マジックキャスター
「この辺は特に酷いわね」
アズターナは腐気に侵され始めている畑の前に立つと一瞥して呟いた。
後ろでは心配そうに見ているおじさんの周りに数人の村人が集まってきている。
「あ、そういえば自己紹介がまだだった。恥ずかし~」
ヒト種語の会話に意識を持って行かれ、すっかり忘れていた事を思い出し頬が熱くなる。
軽く息を吐いて気持ちを落ち着かせると、クルリと振り返って「アズターナと申す。安心して見ているが良かろう」と品良く一礼した。
「アズチャーニャン?」
「アズターナ、でござる」
「……アズターニャン。あれ、違うな。ヤズニャー…ニャン……」
「猫ではござらぬ。ア、ズ、タ、ァ、ナ、と申す」
「アズターニャン……ダメだ。どこの言葉だよ!」
隣のおじさんも「アズターニャン」と舌を噛みそうになりながら苦労している。
私が言い慣れているだけでアズターナという発音自体がヒト種には難しいようだ。特に後半が難しいらしく、何度言っても「ニャン」と猫が鳴くみたいな発音になってしまう。
「くっそ難しいっ。面倒だからアズターニャンが嫌ならアズタンで良いだろ!」
「アズタン、って……。仕方ないでござるな」
せっかくダリュエンナが付けてくれた素敵な名前なのに……
「そんで、あのアズタンとかいう小娘。一体なにをするつもりなんだ?」
「シューラドが言うには、不作の原因をなくしてくれるんだと」
「あの小娘が、か? どうやって?」
後ろで騒いでいるおじさん達は放っておこう。
この程度なら浄化魔法を唱えるまでもないのだし。
「小娘だと馬鹿にして驚くなよ。なんせマジックキャスター様らしいからな」
「馬鹿言え。あんな小娘が……ええっ!?」
腐気に侵され始めていた畑全体が淡く光りだしておじさん達が絶句した。
「さてと、次は……」
腐気の浄化は終わった。
次は地脈の調整だ。
この世界には魔力の潮流がある。
大地の中を流れれば地脈。大気中を流れれば空脈。水中なら水脈という具合だ。
地脈の本流はずっと地下深くを流れていて地表付近まで来るのはその分流や末端だ。本流であればその流れが澱む事はないけれど、分流や末端まで来ると流れが悪くなったり変に蛇行して澱みが発生しやすくなる。
澱めば魔力が腐って腐力となり腐気を生じる。
それに侵されると人でも動物でも魔物と化してしまう。
澱みの原因となる末端の流れは時間が経てば自然に直るけれど、手を加えた方が早い。
「んー、こっちからあっちへ流せば大丈夫ね」
途端に畑の中を幾筋ものねじ曲がったような弱い稲光が走り、やがて一つに纏まり力強く光り輝いていく。
後ろのおじさん達だけでなく村の人達までが家から飛び出して来て大騒ぎしているけれど、これで終わりだ。
こんな簡単な事にマジックキャスターは大金を要求するのだろうか、と疑問はあるが、これでこの一帯は地脈の流れが大きく変わらない限り大丈夫だ。
「お終いでござる」
唖然としながらも「も、もう?」となんとか言葉を紡ぎ出したおじさんは、畑へと踏み込んで崩れ落ちるように膝を着いた。
「ほ、本当だ……。本当に、あれだけ黒ずんでいた小麦が……。俺は夢を見ているのか? こんなにも生き生きとしている小麦なんて生まれて初めて見る……」
おじさんは涙を流しながら他の小麦も確かめ、嬉しそうに何度も何度も頷く。
「ね。簡単でござろう」
「あ、ああ……。アズタン、ありがとう……。俺はシューラドと言う」
半分放心している様だけど、これで久しぶりにベッドで眠れるかも知れないとアズターナは期待に胸を膨らませた。
「なんか違う……」
アズターナは心の中で呟いた。
娘のエルアゼさんとルスアテさんがもう身売りしなくても良さそうだと聞いて心の底から安心した顔を見てしまったし、シューラドさんと奥さんが精一杯の手厚い歓迎をしてくれているのを肌で感じていては文句を言えなかった。
そもそもヒト種の生活がこんなにも貧しいとは考えてもいなかった。
夕食と言っても僅かばかりの肉と野菜が入ったスープに小さな固いパンだけ。
