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花火大会

 毎年恒例の「港まつり」というものが8月1日に開催される。

 新しい家に引っ越ししてから、そこまでは歩いて行ける距離になったので、雪音と共に歩いて行くことにした。


 母さんも今日は仕事が早く終わったので一緒に来てくれる予定だったが、雪が

「着付けだけしてほしい!ママはお家で待ってて」

 とせがんで結局子守は俺の仕事になった。


 濃紺の仁平は夏らしくて、肌触りもいい。

 一方の雪は、最近母さんと買い物に行った時に買ってもらったという金魚の刺繍が入った白の浴衣を嬉しそうに着ていた。髪も女の子らしくアップにしており、母さんが昔使っていたという金の簪を刺している。

 いつもと違う可愛い雪音の姿に俺は、少しだけドキドキしてしまった。

 


 20分程歩いたところで漸く目的地に近づいて来る。駅前近辺には屋台が所狭しと並んでいる。

 初めて港まつりに来た雪はあまりの人混みに感嘆の声を上げていた。


「ひろちゃん、人が多いね」


「はぐれないようにな」


 雪の小さな手を引いて一緒に歩く。

 すれ違う人の波に少しだけ息がつまりそうになる。

 毎年同じプログラムだが、花火の時間をパンフレットを見て確認する。


「7時30分から花火だって。それまで屋台でも見て回るか?」


「うんっ!」


 父さんに借りてきた腕時計を見ると、まだ時刻は6時だった。

 雪音の小さな手を引きながら屋台を回る。このお祭りは初めてなので新鮮なのだろう。あちこち興味深々に見つめている。


 港まつりは、車が無いと来るには遠いし、かと言って忙しい両親に「行きたい」と我儘を言うのも申し訳なくて、俺も昔父さんと一緒に一回来たくらいだ。


 ――確か、あの時は花火を間近で見るとその轟音にびっくりして泣いた記憶がある。

 雪音は、きっとあの大きな花火を見て目を丸くするだろう。

 

 驚いて泣くだろうか?


