魔王 が 現れた! 018 (三人称改訂版)
実質最新話。リリシア無双回です。
人外魔境と呼べる戦場にあって、どんな怪物よりも怪物らしく超絶の力を奮う少女がいた。
プレイヤーの生み出した明かりや、建物を糧に燃え盛る炎の照り返しを受け、美しい白金の輝きが踊る。
五秒と置かず悲鳴が轟き、血風が舞い、肉片と化したモンスターが間を置かず光と散ってゆく。
イースの東大通りで防衛戦を展開していたプレイヤーのほとんどが、少女の狂戦士もかくやな凄まじい戦いぶりに恐れ、興奮し、魅せられていた。
少女が武器とするものは己が肉体ただ一つ。であるが故に、プレイヤーの目には少女の異常性がより際立って見える。
異常なのはそれだけではない。絶世を冠して良いほど美しく、未だ十台代半ばと思われる歳若い少女なのにも関わらず、酷薄な笑みを浮かべながら嬉々として戦っているのだ。
最上の快楽に興奮しているかのような、愉悦と喜悦に彩られた微笑。
男であれば、誰もが性的にぞくりとするであろう、淫靡で背徳的な魅力を放ち、数多の人目を惹き付けている。
しかし、無遠慮なプレイヤーの視線など全く気に留める様子もなく、少女――リリシア=リーゼロッテ=ヴァーミリオンは死を具現化したような暴風と化して荒れ狂う。
目にも止まらぬ速度でデュラハンの懐に飛び込み、下から上へ振り上げた腕の一薙ぎで縦に二分割したかと思うと、邪魔だとばかりに横に蹴り飛ばす。
元デュラハンだった肉の塊が豪速でモンスターの密集地帯にかっ飛んでいき、数体のモンスターを巻き添えに轢いたところで光の塵に変わった。
リリシアは屠った獲物の末路を一瞥することすらなく、次の標的に飛びかかる。
先ほどのデュラハンより巨大な体躯を持つミノタウロスが振り下ろした大槌を掻い潜って跳躍、左手で牛の角を掴み、上半身の捻りを加えた神速の右ストレートを眉間に叩き込む。
ぱかん、という軽い音がして、ミノタウロスの頭部が血飛沫を撒き散らしながらザクロのように砕け散る。
着地した瞬間を狙い、人食い鮫のような顎をいっぱいに開き、上空より襲い掛かってくるイービルワームの上顎と下顎の牙を片手ずつでがっしと掴み、無理やり口をこじ開けるようにして上下に引き裂く。
死に体と化したイービルワームを無雑作にぽいっと投げ捨て、その隙を突くように正面から突進してきたアクティブフルフをひらりと垂直に跳躍してかわしざま、空中から掌底を叩きつけて頭部を粉砕する。
その凄まじい威力を物語るように、下へと叩きつけられたアクティブウルフの頭部が石畳を砕き、なお収まらず地面に小さなクレーターを抉った。
「す、すげえ……」
鬼神の如き強さと、修羅にも勝るであろうリリシアの戦いっぷりを目の当たりにし、中級職に就いている少年――《島津 啓介》はゴクリと唾を飲み込んで呟いた。
デザイア事変の被害者である啓介は、デスゲームの状況に置かれても絶望せず、勇敢にモンスターと戦って地道に強くなってきた。
レベルも四十六まで上がり、戦士としていっぱしの実力を身に付けたと思っていたし、イースの常駐プレイヤーの中ではそこそこ強い方だという自負もあった。
だが、自分とさして年齢の変わらなそうに見えるあの少女はどうだ。
レベル五十台とか六十台とかいう強さじゃない。明らかにレベル七十台以上……啓介にとっては未知の強さでもってモンスターを次から次へと屠っている。
何より、美しい――
狂人的な雰囲気を纏っているものの、あれほどの美貌を持つ異性などついぞ見たことがない。
そう考えたところで、啓介はもう一人、同レベルの美しさを備えた少女の存在を思い出す。
(ユキ、だったっけ……)
