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デスゲームの世界で魔王になりました  作者: 古葉鍵
序章 一般人と人形姫
8/21

魔王 が 現れた! 008

「頼む、戦える奴がいたらこっちを手伝ってくれ!」


 一難去って騒ぎも落ち着き、群衆たちにほっとした空気が流れ始めたそんな折。

 既に50人を超えるほどの大所帯となっていた群衆の外から、切迫した声が上がった。

 群衆の間にざわめきと緊張が走り、集団の中央にいたユキたちもはっとした表情になって声の方向へ顔を向ける。

 ユキたちの視線によって道を開けるかのように群衆が左右に割れていき、その先にはハァハァと荒い息をついている若い男がひとり。

 ここまで全力で走ってきたのか、屈んだ姿勢で膝に手を当て上体を支えているその様子は、誰の目にも疲労困憊なのが明らかだ。

 鎖帷子を着込み、小太刀のような長さの小剣の鞘を二つ、Xのように背負っている男の外見からして、職業は双剣士か何かだろうか。

 一瞬でユキたちと群衆から注目を集めた双剣士らしき男は、数秒ほどの時間をかけて呼吸を整えると、上体を起こして口を開いた。


「ここからも見えると思うが、大通りの先にいる巨大な三つ首竜……ヒュペリオンと我々有志の戦闘系プレイヤーが交戦しているが、冒険者ギルドの衛兵NPCは既に全滅し、プレイヤーにも大きな被害が出ている! 考えたくはないが、このままでは全滅しかねない!」


 双剣士は、群衆を一度ぐるっと見渡してから、切々と語った。

 群衆たちの顔に、強い怯えと困惑の表情が浮かぶ。

 同じ状況を共有する者として他人事と割り切っているわけではないが、無力な自分たちに不利な戦況を報告することに何の意味があるのか。

 交戦中のプレイヤーが全滅すれば当然、あの巨竜は他の獲物を探し、襲うだろうことは容易に予想できる。

 だから、比較的近辺にたむろっている目立つ集団である自分たちに、早く避難しろと警告しに来てくれたのだろうか?

 大多数の者たちは咄嗟に双剣士の来訪理由をそう推測した。


「そこで、先ほど、このあたりで高位の魔法を使ったプレイヤーがもしまだいたら、どうか我々に助力を願いたい!」


 しかし、双剣士が切実な表情で訴えた内容は大多数の予想を裏切るものだった。

 群衆の視線が自然と中央にいるユキとアリスに集まる。

 それが何を意味しているかは一目瞭然で、双剣士も即座に察したようだった。


「ありがたい! まだこちらにいてくれたか!」


 暗闇で希望の光を見つけたかのように顔をぱっと輝かせて、双剣士は群衆の間にできた道をずんずんと進み、ユキに詰め寄った。

 つい先ほどまでヒュペリオン相手に死闘を繰り広げていた興奮が抜けていないのか、双剣士のギラギラとした瞳に怯えたユキは思わず一歩後ずさる。

 側まで来たことで、群衆の中心人物で件の大魔法を行使したと思しき高レベルプレイヤーがうら若く美しい少女であることに気付いた双剣士は、やや驚いたように目を細めてユキを見やった。


