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one flesh  作者: 田森芝生
3/5

3「肱川古都葉という女」

 突然ポケットの中の携帯が振動したのは、桜田門駅を目の前にしたあたりだった。

 珍しい事があるものだな、と俺は心の中で笑った。電話をかけてくるような友人を作った覚えはない。

 俺はポケットからから携帯を取り出して、通話ボタンを押した。久しぶりにする行為だった。



「用件は」


『言い方が固い』


 

 電話から聞こえてきたのは、何度か聞き覚えのある、若い女の声だった。こんなことを言っては失礼だが、さっきの女性刑事と比べると、その活発さが際立って聞こえた。



「あぁ、肱川か」


『やっと私の名前覚えたのね』


「覚えろってうるさいからな」


 

 電話の主は、肱川古都葉という女性だ。訳あって、俺を雇ってくれている。



「なんの用だ」


『声が聞きたくなっただけ』


「依頼じゃないなら切るぞ」


『ひでぇ。あぁ、それ次の相談者のところに回しといて』


 

 突然、電話越しに話している肱川が意味の分からないことを口走る。日頃のストレスでアレになったか。雇い主がこの調子じゃ俺もクビかな。



(次の相談者……?)


 

 電話の向こうに意識を集中する。紙が鳴る音や、人の話し声がしている。もしかして、ある程度の人数の中で、事務などの仕事をこなしている最中だろうか。



「お前今どこにいるんだ」


『お、お、やっと私に会う気になった?』


「馬鹿、会わない約束でお前とは契約してるんだ。どこで仕事してんだって言ってんの」


『あー……。今は、弁護士事務所で事務方やってるわよ』


「先週電話かけてきたときはホテルの清掃員かなんかじゃなかったか。いつ仕事を辞めた」


『私は情報収集がお家芸なんだから、情報集めたらさっさと辞めるに決まってるでしょーが』



 肱川古都葉は謎の多い女だ。

 若干二十二にして、俺を養える程の資産を持っている。宝くじとかの次元じゃない。



「なんで電話してきた、顔を見たいと言われてもお前とは会わんぞ」


『なんだよブーブー』


「だまれ豚」


『豚ちゃうわ! ダイエットしてるんだぞ!』


「知らん」


 

 こら、舌打ちするな。

 俺は思わず、吹き出しそうになる。こいつと話しているときは、なぜかこちらの心の暗闇が、ほんの少しだけ洗われる気持ちになる。面白いやつだ、と思う程度ではあるけれど。



「雑談がしたい、とかなら切るぞ」


『いやいや、真面目な話。仕事の話だよ』


「大事な話は先に言え」


『先に言ったら電話切るじゃん』



 すると肱川は僅かに黙った。数秒何かを思案したようである。



『……やっぱり、私としては、あなたと一度きちんと会って仕事の話がしたいのよねぇ。そうしないと心配。全部電話なんて』


「何を今更。今までもちゃんとやってきただろうが」


『それは分かってる。私が集めた情報が、どう使われるのかも知りたいの』


 

 くだらないことで、頭を痛める奴である。それを悪用出来る手段や交友関係が無い。



「どう使われるって、別に悪用なんかしてないさ、殺しのためだけに使ってる。売ったりとかしてないよ。買ってくれるようなバイヤーに知り合いはいない」


『バイヤーどころか知り合いがいないんでしょ? コミュ障はつらいね人生』


「刺すぞ」


『……ってか、今が異常な体制なのは分かってる? 私らは一度も顔を合わせないまま人殺しやってんのよ』



 流したなコイツ。まぁ、いいけど。

 まぁ、珍しいことではあるんだろうけど、特に異常だとは思わなかった。今まできちんと、こなしてきた。



「何事にも、例外はあるさ」


『うぬぅ、なんとしても私と会いたくないか。私がしつこい出会厨みたいになってるのに、まだ会いたくないか』


「出会い厨なのかお前」


『ネタをマジで取らないこと。樹クンよ、これ大事だぞ』


「余計なお世話」


 