 今からその反応が楽しみだとひっそり心の中で呟きながら、雪音が浴衣を捲し上げて金魚すくいと格闘している姿を、後ろからそっと見つめる。

 思っていたよりも初めて挑戦した金魚すくいが難しかったようで、成功しなかったお姫様は眉間に皺を寄せている。その不貞腐れた顔もどことなく可愛らしい。


「……ひろちゃん、これ難しいよ」


「こういうのはコツがあるんだよ。水の中に出来るだけ入れないようにして…ほい」


「うわーすごい!可愛い金魚さんっ!」


 すくった金魚は網を壊すことなく、上手くボールの中に入り込んだ。

 店のおっちゃんに「おまけだよ」と言われてもう1匹追加してもらう。

 雪音は嬉しそうに戦利品を巾着と一緒に持ちながら、再び俺の手にしがみついてきた。


「ひろちゃんすごいね、次どこ行くの?」


「そうだなぁ……」


 大人も沢山来ているせいで、あまり屋台が見えない。

 ……そういえば夕食もそこそこで、早めに家を出てきたから少しお腹が空いてきた。


「やっぱり、屋台って言えばこれだよなあ」


 ちょっと待ってろ、と雪音をそのままに焼きそばの屋台に並ぶ。

 5分後には出来立ての焼きそばをゲットして雪音のところに戻るが、その姿が見当たらない。

 まさか人波に揉まれて移動したかと思い、一瞬青ざめる。


「雪音ー!?」


 大声を出しても、周囲からは雪音の返事が聞こえない。

 路地の方に行ってみると、浴衣の裾が汚れるのも気にせずにしゃがんで泣いている雪音の姿があった。


 はぐれた瞬間は心臓が止まったかと思った。

 やれやれと近づいてみると、俺の姿を捉えた雪音は鼻水を垂らしてさらに泣いていた。


「ひろちゃあああん!ごめんね、ごめんね、金魚さん…死んじゃった」


「え?」


 すれ違った人にぶつかって、金魚の袋を落としてしまったらしい。

 心ない人が、それに気づかずに踏んでしまった為、水がはじけてそのまま――というわけだ。


 雪音は金魚よりも、俺に取って貰った物を失ったショックの方が大きかったらしい。

 立ち直れなくて、その金魚の入っていた水を見つめてずっと泣いていたようだ。


 こんな人混みで独りぼっちにさせた自分にも責任があると言い、俺は雪の頭をぽんぽん撫でてやる。

 泣いていた雪がその手の温もりを感じてふっと涙で濡れた顔を上げた。


「また取るよ。金魚には申し訳ないけど、雪音が泣いてくれたんだもん報われたよ」


「……ひろちゃんに貰ったのに……」


「焼きそば買ってきたから、あっちの人少ない方いこう」


 屋台の並びで立ち往生しているとまたすれ違う大人の波にぶつかってしまう。

 小さい雪音では身体が軽く吹き飛ぶ勢いだ。

 まだ項垂れている雪音の手を引きながら、屋台の裏通りの段ボールに座り、焼きそばを食べる。


「焼きそば、おいちいね」

「泣くか、笑うかどっちかにしろよ」


 雪音は口に焼きそばを含みながら、まだ死んでしまった金魚のことを思って泣き笑いしていた。

 鼻水を垂らしながら焼きそばを美味しそうに食べる雪音の涙を指の腹で拭ってやる。

 ――そろそろ花火の時間が近いのか、人の波が少しずつシーポートの方に移動していく。


「雪音、移動するか?」


「……花火いいよ」


 先ほどのことを気にしているのか。

 なんで?とわざわざ聞くのも可哀想だったため、別の理由をつけて違う屋台を回る。

 一通り屋台を見たところで、雪音はお土産、と声を上げた。


「ひろちゃん、パパとママにお土産買って帰ろ」


「何がいい?」


 ターゲットを見つけた雪音が、りんご飴の前で目を輝かせている。

 細工の美しいりんご飴を見るのがどうやら初めてだったらしい雪音は、その並んでいる複雑な形を見てどうやって作るの?と店員さんに声をかけている。

 目の前で飴細工を披露してくれた店員さんの優しさに感謝しながら結局それを買うことに決めたらしい。


「ひろちゃん、これにしよっ」


「はいはい」


 両親と、雪音の分のりんご飴を買って本日のお買い物終了とする。

 遠くでドーンという音が聞こえて雪音が一瞬びくりと後ろを振り返った。

 建物に阻まれて花火自体は見えなかったが、轟音は続いている。

 音と、観客の喜びの声だけが遠くで聞こえた。


 やはり興味はあるのか、雪音は音の方から視線を動かそうとしない。

 行ってみるかと手を引き少しだけ音の方に近づく。

 

 親切な観客の一人が、子供達は見えないでしょと前を譲ってくれたお陰で丁度建物から外れた場所の花火が見える。



 ドォーン・・・



 ひと際大きな音と共に、雪音の頭上に巨大な花が咲く。

 観客の声と地面まで揺れるその音の大きさに、泣くどころか雪音は嬉しそうに目を輝かせていた。


「ひろちゃん、あれなに?」


「なんだっけ、菊?牡丹……だっけ。柳まで見たいけどこの人じゃあ帰れなくなっちゃいそうだしなあ…」


 多分、この花火大会に3万人くらいの人は観に来ているだろう。

 後ろの方まで人波が続いている。帰り道のことを考えると早めに移動した方がよさそうだ。


「雪音、悪いけど次あがったら帰ろう」


「うんっ!ユキもういいよ。――いたっ」


 階段で躓いた雪音の履いていた下駄の鼻緒がぷつりと切れていた。

 慣れないものを履いていたせいで体重が上手くかけられなかったのだろう。


「階段あがったらおぶるから、ちょっとりんご飴とその下駄は持ってな」


「……うん」


 荷物があるから俺に迷惑をかけるのは申し訳ないと思っていたのか、いつもより歯切れの悪い雪音の反応に少しだけ驚く。

 いつもであればおんぶ、おんぶとあちらからせがんでくるのに妙にしおらしい。

 まだ帰る人も少ないお陰で、雪音をおんぶしながら歩く道もすれ違う人は少なかった。


「ひろちゃん、ごめんね」


「何が?」


 鼻緒が切れて歩けないのだからおぶるのは仕方ないことだと思う。

 こんな人込みだったらタクシーなんて使えないし、父さんも今日は仕事中だから電話で呼ぶわけにもいかない。

 

 俺の反応を怒っていると感じ取ったのか、背中の雪音は言葉を探して少し黙り込んでいた。静かな沈黙の後再び声をかけてくる。


「ひろちゃん、花火綺麗だったね」


「…そうだな」


「……ねえひろちゃん」


「何だよ……」


 遠くの方でまだ続いている花火の音だけが聞こえる。

 3秒の沈黙のあと。



「ありがと」



 小さな声でそうお礼を言い、ちいさい手でぎゅっとしがみついてきた雪音を落とさないように、俺はおぶっていた手を組み直して、どういたしまして。と笑った。


 雪音の顔は見えないが、背中の体温が上がっていることから、きっと浴衣姿でお兄ちゃんにおんぶしてもらって帰る姿が少しだけ恥ずかしいのかもしれない。



 ――来年は下駄じゃないものに変えてもらおう。

 そしてもう一回金魚すくいのリベンジをしよう。



 それから、もう少しだけ雪音と一緒に花火を見よう……



 響く花火の心地よい轟音を聞きながら、来年への想いを馳せて。


2016.8.18 (11.27)

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