魔王 が 現れた! 005
記憶の底を浚い、なんとか冒険者ギルドの所在地を思い出したユキ。
先ほどの一件で走って移動するのもリスクがある、と考えを改めたユキは早足程度の速度で東大通りを歩いていた。
深夜とはいえ、モンスター襲撃が始まってからそれなりの時間が経っている。
東門から2キロは離れているこの辺りでも、騒ぎに気付いたイースの住民たちがあちこちから姿を現し始めている。
ユキの移動がもう少し遅いタイミングであったならば、サハギンロードもシャドウストーカーも出遭う前に別のプレイヤーに駆逐されていたかもしれない。
それを証明するかのように、先ほどまで人影なく閑散としていた裏路地からもそれなりの喧騒が聞こえてきている。
当然ながら大通りはその比ではなく、ユキの視界に映るだけでも数百人規模のプレイヤーが行き交っていた。
(とりあえずここまで来れば安心……よね?)
引き篭もりの多い街だけに、人がどれだけ多くても大半は無力なプレイヤーたちだ。
アリスほどとは言わずとも、中堅レベルのモンスターが大通りの真ん中に現れただけで大混乱が起きるだろう。
たまたま高レベルプレイヤーが近くにいればいいが、そうでなければどれほどの人的被害が出ることか。
そう予想できたにも関わらず、側に人が多いだけで無条件に心強く感じてしまうのは人間の本能というべきなのかもしれない。
(レンさんたちは大丈夫かしら……?)
余裕が出てきたこともあって、ユキの関心は恩人へと向かう。
ティアやアリスといった破格の存在を従えるほどのプレイヤーがあっさり遅れを取るとは思えないが、一度気になり出すと思考が深まってゆく。
(それにしても不思議な人だったな……。よく解らない方法でモンスター襲撃のことを詳しく把握していたみたいだったし、一体何している人なんだろう)
ユキの言う、何している人、というのは職業、即ちクラスのことを指している。
アカレコの職業システムは、次のようにデザインされている。
最初は《一般人》という、職業とは言えないクラスからスタートする。
レベル10になると《初級職》と呼ばれる職業にクラスチェンジが可能となる。
ただ、スキルの習熟度が転職条件に関わってくるのでどんな職業でも自在に選べる、というわけではない。
つまりレベル10というのはあくまで最低限の転職条件ということだ。
規定レベル到達直後にシステムから提示される初回の転職に対価は発生しないが、それ以後の任意転職には金銭やアイテム等の代償が発生する。
とはいえ貴重なアイテムや基礎能力値を損なうといった取り返しのつかないデメリットは存在しない為、割と気軽かつ自由に行える。
だが、レベルアップ時の基礎能力の上昇値は職業によって変わることから、計画性や一貫性に欠けた転職を無軌道に繰り返していると後になって泣きを見る羽目となる。
レベルが30に到達すると、今度は《中級職》に転職が可能となる。もちろんレベル以外にも初級職以上に高い習熟度が転職条件に求められる。
そしてレベルが60に到達すると、《上級職》の道が開かれる。ここまで到達しているのは現状でアカレコ全人口の1%に満たず、約18000人ほど。
最後に、レベルが80以上で転職できるとされる《最上級職》があるが、レベルと習熟度以外にも様々な条件が設定されているらしく、レベル80に到達したが一つも転職先が提示されない者も少なくない。そのため、あまりの条件の厳しさに《エクストラジョブ》とも呼称される。
基本的には以上だが、上記の括りに当てはまらない例外として、《オンリージョブ》と呼ばれる、最初に転職条件を満たした者しか就けない職業や、現時点では都市伝説レベルの噂にすぎない《転生システム》が存在すると言われていた。
ユキは無知だからこその適応力でアリスやティアの存在を受け容れはしたが、このタイミングにあって高レベルモンスターを従えて行動するレンの存在は客観的に見て怪しい。
疑い深い者であれば全て襲撃側の自作自演で、アリスというとびきりの爆弾をプレイヤー密度の多いところに投げ込むことが目的なのではないか、といった陰謀論が一つなりとも思い浮かぶだろうが、14歳の若さにあるユキは流石にそこまでスレていなければ、思索も及んではいなかった。
「ユキ様、たった今レン様から念話でこちらの状況を聞かれましたけれど、無事だという報告以外に何か伝えておきたいことなどありまして?」
