エグ村
「畜生っ、これもかよ……。んん?」
小麦の生育状況にガックリと肩を落としながら草取りをしていたシューラドという壮年の男が聞き慣れない声を聞いて頭を上げた。
見ると亜麻色の髪をした一人の少女が嬉しそうに手を振って駆けてくる。年齢的には今年十二歳になる一番下の息子と同じくらいの子供だった。
「巡回兵じゃねぇ。どこの子だ?」
エグ村の者ではない。
見知らぬ民族衣装を着ている少女だ。しかも手ぶら。
こんな辺鄙な村まで少女が一人で来るなどあり得ない。
来るとすれば剣か槍を持った大人と一緒なのだろうが、それらしい姿は見えなかった。
なにしろ近くの村に魔物が現れたとかで非常警戒が出ている。この村にも今日か明日には巡回兵が来ると連絡があったのだ。
気づいたのは自分だけではなかった。
他の畑でも男達が作業の手を止めて見慣れない少女を見ていた。
「おーい、バルベーっ! なんか変なガキがやって来るぞーっ!」
「巡回兵の関係者じゃねぇよなーっ!」
「違うと思うぜーっ!」
「追い返せーっ!」
距離があるだけに大声で叫びあっていたが、あの少女にも聞こえただろうか?
聞こえていれば話は早い。巡回兵がこれからやって来るのだ。魔物が来ても来なくても数日間は村の貴重な食料を食い漁られるのだから。
女や子供が畑にいないのもその準備で忙しいからだった。
「ちぇっ、やっぱこーゆー面倒事は俺かよ」
こんな小さな村でも上下関係はある。
俺は去年の不作で妻や子供達だけでなく村の皆にも迷惑を掛けたのだから仕方がなかった。
そして今年も畑にはその徴候が出て葉が黒ずんできている。しかも去年よりかなり酷い。不作が二年続けば完全に詰んでしまう。
長女の為にこつこつと貯めてきた結婚持参金すら食いつぶし、長女だけでなく次女までが身売りを実感して嘆いているくらいだ。
畑作業を止めて嬉しそうな顔で駆け寄ってくる少女へと歩き出した。
「サヴェラウッ(こんにちは)!」
「なっ、なんだよ! どこの言葉だよ?」
屈託のない笑顔で挨拶らしき言葉を発した少女に俺は頭を抱えた。
どうやら先ほどの会話は通じていないようだ。
こうなれば態度で分からせるしかないと、少女の肩に手をやり、クルリと回れ右をさせてトンッと背中を押す。
これで空気を読んでくれれば手間は掛からなかったのだが、少女はトトトッとたたらを踏むと困惑した顔で振り返った。
仕方なくあっちへ行けとシッシッと手を振ってみる。
今度は意味が通じたのか、俺を見つめちょっとばかり悲しそうな顔になった。
「いや、だから。お前みたいなガキに用はないっての」
「うっかり普段の言葉で挨拶をしてしまい失礼した。少し言葉が通じぬがガキとは如何なる意味でござろう?」
「なんだよ。ちゃんと話せんじゃねぇか」
言葉使いが変だが、通じるなら問題はない。
こんなガキに関わっている暇などないのだ。
「ところが、ヒト種語は喋る機会がなかったので少々通じづらいところがあるやも知れぬ」
「ヒト種語ってなんだ? ってか、ガキ、どこから来た?」
「ガキとは、拙者の事で良いのでござろうか? 向こうからでござるが」
そう言って少女は後ろを振り返り遥か彼方を指さした。
どうやら南の隣国から来たらしいが、となると余計にこんな少女が一人旅などできる訳がない。
「ガキ、連れは?」
「拙者、一人でござる」
「それはねぇだろ。危険だってあるし」
俺達のような村人が旅をする事はまずない。
旅には危険が伴う。なにより金がかかる。そんな暇があるなら畑を耕した方が金になる。地代の払いや税金も馬鹿にならないのだ。
それよりこんなところで話し込んでいたら、村の連中にどう思われるか分かったもんじゃない。
「で、ガキ。村に泊まりたいってんなら金くらい持ってんだろうな?」
「持ってはおらぬ。それより、拙者にできる事はござらんか?」
「はあ!? 旅してんなら金くらい持ってるだろ」
「拙者は持ってはおらぬ」
「話になんねぇな。それでなくても忙しいってのに……」
「忙しいところ誠に申し訳ない」
深々と頭を下げた少女に俺は戸惑っていた。
金がないので問題外ではあるが、おかしな言葉使いではあってもとても丁寧で田舎者には見えない。