「今の話を聞いていただろう。キミもこの街の住人ならどうか我々と一緒に戦ってくれ」


 確認の手間を省き、双剣士は性急に切り込んだ。


「いえ、さっきのは私じゃなくて……」


 困惑した表情で答えたユキは、ちらっと横目で宙に浮かぶアリスに視線をやる。

 それにつられたように双剣士もまた、アリスへと視線を向けた。

 途端、双剣士は目を瞠り、驚愕の表情で呻く。


「な……! き、殺人人形(キリングドール)!?」


 半ば条件反射で後ろに飛び退り、流れるような所作で双剣士は背中の2刀を抜いた。

 「きゃあ!」「ヒッ!」と、ユキや群衆から悲鳴が漏れる。


「多少はモノを知っている者のようですわね。ですが、そのような低俗な魔物と混同されるのは甚だ不愉快ですわ」


 落ち着き払った様子でアリスは双剣士に声をかけた。


「喋った……! い、いや、そもそもなぜこんな場所に迷宮のモンスターが……? まさかキミはテイマーか!?」

「えっ?」


 アリスに敵意がない事を見て取った双剣士は、警戒を解かぬままユキに訊ねた。

 しかし専門知識のないユキは何の事かわからず、目を丸くする。


「まあそうとも言えますわね。わたくしが魔物で、ユキ様のしもべである以上は」

「そ、そうか……」


 流暢かつ理性的に話すアリスの台詞に説得力を感じたのか、双剣士はあっさり納得して剣を収めた。

 しかし周囲で話を聞いていた群衆は、アリスがモンスターだと今更ながらに知って、複雑な表情を浮かべている。


「いや、驚かせてすまなかった。まさかこんなところに迷宮のモンスターがいるとは思わなくてね」

「は、はあ……」


 よくわかっていないユキは曖昧な相槌を打った。

 双剣士がそう言ったのは、通常、街襲撃イベントで襲ってくるモンスターは近隣フィールドに生息する種のみで、ダンジョン等にのみ生息しているモンスターはそこに含まれないからだ。

 もっとも、今回のイースの街襲撃イベントは、規模といいモンスターの種類といい、通常(・・)に当てはまらないケースなのは明らかだったが。


「ともかく、キミの力を借りたい。俺と一緒に来てくれないか」


 一時はアリスとの遭遇に気を取られたものの、双剣士は目的を忘れてはいなかった。

 話が元に戻ったことで、困ったユキは誤解を解こうとして口を開いた。


「あの、違うんです」

「違う? 何が違うんだ?」

「さっきの魔法……竜巻とかを出現させてモンスターを撃退したのは、私じゃなくてこのアリスちゃんなんです」

「でもそれはキミが命じてやらせたことなんだろう? それの何が問題なんだ?」


 双剣士は不思議そうな表情をして首を傾げる。

 双剣士の理解を妨げている原因は、両者の認識の決定的な齟齬にあった。

 それなりの高レベルで、経験も豊富な歴戦プレイヤーである双剣士の常識では、従魔が強い=主人であるテイマーはもっと強い、という認識である。そしてそれは一般常識上間違ってはいない。

 一方ユキには、自分が低レベルの一般人プレイヤーであることなど一目でわかるだろう、という無意識的な思い込みがあるため、レベル1であることを伝えていない。


「命令なんてしてません! アリスちゃんは私の、私たちのお願いを聞いてくれただけです」


 理解を得られないことに微かな苛立ちを感じ、ユキはやや語調を強めて言った。


「し、しかし……。いや、すまなかった。キミたちの関係がどうであれ、俺がどうこう言えたことではないな」


 女性を感情的にさせると厄介である、という真理を若くして弁えていた双剣士は、理屈で納得することを諦めて謝罪した。

 頼みごとをしている相手の不興を買うのはまずい、と打算的に考えた理由もあったが。

 双剣士はこほん、と咳払いをして気を取り直すと、表情を深刻なものに改めて説得を再開する。


「無論、強制するつもりはないし、危険な戦いにキミのような若い子を巻き込むのは心苦しいとも思う。……いや、綺麗事だな。本音で語ろう。年齢や性別はどうあれ、キミは強大な力を持っている。ならば、その力で無力な人々を守るべきだ」

「…………」


 誤解を残す双剣士のおしつけがましい主張に、ユキは俯いて押し黙った。


「……しだって」


 顔を伏せたユキが小さな声でポツリと呟いた。

 かろうじて声を拾った双剣士が「……何?」と聞き返す。

 ユキはがばっと顔を上げ、キッ! ときつい眼差しで双剣士を睨んだ。


「わたしだって! レベル1の! 無力な一般人なんです! ここへ来る前にはサハギンってモンスターに足を切られてすっごく痛くて死にそうな思いをしたんですよ! そんな私に戦えって、戦うのが義務だって言うんですか!?」