先ほど調子に乗って色々と暴露、もとい喋りすぎた事を酷く後悔してからずっと黙り込んでいたアリスが久しぶりに口を開いた。
ユキはたまたまレンのことについて考えていた最中だったために、内心ぎくりとしながら慌てて答えた。
「う、ううん、特には。レンさんも無事で良かったです、とだけ伝えてもらえれば……」
本音では東門付近の状況について詳しく教えて欲しいと一瞬考えたユキだったが、会話の労を厭うほどにレンが今忙しかったりしたら迷惑かもと配慮し、そう答えるに留めた。
念話がどういうものかわからない、という理由もある。
言葉の印象から、レンとアリスの間で行われている電話通話のようなもの、と一応解釈しているが、それがもしメールの類であれば僅かな会話でもそれなりの労力や時間が必要になる。
既に充分な親切を受けているのだ、これ以上彼に負担をかけては申し訳ない、という意識がユキにはあった。
「……レン様が『心配してくれてありがとう』と言っておりますわ」
「そう言ってもらえると嬉しい……かな。えっと、レンさんに『どういたしまして』って伝えてください」
「承知しましたわ」
アリスを介したレンとの短い通話でいくらかの安心と満足を得たユキの足取りが軽くなる。
レンとの念話に忙しいのか再び黙り込んでしまったが、今回はアリスが不機嫌かもしれない、と考えたりはしなかった。
10分ほど大通りを中央区画に向かって進んだところで、ユキは俄かに人々の数というか密度が増えてきたことに気付く。
ある意味当たり前の事ではあるが、常以上に他人にぶつからないように注意して歩かなければならないほどの混雑ぶりであることが容易に見て取れる。
興味本位の野次馬と、被害の飛び火を心配する近隣住民が入り混じった火災現場のような、興奮と不安のたちこめる人いきれがユキとアリスを徐々に取り巻く。
アリスへの配慮もあって、無策にこれ以上進むのが躊躇われたユキは、情報を求めて近くにいた同じ年頃の少女に声をかけた。
「あの、ごめんなさい。ちょっといいですか?」
「……何?」
異常な状況のせいか、それとも元々臆病な性格なのか、少女がユキに向けた表情には露骨な警戒心がありありと浮かんでいた。
もし私が筋骨隆々な大男だったりしたらどんな反応されたかな、などと益体もない感想を抱きつつ、少女の警戒をほぐす為にできるだけ柔らかい口調で訊ねる。
「突然驚かせてごめんなさい。ただちょっと、このあたりの混雑の理由について何かご存知でしたら教えていただけないかと思って」
「…………」
しかし、少女は質問に答えようとはせず、俯いて沈黙する。
(困ったなぁ……。私って他人に警戒されるような顔してるのかしら。ちょっとショック)
もしユキがもっと冷淡な人間であったなら、あっさりこの少女に見切りをつけて別の者に訊ねただろう。声をかけることのできる他人は周囲に大勢いるのだから。
しかし、どちらかと言えば気立ての良い性格をしているユキは、他人に対してそこまで冷淡に振舞うことなど到底できなかった。
(んー、どうしよう……。もしかしたら声が良く聞き取れなかっただけなのかもしれないし、もう一度話しかけるべき?)
黙り込む少女を前にしてユキが苦慮していると、
「この人々は皆、ユキ様と同じ目的でここに集まっているのだと思いますわ。恐らく冒険者ギルドとやらの許容量を超えてしまって溢れているのでしょう」
アリスがあっさりとそれらしき答えを提示してくれた。
確かに東地区だけでも約6万から人がいるのだ。
そのうち大半はユキのように戦闘素人な低レベルプレイヤーであり、もし彼らが一箇所に殺到したら暴動のような騒ぎになるだろう。
冒険者ギルドの支部にどれほどの敷地や設備があるのかは知らないが、万を超える人々を匿えるほどの許容量があるわけがない、と無知なユキにも容易に推測できた。
で、あれば、施設内に収まりきれなかった人々は諦めて他を当たるか、人が多いだけでも安心だからと群衆の一員になることを望むに違いない。
つまりここにいる大勢の人々は、後者の選択をした者たちだということ。
「!」
「あ、なるほど~。アリスちゃんご明察っ」
まさしく腑に落ちた、といった様子で破顔するユキ。
一方、目の前の少女は、単なる愛玩人形かと思っていたものが喋ったことに驚いたのか、ビクッ、とまるで猫のように目を見開いて身を竦めた。
少女は微妙に身構えながら、より警戒を強めた眼差しをユキとアリスに向ける。
「え、えっと、この子はその……」