なによりこのくらいの歳の娘らしい無邪気さはあっても底の見えない落ち着きがある。大人しい娘ならいくらでもいるだろうが、それとは完全に違う。
二人の娘を育てたのだ。それくらいは俺にも分かる。
ただ者ではない。もしかしたら本当に一人で旅をしてきたのかも知れないと考え直していた。
「いや、ガキの……あんたの所為じゃない。これから巡回兵がやって来て散々飲み食いしやがるんだよ」
「巡回兵? 回っている兵士という事でござろうか?」
少女は人差し指をクルクルと回す仕草をして頭を傾げている。
「ったく。この辺りを守ってくれる奴等の事さ」
「村を守る、という事で良いのでござるか?」
「ああ。余所の村で魔物が出たらしいんでな」
「はあ……」
「まさか魔物まで知らねぇって言うんじゃねぇだろうな?」
「腐気に侵された生き物、でござろう」
「なんだそりゃ? 俺達ゃ、原因なんて知らねぇけど……。それ本当なのか?」
「当然であろう。戻すのは容易い。やった事はござらぬか?」
「戻すって?」
「腐気を抜けば良いだけでござる」
「ずいぶんと簡単に言うな。退治するだけでどれだけの犠牲が出るか聞いたことくらいあんだろ?」
「よほどでない限り魔物になった方も不幸なのでござるからわざわざ殺生をする必要はござらん。ちなみに、あの畑は腐気を吐き出しつつあるでござる。容易いから試しにご覧いたそうか?」
少女の指さした方を見てギョッとなった。
俺の畑を指さしていたのだ。
フキがどんな物かは知らないが魔物の怖さは身に染みるほど分かっている。数年前に魔物が現れた時は隣村は全滅し、この村でも犠牲者が出た。
「で、で、あそこは俺の畑なんだが……放っておくと魔物になるのか?」
自分の畑が魔物にでもなってしまったらもう村にはいられない。不作や身売りどころの話ではなかった。
「大地が魔物になるわけないでござる。けれども、魔物を産む温床になりもうすな」
「って事は俺の畑から魔物が生まれ……んな事になったら……。去年から急に不作になって困ってんだが、原因はそのフキという奴なのか?」
「他は分からぬが、あの畑は腐気が原因でござる。あの感じだと時間が経てばあそこでこちらを見ているヒト種くらいまで広がるであろう」
少女は俺達の様子を見つめているバルベを指さした。
「バルベの畑もかよ……。なんとかならねぇのか? 誰に頼めば……お、お前さんならそのフキとやらを抜けるのか?」
「大地の場合は抜くと言うより、浄化するだけでござる。もちろんその後に地脈の調整をしなければならぬが。
そうすれば早々に小麦は元気を取り戻すでござるよ」
意味の分からない言葉があるが、それでもこの少女があまりにも簡単に言うので、もしかしたら方法はあるのかと、少しばかり気が楽になる。
そしてこの底の知れない落ち着きの所為で俺はいつの間にか少女を子供として見なくなっていた。
「なんか難しそうだな。浄化ってのは水で洗い流せば良いのか?」
「否、普通にやれば良いでござるよ」
「普通に?」
「是」
いまいち通じていないが、この奇妙な少女は普通に浄化してなにかを調整すれば魔物を産まなくなり不作でもなくなると言っている。
豊作は望めないとしても、今までくらいの収穫があれば少しずつでも借りは返せる。
「で、その普通に浄化ってのをするには、今植えてある小麦は諦めるしかないのか?」
「否、全く問題ないでござる」
その時、俺達の様子を見かねたバルベが歩み寄ってきた。
「いつまで手間取ってんだ?」
「バルベっ、聞いていくれっ! 不作の原因が分かった」
「俺の畑でも黒いのを二つ見つけたぞ。病気とは違うし、一体なんなんだろうな?」
「フキとかいう魔物の素らしい」
「なんだそりゃ。そんな事より巡回兵が来るんだ、さっさとそのガキを追い出せよ」
「いや、それがな、この娘が不作の原因をなくすやり方を知っているって言うんだよ」
「はあ!? 騙されてるだろ、それ」
「あっ!」
今年も不作なら娘の身売りは免れない。最悪なら一家で首をくくらなければならなくなるのだ。そしてそれは確定しつつあるのだから冷静ではなかったと気づいた。
しかし、落ち着いて考え直してみても、さらっと意味不明の言葉を語る少女にしてみれば至極当前の事に思えて仕方がない。どこの国のやり方は知らないが試してみる価値はあるだろう。
