奪われたファーストキス
連れ子再婚――そんなのはこのご時世よくあることだ。
俺の母は俺が物心つく前の小さい時に癌で死んだ。
7歳になったとある日、俺は親父に珍しくフォーマルな恰好をさせられて、洒落たレストランに連れていかれた。
一体何処に行くんだろう?と思ったら待ち合わせた場所には見た事もないくらい美人の女性と、ツインテールで母親のスカートをきゅっと握りしめている可愛い子がいた。
俺は父さんの手をぎゅっと握りながら、隣に立つ父を見上げた。
『父さん、この人は?』
すると、穏やかな手が俺の頭を優しく撫で、こちらはな…と紹介しながら少しだけ照れ臭そうにその女性の方を見つめた。
『今日から、弘樹のお母さんになる人と、妹だよ』
妹?
俺は恐る恐る綺麗な女性のスカートを握りしめている少女をじっと見つめた。
数秒の沈黙の後、強張った顔をしていた少女はゆっくりと女性のスカート越しから顔を覗かせ、俺と目があう。
俺が少し緊張した笑顔を少女に向けた瞬間、少女の眸は驚き、丸くなった。
『おにぃちゃん』
満面の笑みを浮かべるその少女は、本当に天使のように可愛かった。
――妹が欲しかった俺にとっては、それが本当にうれしかったんだ――。
「なぁ……いつも思うんだけど、雪音はどうして男湯に来るんだよ……」
「やだぁっ!ひろちゃんと一緒に入るっ!」
父さんはタクシーの運転手なので家に帰ってくるのは夕飯の時間と、最終的に帰宅してくるのは深夜だ。
新しく母になった人はバリバリのOLで、残業も多く夜遅くに帰宅することも多かった。
そんなこともあり、両親よりも3つ年下の新しく妹になった雪音と二人っきりで過ごす時間の方が限りなく多い。
そして、今住んでいるオンボロアパートには風呂が無いため、徒歩5分で行ける銭湯に二人で行くのが日課となった。
――ガラガラッ
いつものように銭湯の玄関を手動で開け、男湯ののれんをくぐり、番台のおばちゃんに挨拶をする。
「お、弘樹ちゃんいらっしゃい。今日も雪音ちゃんと一緒かい?偉いねぇ」
風呂から上がり、マッサージチェアーでくつろいでいる顔見知りのおじさん達からは「妹思いで偉いね」と賛辞の言葉が飛び交う。
だからと言って……子供とは言え女の子である雪音を、一緒の男湯に入れるのは躊躇われる。
何度か俺も雪音を女湯に送ろうと試みたのだが、一人になった瞬間、雪音は泣きじゃくってしまい、全く手がつけられなくなる。
一体いつまでこの男湯に無邪気な天使を連れてきて良いものか……俺の頭の中はそんなことばかり考えてしまう。
「おっはよー!」
身体を洗い流している男達に挨拶しながら、雪音は周りがすべて男であるということを全く気にする様子もなく、一気に服を脱ぐと楽しそうに風呂のタイルを走り抜けていく。
その愛らしい小さな後ろ姿を見送り、俺はため息をついた。
「ひろちゃーん!早く早く!」
既に近所のおじさんと仲良く湯船に浸かってる雪音は本当に純粋だった。
俺はタオルで身体を洗い、促されるまま雪音の隣で湯船に浸かる。
何時になく真剣な眸で、俺の股間を見つめてくる雪音の視線がかなりイタイ。
雪音は何か考えた様子だったが、あっと声を出すと、隣で湯船に浸かっているおっちゃんに、浮かんだ疑問の矛先を向ける。
「ねぇねぇ、おっちゃん。どーしてみんなユキにないものがついてるの?」
「……」
「ひろちゃんにもついてるのに、どーしてユキにはないのかなあ?」
湯船の中でタオルに空気を入れてクラゲ、クラゲと無邪気に遊ぶこの天使に、男と女の違いという真実を告げられる猛者はいなかった……。
お風呂から上がったところで雪音はまた一人でパタパタ走りながらバスタオルをマントのように背中に当てて走り回っている。
俺はそんな雪音を慌てて捕まえて、がしがしと頭だけバスタオルで残った水分を拭き取る。
無邪気な微笑みを俺に浮かべたところで雪音は漸くパンツを手に取り着替えてくれた。
やっとか…と思い、それを横目で見ながら俺もシャツとズボンを履く。
お風呂上りの楽しみと言えばこれしかない。
いつもは風呂上りに牛乳を買っているのだが、今日は甘いものが飲みたい気分だった。
「今日はフルーツオレにしよっかな」
「ひろちゃん!ユキ、アイス!バニラっ!」
「いいよ」
おばちゃんにフルーツオレとソフトクリームを頼む。
好意で雪音のソフトクリームをおまけでちょっぴり増量してくれたらしい。零れ落ちそうなそれを雪音は嬉しそうにペロペロ舐めっている。
お風呂道具を持って家まで帰る途中も、雪音は上機嫌で鼻歌を歌いながらソフトクリームを食べていた。
「ひろちゃんも食べる?」
「……いらないよ、歯に染みるし」
「冷たくないよぉ。ほら~」
無理やり口にバニラクリームを突っ込まれ、俺の口の周りはバニラだらけになった。
その情けない顔を見た雪音が、ケラケラと楽しそうに笑う。
「あはっ。ベタベタしてるっ」
俺の口元についた生クリームと唇を雪音の舌がぺろりと舐める。
その後は何事もなかったかのように、雪音は再び鼻歌を歌いながら自分の手に持ったソフトクリームを舐めていた。
「お、お、俺の……――!」
心の叫びは、空しくも闇に吸い込まれていった。
2016.7.30