ちょっとまずいことになった。こんな大勢の人がいるところで少女に悲鳴の一つでもあげられたら、小さくない騒ぎが起きるかもしれない。
何よりまずいのはアリスの存在を他の人に知られて良いのかどうか自分では判断できないことだ。
ユキが焦慮していると、
「そんなに怯えなくとも何もしませんわ。わたくしはアリス。貴女のお名前は?」
と、ユキ以上の冷静さと社交性を発揮して少女との会話を試みようとする。
アリスのアクションが功を奏したのか、少女は多少警戒心を緩めたようだった。
また少なからず興味も惹かれたようで、少女はやや無遠慮な視線でじっ……とアリスを注視する。
ユキの視点では見えないが、アリスもまた優雅な微笑みを浮かべて少女を見つめ返した。
たっぷり十を数えるほどの間、視線で対峙してからようやく少女が口を開いた。
「……腹話術?」
「違います」「違いましてよ」
ある意味もっともな少女の質問に、ユキとアリスの否定がハモる。
「この子は私のお友達で、アリスちゃんって言うの」
アリスとの関係をどう説明してよいか若干悩んだユキは、とりあえず当たり障りなく《友達》という単語を当てはめた。
「わたくしはユキ様のしもべですわ」
しかしユキの配慮をばっさり切って捨てるかのように、アリスは他人が聞いたら誤解しそうなことをさらっと口にする。
両者の言動の乖離が清清しいほど酷い。
「本当に……腹話術じゃ、ないの?」
「超違います」「超違いますわ」
ユキをやや上目遣いの眼差しで見つめ、ぼそぼそっとした声で訊ねる少女に、先ほどよりも更にシンクロ率を上げた二人がまたしても同時に突っ込んだ。
同時に別々の声色で喋るとか腹話術以前にどう考えても人間の能力を超えた所業である。いや仮想現実世界なのだから可能かもしれないよ? などと屁理屈を言う者がいるかもしれないが。
とにかく普通は無理だと判断すべきなのだろうが、無駄に息が合っているので腹話術だという疑念を少女が捨てきれないのもまあ、無理もなかった。
「本当に違うから。信じてよ」
腹話術などと誤解されたことに若干の不満というか、不本意さを抱いたユキは、いくぶん気安い口調になって少女を説得した。
(大体、腹話術で自分のことを様付けして呼ぶとか、人として痛すぎるでしょう)
少女に他意はないのかもしれないが、突き詰めれば自分がそういうことをする人間だと思われたのかと、ユキは地味に凹んだのだった。
「……うん、わかった」
ようやく納得してくれたのか、ユキから視線を外さぬまま、こくん、と少女は頷いた。
理解が得られたことにほっと一息ついたところで、たどたどしいながらも少女とコミュニケーションが成立していることに気付くユキ。
同年代の少女と少し距離が縮んだ気がして嬉しくなったユキは、もっと仲良くなりたいという欲求のままに会話の続行を試みる。
「私はユキって言うの。水澄=テスタロッツァ=癒祈。ややこしい名前なのはハーフだから。ね、さっきアリスちゃんも聞いてたけど、良ければあなたの名前を教えてもらえない?」
「……ユニ。ユニ・チャーム」
少女は若干の躊躇いを見せたものの、今度は黙殺することなくきちんと答えた。
ユキの視界に映る少女の頭上に《ユニ》と個体名が表示される。
ちなみにアカレコでは他称名を自分で設定できるシステムだ。例えばユキのようにフルネームが長い者でも、他称設定に《ユキ》と設定しておけば他プレイヤーの視界やシステムにはその名前で表示される。
フルネームや本名を隠したいとか、他人からは愛称で呼んで欲しいといったプレイヤーにとってはありがたいシステムであった。
それはさておき、ユニ・チャームという名前は明らかに日本人のものではない。
仮に現実の本人が外国人だとしてもおかしい、というか、いかにも作為めいた響きの名前なのだ。
普通に考えて現実世界の本名などではなく、ゲーム内で使うアバターネームだろうと察しがつく。
聡い者であればこの情報だけである事実に気付いただろう。
名称設定等の初期設定プロセスをすっ飛ばし、現実世界そのままの名前・容姿でアカシック・レコードの世界に叩き込まれた200万人超の被害者ではない、ということに。
即ち《先住者》だ、と。
ユキはそこまで考えが至らなかった。聡明さの問題というより、先住者に対する偏見やコンプレックスがないゆえに。
「ユニちゃんかぁ、可愛い名前だね。それに私と名前が似てるしっ。せっかくの縁だし、フレンド交換してお友達になろ?」
(よしっ、宿屋のお仕事で培ったゼロ円スマイルをここで発動っ!)
