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one flesh  作者: 田森芝生
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1「切谷樹という男」

恋愛ものです(半ギレ)あとこの話ではまだですが、主人公最強要素がグングン出てきます。

 どこだかわからない。目の前が真っ暗である。

 ゆっくりと意識が覚醒するにつれ、自分が横たわっているのだと気づく。

 さらに意識が覚醒する。うっすらとした太陽の光が、まぶたの下の瞳を赤く照らす。


 体の意識も覚醒してきて、柔らかいものの上に寝ていることに気づく。

 おそらく、自室のベッドだろう。

 おそろしい人体実験の献体として、寝かされているわけではないようだ。

 ゆっくりと目を開ける。薄暗い空気を肺に吸い込んで、ベッドから起き上がる。



「今何時だ、クソ」



 壁がけの時計は、朝の八時を指している。その横のカレンダーは、十月になっている。



「よく寝ちまってたな」



 言ってみても、だれかが反応してくれるわけではない。

 二十一歳の秋と言えば格好はつくだろうが、誰にも頼らない生活をしていると、自分の歳という概念が何の役にも立たなくなってくる。

 首を曲げて、自室の中を見回した。アパートの一室である。ベッドの横に、ガラスのちゃぶ台のような小型の机が置いてあり、その上に自分の携帯が置いてある。

 ガラケーである。人とのコミュニケーションに特化したスマートフォンなどは、俺には必要がなかった。

 

 なんの気なしに取ろうとして、アホくさい、と考える。連絡をする友人なんて、俺にはいない。必要でさえもない。

 もし仕事の電話であれば、むこうから連絡がかかってくるはずだ。

 仕事を回してくる女に会ったことはない。そういう条件で契約したからだ。

 だから彼女の素性は知らない。知るつもりもない。知ってしまったら、他人とかかわらないで生きるという俺の信条に大きく触ることになる。それは不快だ。


 ベッドから起き上がり、玄関へ向かった。ドアに備え付けてあるポストから、届いているチラシやらを引き出し、ベッドに戻る。

 どっしりと座り、何が届いているか確認する。人と話すこともないので、こんなことで暇を紛らわすしかない。

 そうこうしていると、封筒を見つけた。ハサミを使って、封を開ける。

 広げてみると、『お知らせ』とある。俺は顔をしかめた。封筒の宛名書きをきちんと見ずに開けた罰だろうか。確認すると、『レッツゴー! 元警官サポートの会』とある。カウンセリングの、名前だった。

 警視庁の警官を辞めたときの俺は極めて精神が不安定だったので、退職後もカウンセリングに通うことが義務付けられた。

 

 それにしても、極めて不愉快な文面だった。この手紙が俺に要求しているのは、『近日中に、決められたカウンセリングを受けること』だ。俺に、他人と会うことを要求している。

 心の中で毒づかざるを得ない。第一、俺は今の環境に満足している。警察官時代は他人とのコミュニケーションで精神に傷を負ったが、今は一人でやれる。警官時代に比べ、何も苦労がない。

 もう一度、封筒を見直してみる。ため息をついてから、重い腰を上げる。きっと存在しないであろう救いを、俺の求めていない救いを。そんな心の底から欲していないもののために、俺は外出する準備を始める。






 電車に乗ってからは、窓の外の光景が川のように流れていった。

 十月の中盤、人々の着る服が、少し厚みを増してくる頃か。席に座る老人や、子供が寒さに備えた服装を整え、親に抱かれてつり革につかまっている。その後ろの車窓が、まるで動く絵画の様に風景を切り取っている。

 景色は良い。景色と言うものは、常に自分を一人の世界に連れ込んでくれるものだ。

 電車に揺られながら、薄いコートのポケットに手を入れる。顔を上げると、開閉ドアの上に設置されている、テレビが目に入った。ニュースや広告を写すための、音なしのものだ。


 芸能人のくだらないニュースや、スポーツなど、つまらないニュースが流れる。唯一興味を惹かれるのは、弁護士の汚職などといったニュースか。こういう類の連中は何度も殺害した覚えがある。すなわち、こういうのが増えればこちらの仕事も増えるというわけだ。

 ウチの給料は定額だから、あまり仕事が増えてほしくもないけれど。






「それで、切谷樹巡査部長。警察のほう辞めてからは、何やってらっしゃるんですか」


 

 俺は座らされているイスの上で、複雑な笑顔を浮かべた。カウンセラーの眼鏡の爺さんは、極めて困る質問をしてくる。

 俺はつやつやに磨かれた診察室の床を見つめた。



「そうだな……。社会奉仕活動を、ちょっとね」


「社会奉仕活動と、いいますと?」



 俺が何も言わないので、カウンセラーの爺さんの視線は、カルテと俺の顔を行ったり来たりしていた。爺さんが体をゆっくり揺らすたび、イスのプラスチックの背がギィ、と音をたてる。