「な……! レベル……1、だと……?」


 叫ぶような声でユキが告白し、双剣士は目を見開いて絶句した。


「ユキはレベル1で間違いない。フレンドの私が保証する」

「馬鹿な……、レベル1ではいかなるモンスターも従えられるはずがない……!」


 これまで大人しく事態を見守っていたユニがフォローすると、双剣士は信じられないといった様子でアリスに視線を向けた。


「見苦しい。現実はあるがまま受け入れなさいな」

「ぐっ……」


 容赦のないアリスの言い様に、双剣士は屈辱で顔を歪めた。


「でもよォ、ユキの嬢ちゃんがレベル1だっていうのはびっくりしたが、アリスの嬢ちゃんはレベル80だろ? それならあのドラゴン相手でも戦えねぇか?」


 剣呑としかけた空気をとりなすかのように、戦士風の男が口を挟んだ。

 群衆から「それは確かに」「さっきの竜巻魔法もう1回使えば倒せるんじゃね?」などと同意の声が上がる。


「れ……レベル80、だと……!?」


 イースのレベル水準を大きく超えた数値に、双剣士は怒りを忘れて驚愕した。


「確かにアリスちゃんは強いですけど……。あんな危なそうなモンスターと戦うのは……」


 ユキとてイースの住人として今の事態を何とかしたい、もし自分に力があったならば人々を守ってあげたい、という気持ちは少なからずある。

 しかし忌憚なく本心を言ってしまえば、見ず知らずの他人の命よりも、アリスやユニの身の安全の方がよっぽど優先順位は高い。

 ましてアリスは好意で自分たちを守ってくれているのだ。都合の良い期待を寄せたり過剰な要求をするべきではなかった。

 そう考えてユキは拒否しようとしたのだが、群衆がそれを許さなかった。


「あんな危ないモンスター、放置しておいていいのかよ!」

「どうせ自分で戦うわけじゃないんだから、頼んでくれたっていいじゃないの!」

「そうだそうだ! 毒をもって毒を制すって言うだろ! やらせろよ!」


 群衆たちに不穏な連帯感が生まれ、口々に勝手な希望を言い立てる。

 超高レベルモンスターであるアリスへの恐怖感はあったが、詳しい事情を知らない群衆はアリスがユキに忠実であり、そしてお人好しそうなユキが自分たちにその矛先を向けさせることはない、とたかをくくっている。