同い年くらいの一番下の息子シュールベだけが目を輝かせてガツガツと食べている。
見た目同い年のようなシュールベにアズターナは違和感を覚えていた。
話しても簡単な返事しかしない。お腹が減っているのか話よりも食事の方を優先し、自分の分を食べ終わると他の者のにまで手を伸ばしているのだから。
アズターナの年齢判断は一番成長具合が近かった森エルフに準じている。
今までヒト種が六、七十年で寿命を迎える短命種という知識はあっても基準となる物が自分しかいなかった。その為にヒト種も森エルフのようにゆっくりと時間をかけて成人になるのだと考えている。
自分が二十年掛けてここまで成長したのだからシュールベも二十歳くらい。そしてシューラド夫妻は四、五十歳くらいと見ていたのだ。
その為にこのシュールベのあまりにも子供っぽい行動――自分基準で五、六歳相当――にちょっと戸惑ったのだ。
なにか個人的な理由があるのだろうとあえて尋ねなかったが。
そして、シューラドさんの娘二人はしばらく地下に隠れなければならないからエルアゼさんのベッドを使って良いと言われた。
隠れる理由は簡単だった。村を守るべき巡回兵が質の悪い集団だかららしい。
シューラドさんは頻りにダニという言葉を使っていたけれど、ヒト種の間ではそういう言い方をするのだろう。
巡回兵は王国の正規兵と違い準正規兵となり待遇が良くない。それでも王国が管理しているので武器や移動費などは税金で賄われている。
魔物が現れると被害があってもなくても各村々に派遣されるらしい。
ところが、滞在中は村が食住を負担しなければならず、泊まる場所は村の教会を使うけれど、食事が大変なのだ。
この村は数年前に魔物に襲われたが、他は猛獣討伐に来たり、見回りで寄ったりと年に数回貴重な食料を食いあさって帰って行く。
戦争へ行って死ぬのは良い平民らしい。
結果、質の悪い平民だけが残る。
戦争が終わって職にあぶれた平民がやるのが巡回兵という仕事らしい。
その中でも良い者は王都近くの巡回兵になれるけれど、辺境の村へやって来るのは最後に残った絞りかすのような者らしい。
若い娘が相手をすると、酒をつげだの、抱きつかれるだの、ととんでもない事をされる。
今ではどの村でも若い娘を隠してしまっているから、よけいに荒れるのだ。
そんな暗い話はここまでと、シューラド夫妻は暗い空気を吹き飛ばすかのようにもの凄いテンションでいろいろな話をしてくれる。
「いやーっ、それにしてもアズタン様の魔法はホンット凄かったぜ」
「あたしもチラッと見たけど、畑が光るは、稲光は走るは、一体なにが起きたかと思ったわよ! アズタン様はまるで神様だね~」
「いえ、様は付けないでください」と何度言っても聞き入れてくれなかった。
どうやらダリュエンナから教わったヒト種語はずいぶん昔の物だったらしい。しかも男言葉だと知った時は顔から火が出るくらい恥ずかしかった。
その後に使われ出した単語も多く、しばらくは相づちを打ちながらどういう意味だろうと考えたりもしていた。
それでも今のヒト種語に関してはかなり把握できたので、そこそこ自由に話せるようになってきている。
気になっていた魔導具という意味も理解した。たぶん。
なにしろシューラドさんどころか、この村の人たちも魔導具を見たことがないから詳しくないのだ。
私は魔法が使えるから魔導具など必要ないらしいけれど、魔法を使えない人は魔導具を使って魔法を利用しているらしい。
特別な処理を施した道具に魔法を込めて使うから魔導具と呼ばれているらしく、マジックキャスターを雇うのと同じくらい高価な品。ただ欠点もある。マジックキャスターを雇えば状況の応じて細かく魔法を調整してくれるけれど、魔導具は込めてある魔法を放出するだけだから大雑把らしいのだ。
私には必要ならしいけれど、ちょっと興味がある。
街へ行ったら探してみよう。
ところで、シューラド夫妻の話の中で森には絶対に入るなと言われて驚いた。どのくらいの広さがあるのかは知らないが、大昔から禁忌の場所として存在しているという。