それに「試しに」といとも簡単に言ってのけたのだ。上手くすれば格安でやってくれるのかも知れない。
すでに貯えは底を着いている。また村の皆に頭を下げる事になるかも知れない。だからこそ、「まずは話を聞くだけだ」と何度も自分に言い聞かせる。
「バルベ、悪いがこの娘の事は少し待ってくれ。お前も知っているように今年も不作なら俺の家は終わりだからな」
「まあ、お前んとこの事情は分かるが……。どーせ巡回兵に食い物を取られちまうんだ。今さらガキの一人が増えてもって奴だ。俺達に迷惑が掛からないと約束するならダメ元でやってみろ」
「恩に着るっ」
俺は、はやる気持ちを落ち着かせようと深呼吸をして振り返った。
「まず、初めに言っておかなきゃならねぇ事がある。お前さんにその浄化とやらができるなら礼をしたいとは考えている。が、俺の畑は去年も不作ですでに貯えがない」
「はあ……」
気のない返事だ。
やはり金がないとやってもらえないのだろうかと不安が募る。
だが、ない袖は振れない。できる事だけでも教わり、自分の手で浄化だけでもできれば魔物は生まれず、少しはまともな収穫ができるようなるかも知れないのだ。
「だから、少しでも安く上げる為にもできるところは自分でやりたい。どーすれば良いのか教えてくれないか?」
「誠に申し訳ござらん。今までの会話からすると無理でござる」
「やり方だけでもっ! 流石に魔導具を用意しろとか言われるとお手上げだが」
「魔導具がなにかは知らぬが、それは必要ないでござる」
「バカ高い魔導具がいらないなら俺にもできるはずだ。絶対に何とかやってみせる!」
「魔法は使えるでござるか? それとも誰か使えるヒト種がいるでござるか?」
「え!? 魔法? あんたマジックキャスターなのか!?」
「マジックキャスター? 魔法を詠唱する者という意味なら合っているでござる。ですが……」
「あ、あんた、魔道具なしで魔法が使えるのかよ。その歳で……。ってか、終わった……」
「?」
「マジックキャスターに払うだけの金など、この村の金を全部かき集めても足りないって事だ」
「真か?」
「ばっ、馬鹿にしてんのか?」
「そんなことはござらん。村にどれだけのお金があるのは知らぬ。けれども、おそらく大金なのでござろう。こんな簡単な事にそんな物を要求するとは、ヒト種は実に変わっておる、と驚いておる」
「ヒト種って、言い方は変だがつまりは人の事だよな。なんか小馬鹿にされてる気がするが」
「そんなつもりはござらん。それでは拙者が畑の浄化と地脈の調整をいたそう。その代わりに一夜の宿を頼むでござる。これで如何かな?」
「はあ!? そんなんで……。ってか、さっきも言ったように俺んとこは貯えがないから満足できる程の晩飯を出せない」
「えー、晩飯が出ないのは困るでござる」
「いや。お前さんがなんとかしてくれんなら、俺もなんとかしよう」
藁にも縋りたい気分なのだ。
晩飯だけでなく朝飯もだろうが、それくらいで済むなら……って、本当に泊めるだけでやってもらえるのか!?
バルベには迷惑を掛けるなと言われたが、いつもより少し多く食材をもらえば良いだけだ。どーせ巡回兵に食われるんだ。少しばかりこちらへ回してもらっても罰は当たらないだろう。
それにしても、こんな虫の良い話は聞いたこともない。
マジックキャスターに頼んだら金貨数枚は取られると聞いた事がある。
待て待て。マジックキャスターだと? 田舎者だから詳しくないが、あれは生まれながらに才能があるか、修行を重ねた者しかなれないはずじゃ……
という事は、この娘は生まれながらの奇蹟の才の持ち主という事か?
混乱するシューラドはそこでハッと気がついた。
話を聞くだけが、すっかり少女の話に乗っている。
畑仕事は一年がかりの仕事だ。
種籾を撒く前の下準備。土を肥やさなければ良い作物は実らない。
元気に芽が出てもその年の天候で結果が大きく変わる。
土作りから刈り入れまで油断はできないのだから。
「い、いや、ちょっと待ってくれ。お前さんのやる事が上手くいったってどうやって証明する?」
「見ていればすぐに分かるでござる」
ニッコリと微笑んだ少女は、スタスタと俺の畑へと歩き出していた。