 アリスがプレイヤーだという認識であればまた話は違っただろうが、所詮はデータの塊でしかないモンスターに人権や配慮は無用、と考えている者がほとんどだった。

 無論、相手がモンスターであっても、受けた恩を忘れず良識的に振舞おうとする者も少なからずいた。

 戦士風の男もその一員で、手の平を返したようにアリスとユキを責める恩知らずな群衆に我慢ならず、怒鳴り声をあげた。


「おい、てめーら! 勝手な事ばかりほざくのもいい加減にしやがれ! ユキの嬢ちゃんやアリスの嬢ちゃんにも都合ってもんがあるだろうが!」

「なんだよ! お前だってさっきは調子の良い事言ってその子に戦うよう頼んでたじゃねーか!」

「あ、あのときはどうしようもねぇ危険が迫ってたからだ! わざわざ自分から求めて戦いに行く必要はねぇだろ!」

「都合の良いこと言ってんじゃないわよ! あのドラゴンだって放置してたら私たち全員が危なくなるのよ!」


 戦士風の男が言葉を尽くしても、ヒュペリオンへの恐怖から感情的になっていることもあり、群衆は容易に矛先を収めようとはしなかった。

 当事者の一人であるアリスは、群衆たちの声を完全無視することに決めたらしく、何の反応も見せないまま、目を瞑ってふわふわ浮いている。

 一方、双剣士は群衆に飲み込まれてしまい、暴走してゆく事態を唖然として眺めていた。

 群衆から半ば罵声じみた要求をぶつけられながらも、ユキは下唇を噛んでやりきれなさや悔しさを堪えていた。

 そんなユキを労わるようにユニが寄り添い、手を握った。

 はっとユキが顔を向けると、自分だけは味方だと言うようににっこりとユニは笑顔を見せた。

 そしてユキから視線を外し、すーっと大きく息を吸い込むと、その小さい体のどこにそんな肺活量があったのかと思うくらいの大声で叫んだ。


「うるさいだまれ!!」


 ビリビリと空気を揺るがすような迫力ある声が群衆の喧騒を圧倒した。

 周囲の騒ぎがぴたりと止み、シーンと静寂が落ちる。


「ユキの行動はユキが決める。アリスの行動はアリスが決める。お前たちが勝手に決めるな!」

「……ユニ」


 寡黙で口下手なはずのユニが、知り合って間もない自分やアリスの為、声を大にして擁護してくれたことに、ユキは感動して涙ぐむ。

 手を繋いでいるからこそ、ユニの体が微かに震えているのがユキにはわかった。

 弱冠12歳の少女が数十人もの大人と対峙して、怖くないはずがない。自分とて、そうしたくとも正直怖くて何も言い返せなかったのだ。

 知り合ったばかりの友達の為に身を呈してくれたユニに較べ、大人たち(群衆)のなんと身勝手で浅ましいことか。

 群衆への畏れが薄れ、決意のような感情が少しずつユキの心を満たしていく。

 まだ小学生くらいにも見える少女に一喝されたことで大多数の者は屈辱を感じ、更に逆上して騒ぎ出した。


「生意気言いやがって!」

「自分が関係者だからって調子に乗ってんじゃないわよ!」

「子供が大人のやることに口を挟むな!」


 もはや敵意すら帯び始めた罵声を浴び、ユニは表情を更に険しくして反論しようとした。

 そのとき、繋いでいたユニの手をぎゅっ、とユキが強く握り締めた。

 そちらに意識を取られたユニが横を向いたタイミングで、ユキは繋いだ手を放してユニの前に移動し、群衆との間を遮った。


「ありがとう、ユニ。そしてごめんなさい。年上の私がもっとしっかりしてないといけなかったのにね。私はもう、怯まないから」

「ユキ……?」


 はっきりとした口調でユニにそう宣言したユキは、群衆へと強い視線を向けた。

 騒いでいた群衆も、ユキが意思表明しようとしている気配を察して沈静化していく。


「――皆さん、私はこの子……アリスちゃんを危ない目に遭わせたくありません。だけど、皆さんが言われるようにあのドラゴンを放ってはおけない、という気持ちもわかります。だから……アリスちゃんに一度だけお願いをします。もし断られても、その意思を尊重して二度はお願いしません。誰に何を言われようとも、です」


 ユキの断言するような力強い宣言に、群衆は気圧されたように鼻白んだ。

 ぼそぼそと不満めいた呟きを口にする者はいるが、声を大にして反論する者はいない。

 ごねる自分たち(群衆)の希望を一応は譲歩して受け容れてくれたのだから、ひとまずは結果を様子見しよう、という思惑が大勢を占めた。

 一度は妥協を引き出したのだから、結果が不首尾に終わったら――即ちアリスが《否》と答えたら、また声を大にして翻意を促せばいい。所詮は子供、大人の集団の圧力に逆らえるわけがない。

 頭の回る狡猾な者たちはそう考えていたし、ユキを通してアリスをヒュペリオン討伐に向かわせることがイースを守るための正義の行いだ、などと都合の良い思い込みで自己正当化している者も多かった。

 ユキはアリスの正面に向き直り、何かを捧げるように胸の高さで両手を差し出した。

 アリスも心得たもので、戸惑う様子もなくその手の上にふわりと降り立つ。

 妖精のように小さなアリスと金髪美少女のユキがそうしていると、まるで西洋のお伽話の一場面のようで、群衆の多くから思わず「ぉぉ……」と賛嘆の声が漏れた。


「アリスちゃん、頼ってばかりで本当にごめんなさい。でも、我儘なお願いをもう一度だけ許してくれるなら、どうか、お願いします。みんなを守るために、力を貸して」


 平坦な表情のアリスと目を合わせて、真摯な態度でユキは頼み込んだ。

 ぱちくりと一度瞬きして、アリスはくすっと微笑った。


「ダメですわ」

「……そっか」


 半ば予想していた返答に、ユキはさして落胆もなく答えた。


(いくらアリスちゃんが凄く強くても、それ以上に強そうなあのドラゴンと戦うのは危険すぎる。アリスちゃんもそれがわかっている。だから、これで良かったのよ)