もっとも私も「大きな森ですよね」と何気なく尋ねたのだ。
元々ヒト種を拒む森ではあるが、ヒト種が呪われし森と呼ぶ禁忌の場所だとは知らなかったからだ。
二十年ほど前にも北にある二つの国を呑み込んだ。その原因を調べに行ったマジックキャスターですら誰一人として帰ってこなかったらしい。
当たり前だ。
マジックキャスターがどれほどの魔法を使いこなせるかは知らないけれど、最上位ドラゴン種だけが扱える原始魔法を打ち消せるとは思えない。原始魔法は魔法の絶対上位なのだから。
二つの国が森に呑み込まれたというのは私が生まれた年の話という事。それ以前にも度々そういう話はあったようだ。
つまり代々森を守ってきたドラゴンの想いはヒト種に伝わっておらず、森だけが畏怖の対象として存在していた。
ちなみに、ダリュエンナは私がどうやって森に来たのかを話してくれている。
それでも私の生みの親がどういう人なのか。そして何故騎馬兵に追われていたのかは謎のままだ。
その母親に対しては産んでくれた事には感謝しているけれど、それだけだ。その事を知っても母親はダリュエンナだけだと思っているし、森の皆が私を育ててくれたのだから。
「シューラド、お願いだ、助けておくれっ!」
その時だった。
激しく扉を叩く女性の声。
シューラドさんが慌てて扉を開くと、入ってきたのは真っ青な顔をしたバルベさんの奥さんだった。
「ど-した?」
「それが、娘が見つかっちまって……」
「どーしてだ? 奴等は家捜しはしないはずだろ?」
「ところが奴等、酔っぱらってて……。たまたまトイレに……。そ、それでウチのが見逃してくれって駆け寄ったんだけど……」
「すぐに助けに行かねぇと!」
外へ出ると大騒ぎになっていた。
シューラド夫妻がハイテンションで話すので気がつかなかった。
「いや、アズタン様は家で……」
思わず一緒に外へと出ようとした私をシューラドさんが止めた。
「私も行きます。村人の一大事なのでしょう?」
「いや、乱暴者だから……。アズタン様は隠れてるんだぞ」
夕方チラッと見かけた剣や槍を持った巡回兵は十五名。
乱暴するほど酔っぱらうなんて最低のお酒の飲み方だとドワーフ種の長老達はいつも若い者に言っていた。
「や、やめてーっ! いやぁ、触らないでぇ!」
「なかなかの体じゃねぇか、こんな田舎に置いとくのはもったいないだろ。なに、乱暴はしねぇよ。俺等は王国巡回兵なんだからよ。あくまで合意の上だ」
「お願いだーっ! 娘だけはっ、娘だけは勘弁してくれーっ!」
「わざわざ遠くから魔物を退治しに来てやってんだ。それが俺等に対する態度かよ?」
バルベさんの娘が羽交い締めにされて胸を揉まれ悲鳴を上げて嫌がっている。そして泣きながら懇願するバルベさんが殴られ、蹴られ、とんでもない事になっていた。
何人もの村人が他の巡回兵を抑えているけれど、巡回兵一人を抑えるのに四人がかりでは全員を抑えきれないのだ。
「それが村を守るダニのする事でござるか!」
私もまだまだ甘かった。
あまりの非道さに、つい言葉が出てしまった。
しかも少し興奮した為か口調が元に戻っていた。恥ずかしい。
周りの村人から「アズタン様」「アズタン様」と驚きと戸惑いの声が上がっている。
見るとふるふると顔を横に振り、必死になにかを訴えている。
「ダ、ダニだぁ?」
あれ? 後ろで見ていた一番大きなダニにもの凄い顔で睨まれた。
ダニというのは巡回兵の事ではなかったのかな?
「ガキだからといって容赦はしねぇぜ。分かってんのか?」
ガキとはシューラドさんも言っていたように相手に対して言う言葉だ。意味的にはお前とか貴方とか。私もちゃんと覚えた。
「ガキ、そんなに睨まなくとも理解しておるでござる」
やっぱり、すぐには直らないようだ。落ち着こうね、恥ずかしいから。
あれ? 一番大きな巡回兵の顔が真っ赤になって、隣にいたシューラドさんが頭を抱えている。
なにか間違ったのだろうか?
