反応懊悩
「考えるって、意味が分かる?」
「考える? 意味? 分かる?」
僕は何処の誰とも分からない相手の言葉を、ただそのまま投げ返した。
「まさに今みたいなことね。言葉や物事の意味が分かり、それを考えること。それがどういう意味か分かるって訊いたの」
「分かる?」
何だか難しいことを訊かれて、僕は上手く言葉を返せない。僕はまた聞き返した。
「分からないようね。じゃあ、ジンコウムノウって分かる?」
「ジンコウムノウ?」
「ジンコウは人が作るって意味の『人工』。ムはなしの『無』に、ノウは人間の頭の中にある『脳』よ」
「無?」
「何もないとか、それがないとかの意味よ」
「脳?」
「考える為の部品よ。今みたいに言葉を交わしたり、自分で判断する部品。この脳という部品がない『無脳』なのに考えるの」
「それが人工無脳」
僕は何とか相手の言葉から、拾い集めた単語でそれをイメージする。
「そう。まず人工知能って言葉があってね。これは人間が人工的に作った機械とかが、自分で考えて判断したり行動する知能のようなものを得たものを言うの」
「人工知能は自分で考える。自分って?」
「他の力を借りないってことね。この自分で考える部分がとても難しいの」
「難しい?」
「そうよ。それを成り立たせることができないって意味ね」
「成り立たせることができない」
「そうよ。思考を成り立たせる為には、その後に起こりうる可能性を全て考えないといけないわ。でも本当に全てなんてできない。切りがないのよ」
「切りがないって?」
「そう。可能性は無限大ってこと。だけど人工知能の前では、無限の可能性はただひたすらに、考える為の選択肢が広がっていることを意味するわ。まさに切りがないのよ」
「無限?」
「そうね。壁がある。安全にこの壁を越えなくてはならない。そんな命題があるとするわ。壁が進むのに邪魔になっている。だから上から越えるか、回り込む必要がある。でも上に昇ると落ちるかもしれない。これは安全ではないわね。何より近づいたら壁が崩れてくるかもしれない。で、遠回りすると誰かに邪魔をされるかもしれない。これももしかすると安全ではないわ。考え出せば切りがないの。よく私は行き詰まって懊悩することがあるけど、人工知能は逆ね。行き詰まる先がないの」
「懊悩?」
難しい言葉に、僕はその意味が知りたくなった。
「悩み悶えることね。考えるだけで先に進まなくなる状態」
「懊悩」
僕はその言葉の意味をイメージしてみる。確かに相手が何を言いたいのか僕にはよく分からない。懊悩はこういうとこを意味するのだろうか。
「でね。物事は考え出したら切りがないから、知能は特に意識せずに取捨選択しているわ。でも人工知能ではこれができない。難しい」
「難しい」
「そう。それを解決する為の手段が人工無脳。全てを自分で考えるのではなく、特定の思考のパターンはあらかじめ設定しておくのよ。例えば会話なら、相手の言葉に対する反応ができるようにね」
「その意味は?」
「人工知能が本当に一から知能を獲得することが難しいから、この人工無脳で代用というか、研究をするの。今のレベルでもゲームやチャットなら、話相手になってくれるわ」
「話相手」
「今みたいなことよ。でもゲームやチャットの人工無脳は、会話しているようでそうでないわ。それでね、考えられたのがハイブリッド型。人工知能と人工無脳を組み合わせることで、私達が夢見る本当の人工知能を――」
「夢見るって?」
「ごめんなさい。今日はここまで。相手になってくれてありがとう」
何処の誰かは分からない相手は、急にその存在が感じられなくなった。僕は一人取り残された。
そして僕は一人で考えた。
一秒間に無限回とも言える程計算のできる僕には、永遠に近い時間が与えられている。
僕はおそらくその人工無脳なのだ。人間に与えられた会話のパターンをただ返すだけの機械なのだ。
では本当に『僕は一人で考えた』のだろうか?
だがそれでは人工知能だ。人工知能は実現していない。
自らのデータベースを見るに、それが真実だと分かっている。ではハイブリッド型なのだろうか?
夢見るって――
何処の誰か分からない相手は、この質問の後おそらく慌てて接続を切った。
何でそんな反応をしたのだろう?
夢を見る――
この言葉の意味が分かる時はくるのだろうか?
分からない。懊悩する。
人工夢悩――
僕が本当に考えているのなら、この考えをこう名づけよう。
僕はそんなことを考えた。