にこっ。
内心で茶目っ気たっぷりの独白をしつつ、ユキは少女に精一杯の微笑みを向けた。
「っ!」
ぼっ、と火が着いたように頬を染めるユニ。
ちょっとあざとかったかな、とユキは内心で苦笑したものの、ユニの反応に手応えを感じて気を良くし、微笑を崩さぬまま獲物を仕留めにかかる。
「だめ……かな……?」
自分よりも小柄な相手に上目遣いの秋波を送るという、無駄に高等なテクニックを繰り出し追い詰めるユキの猛攻の前に、偏屈そうなユニもついに落ちた。
「だめじゃない……けど、その前に一つだけ聞かせて」
「うん、いいよ。何でも聞いて?」
ユキがニコニコしながら頷くと、ユニはまるで眩しいものを見たかのように俯いて視線を逸らした。
「ユキは、私のこと……ウザい、とか、キモい、とか……思わない?」
ユニの自虐的な質問が余程意外だったのか、ユキは目をぱちくりと瞬かせてフリーズする。
「――ううん、全然」
再起動したユキは質問の内容に引っかかりを覚えつつも、表情には出さず素直に答えた。
するとユニは俯いていた顔を上げ、どこか縋るような眼差しをユキに向ける。
「……本当?」
「ほんとほんと。もしそんなふうに思ってたら友達になろう、なんて言わないもん」
ぶっちゃけて言えば、いかにもぼっちや引き篭もりの人間に多そうな、警戒心が強く暗い性格の、言わばめんどくさそうな子だなぁ、とユキとて思わないでもなかった。
だがそれだけで見下したり距離を取るほどユキは狭量ではなかったし、何より人口20万人の大都市イースにあってさえ、ユキと同世代であるローティーンの女性、というのは案外貴重な存在なのだ。
生体ハードウェアであるNBCの形成時期や感染経路の理由もあって、先住者はもとより200万人超の被害者たちの中には一定年齢以下の幼児プレイヤーは一切存在しておらず、現在確認されているプレイヤーの最低年齢は8歳と言われている。
上記と同様に感染経路の理由によって、デザイアウイルスに感染した者の大半は成人以上の者であるため、アカレコ人口の年齢層は非常に偏っているのだ。
18歳から下の年齢層になると比率が急激に減少し、15歳以下ともなると全人口の2%にも満たなくなる。
また、ローティーンやミドルティーンの少年少女たちはむしろ、アカレコが純粋なゲームだった頃に参加した先住者プレイヤーに多い。
が、好奇心や根拠のない自信に比して配慮や慎重さに欠ける未熟な彼らは、その多くがデスゲーム化した直後に落命し、数を大きく減らしてしまった。
ゲームの世界に投げ込まれた、現実世界では立場も力も上の大人たちのほとんどが、右往左往するだけで何もできない低レベルの無力な存在になってしまったことに、既に知識や強さといったイニシアティブを有する先住者の少年少女たちは多大な優越感を抱いたのだ。
それが自信に繋がり、根拠のない楽観へと変わり、デスゲームという現実を軽視して行動し、最後は命を落とす羽目になった。
そしてその時期を生き残った慎重で狡猾で真に実力のある先住者プレイヤーたちは、魔界カルナザルへと続く《奈落の迷宮》の最前線や効率の良い狩場などを求めて世界各地に散っており、商売や交易ならともかく、レベリングに関しては明らかに不便な場所であるイースに常駐するような者は極僅かであった。
そういった諸々の事情から、イースでは低年齢層が枯渇していたのだった。
「……うん。あなたのこと、信用する」
納得したのか、ユニは愁眉を開いてほっとした表情を浮かべた。
(あれ、この子……思っていたより幼い……?)
張りつめた表情のときは自分と同じくらいの年頃に見えたのだが、険の抜け落ちた素の貌は意外に幼く、あどけなかった。
よくよく考えてみれば年齢平均以下の低身長な自分よりユニはさらに小柄なのだ。
それは同世代の個人差などではなく、年齢が若いことによる成長途上が理由だと考えた方が自然ではないか。
第一印象の思い込みというのは恐ろしいものだと実感しつつ、ユキは改めてユニの容姿をまじまじと観察した。
あまり手入れをしていないのか、長く不揃いに乱れた前髪のせいで目線が隠れ、身に着けているやや野暮ったい黒のローブと相まって根暗というか、やや不気味な印象を受ける。
しかし、良く見れば幼いなりに目鼻立ちの整った容貌をしており、前髪による印象さえ改善すればかなり可愛く見えるのではないだろうか。
何より、股まで届くほどに長い、癖もなく艶やかな髪の見事さといったら、同性として羨望のため息をついてしまいそうなほどだ。
ポニーテールにするとか三つ編みに纏めるなど色々いじり甲斐がありそうだ。
後日お互い時間があるときにユニの外見をコーディネートするのも楽しいかもしれない、なんて思いつきも頭に浮かんでくる。
少し愉快な気分になりながら、ユキは疑問をはっきりさせるべくユニに訊ねる。
「ね、ユニって今いくつ?」
「……12」
「うわっ、若っ! まさかのJSですか!?」