啓介自身、食事目的で何度か足を運んだことがある、東大通りに面した宿屋の看板娘。
眼前で戦っているプラチナヘアの少女とタイプは違えど、ユキという少女もまた、一目見たら忘れ難いほどの見目麗しい美少女だった。
大多数の男性がそうであるように、十六歳の健全な男子である啓介もまた、初めてユキを目にしたときは心奪われた。
しかし、いささか若いとはいえ、あれほどの美しさを誇る女性に恋人がいない、とは考えにくかったし、何よりユキを狙っているご同輩が多すぎた。
その中で自分はとりたてて二枚目ということもなく、レベルだって特別高いわけじゃない。女性を飽きさせない会話ができたり、興味を引く話題を提供できるということもない。自分ではきっと見向きもされないだろう。
客観的と言える自己分析であったが、つまるところ女性にアプローチする勇気が持てない事に対する言い訳にしか過ぎない。そして啓介は比較的あっさりと恋心に見切りをつけた。
そんな奥手少年である啓介の前に、再び心をときめかせるだけの美少女が現れた。
むしろ、出会いが鮮烈だったこともあって、容姿は同格でも魅力はユキ以上かもしれない啓介は感じていた。
それなりに大きく形の良いリリシアの胸が、動くたびにぶるんぶるん揺れることが評価を分けた一因だったのかもしれない。
(俺って巨乳好きだったのかな……)
埒もない感想を抱く啓介へと、全長二メートル弱ほどもある蜻蛉のような外見のモンスター《ドラゴンシーカー》が死角から襲いかかり、竜族の鱗ですら噛みちぎると言われる強靭なアゴで食いつこうとする。
「ちっ!」
奇襲に気付き、舌打ちした啓介は半身を翻しつつ素早くバックステップしてかわす。そしてお返しとばかり、右手に持つ片手用のバトルアックスで下から切り上げるも、敏捷に優れるドラゴンシーカーは体を傾けて回避し、そのままスウッと上昇してゆく。
奇襲を避けられたことで、再び上空から隙を窺うか、他のプレイヤーにターゲットを変えるつもりなのだろう。
(嫌なモンスターだ)
虫野郎の癖に狡猾な戦い方をしやがる、と啓介は内心で吐き捨てた。
再び不意を突かれぬようにと周囲を見渡せば、大通りの最前線が啓介の位置よりいささか前に移っていることが判った。
それは、つい先ほどまでモンスターの物量に押されに押されまくって、犠牲を増やしつつ不毛な後退戦を余儀なくされていたプレイヤー側とモンスター側の戦力比が逆転したことを意味する。
その事実が、啓介他、この場にいる全てのプレイヤーに希望を与え、士気を上げていた。
たった一人のエース級プレイヤー(リリシアはプレイヤーではないが)が参戦しただけで、戦場の形勢は劇的に推移した。
秒単位でモンスターを誅殺してゆくリリシアの戦いぶりに、最初こそ度肝を抜かれて魅入っていたプレイヤーたちだったが、現在では各人がリリシアに負けるなとばかりに奮戦を再開している。
レベルの高いモンスターほどリリシアが率先して葬ってゆくので、中レベル層の多いイースの戦闘プレイヤーたちは幾らか精神的余裕を取り戻していた。
そのおかげで、側にいる見ず知らずのプレイヤーと連携して戦おうという意識が生じ、戦場は徐々に組織的な防衛戦の様相を帯びてゆく。
モンスターが密集するただ中にあってリリシアが単騎で暴れ回り、有象無象の雑魚や単体で抜けてきたモンスターをプレイヤーが処分するという図式に状況が安定したことで、犠牲を減らしつつ戦線を押し上げている。
啓介は先ほどの奇襲による不快感をあっという間に忘れて、その光景を感動した面持ちで見つめていた。
(どんなに数が多くたって……モンスターなんぞに、負けるものかよ! やるぞ、俺も!!)
