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アズターナ物語  作者: らんぷ
プロローグ
1/10

呪われし森

「はぁ……はぁ……、赤ちゃんだけは……」


 静まりかえる深い森の中を一人の母親が怯えた顔で振り返える。

 女の名はシェナスティ・ランド・バラ・ガーディダウム。

 いやこれから死ぬ運命なのだ。名を知っても意味などないだろう。

 さらに、胸に抱いた赤子はまだ生まれがばかりで名前すら付いていない。

 女はこの森に隣接したガーディダウム王国の正妻。つまり王妃である。そして胸に抱いている赤子は生まれたばかりの王国の未来だ。

 すでに供の者は全ていなくなっていた。王妃と王国の未来の為にその身を捧げたのだ。

 十人いた供はこの森へと入る時にはたったの二人しか残っていなかった。

 その一人は、自ら身で追っ手を足止めしようと騎馬兵の前に立ちはだかった。しかし、一瞬で槍ふすまにされ、そのまま後続の馬の中に消えていった。

 最後の一人は、王妃を逃がそうと別の方へと走り追っ手の目を逸らそうとした。

 それにしても追っ手は一体何人いるのだろう?

 まるで獣を追う猟犬のように本隊は王妃と世継ぎだけを真っ直ぐ追ってきていた。

 逃げ込んだ森は帰ってきた者はいないと言われる呪われた森。

 隣国に攻め入られ王妃が逃げ込めた唯一の場所。


「つっ……」


 必死に逃げる王妃の左足首に一瞬の痛みが走った。

 ゼイゼイと肩で息をしながらスカートをまくって青ざめた。

 体長二十センチはあろうかという大きな蜘蛛が飛び出してきたのだ。


「ど、毒蜘蛛かしら?」


 枝を踏んだとかならまだ良かった。

 刺したのは猛毒と恐れられるマダラ大蜘蛛という地蜘蛛だ。

 ところが、王妃はこの蜘蛛を知らなかった。

 痛みは一瞬だった事に安堵し、改めてスカートの裾をまくると張り裂けそうになっている靴と痛みどころかさすった手の感触もなくすでに膝までどす黒くなって動かなくなっている脚があった。

 立ち上がろうとしても力すら入らない。

 左脚だけでなく右脚も動かなくなっていた。


「あの様な蛮族の手に……」


 追っ手に捕まれば即刻首を刎ねられるだろう。

 王妃の願いは我が子と共に何とかして国を再興したいという気持ちより、我が子だけは救いたいという母親としての物に変わっていた。


 心臓が早鐘の如く激しくなっている事にも気づかない。そして目もぼんやりとし始めていた。

 自分の命は残り僅かという事だけは本能が理解していた。

 その時、目の前にぼんやりと映る山のような大きな影が動いた。

 ところがすぐに人の様に見えた。すでに意識すら朦朧としてきた王妃の目では何者かすら判別すらできなかった。

 少なくとも追ってきた騎馬兵ではない事だけは分かる。なにしろ森の奥からやって来たのだ。


「どうか、この子をお願いいたします……」


 人化したドラゴンは小首を傾げながらも王妃が最期の力を振り絞って差し出した赤ん坊を受け取っていた。


「母の愛じゃな」


 ドラゴンは「騒々しいと来てみれば」と不満だらけの表情をしているが、王妃の目にはそれすら映らない。

 それでも、微かに聞こえた女性らしい声に安堵し、やがて安心したように息を引き取った。


「とはいえ、この地にヒト種はいらんのじゃが、な……」


 そう呟いて、視線を上げる。

 それと同時に森を切り開くように騎馬兵の一団が現れ、たった今息を引き取った母親と赤子を抱く人化したドラゴンを取り囲んだ。

 そして少し遅れて数騎が走り込んでくる。


「団長、従者は全て始末しました」


 これで残るのは王妃と第一王位継承者だけ。

 団長と呼ばれた男の馬がゆっくりと王妃の下へと近寄っていく。


「ふっ。マダラ大蜘蛛か……。王妃も運がない。ペッ」


 骸となった王妃に唾を吐き捨てる。


「ってか、せっかく追いついたのにこれじゃ意味ねぇじゃねぇか!」


 できれば生きて捕虜にしたかった。

 しかし用があるのは王妃だけだ。生まれたばかりの赤子は端から死ぬ運命と決まっている。万が一生き延びて再興など目論まれたら面倒が増えるだけだからだ。

 ところが良く見ると王妃が抱いているはずの赤子がいない。そして見慣れぬ格好の女が分不相応な上質の布にくるまれた赤子抱いている。

 これが第一王位継承者であるのは明らかだった。


「いや、来た意味はまだあるか」


 赤ん坊を抱く女を睨みつける。

 抱きかかえている女は二十歳過ぎくらいだろう。これだけの騎馬兵に驚いたのか、初めて見た騎馬兵団に恐れおののいているのか、それとも逃げられないと悟ったのか、つっ立ったままこちらを見ている。

