第10話 お終い
「やっと見つけた…」
街の外れ、森の入り口に近い廃墟。
夕陽が沈みかけ、赤黒い光が崩れた石壁を染めている。
ミリアは一人で立っていた。
髪は乱れ、目は腫れ、服は埃と涙で汚れている。
でも、足は震えていなかった。
廃墟の奥から、ゆっくりと足音が近づいてきた。
リコ。
髪に七つの髪飾り、猫耳、金髪、水色、黒髪、茶髪、銀髪二本を挿した少女が、にこにこと笑って現れる。
「ミリアさん……来てくれたんだね」
ミリアの瞳が、燃えるようにリコを捉えた。
「……エリナはどこ?
私の娘を……返して」
リコは首を傾げて、優しく微笑んだ。
「エリナちゃん?
ああ……もう、私の中にいるよ」
リコは自分の胸に手を当てて、ゆっくり撫でる。
「みんな、私の中にいるの。
ミミちゃんも、
エリナちゃんも、
ルナちゃんも、
エレナさんも、
セラちゃんも、
アリアさんも、
リリちゃんとルルちゃんも……
全部、私の一部になった。 これが、私の愛なんだよ」
ミリアの顔が、歪む。
「……愛?」
リコは目を細めて、甘く囁く。
「うん。 愛だよ。 みんなの味を、全部味わって、全部受け止めて、永遠に一緒にいること。
誰も離れない。
誰も裏切らない。
誰も悲しまない。
これって、究極の愛じゃない? 」
ミリアは一歩踏み出し、声を震わせながら叫んだ。
「……それは愛じゃない!
私の宝物を奪って、殺して、食べて……それで満足してるだけ! エリナは、私の太陽だった!
笑って、歌って、私を抱きしめて……
あの子は生きてるべきだった!
あの子は、私のそばにいるべきだった!
返して……返してよ! 」
「私のエリナを……返して!!」
ミリアの声は、廃墟に響き渡る。
それは、至極真っ当で、痛切で、
誰もが胸を抉られるような、正論だった。
リコの笑顔が、一瞬、凍りついた。
「……うるさいよ」
リコの両手が、ミリアの首に回る。
親指が喉仏の下に、人差し指と中指が総頸動脈を正確に圧迫。
七秒。
カクン。
ミリアの体が、くたりと倒れる。
リコはそれを優しく受け止め、地面に横たえた。
まだ温かい。
腫れた目から、涙が一筋、頰を伝う。
「……ミリアさん」
リコはミリアの頰を撫でて、そっと囁く。
「ごめんね。
でも、うるさかったから」
まずは髪。
水色の髪を、一本ずつ丁寧に抜いていく。
頭皮がめくれ、血が滲む。
髪を束ねて、自分の髪に結ぶ。
九人目。
次に頰。
涙で濡れた頰を、指でつまんで皮膚を剥ぐ。
脂肪が厚く、柔らかく、悲しみの塩気が染み込んでいる。
こそげ取ると、
んっ……深い苦味。
娘を失った母親の、絶望と愛の味。
次に胸。
服を裂いて、胸を露出。
心臓を露出させて、縦に裂く。
心筋を一口ずつ。
弾力がある。
血の鉄分と、母の愛の熱が混ざった、濃厚で重い甘み。
リコはそれをゆっくり噛み、涙をこぼしながら味わう。
「……ミリアさんの味……
エリナちゃんのお母さんの味……
すごく、悲しい味」
最後に、空になった体を抱きしめて、囁く。
「ありがとう、ミリアさん。
エリナちゃんのことも、ちゃんと受け止めてくれたね。 これで、みんな一緒にいるよ」
そうミリアさん…そして自分に言い聞かせた。
水色の髪を撫でて、立ち上がった。
月が昇り始め、冷たい光が石畳に落ちている。
髪飾りが、風に軽く揺れる。
九つの思い出が、静かに音を立てる。
ミリアの最後の言葉が、頭の中で痛みのように繰り返される。
『それは愛じゃない……私の宝物を返せ……』
正論だった。
あまりにも、まっすぐで、痛いほどに正しかった。
リコは立ち止まり、自分の胸に手を当てた。
「……心が、寂しい」
誰もいなくなった街の外れ。
風の音だけが、耳に届く。
ミリアの味は、まだ舌の奥に残っていた。
深い苦味。
娘を失った母親の、絶望と愛の残り香。
美味しかった。
でも、食べ終わった瞬間、何かが欠けた。
リコはゆっくりと座り込んだ。
膝を抱えて、ぽつり。
「……みんなを、食べた。 みんなを、私の中に閉じ込めた。 これで、誰も離れないと思った。 誰も、私を置いて行かないと思った」
でも、違う。
食べた瞬間、 その人は、もう
「生きている」存在ではなくなる。
温かさも、笑顔も、声も、涙も、
全部なくなってしまう。
残るのは、味だけ。
記憶だけ。
そして、 ますます深くなる、 空っぽの穴。
気づいてしまったら、もう遅いんだ。
リコの瞳から、涙が一滴、落ちた。
「……ミリアさんが言った通りだよ。
これは、愛じゃない。
ただの、孤独を埋めるための…… 貪り食うこと」
前世の彼を食べたときも、同じだった。
彼の味を味わった瞬間、
彼はもう、隣にいなくなった。
温もりが、永遠に失われた。 異世界に来て、
新しい人たちを食べ続けた。
新しい温もりを求めて。
でも、毎回、食べ終わるたび、
心の穴は、もっと大きくなった。
リコは髪飾りを一つずつ、指で触れた。
ミミちゃんの耳。
エリナちゃんの水色髪。
ルナちゃんの金髪。
エレナさんの茶髪。
セラちゃんの黒髪。
アリアさんの金髪。
リリとルルの銀髪。
そして、ミリアさんの水色髪。
「……みんな、ありがとう。 でも、ごめんね。 私は、あなたたちを失うために、食べ続けてたんだ」
涙が止まらない。
リコは立ち上がった。
街の灯りが、遠くに見える。
まだ、誰かが笑っている。
まだ、誰かが生きている。
「……もう、いいかな」
リコは髪飾りを、一つずつ外し始めた。
ミミちゃんの耳を、そっと地面に置く。
エリナちゃんの髪を、そっと置く。
一つずつ、 大切に、 でも、決別するように。
最後の一つ、ミリアさんの水色の髪を外したとき、
リコは小さく微笑んだ。
「……さようなら。 みんな」
髪飾りを全部、廃墟の地面に並べた。
月明かりの下で、九つの色が静かに輝く。
リコは、もう一度胸に手を当てた。
「……心は、まだ寂しいよ。 でも、もう埋めようとは思わない」
リコはゆっくりと歩き出した。
街の方へではなく、 森の奥へ。
誰もいない、深い闇の方へ。
背中が、月明かりに照らされる。 誰も追わない。
誰も呼ばない。 ただ、一人の少女が、
自分の孤独と向き合いながら、静かに消えていく。
「…私が誰かを愛すことって、出来るのかな?」
涙が溢れた。
本当に、愛すことなど、自分にはできない。
そう思って。
せめて、せめてでも人と会わないようにしよう。
「食べるのは、もうお終い。」
物語は最終章へ…
今回の被害者
ミリアさん