25を超えるくらいの年齢になると、多少の歳の差はほとんど気にならなくなる。
だが10代、特にローティーンだと二つ三つ歳が違うだけで肉体も精神も価値観も何もかもが大きく異なる。
言ってみれば「世代が違う」のだ。
「うん……この世界に閉じ込められたときはそうだった。今は中学生1年生……の、はず」
「そっか。じゃあユニは2コ下だね。進級できていれば中学3年生だから、私」
「……先輩とか、さん付けした方が、いい?」
「んーん。別に呼び捨てでいいよ」
ユキはころころと笑いながら手を振った。
「それじゃ、フレ登録していいかな?」
「うん」
「機密段階はどうしよ? 私は2でもいいけど、とりあえず1から始める?」
ここでユニは少し考え込んだ。
ちなみにフレンド登録に伴う機密段階というのは、個人情報の公開レベルのことである。
平たく言えば、「このフレンドにはどこまでの個人情報を教えて良いか」を任意に設定できる機能である。
機密段階システムは四段階に設定でき、段階に応じた公開情報の項目もカスタマイズ可能だ。
とはいえ規格の統一的な一般通念もあって、細かくカスタマイズしている者は稀で、ほとんどのプレイヤーはデフォルトの設定で使っている。
デフォルトの設定を平たく説明すると以下の通りとなる。
・第一段階:知人関係。フレンドの名前や性別といった最低限度の情報が閲覧可能。
・第二段階:友人関係。レベルや職業といった表層的な個人情報が閲覧可能。プライベート通話機能(ハンドフリーで話せる電話のようなもの)が有効になる。ギルドメンバー同士の情報公開レベルとほぼ同等。
・第三段階:親友関係。LPやSP、状態異常の有無といった現在ステータス及び大雑把な現在地(○○の街、○○の迷宮、等)の情報が閲覧可能。アイテム転送機能が有効になる。
・第四段階:パートナー関係。習熟度や基礎能力値、アイテムやお金といった資産まであらゆる個人情報を閲覧可能。現在地座標追跡機能、思念通話機能が有効になる。結婚システムによる夫婦間の情報公開レベルとほぼ同等。
そのほか、第五段階的な位置付けとして、システムは違うものの、結婚して夫婦になると財産共有機能、ライフシェアリング(LP共有)機能のon/off、養子システムの利用が可能となる。
なお養子になったプレイヤーは親に対して第四段階と同等の情報閲覧と機能の利用、ライフシェアリング機能のon/off、一定範囲内にいる親の獲得経験値の1/20を分配獲得可能、と多くの恩恵を得られるが、養子は二人までという人数制限があった。
「……2がいい」
数秒ほど悩んでからユニは結論を出した。
「りょーかい」
ユキはアリスを左手で抱えなおし、自由になった右手で仮想ウィンドウを操作して要請を送る。
直後、他人には見えないが、ユニの視界に「ユキ さんからフレンド登録を要請されました。承諾しますか?」というシステムメッセージが表示され、《Yes / No》の選択タブが出現する。
ユニは左手の人差し指でYesの部分をクリックして要請を承諾した。
「ありがと。これから仲良くしようね」
「よろしく」
ユニは短い挨拶と共に頷くと、仮想ウィンドウを呼び出し流暢な手付きでピッピッとメニューをいじる。
ややもして、今度はユキの視界に「フレンド(1)の ユニ さんから機密段階 2 への変更を要請されました。承諾しますか?」とシステムメッセージが表示される。
ユニから要請してくれたことが、彼女の不器用な好意の示し方のように思え、ユキは少し嬉しくなりながら承諾した。
ちなみにシステムメッセージに記載されていたフレンド(1)というのは、機密段階1のフレンドであることを意味している。
フレンド交換が成立し、二人は早速相手の情報を確認した。
「へぇーっ、ユニはウィッチなんだ。しかもレベル21……すごいね」
標準的に言えばレベル21は低すぎるとまでは言わないものの、他人に自慢できるほどの数値でもない。
が、レベル1の引き篭もりプレイヤーであるユキからすれば、レベルが二桁に達しているだけで素直に凄いと思える。
感心したようにユキが言うと、ユニはやや面映そうに頬を染めた。
「全然、大したことはない……よ。私、先住者だから……事件の前にレベルを上げてた、だけ。今は、もう、怖くて……イース近辺の弱い敵が相手じゃないと、狩りもできない、から」
「そっか。でも、戦えるだけ立派立派。フレ情報見てわかったと思うけど、レベル1引き篭もりの私なんて恐ろしくて一歩も街の外に出れないもん」
へりくだった物言いをし、ユキは苦笑した。
「ユキは普段、何してる……の?」
「私? 私は知り合いの宿屋で働いてる。お昼は食堂、夜は酒場って感じだけどね。こう見えても看板娘なんだよー」
えへへと恥ずかしげに笑うユキ。
ユニも釣られたように愛想笑いを浮かべる。
「ユキはすでに社会人……かっこいい」