 王宮にでもいそうな美しい顔立ちだが、どこの民族衣装だと言うような格好なのだ。おそらくこの場に居合わせた運の悪い森の住民なのだろう。呪われし森だとは聞いているが、深い森に迷う者が多いからそう呼ばれているに違いないと判断した。

 これだけの騎馬兵が女を取り囲んでいるのだ。逆らっても良い事などないと十分すぎるほど理解したはずだ。


「女、その赤ん坊を寄こせ」


 一斉に槍先が赤ん坊を抱く女に向いた。

 しかし女は怯える素振りもなく微笑む。


「妾は託されてしまったので、な」

「頭の方は弱いと見える。素直であれば命くらいはあった物を……」


 例え歴戦の騎士であったとしても逃げ場などどこにもない。赤ん坊を抱えた女など一瞬で槍ふすまだ。

 そろそろ戻らなければ森で一夜を明かす事になるだろう。早々にケリをつけようと殺せとばかりに団長は片手を上げた。


「なっ!!」


 団長だけでなく槍を突き出した騎馬兵までもが我が目を疑った。

 周りから一斉に槍を突き出したのだ。串刺しになるはずなのに赤子を抱いた女は一瞬で頭上を跳び越え、ふんわりと降り立つと騎馬兵を無視してゆっくりと森の奥へと歩き始めたのだ。


「こ、殺せーっ!」


 あまりの事に一瞬我を忘れて見ていた団長が、すぐに気を取り直して叫んだ。

 それに呼応するが如く騎馬兵が一斉に馬を操り女の下へと駆け寄ろうとするが、馬が何かに怯え一歩も動かない。

 仮にもラスター王国第三騎馬兵団の勇猛な軍馬なのだ。それがたった一人の女に怯えた……。

 違う。

 ゆっくりと振り返る女の目に異様な光が宿っていた。女などではない。少なくとも人ではなかった。


「この森には入るなと教わらなかったのか、のう?」


 女は抱いている赤子に問いかけるように優しく微笑む。

 次の瞬間、森がざわめきだした。






「んー、ちょっと加減を間違えたかのぉ。それにしても、どうしたものか……」


 静まりかえった森の中で赤子を抱く人化したドラゴンは呑気な声を上げた。

 この森は数千年もの間ヒト種を拒んできた。

 ヒト種は短命種の中でも繁殖力が凄まじく、森の周囲で国が興ったり滅びたりしている。そしてそれだけでは収まらなかった。ヒト種同士で殺り合うなら放置も考えるが多種族にまで手を出す始末。

 だから初代ドラゴンがヒト種から多種族を守る為にこの森を作ったのだ。ゆくゆくはヒト種とも仲良くしたいと願って。

 しかし、ヒト種はそんな事もお構いなしに、森を焼き、多種族を殺して回った。

 先代は仕方なく最上位ドラゴンだけが使える原始魔法を施したのだ。わざわざ結界のような面倒くさい物を張る必要などない

 森の周囲に村や町はあるが、森の恵みを求めて入っても五十メートルほどしか許さない。だが、それ以上入るなら生きては帰さない。

 それが森の主からの警告として役割を果たすと考えたのだ。

 さらに森の主であるドラゴンの怒りを買えば村どころか町や国でさえ容赦はしなかった。

 先代は気質が特に激しかったので最近は森に踏み込むヒト種は滅多にいなくなった。今の代を務める自分が原始魔法を振るったのは二百数十年ぶりなのだから。ただ、久しぶりだったので少しばかり加減を間違えてしまった。

 それでも、ヒト種には良い薬になっただろうくらいにしか思っていない。


「まあ、ヒト種といえど赤子に罪はないからのぉ……」


 生まれたばかりの赤子だった。

 母親に抱きかかえられたままずっと逃げて来たのだろう。疲れ果てたのか泣く事も忘れグッタリとしていた。






 王妃を追って森に入っていったラスター第三騎馬兵団の残り三十騎は、いつまで経っても帰ってこない本隊を待ち続けていた。

 三十騎は今回の戦で怪我をしたり、調子が悪くなった者だ。例え怪我はしていても村人が暴動を起こしても対処できる力くらいはある。

 事態は急を要しているので、騎士団長としても怪我人を連れていくより休ませた方が得策と考えたのだ。

 団長としてもすぐに戻ってくるつもりだったから、残した騎馬兵にはまとめ役がいなかった。


「もうすぐ日が落ちるぞ。団長、遅くないか?」

「王妃が見つからないのかな?」


 呪われし森と聞いていても団長は追撃の手を緩めなかった。

 ガーディダウム王国を滅ぼし、すぐに逃げた王妃の捕縛に動いたのだ。

 王妃はガーディダウムと友好の深いラステア国から嫁いできた。王妃を捕らえる事はラステア国に対し人質を取った事になる。生きていれば次のラステア攻略も少しは楽になるという目算があるからだ。