 固唾を飲んで二人の会話を窺っていた群衆に失望の表情が広がり、再び敵意のような空気が蔓延していくのを肌で感じながら、ユキは内心でどこかほっとしていた。

 だから、アリスが続けて言い放った台詞はユキの意表を突いた。


「仮初とはいえ我が主たらんとするならば、己がしもべにはもっと高圧的に、かつ気高く命じていただかなくては困りますわ。引いては配下たる私の品格にも影響するのですから」

「…………は?」

「要するに《お願い(Please)》などではなく《命令(Order)》を下さい、と申しているのですわ」


 アリスに冗談を言っているような様子は全くなく、表情は真剣だ。


「…………」

「同胞を護りたいのでしょう?」


 アリスがなぜ今更そんな要求をするのかはわからない。

 何かが彼女の琴線に触れたのか、それとも譲れないこだわりがあるのか。

 だが、お願いを受け入れてくれる意思がある、ということだけははっきりと解る。

 疑問を捨て去って、ユキは「すー……はー……」と深呼吸を行った。


「我が忠実なるしもべアリスに命じます。非道なる魔物を討ち、人々を護りなさい!」

「――仰せのままに、我が主様」


 ふっ、と笑顔を浮かべて一礼するアリス。

 (それでいいのよ)という、アリスの心の声が伝わった気がした。

 一時は交渉失敗かと思われたユキの依頼にアリスが応えたことで、群衆たちから「わっ」と大きな歓声があがった。

 話が纏まったと判断してか、群衆から抜け出てきた双剣士がアリスとユキに声をかけてくる。


「ありがたい、参戦してくれるか! 従魔とはいえレベル80であれば、ヒュペリオンとも互角に戦えよう!」

「ユキ様。当然のことですけれど貴女を戦場へは連れていけませんわ。なので、わたくしの代わりの者を護衛に残します」


 両腕を広げ、上機嫌に語りかけてくる双剣士に見向きもせずスルーして、アリスはユキへと語りかけた。

 双剣士は笑顔のまま硬直し、頬がぴくぴくと引き攣っている。


「うん、何から何までありがとう、アリスちゃん。よろしくお願いします」

「態度が元に戻っておりますわよ、ユキ様。――ですけれどそれもまた、不思議と心地良いですわ」


 アリスはクスッと微笑い、ユキの手の上を離れて浮かび上がった。

 スーッと幽霊のように宙を移動し、群衆からやや離れたところにある5メートルほどの高さの街灯の上に音もなく着地する。

 そして眼下の群衆たちに小さな体を向け、両手それぞれにスカートの端を摘んで淑女の礼を行う。

 何を始める気かと、ユキと群衆はアリスの一挙一投足を目で追いかける。


ようこそ(Welcome) (to) 我が王国へ(my kingdom)さあ、(OK,)舞 踏 会(let's) を 始 め(begin) (a) し ょ う(dance)――」


 アリスは見る者全てをぞっとさせる酷薄な微笑を浮かべ、詠唱を始めた。

 厳密に言えばそれは魔法ではなく、世界で唯一人、アリスだけが使える特殊能力(エクストラアビリティ)

 囁くような声だが、システム的な補助でもあるのか、不思議とよく通ってユキや群衆の耳に届く。

 アリスの足元に直径3メートルほどの六芒星を象った魔法陣が出現し、詠唱が進むに従って燐光の輝きを強めていく。


不思議(Alice) (in) 国のアリス(wonderland)最 終(Last) 章 ――(episode)破 烈(Bang) の 姉 妹(sisters)》!」