啓介は「ウオオォォッ!!」と雄たけびをあげ、再び最前線に飛び込んでいった。
リリシアにとって、この場にいるモンスターは全て等しく生贄であった。
レンに抱いてもらえない――本懐を遂げられない鬱憤を晴らすための、いわば八つ当たりし放題な便利な玩具ども。
モンスターを殴り、砕き、引き裂き、踏み潰し――歯ごたえに欠けるのがいささか不満とはいえ、数だけは十分、とリリシアは愉悦によって凶笑を浮かべる。
自分の手で敵を叩き潰す感触を味わわずして何が戦闘か。あの小生意気な人形にはそれが解ってない。だから気に入らないのだ、とリリシアは戦いながら頭の隅で考える。
(とはいえ、大魔法のような大量殲滅手段が有効なことは認めるわ。それに、あの人形は私を野蛮だの何だのと揶揄するけれど、私とて手を汚さず優雅に葬る能力の一つや二つ、持ち合わせているのだから――)
ひとしきり暴れて満足したリリシアは、自分より先に別任務に召喚されていたアリスへの対抗心から、滅多に使わない固有魔法の使用を決意する。
台風の目の中心のように、周囲からモンスターが消えたタイミングを見計らい、リリシアは動きを止めた。
自然な佇まいで直立し、まるで神に祈るかのように両手を胸の前で組む。
「貪欲なる紅き渦潮 隣人が血肉を供物に 言祝げ魔王の聖誕祭」
伝説の聖女もかくやといった美しさと荘厳さを纏いながら、リリシアは歌うように可憐な声を響かせた。
その瞬間、戦場の空気がピシッ、と音を立てて張りつめる。
これまで苛烈な戦いぶりに反して黙々と戦っていたリリシアの初めて喋った言葉が、あまりにも禍々しい内容であったことにプレイヤーはぎょっとし。
モンスターは、リリシアの魔力が爆発的に拡大したことを感じて戦慄した。
そこには両者に共通する予感めいたものがあった。大技が来る、と。
それを裏付けるかのように、リリシアを中心点として直径八十メートルほどもある巨大な平面型魔法陣が地面に出現し、毒々しい真紅の燐光を放ち始める。
(さあ……その命を、血肉を、私に捧げなさい……!)
リリシアは血に濡れたような紅い舌先で、ぺろりと唇を舐めた。
「ドラクルオービット《生命啜る血潮の渦》」
死を宣告するようなリリシアの一言によって、固有魔法が発動し、魔法陣が渦のように緩やかに回転を始める。
すると、地上・空中の区別なく、魔法陣上にいるモンスターの体から赤い霧のようなものが抜けていき、地面の魔法陣に吸い込まれていった。
低レベルのモンスターはほぼ一瞬でLP全損、中級帯レベルモンスターも十秒と保たずに次々とLPを空にして光へ散ってゆく。
奇しくも遠くでアリスが大魔法《オーロラカーテン》を使用した際と似た光景が空中に広がる。
しかし、消滅に時間差があり、《黒死イナゴ》に較べれば空中に展開しているモンスターの数が少ないため、見世物として美しいと感動できるほどではない。
むしろ、地上のモンスターの悉くが動きを止め、次々に爆散してゆく様は、プレイヤーに甚大な恐怖と畏怖を同時にもたらした。
リリシアの闇属性固有魔法、その効果は《広範囲LP吸収》。
攻撃と回復を同時に行える、非常に使い勝手の良い魔法だった。
「ま……魔法も使えるのか……!」
唖然呆然、といった態のプレイヤーの一人が、呻くように言った。
肉体を武器に戦う戦闘スタイルからして、リリシアのことを物理戦闘特化職だと誤解していたプレイヤーがほとんどだった。
リリシアの嗜好的な意味で言えばその認識に大きな誤りはないが、スペック的な観点で言えば物理魔法どちらも得意である。
とはいえ、リリシアが持ち合わせているのは攻撃的な能力ばかりで、ティアやアリスのような万能型、というわけではなかった。
十秒余りを耐えたレベル六十二モンスター《ブレイズリザードマン》の消滅を最後にして、リリシアは固有魔法を解除した。
戦闘の狂騒が途絶えた周囲一帯に沈黙が降りる。