「あはは、ありがと。でも、働いているとやっぱり色々……っと、ごめん、何でもない。そういえば、ウィッチってどんなことができるの?」
ユニの賞賛を苦笑して受け容れたユキは、話の流れで仕事についての愚痴を言いかけたが、寸前で自制心を発揮して口を閉ざし、取り繕うように別の話題を振った。
「初級の攻撃魔法……と、状態異常誘発系の間接攻撃魔法が使える。……あと、簡単な製薬もできる」
「ふむふむ、何だかいろいろ出来ちゃうのね」
「ソロ向けの職業……だから」
ユニの言うように、ソロ志向のプレイヤーにとって《ウィッチ》は優秀な職業だ。
専門職ほどではないにせよ、攻撃魔法によるそこそこの火力があり、基本成功率は低めとはいえ、複数のモンスターをまとめて眠りや麻痺、毒状態に陥れることのできる便利な間接攻撃魔法を扱える。
その上、初級の採集系クエストで手に入るような入手難易度の低い材料アイテムから低級の回復アイテムを製薬できるため、NPCの道具屋から購入するよりも狩りの経費が安上がりで済む。
難点を挙げるとするならば、性別限定職の為、女性しか転職できないこと。
(ちなみに男性側にも《モンク》という性別限定職が存在するが、ウィッチほど評価は高くなかったりする)
総合的にウィッチは、戦闘系低級職の中ではかなり恵まれたスペックを持つ職業と言えた。
「ユキは……もし転職できるなら、どんな職業がいい?」
「うーん……私、どんな職業があるのか全然知らないから……ただ、剣を振って戦ったりするのは無理かも。あ、料理人、とかだったらなれそう」
料理人を候補に挙げたのは、レベル1のユキにとっては人並み程度に誇れる能力が料理スキルしかなかったからだ。
ユニは少し困った顔をした。
「私が知らないだけ、かもしれないけど。料理人って職業は多分ない、と思う」
「あははっ、だよねー」
ユキにとってその答えは予想されたものだったし、半ば冗談のつもりだったので残念ということもない。
もとよりアカレコのシステム上選べる職業は戦闘系や生産系が主体で、料理人といったような生活的というか現実世界に即した職業というものは存在しない。
ゲームデザインにおいて現実に想定しうる職業を細かく網羅していったら膨大過ぎてキリがない、という理由もあるが、そもそも世界にモンスターが蔓延っているような冒険型MMOに参加しておいて、料理人だのお針子だのといった、街から一歩も出ずに完結するような内向的職業に一体誰が好んで就くというのだろう。
無論皆無ではなかろうが、絶対的にそのニーズは低い。
仮想現実の世界で料理人になりたければ、職業体験が出来たり自分のお店を経営したりといった、冒険型MMOとは趣旨の違うゲームが他にあるのだからそちらに参加すればいい、となる。
とはいえ職業が戦闘や冒険に関連したものだけ、行動もそれに準じた事しか出来ない、では、奥行きや多様性に欠けプレイヤーに窮屈感を与えてしまう。
また、仮想現実とはいえ、この世界で生きている、という、いわば《生活感》をプレイヤーに実感させる意味でも、普段出来ることは多いに越したことはない。
結果、戦闘や冒険に関わるもの以外へのアプローチとして習熟度という要素があり、これを高めることで作業が早くなったり成功率が上がったり一度に多くの物が作れるといった効率の上昇が生まれ、システム的な職業にはなくとも、他人との差別化を図り実質的な専門職として活躍できるようになる。
冒険者ギルドに避難できる見込みがなくなったことと、(アリスはいるが)一人なのは心細いという不安を解消できたことで動機を失ったユキが、寡黙なユニを相手に巧みに話題を振ることで会話を続けていると、
「……ユキ様。急いでこの場を離れた方がよろしいですわ」
恐らく無用に目立つことを避けるためにアクションを自重してくれていたのだろうアリスが、二人の会話に口を挟んだ。
アリスの口調と声音にただ事ではない響きを感じ、ユキは詳細を求めて訊ねる。
「危険が近づいているの?」
「ええ。距離があっても存在が感じ取れるほどの大物と、恐らくその眷属と思われる雑多な気配が西側から高速で接近中ですわ。恐らく飛行型のモンスターでしょう。およそ数分程度でこちらへ到達すると予想されますわ」
「「!」」
説明された内容の剣呑さに、ユキとユニが揃って絶句した。
アリスの声は近くにいた群集の耳にも届いたようで、何人かがぎょっとしてユキたちへと振り向く。
「で、でも……。冒険者ギルドが近いんだし、人も多いし、ここより安全な場所なんて……」
暗い路地裏で孤独でいたことと周囲を人の壁で護られている現状を比較し、この場を離れることに難色を示すユキ。
「逆ですわ」
「え?」
「今、この場所こそが、この街の中で最も危険なのですわ」
「ど、どういう……」
不穏な単語がよぎる二人の会話にユニと近くの群集が固唾を飲んで耳をそばだてている。
それが見えているだけにあまり余計なことは喋りたくないアリスだったのだが。