 詠唱が完了し、魔法陣の六つの頂点から天に向かって異なる色合いの光の柱が吹き上がった。

 赤・紫・青・黒・緑・碧、の六色の柱はしばしの間眩いばかりの光を放ち、魔法陣の消滅と同時にふっと消え去った。

 六色の柱が消えた後に残された、六つの影。

 そこには、アリスを取り囲むように、彼女と同じサイズ、同じ外見の人影が宙に浮かんでいた。


「……アリスが増えた。まさかの分裂魔法」


 ぽかんとした表情でユニが呟いた。

 耳聡くユニの発言を拾ったアリスが苦笑した。


「まあ、あながち間違いではないですわね。この子たちはいわば私の分身ですから」


 常時表に出ている存在ではなく、アリスの求めに応じて召喚される分身にして妹たち。

 アリス単体でもレベル相応に強いが、彼女の真価は《破烈の姉妹》を呼び出した状態にある。


「アリー、《歩兵(ポーン)》たる貴女にはユキ様の護衛を命じますわ」

「わかりました、アリス姉さま!」


 ビシッ、と警官風の敬礼を行って、オレンジ色の瞳をしたアリスの分身ことアリーがユキの下へ飛んでいく。

 ちなみに本来であれば念話によって姉妹同士の意思疎通が可能だが、ユキたちにも話が聞こえるように声に出している。

 ユキの眼前に舞い降りたアリーはぺこりとお辞儀した。


「え、あれ、アリス……ちゃん、なの?」

「違います、ボクはアリス姉さまの妹で、アリーっていいます。ユキ様の護衛を任されました。よろしくお願いします」

「う、うん。こちらこそよろしくね」


 アリスの顔で溌剌と挨拶するアリーに違和感が拭えないユキは、ややぎこちない笑顔で挨拶を返した。

 二人のやりとりを見下ろしながら、万能性という点において自分に最も近い能力を持つアリーなら護衛の代役として不足はないだろう、とアリスは考えていた。


「念の為、この場には結界魔法を展開しておきますわ。……アリン」

「は~い」


 アリスの分身の一人、《僧正(ビショップ)》ことアリンが間延びした口調で応じた。

 アリンが開いた右手をさっと掲げると、先端が十字架のようになっている金属製の僧杖が瞬時に出現する。

 アリンは掴んだ僧杖を胸の前で縦に掲げた。


「それではいきま~す……《サンクチュアリ(聖域)》」


 聞いてる者の気が抜けそうになるほどおっとりとした声でアリンは魔法を唱えた。

 直後、アリンを中心として直径40メートルほどの真円範囲の地面がうっすらと白光を放った。

 自然現象ではありえない足元の変化に、群衆の多くが驚きでざわめく。


「低レベルの魔物は光の陣地の中に侵入できませんから、命が大事であれば外に出ないことをお勧めしますわ」


 珍しく親切にアリスが忠告すると、不気味そうに地面を見下ろしてそわそわしていた群衆が途端に大人しくなる。

 一通りの準備を終えたアリスはユキに視線を向けた。


「さて、それではユキ様。行って参りますわ」

「……うん。私は何にも手伝えないけど、ここで無事を祈ってるから。もし、危なくなったら逃げてね。無茶だけはしちゃだめだよ」


 どこか寂しげな笑顔でユキは頷き、答えた。


「アリス、頑張って」


 ユニもまた、長い前髪の隙間からアリスを心配そうに見上げながら、声をかけた。


「ええ。あのトカゲに体の大きさが戦力の決定的な差ではないことを思い知らせてきますわ」


 どこかで聞いたような台詞を吐いて、アリスは身を翻した。

 ひらりと舞い上がり、妹たちを背後に従えてかなりの速度で飛び去っていく。

 《Λ》の形に隊列を組んで飛んで行く先は、無論ヒュペリオンの元である。


「……いってらっしゃい」


 不安そうな眼差しでアリスを見送りながら、ユキはぽつりと呟いた。


 そしてすっかり蚊帳の外に置かれ、挙句には置いていかれたことに気付いた双剣士が、おっとり刀でアリスの後を追って走り出した。


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