次の授業が終わった瞬間、田畑の席の前に立っていた。
「なあ田畑……頼みがあるんだけど」
「げっ……弘樹から頼み事なんて珍しい。なんだよ、誰かに騙されたか? それとも雪ちゃん絡みか?」
まあユキちゃん絡みと言えばそうなのだが、うちの雪ではなく違う方の由紀ちゃんだ。
ただ、俺は彼女を由紀ちゃんと呼ぶ事は多分無い。紛らわしいとかそういう理由じゃなくて、単純に女の子の名前を呼ぶのが照れくさいからだ。
「単刀直入に言うんだけど、俺と羽球やってくれないか?」
「ヤダ」
「え、マジで?」
「また羽球に熱入れて取り組む気はねーな」
てっきりあっさり承諾してくれると思っていた弘樹は一気に青ざめた。田畑の力をアテにしていただけに次の一手が出ない。こいつは1度嫌と言ったものは絶対に曲げない。
「……どうしてもダメか? ちょっと厄介な事になってるんだけど……」
「橘だろ、あいつさっきから気持ちわりぃくらい喜んでるけど、あれに変な条件でもつけられたか?」
橘は既に祝勝ムードになっていた。まだ何も始まっていないのに失礼な話である。
頭に来た俺は一部始終を全て田畑へ伝えた。その上でこいつが助けてくれないのであれば──相澤さんにはあいつの犠牲になって貰うしかない。
そもそも、最初っから俺が頑張らなくても別にいいんじゃないか、彼女を友達にする事を諦めれば今までと何1つ変わらない日常だ。
元々無料の入場券で一緒に水族館へ行っただけ。それ以上も以下もない関係性なんだから。
「ふーんなるほどね、橘と羽球か。面白ぇじゃん」
「いや全然面白くないよ、俺の運動音痴知ってるだろ……」
「まぁな。弘樹は見た目はいいけど、マジで残念なくらい球技向いてね〜からなあ」
「で……田畑“先生“は俺が変なストーカーから解放される手伝いをしてくれますか」
先程即答で断られただけに身構えてしまう。また断られたら相澤さんに先にごめんなさいして勝負せず終わろう。
しかし田畑から返ってきたのは意外な返答だった。
「ああいいぜ、その代わり──次の中間テストの勉強まとめ手伝い頼む。次落としたら単位ヤベエし」
「なんだ、それくらいお安い御用だよ。本当助かる……」
「ただ、弘樹。経験者にダブルスで勝つにはお前も頑張らないと相当厳しいぞ。ルール分かってねぇよな?」
「う、うん」
「あっちの攻撃でお前に向いた球を1回返す事が出来たら、後は俺が何とかしてやる」
──ほぼ田畑任せの作戦だがそれしか無い。かと言って全部任せるのは流石に申し訳ないので、俺はその日の放課後に体育館の隅を借りて田畑と簡単なサーブ、球の受け方について練習する事になった。
「……お前、見た目に反してマジで運動音痴だよな」
「しみじみ言うなよ……気にしてるんだってこれでも」
1度も羽がラケットに当たらない俺を見て田畑がゲラゲラ楽しそうに笑っていた。そりゃあ初心者と経験者じゃ違うだろうって……
「おお、やってるわね。関心関心」
事の原因でもある相澤さんは羽球部の練習着で俺達の壁打ちをニヤニヤ見ていた。丈が短いスカートだから目のやり場に困る。
俺は変な雑念を振り払い何度も壁打ちに黙々と打ち込んでいた。
3人のやり取りを面白くない様子で見ていたのが橘だ。こちらからでもハッキリ分かるくらい怨念というか邪念を飛ばしている。
「くそぅ……許せん許せん許せん……相澤さんがなんであんな勉強しか能のない奴に……!」
「橘先輩、さっさとやっちまいましょうか。どうせ練習の球だしバレませんて」
後輩の男が橘を急かしてポンポンと球を上げてコートに立った。練習では何度も激しい音を立ててスマッシュを放っていた。
羽球のスマッシュは空気抵抗があっても本気で当たると結構痛いらしい。
俺はよくあんなにジャンプしてビュンビュン速く飛ばせるなと関心しながら橘達の練習を見つめていた。
「あれのコツがあんだけど、この短期間じゃあ弘樹にはまだ無理だろうな」
経験者の田畑にわざわざ言われなくても分かっている。俺はそんなに運動ができるタイプじゃないんだから。
「そもそも、まだ1発も羽に当たってないよ」
「ははっ、まあ慣れたら何とかなるから。雪ちゃんが心配するだろうからそろそろ帰るか?」
ちらりと体育館の時計を見ると確かに4時半になっていた。あまり遅くなると雪はソワソワするし、今日も遅くなると言ってないから何を仕出かすか分からない。
「そうだな……雪は1人でほっとけないから」
「雨宮あ〜! また貴様は相澤さんの名前を……!!」
「は?」
橘は見た目冷静沈着って感じなのに、相澤さんが絡むと何か別人格になるらしい。俺が振り返った瞬間、コートの方からスマッシュの球が飛んできた。
とはいえ、体育館の中なので速度はさほど無く、頬に軽く球がカツンと当たった。もう少し近くに居たらもっと怪我をしていたかも知れない。
「はぁ……あのなぁ橘──」
「このクソ野郎、何て事しやがった!」
俺よりも凄い剣幕で橘に取っかかったのは相澤さんだ。あまりの豹変ぶりに俺は驚いて言葉を失った。
「ひ、ひいい! 相澤さんごめんなさいいっ……!」
「てめえにはスポーツマンシップってモンがねぇのかよ! 素人に虐めみてぇな情けない事しやがって! 男のくせにちゃんと○○ついてんのか!」
あの、あれが相澤さん……?
俺は別人を見ている気持ちで隣にいる田畑に助けを求めた。
──そうか。田畑は彼女のこのキャラを知っているから水族館デートの話の時に俺に食いついてきたのか。今も彼女の本性を見てクックックと笑いを堪えている。
「弘樹、とりあえず後から腫れるから早いうちに帰った方がいいぜ。ここに居ると修羅場に巻き込まれそうだ」
「そ、そうだね……相澤さんお疲れ様、また明日」
「あっ、ごめんね雨宮くん! また明日!」
俺にはさっきとは真逆で普通に返答してくれた。本当にその二面生が怖すぎる。女ってみんなこうなんだろうか……。
途中の交差点で田畑と別れて家に帰るとやはり右半分頬が赤くなっていた。離れていたお陰で腫れはなく、ぶつかったくらいの感じだ。
「ひろちゃん、痛い? 大丈夫?」
案の定、雪はオロオロしながら俺の周りをウロウロしていた。心配したって別に打撲くらいのものだから全然大したことない。
「こんなの、田畑と羽球やってぶつかっただけだし大丈夫だよ」
「ひろちゃん、痛いの痛いの〜とんでけー」
雪はニコニコしながら俺の赤くなっている右頬を撫でていた。
別にそんなに痛くはないんだけど、今日は女の怖い一面を見てしまったので雪の好きにさせておく。
しかし、男の嫉妬って怖い。そして女の豹変はもっと怖い。俺は修学旅行前に相澤さんの本性が分かって少しだけほっとした。
翌日。
橘は珍しく学校を休んだ。その理由は何となく分かる。そしてその翌日、学校に来た橘から土下座をされた。
相澤さんに関する謎の勝負は無効になり、俺へのストーカーめいた行為もやめてくれた。
今度から女に安易に話しかけるのはやめよう。やっぱり俺は男友達だけでいいや。