 万が一王妃と王位継承者がラステアに逃げ延びれば、ガーディダウム王国再興の話も出てくるだろう。

 できれば王妃は生かして、しかし、王位継承者の息の根は確実に止めなければならない。


 そう言った理由もあってラスター軍は村人の必死の制止を力を見せつける事で強引に森に踏み込んでいった。


 一方、村人は森神様だけは刺激しないで欲しいというのが本音だった。

 森に入ろうする騎馬兵を必死に止めようとした村長を含めた五名の命が奪われ、あっという間に突破されてしまった。


 もし、森神様がお怒りになれば村は全滅するという伝承がある。古い伝承には森神様を怒らせた村や町が森に呑み込まれるとあるくらいだ。

 そうやって森は広がっているらしく、遠くに見える山々も目の前にある森の一部。どれだけの広さを有しているのかすら分からないほど広大な森なのだ。


 まさか一夜にして村が森になるとは考えていないが、森の周囲には人を呑み込んだような形をした古い大木がいくつもある。それに今でも森の奥へと入った者は誰一人として帰ってこない。

 恵みが豊かそうな森ではあるが、おこぼれを頂く程度でなければ生きて帰られない、と村人は心の奥底まで刻み込まれていた。


 森に騎馬兵が入った時点で残った三十騎に鍬を振り回しても、森神様がお怒りになれば自分たちの命など呆気なく召されるに違いない。降って湧いた厄災とばかりに、通り過ぎるのを待つしかない。

 村人にとっては残った敵国の三十騎の騎馬兵より森神様の怒りの方がよほど怖かった。




 宵の明星が瞬き始めた空を見て騎馬兵が考え込んだ。


「どうする。誰か様子を見に行くか?」

「千騎だぞ。そのうち戻ってくるって。それより……」


 そう答えた騎馬兵が村人に「篝火を焚け!」と命令していた。

 間もなく日が落ちる。

 そうなれば森の中は一層暗くなる。なにしろ人の手が入った森ではない。

 せめてもの目印に篝火を焚いておこうと考えたのだ。


「ん?」


 村人が精魂込めて育てていた畑を軍馬で踏みにじる騎馬兵は、畑の真ん中で盛大に燃える篝火を見て小首を傾げた。

 大雑把ではあるが、篝火を焚く櫓は真っ直ぐ立てたはずだ。

 ところが今にも倒れんばかりに傾いていたのだ。

 よく見ると根本の地面が隆起している。

 近寄ろうと考えた騎馬兵だが、跨っている馬が動きを止めた。

 農耕馬ではないのだ。それなりに気性も荒いが命令を確実にこなすよう訓練されている。

 ところが横腹を蹴り上げても一歩も動こうとしない。


「はぁっ! さっさと歩け!」


 何が起きたのか馬は完全に耳を伏せ、辺りを警戒していた。

 と、その時だった。

 突然地面が盛り上がり、木の根らしき物が畑の土をひっくり返していった。


「なんだ!?」


 訝しがる騎馬兵。

 村人はそれを見て、慌てて跪き真っ青な顔で地面に頭を擦りつけ「お許し下さい」と何度も呟いている。

 そして、まるで蛇が鎌首を持ち上げるように太い木の根が襲いかかってきた。

 木の根に触れただけで振り回す剣や槍が、そして甲冑までもが、見る見るうちに木へと変わっていく。

 異常な事態にパニックになりながら叫び声を上げて木へと変わっていく騎馬兵。馬を走らせようとしても命令を聞かず暴れ回るだけだ。慌てて馬を乗り捨てる騎馬兵も多い。

 周りを見ると槍を振り回したまま木へと変わってしまった仲間がいた。

 頭を擦りつけていた村人はその姿のまま木になっていた。

 もうどこにも逃げ場などなかった。

 そして自分の体が木へと変わっていく恐怖に(おのの)きながら、意識が途切れていく。


 翌日、呪われし森は滅んだばかりのガーディダウム王国だけでなく攻め滅ぼした隣国のラスター王国までもを全て呑み込んでいた。

 一夜にして森となったガーディダウム王国とラスター王国。

 ラスター王国がガーディダウム王国に攻め入ったのは周辺諸王国にも知れ渡っている。ラステア国王は嫁いだ娘を心配し、国境近くまで軍を進め待機していたのだ。

 そのラステア軍が、国境の砦からガーディダウム王国がみるみる森と化していくのを目の当たりにして驚いた。

 なにが起きたのかすら理解できない。

 ただ、ガーディダウム王国の国境砦が森へと変わっていくのだ。


 一夜にして森となった事に近隣所王国は戸惑いを隠せない。調査団を送っても誰一人として戻らない事から、呪われし森の伝承は本当だったのだと改めて思い知り、呪われし森の怒りに触れたのだと結論づけるしかなかった。


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