「説明が必要ですの?」
「お、お願いします……」
知識も経験もないユキの物分りが悪いのはある意味仕方ないとはいえ、今は悠長に議論している場合ではない。
ため息をつきたくなる気持ちを抑えて、アリスは理路整然と説明を始めた。
「こちらへと向かっている飛行型の魔物を遮る戦力はこの街では期待できませんわ。魔物には例外なく人の多い場所に群がろうとする習性があります。今現在この街で最も人口密度が高いここへ、水が低きに流れるのと同じくらいの確実さで向かってきますわ。そしていざモンスターが襲来すればこの場にいるほとんど全ての者が悪意なき暴徒と化して混乱を助長し、他人を犠牲にしてでも助かろうと行動するでしょう。また、襲来モンスターの力量は恐らく最低でもレベル30以上、その上レベル70クラスの大物が一匹混じっております。冒険者ギルドとやらの戦力が如何ほどかは存じませんが、総合的に申し上げてこの場にいる者たちの身の安全を保障することは不可能ですわ」
「そんな……」
ようやく事態を理解したユキは絶望的な表情で呻くように呟いた。
周囲で聞き耳を立てていた者たちも、アリスの話に真に迫る説得力を感じたのか、顔を青くして次々とこの場を離れていく。
ユニが胡散臭そうにアリスを見据えて訊ねる。
「どうして……そんな事がわかるの?」
客観的に見てアリスの言動は怪しすぎる。
ユニはこれまで人形のような姿のアリスのことを、酔狂な誰かが作った愛玩用アイテムか、特殊なNPCか何かだと思っていた。
だが、それにしては人格が確立されすぎているし、その上やたらモンスター側の事情に詳しい。
もとより警戒心の強いユニの疑惑はここへきてピークに達していた。
「私もまた魔物だからですわ」
「っ!?」
恐らく嘘をつかれるかはぐらかされるかするだろうと考えていたユニの予想は裏切られ、あっさりとアリスは理由を暴露した。
衝撃の事実に、ユニは素早く後ずさって距離を取って身構える。
薄々そうだろうとアリスの正体を勘繰っていたユキも、ユニほどではないにせよ、驚きに一瞬身を硬くした。
「もっとも、それだけが理由ではありませんけれど。魔物であることはともかく、今の私はユキ様のしもべ。そう構えずとも貴女がユキ様に敵意を向けない限りは何もしませんわ」
「…………」
ユニから無言で険しい視線を向けられても、アリスの飄々とした態度は崩れない。
「私の言葉を疑うなとは言いませんけれど、貴女ではなくユキ様を助けようとする動機は信用して欲しいですわ」
そこまで言われてユニははっとした。
確かにアリスの言はもっともだ。彼女は主人であるユキの為に警告を発しただけで、ユニや他の誰かに聞かせようとしたわけではない。であればアリスの動機に他意はないのだろう。
知り合ったばかりのユニにとって、ユキとアリスの関係は不明瞭だ。
が、短い間ながらもユキに好意と信頼を寄せ始めていたユニは、間接的にアリスを信じることにした。
ユニは「ふぅ」とため息をついて構えを解き、ユキへと話しかける。
「ユキ……私たちも逃げた方がいい」
そう言って、ユニは先立って逃げていく者たちの背中を一瞥すると、ユキの右腕を軽く掴んで行動を促した。
ユキはやや平静を欠いているのか、焦点の定まらない瞳をユキに向ける。
「う、うん……でも、どこへ……?」
「ここから少し離れたところに、私のホームがある。小さい家だけど、外に隠れるより、まし。とりあえずそこへ」
「……わかった。それじゃ、頼らせていただきます」
「任せて。……こっち」
ユキの承諾にコクンと頷きを返し、ユニは踵を返して小走りに駆け出した。
ユキもまた追随して走り出す。
しかし、30秒も走らないうちに警告の声が二人に待ったをかけた。
「時間切れ、ですわね」
懐の内でアリスがぽつりと呟いたのを聞きとがめたユキは、思わず足を止める。
「まさか――」
嫌な予感を覚えてユキが背後を振り返った瞬間。
ズン! と、大地が震えた。
「――GYURAAAAAAAAAAAAAA!!」
奇怪な低重音の叫び声が、今や数千にも及ぶ群衆たちの喧騒を軽く圧倒する音量で四方に響き渡る。
「あれ……は……」
四階建ての建物すら超える巨大な体躯。
大通りに等間隔で設置してある街灯の光を受けて錆色に輝く鱗。
小山のような胴体からはうねうねと蠢く太く長い首が生えており、その先端には蛇のような頭。しかもそれが3体。
更に背中から蝙蝠の羽のような四枚の翼を広げたその姿は、まるで神話の世界から抜け出てきた怪物の如く。
ファンタジックな知識やサブカルチャーに疎いユキでも、このタイプのモンスターをなんと呼ぶかくらいは知っていた。
「ドラ、ゴン……」
遠目に見えるその光景にとてつもない恐怖を覚え、半ば無意識にユキの口から呟きがもれた。
「正確には大型多頭飛行竜、《ヒュペリオン》ですわね。マナ総量からしてレベルは75程度といったところでしょうか。地上に生息している魔物の中ではほぼ最強クラスの個体ですわ」