「えーと、確認してみますからちょっと待っていてください。おかしな事を言ったみたいなので」
「ざけんなっ!!」
なぜか、この場の荒々しかった空気が完全に怒気に変わっていた。
そしてこの場にいる誰もが、私ともの凄い顔で睨みつけている巡回兵を見つめている。
「ちょ、ちょおっっと待ってください。巡回隊長様っ!!」
その時、巡回兵の前へと出ていったのはシューラドさんだった。
あのヒト種は隊長だったのか。
「今度は誰だぁ!」
「この娘はアズタンと言って異国の旅人でございます。まだこの国の言葉に慣れてないみたいで、とんでもない事を言っちまった事は謝りますが、ここは何卒寛大な……」
「って事ぁ、誰かが俺等を、隊長であるこの俺を、ダニ呼ばわりしてたって事だろがぁ!」
う~む、ダニやガキはどうやら人称下位用語。特にダニは巡回兵をとても虐げる言葉だったらしい。
これは隊を任された者なら怒るよね。
シューラドさんは墓穴を掘ったと真っ青になっているし。
ダリュエンナの娘としてしっかり謝り、そして、言うべき事はキッチリと言わないと。
「言い方を良く知らなかったとはいえダニやガキと言った事は謝るでござる。
しかーし、巡回兵がうら若い娘に不貞を働くなど、スーリラの王が許しても、このアズターナが許さぬ!」
「……ス、スーリラ? ずいぶん前に滅んだ国じゃねぇか。んで、アジェジャーニャンが許さねぇって、大丈夫か、このガキ?」
村人は目を点にして私を見つめ、巡回兵は「ずいぶんと時代がかった言い方だぜ。旅役者かなにかか?」と大笑いしたり、「喧嘩より面白いじゃねぇか。もっとやれぇ!」とか「隊長負けんな。ガキに言い返せっ!」などと野次ったりし始めた。
そのお陰でバルベさんの娘の事などすっかり忘れてしまっている。泣きながら家に飛び込んでいったから、ひとまず安心だ。
それでも、また大きな間違いをしてしまったらしい。
ヒト種の国は興亡が激しいとは教わったけれどスーリラ国がもう滅んでしまっていたとは知らなかった。
「なんか難しすぎる発音なのでアズタンと呼ばせて頂いてますが、ちょっと変わっているのは異国のマジックキャスター様なので許してやってください」
「ばっ、馬鹿言えっ! こんなガキがマジックキャスターな訳ねぇだろ!」
シューラドさんもなんとかこの場を収めようとしてくれているが、困った事になってしまった。
というのも、シューラド夫妻と話をしながら、魔法を使ったのは拙かったのではないかと考え出していたのだから。
奥さんが私を「まるで神様みたい」と言っていたくらいだ。
マジックキャスターがいるから魔法を使う事は構わないだろう。でも、私にとっては簡単な事でしかないが、実は途方もなく難しい事をあっさりとやってしまったみたいなのだ。
まだヒト種の言葉に不自由している私がここで過度に魔法が使えると言わない方が良いと考え始めていたのだ。
「そうですよ。確かに私は魔法を使えます。けれども、マジックキャスターには遠く及びませんから。……あれ?」
巡回隊長の目が点になっていた。
巡回兵は「マジでかよ」とか「あり得ねぇだろ」と囁きあっている。
私はそおーっと手を挙げた。
「あのぉ、マジックキャスターって魔法を詠唱する者という意味で、偉大なる魔法使いとかの事ですよね?」
「マジか……。マジックキャスターは魔法が使える者の全ての総称だ。攻撃魔法師、魔法治療師、妖術師などなんでもだ。つまり魔法が使えりゃ誰でもマジックキャスターって訳だ。
ってか、魔法を誰に教わった?」
「誰って、ダリュエンナやガ……私の住んでいたところでは魔法は誰でも使えましたから」
何かよく分からない単語が沢山出てきた所為で思わず族長達の名前までつらつらと並べてしまうところだった。
流石に森の住民の名前を出したら拙いと思うし、森の事を尋ねられれも困ってしまうもの。
「ダリュニェンニャン? 知らねぇ名だな。が、誰でも使えるってならマルグット法国からの密出国者か?」
「マルグット法国? どこにあるんですか?」
「違うのか? ここから西に山を二つほど越えたところにある小国だ。魔法が盛んだと聞いてんだが」
「へー、面白そうな国ですね」
「マジックキャスターには面白いかも知れんが、そうでない者にとっては地獄らしい」
「どうしてですか?」
「マルグット法国の国民と認められるのは魔法が使える者のみ。それ以外は奴隷か魔法の実験に使われて殺される。魔法の理を探す為だとか言ってな」
「酷い」
「だろ。それが嫌でマルグット国を秘かに出るんだ。あんたもその類なのかと思ってな」
「いえ、私は東からです」
「って事は森の向こうという事か。ずいぶん遠いところから旅をしてるんだな。目的はなんだ?」
「母の願いを叶える為に」
「仇討ちかなにかか。ご苦労なこって……」
「そうではなくて……。そうですね、今はまだ見聞を広める為に、でしょうか」
「やっぱ、マジックキャスターって奴は変わり者ばっかだな」
「えー、私って変わっているんですか?」
「じゅーぶん過ぎるほど変わってんだろ」
「うわ~、ショックだ」
「自覚のねぇのも、またマジックキャスター、か……。とはいえまだ小娘。大した魔法は使えんのだろうが……」
その時私の背後からなにかの気配が近づいてきた。