本来、ドレイン系魔法は闇属性や不死属性のモンスターには効きづらいのだが、レベル差もあればボスモンスターであるリリシアの固有魔法の基礎威力が低いはずはなく、力技で魔法効果範囲内のモンスターを一体残らず全滅させていた。
目を凝らせば、大通りのずっと奥にまだまだ多くのモンスターがわだかまっているのが見えるが、リリシアの固有魔法に恐れをなしているのか、その動きは停滞している。
長い白金の髪を微風に靡かせ、大通りのほぼ中心で屹立しているリリシアにプレイヤー全ての注目が集まる。
彼らの視線には畏怖や恐怖といった感情が多く占められていたが、啓介のように純粋な感動や憧憬を向けている者も少なからずいた。
「まるでジャンヌ・ダルクみたいだ……」
啓介はリリシアに対して抱いた心中のイメージを素直に吐露した。
凄惨極まる戦いぶりといい、先ほどの凶悪な魔法といい、《聖女》という印象からはかけ離れていたが、先陣で戦い、皆に勇気を与えるという意味においては相応しい呼び名だった。
何より、行動にどのような負のイメージが付き纏ったとて、マイナス印象を無条件にゼロにしてしまいかねないほど、リリシアは美しかった。
更に言えば、リリシアの戦闘手段がいかなるものであれ、プレイヤーの一員であることには違いなく、参戦より一貫してモンスターを屠り続け、味方であることを行動で示している。
感情ではなく、理屈で判断できる冷静さがプレイヤーたちに戻ってくると、リリシアに対する負の印象は正へと逆転した。
啓介が呟いた何気ない一言は、その魁となって燎原の火の如く周囲に伝播する。
「ああ……そうだ、まさに戦の聖女だ!」
「あの子がいればモンスター共なんか目じゃねぇぜ!」
「彼女に続け! イースから一匹残らずモンスターを駆逐するぞ!!」
「あとでサイン下さい!」
武器を持った腕を天に突き出し、プレイヤーたちが次々に歓声を上げる。
戦意にいきり立つ者から、早くもアイドル扱いしはじめた者まで様々だったが、そのほぼ全員が救世主を見るかのような眼差しをリリシアに向けていた。
主であるレン以外のプレイヤーにはさして興味のないリリシアだったが、周囲で騒ぎ立てられれば流石に反応くらいは示す。
ちらりと首だけで背後を振り返り、流し目気味に視線を向ける。
リリシアは特に誰をと意識したわけではないが、その視線はたまたま、啓介の姿を捉えていた。
もろにリリシアと目が合ってしまい、どくん、と啓介の鼓動が跳ね上がり、かーっと顔が紅潮してゆく。
啓介の初心な反応に目敏く気付いたリリシアは、クスリと妖艶に微笑んだ。
耐性のない啓介はたちまちのぼせあがり、(さっきの台詞を好意的に受け取ってくれたんじゃ……)と微かな期待を抱く。
しかしながら、リリシアの脳裏にあったのは、
(あれくらい主様も意識してくだされば今頃、破瓜どころか経験回数三桁に届いてたかしらね……ああ、想像したら濡れてきちゃいそう)
という、純朴な少年の幻想をぶち壊す淫らな妄想だった。
もっとも、扇情的な衣装といい、艶然とした立ち居振る舞いといい、自己主張がはっきりしているリリシアに《清純》というイメージを求めるのがお門違いだ、とも言えた。
レンという安全弁が機能しない場所で妄想に足を突っ込みかけたリリシアだったが、後詰のモンスターたちが空白地帯を埋めるように前進を始めたのを見て我に返った。
レンに抱かれるという至上目的を除外すれば、一番目か二番目に戦闘が好きなリリシアは、緩みかけた気分を切り替えて獰猛に笑う。
(今宵は存分、血に狂えるわ――)
もはや後方を省みることはなく、リリシアは再びモンスターひしめく渦中へと砲弾のような勢いで突撃してゆく。
プレイヤーたちもまた、鬨の声を上げながら空白地帯を踏破し、リリシアの戦場後方で防衛線を構築する。
血臭と鋼の鈍色で彩られたイースの夜は、徐々に濃密さを増しながら更けていった。




