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1 恩

もう、身を売るしかない。


そう決めて、遊楽街に入って数分もしないうちに、道玄坂みさきは、路地でうずくまっていた。

遊楽街で突っ立っていれば、誰かしら声をかけてくるだろうと踏んでのことだったが、彼女にとって、この通行量は予想外だった。

人が多すぎる。

道玄坂は下を向いた顔を上げることができなかった。目の前を通る人々の、視線が痛いほど自分に突き刺さっているのがわかる。泥酔して地面にしゃがみこんでいる人は彼女のほかにもいたが、見るからにホステスやホストや、客だと分かる者たちばかりである。遊楽街の入り口で、うずくまる、どう見てもキャバクラ嬢に見えない道玄坂は、確かに周囲から浮いていた。


立ち上がって帰ろうと思うのだが、足にうまく力が入らない。時間がたてばたつほど、身体の震えがひどくなった。焦りだして、頭が真っ白になるのがわかる。


「お嬢さん、どうかした?」


その声が自分に向けられたものだとは思わなかった道玄坂は、初め、何の反応も示さなかった。知らない手が伸びてきて、彼女の顔を隠す長い前髪をかき分け、額を探る。そうして初めて、道玄坂は、自分の前に立つ知らない男に気づく。

「熱があるみたいだね」

道玄坂は反射的に顔を上げたが、自分の前髪が邪魔で、男の姿をはっきりとらえることができなかった。手で、かき上げればよかったのだが、そんなことすら思い浮かばず、黒い立て格子の降りた向こう側の男を、ぼんやりと眺めていた。

男は、何の反応も示さない彼女を前に、しばし思案していたが、何かを決心したように一瞬眉根をきつく寄せると、彼女の腕をとった。

彼女はすんなりと立ち上がった。そのことに、道玄坂も、その男も、内心驚いていた。


「ひとまず、俺の家においで」


-----------------------------------


道玄坂は目を覚ました。

見覚えのない、白い天井が目の前に広がっている。ここはどこだろう。

身を起こすと、額からタオルが膝の上に落ちた。無意識に自分の額に手を当てる。心なしか熱いような気がする。

あたりを見回してみると、マンションの一室のようだった。大きな窓と、部屋の大きさ、左右の部屋に続く扉から、それなりに高い部屋なのだろうなと想像がつく。きれいに片付いた部屋は、男の住居のようにもみえ、女のものにも見える。道玄坂は、窓に向かい合うようにして置かれた、あまりにも寝心地の良いソファに寝かされていた。

ソファから降り、窓の近くへ寄った。近年できたばかりの、タワーの先が見える。ベランダには、花を植えた植木鉢と、水をやるためのジョウロが転がっていた。

ふいにのどの渇きを感じ、振り返ると、ソファの前に据えられた机に、一リットル入りのペットボトルと、ひっくり返されたコップが置いてあるのに気付く。

ペットボトルを持ち上げると、そこに張り付いていたのか、ひらひらと紙が舞った。拾い上げると、そこには、「熱が下がるまで、安静にしていたほうがいいと思います」という言葉と、トイレの場所が記され、入ってほしくない部屋には鍵をかけてあるので、自由に過ごしていい、といったことが書かれていた。几帳面に並ぶ文字からも、男なのか女なのかを判別するのは難しかった。


道玄坂は、ひとまずペットボトルのお茶を、ありがたく頂戴することに決め、ソファに改めて腰を落とした。

昨日のことを思い出そうとしてみる。頭が真っ白になり、誰かが手を差し伸べてくれたことは覚えていた。それから、なぜか、自分が檻の中にいるようだ、と思ったことも。

熱があるからだろうか、道玄坂は、自分の置かれた状況を危機に感じることもなく、いつの間にか寝入っていた。






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