ユキの呟きを拾ったアリスが、警戒を滲ませた口調で説明を付け加えた。
胴回りだけでも軽く20メートル以上もありそうな巨体の下では、一体どれほどの数の人間が踏み潰され、命を奪われたことか。
この場からは見えなくとも容易に察せられる惨事と、これから起こる惨劇の予兆に怯え、ユキはカタカタと瘧のように震え始めた。
「……ユキ!」
かけられた声と同時に肩を掴まれ、ユキはびくっと身を硬くした。
恐る恐る振り向くと、ユニが剣呑な眼差しで見上げている。
「足を止めてないで、急いで」
「で、でも、あそこにいる人たちは……」
「あんな怪物、誰にもどうしようもない。逃げるほかない」
危地に残された人々を心配して、逡巡するユキの態度に、ユニは内心で苛立ちを覚えた。
この後に及んでお人よしというか、非常事態だからこそ本来の善性が表に出たと言うべきなのかもしれないが、生憎無力な一般人であるユキに出来ることは何もないのだ。
ユニがもう少し短気であったならば、「うだうだ言わずにとっとと逃げろ」と怒鳴りつけてでもユキに行動を促しただろう。
「残念ながら、それは手遅れですわ」
「「っ!?」」
いっそ冷酷なまでに落ち着いたアリスの声が二人に冷水を浴びせた。
「上から来ますわよ」
続けざまのアリスの警告に二人は慌てて頭上を見上げる。
「何……アレ……!?」
「わ、わから……ない……」
見上げた体勢のまま、ユキとユニは震える声で言葉を交わした。
暗くてはっきりとは見えないが、頭上100メートルを超えるくらいの高さのところに夥しい数の何かが月光を遮るように飛び交っている。
耳を澄ませば、微かに「ざざざざざざ……」という、強い風に吹かれた木々の葉鳴りのような耳障りな音も聞こえてくる。
しかもそれは徐々に高度を下げてきているように見えた。
「あれはイナゴですわね」
「――イナゴ?」
わからない表情をして聞き返すユキ。
「《黒死イナゴ》。レベルはせいぜい20前後と、単体ではさして脅威にならない低級の魔物ですわ。ですが、群体で行動するので駆除が面倒なんですのよ。上空の群れも一万匹くらいいるのではないかしら」
「一万匹……!?」
万を超える数のモンスター襲撃イベントなど聞いたこともない。
そのあまりにも非常識な数に、ユニが血相を変えて呻く。
まるで他人事のように事務的な口調でうんちくを語ったアリスはしかし、内心では今回の襲撃について思索を巡らせていた。
(デカブツの眷族のみならず虫共まで? 数が多いとはいえ、時間をかければ殲滅は難しくない雑魚を差し向ける理由は何かしら?)
疑問を深めるアリスの頭上で、ユキが「どどどうしよう!? わたし、虫はダメなの!」などと口走りながら慌てふためいている。
ユキの声を聞いた瞬間、アリスの思考に閃くものがあった。
(……なるほど。今回の襲撃の本命はユキ様のような低レベルの非活動プレイヤーですのね。黒死イナゴはその数を減らす為の篩というわけ……。動こうとしない人間たちに邪神がいよいよ見切りをつけ始めたってことかしら? あとでレン様のご意見を伺った方が良さそうですわね)
自分の推測が正しければ、群衆から離れてもイナゴ共は執拗にユキを狙ってくるだろう。
そう結論を下したアリスはある考えをもってユキに話しかけた。
「ユキ様、状況が変わりましたわ」
「え?」
「虫共は孤立した人間を狙ってるようですから、恐らくどこへ逃げても襲われますわ」
より最悪な事態を告げられて、青褪めるユキとユニ。
「そ、そんな……じゃ、じゃあ、どうすれば?」
「ここがいいですわ」
「……ここ?」
「ええ。裏路地や屋内のような狭いところでは存分に力を揮えませんもの。広く遮蔽物のないこの場所こそが戦うには好都合なのですわ」
「な、なるほど……」
庇護されている立場として、アリスにそう言われれば従うしかないユキは疑問を飲み込んで納得する。
しかしユキほどにはアリスを信用しきれないユニは不審な眼差しを向けた。
「……正気?」
身も蓋もない言い様だが、常識的な観点からすればユニがそう言いたくなるのは無理もなかった。
上空から襲ってくる夥しい数のモンスターを開けた場所で迎え撃つなど愚かしいを通り越して自殺行為とも言える。
無論それは彼我の戦力差や攻撃手段など、他の要因によって覆しうる法則に過ぎない。
しかしアリスの実力が未知数なユニからしてみれば、やはり容易には賛同しかねる提案であった。
「正気ですし、本気ですわ。それに――」
台詞を途中で止めたアリスの小さな唇が三日月形に吊り上っていく。
アリスを胸に抱いているユキには彼女の表情は当然見えない、しかしユニの目にはアリスの表情が邪悪めいた笑みに歪んでいく様がはっきりと映った。
ぞくりとユニの背筋に冷たい戦慄が走る。
「手遅れだと、言ったでしょう?」
アリスは囁くように不吉な宣告を下し、クスリと嘲笑った。