 俺は携帯を耳に当てながら、首を回す。こんな時でないと、この文明の利器も活躍の場を得られない。

 彼女はこんな風に、続けた。どうやら、俺と接触することは、諦めたようである。



『分かったよ。コンタクトは諦める。一個気になることがあるから、それだけ教えて』


「仕事の話しろよ、面倒」


『一個だって言ってるのに面倒くさいの? コミュ障……』


「それ以上言ったらお前の家を爆破するぞ」


 

 俺は腕時計を覗き込んだ。帰るために乗るはずだった電車は、すでに出発してしまった時間である。



「手早く」


『はいはい。まぁ、君にとったら面白くない話なんだろうけどさあ』


 

 電話越しで神妙な面持ちになって、



『なんでそんなに私を拒むの、ねぇ、教えて』


 

 真面目な話と思ったらこれかよ。

 妙に迫真の演技を持って言ってくるから、俺は苦笑した。この女は、人と仲良くなる方法でも研究していたのではないか。



「お前は俺に捨てられた妻か何かか」


『まー冗談だけどさー。本気で知りたいかも。君さ、ちょっと他人を拒みすぎじゃない? なんというか、頑なにコミュニケーションを避けてる感じに見えるわよ』


 

 痛いところを突いてくる。何故今日は、あらゆる人間が俺の過去に触れたがるのか。

 疲れが溜まるな。



「俺の、絶対に守るべき生きる指針なんだよ」


『コミュニケーションを誰とも取らないことが?』


「そう。お前には分からないだろ。人間が、思った以上に利己的だってこと」


 

 耳から携帯を離し、通話を切ろうとして、ふと思い返すことがあり、もう一度通話口に向けて口を開く。電話向こうの肱川の声は、今は聞こえてこない。


 

「お前の気持ちは、嬉しいよ。嬉しいんだ。でもな、俺は極力、一人でいたい」


『私はあなたの仲間になれる』


「俺の上司だった人間も、最初は同じようなことを言っていた。だが、蓋を開ければ人間ってのはどんな側面があるか分からない」


 

 俺は荒だった息を、一回吐き出して整える。それから、電話口に向けて、



「繰り返し言うが、お前の気持ちは嬉しい。けどな、俺は、人と接することに疲れちまったんだ」


 

 過去の経験は、俺に様々なことを刻みつけた。人間というものの信用のならなさや、自分の気に入らないものを容赦なく攻撃する排他性を。



「会えないよ。やっぱり、お互いが専門の仕事だけやってたほうが良い。干渉し合わないほうが、良い結果が出る」


 

 電話の向こうはしばらく黙りこくっていた。そして、息が吸われる気配。



『そっ、か。なんか、私はすごく悪いことをしちゃったみたい』


「いいや、気にすんな。お前が悪いわけじゃない」


 

 気まずくなりかけた空気を壊すように、からっとかわいた声がする。



『じゃあ、仕事の話するわね』


「助かる」


『まぁ、基本的にいつもと同じなのだけど』


「うむ」


 

 すると肱川は、ある弁護士事務所の名前を提示した。聞き覚えのない事務所であった。どうやら、そこで働く人間がターゲットらしい。



「知らないな」


『小さいところだからね。今ここに潜入して情報洗ってるんだけど、けっこうアレな証拠が出てきちゃって』


「それは言わなくていい。俺が殺すべき人間の名前と顔だけ教えてくれ」


『了解。じゃあ、メールしとくから、よろしく』



 すると電話が切れて、すぐさまメールの着信があった。見れば、 横山堅持という人名とその簡単な経歴、その顔写真、弁護士事務所の住所などが記されている。

 なんだよ、メールで済むなら電話する意味無いじゃないか。



「弁護士か、こいつ」


 

 俺は携帯をポケットに入れて、腕時計をもう一度覗き込む。かなり話し込んだようである。

 つくづく思うが、俺らしくない行動をしたものだ。

 殺しの依頼が入ったのだから、その準備の為にも急いで家に帰る必要があった。俺は足早に歩を進め、駅を目指した。

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