「静かにしていられちゃこまりますな、巡査部長」



 俺はソワソワしながら、袖のはじを触ったりして時間が経つのを待った。時間が経っても、何かが好転するわけではないのだが。

 待合室で待っている他の患者に早く順番を変わってやりたいが、目の前の爺さんは、俺が何か言うまで解放してくれないだろう。

 かといって俺も、今の職を正確に伝えるわけにはいかない。殺し屋ですなどと答えようものなら、今すぐ精神科での診察を薦められることは明らかだったからだ。



「あなたが心配なんですよ、巡査部長。連絡もよこさない、定期カウンセリングは無視し続ける。おまけにやっと来たと思ったら、何も答えない。これじゃあ、こっちもどうしていいか」



 ごもっともな主張である。

 本来、世話焼きのいい爺さんなのだ。きれいに磨かれすぎたこの診察室も、机の上の整頓されたペン入れも、この人の手間を象徴するものだ。言い方がきつい気もするが。

 ちょっとばかり開いた窓から、秋風が流れてくる。カーテンが少しゆれて、カルテの用紙が少しばかりピラ、と揺れる。

 俺は口を開いた。



「そういうことじゃ、ないんだ。ただ、カウンセリングってのも期待はずれかなと、思うだけで」


「はぁ、それはまたどういう意味で」


「今、爺さんと話していても、俺はあんまり楽しくないかな」



 爺さんは、眼鏡の奥の目を細めた。ひときわ大きくイスがギィとなり、少しばかりこちらに顔を乗り出してくる。


「当然でしょう。今はまだ楽しくありませんよ」


「いいや、違う。俺は人といるのが楽しくないんだ。あんたといるより、仕事をやっていたほうがよっぽど楽しい」



 爺さんは鼻から息を抜くと、親指で自分のアゴを揉んだ。



「その仕事っていうのは、一人でやるものですか?」


「そうさ」


「でも、そういったって、一人でやれる仕事なんてこの世の中には無いでしょう」


「爺さんも年寄りだな。あるんだよ、それが」


「是非とも、その仕事についてお聞きしたいものですな」


「断る、といいたいところだが、まぁ爺さんには世話になっているし、仕組みだけ教えてやるよ。いいか、基本的に仕事は分業だ。俺の領域はすべて俺だけが担当するし、他の領域はすべて他人が担当する。俺の領域に、他人が入ってくることはない」



 爺さんはカルテを机の上に置き、眉間にしわを寄せた。待合室から聞こえる小声の雑談が、この場に流れる唯一の音であるようだが、爺さんにはその音さえ聞こえてないらしい。



「そこは、あなたの理想の居場所ですか?」



 問いの意図を測りかねたので、俺は黙った。



「あなたは今、なかなか順調そうに見える。昔のあなたは、私が失言をしたら、すぐナイフで喉をかき切ろうとしてしまう人だった。よく立ち直りなさった」


「そうだろう」


「ですから、ちょっとばかり過激なことを言います」



 爺さんは新品のようなピカピカのネクタイを、さらに整えた。



「あなたが最初、ここに来た……、いいえ、来させられた理由は覚えてますかな」


「嫌なことを思い出させるんだな……まぁ、警官時代にいじめを受け続けたからだ。それのせいで精神を病んで、ここに来た」


「それです、私が言いたいのはつまるところ、その仕事で手に入れたものは、本当にあなたが欲しかったものなんですか?」



 謎かけみたいなことを言う。俺は頭脳明晰じゃないんだから、噛み砕いて言え。



「変な理屈ばっかり言ってないで、具体的に言えよ」



 爺さんは間髪入れなかった。



「あなたはひどい虐めを受けて孤独になった、そして、今も孤独だ」



 自分が意識するよりも早く、首を横に振っていた。



「そりゃないぜ、爺さん。おれがやっと手に入れた安心できる場所を、そんな風にいうのか。俺が何も変わってないと?」


「確かにあなたにとって、幸せな場所なのでしょう。でも完璧ではない。あなたを完璧にするピースが必ずどこかにあるはずなのです。そして、あなたはまだそれを手に入れていない」



 そして、爺さんは心からこちらを思いやる目で、



「大切なものを手に入れてください。そうすれば、あなたが、絶望から立ち直ったと認めましょう」



 心の底から、ふつふつと怒りが浮き上がってくるのが分かった。それこそ、立ち直る前の自分であったらと考えると恐ろしい。



「帰るよ、もう来ない」


「駄目です。大切なものを手に入れられたのならば、どこへ行かれても構いません。しかし、今のあなたは空っぽだ」



 爺さんは二の句を次ごうとした様だった。しかしその前に、俺は怒りに任せて、拳を机に叩きつけた。軟い金属製だったので、拳が机にめりこむ。

 爺さんの心臓が跳ねたことは想像がついた。彼は体をびくりと震わせ、体を後ろに少し反らせた。待合室から聞こえる小声もパッとやんだ。続いて、何事かと事務の女性が診察室に入り込んでくる。同時に俺は席を立つと、もう一度同じことを口にする。



「帰るよ、もう来ない」



 俺が背を向ける瞬間、爺さんの手が少しこちらに伸びたが、俺はそれをまったく気にしなかった。


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