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7、フェリシアンの過去【回想】


『泣いてはなりません。お母上は美しすぎたのです。……ただ、それだけです』


 母親の葬儀の際、事情を知る親族たちは口を揃えてそう言った。

 これは三年前、フェリシアンが九歳の頃の悲劇。



 あの日は、激しい嵐の夜だった。

 国王はその息子レオニス第一王子を連れて、極秘で地方視察をしていた。

 しかし途中の大雨と土砂で馬車が進めず、一行はやむなく近くにあるアスベル男爵の領地に停泊していた。



 家の者が総出で国王一行をもてなした。

 田舎に漂ういつもと違う張り詰めた空気。

 そして何より、国王がフェリシアンの母――アスベル夫人をじっと見つめていることに、彼は幼いながらに一抹の不安を感じていた。


「お前がフェリシアンか」


 灰色の短髪に吊り目が特徴的な十二歳の少年――第一王子のレオニスはフェリシアンにそう声をかけた。


「お、お初にお目にかかります。王子殿下」


 フェリシアンは心臓が飛びたしそうになっていた。王族に話しかけられるなど、下級貴族の彼には想像すらできなかったことだからだ。緊張で自然と表情が強張っていく。

 それを見たレオニスは、畝った前髪を揺らしながら、おかしそうに笑った。


「ははっ、まあ力抜けよ。大人たちの話はつまんないからさ、隣の部屋で遊ぼうぜ。チェスできるか?」

「はいっ、で、でもそんなに得意ではなくて……」

「そうか、なら別のことでいい。とにかく行こうぜ。今夜は……たぶん、……だから」

「え……?」

「……なんでもない。お前はガキなんだから、とにかく俺と遊べ!」


 粗野な態度でそう言うレオニスだが、その視線はなぜか泳いでいた。その言動のちぐはぐさにフェリシアンは違和感を覚えつつも、彼を隣室へ案内した。


 その夜。

 父親のアスベル男爵が顔色を失って王の言葉を聞いていた。


「……陛下がお前を、夜の供として望んでおられる」


 アスベル夫人にそう告げる男爵は、魂を抜かれたかのような顔をしていた。家にいた者たちの空気が凍った。しかし誰も逆らうことはできない。

 フェリシアンはレオニスとしばらくカードゲームをしていたが、しだいに静かになっていく隣室が気になり、手を止めて何事かと駆け寄った。

 その頃には父も母も部屋にはいなかった。そして残された使用人たちの会話から、父が母に言った言葉を知る。


(……よるのともって何?)


 九歳のフェリシアンにはその意味が分からなかった。しかしこれがいいことではないと言うことは察していて、額に冷たい汗が流れている。

 彼がどういう意味かと尋ねても、使用人たちは頑なに口を閉じ、何も詳細を教えてくれない。


 仕方がなく、隣室に戻る。レオニスは窓辺で荒れる空を見上げていた。


「レオニス殿下、教えてください。母上はどうなるんですか?」

「え、ああ……可哀想だけど、仕方がないさ。陛下の悪い癖なんだ。お前の母上、美人だからさ」

 言葉を濁すレオニスに、フェリシアンは自分だけが何も知らないことに苛つきを覚えた。そして誤魔化そうとする彼に険しい表情で詰め寄って声を上げた。


「教えてください! 母上はどうなるんですか!」

「はは……そんな顔するなよ、仲良くしようぜ。もしお前の母上が新しい妃になれば、俺たち親戚になるんだし……な?」


 引き攣った笑顔でそう言われて、フェリシアンはやっと『夜の供』の意味を理解した。

 つまりそういうこと。吐き気と共に、血の気が引いた。眩暈がして視界が揺らいだ。


(母上……!)

 彼は肩に置かれたレオニスの手を乱暴に振り払い、無我夢中で屋敷の廊下を走った。

(助けないと! 早く!)

 真っ青な顔で、母の部屋へと走った。するとそこには同じく顔面蒼白のメイドたちが群がっていた。

 フェリシアンはメイドをかき分けて、急いで部屋へ駆け込む。



「坊ちゃま、だめです! こちらへ来ては!」

 メイドの叫び声が響く。

 フェリシアンは部屋の惨状を見て目を見開いた。


 扉の向こうで、白いドレスを着た母が、手首から血を流して倒れていた。床が赤く染まり、鉄の匂いが充満している。


 彼の母はその姿さえも蝋人形のようで美しかった。

 彼女の手にはナイフが固く握られていた。彼女が自害したと言うことは誰が見ても明らかだった。


「……なんで」

 フェリシアンの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。

 騒ぎを聞きつけて、すぐに男爵と国王たちがやってきた。

 突然の妻の死に放心する男爵とは裏腹に、国王はつまらなそうに死体を見下ろしていた。

 

「死んだか。第四の王妃になれたかもしれんのにな。あの美しさ、王家の血と交わるべきであったのに」

 王の狂った呟きに、フェリシアンは愕然として震えた。


「それにしても、このような方法で王命に背くとは。……もうよい。ここにいるアスベルの者たち全員の首を刎ねよ」


 国王は衛兵にそう一声あげた。

 凍てついた空気がさらに凍る。もう誰も逆らうことなどできない。


「レオニスよ、ここの領地はお前にやろう」


 目の前で人が死んでいるのに、そして先ほど周囲の者たちの死刑を宣告したばかりであるのに、国王は息子のレオニスにそんな軽口を叩いていた。レオニスも言葉を失って苦笑するしかない。


 屋敷の人間が皆、今の状況に絶望している。

 フェリシアンも同じだった。

 外では雨の音が強くなり、激しく雷も鳴っている。男爵は何も言わずに床に這って項垂れている。

 フェリシアンはただ静かに涙を流していた。その時だった。


「……ほう、そういえば息子がおったのか」


 部屋から去ろうとしていた国王は、突然足を止めそう言った。


「え……」

「これは美しい。母親によく似ておる。やはりこの血、欲しいのう」


 国王はフェリシアンの顎に手をやり、彼の顔をまじまじと見つめた。その目は新しいおもちゃを見つけた幼児のようであった。

 そばにいたレオニスは何かを察し「げっ」と顔を引き攣らせた。

 フェリシアンの息が荒くなる。


(もう何もかもおしまいだ……)

 フェリシアンは死を覚悟した。もうこうなってしまえば、それでいいとすら思えた。


 しかし国王は別のことを考えていた。もっと残酷なことを。


「惜しいな。これが女であれば、このレオニスに嫁がせたのだが……何か手はないかの」

「……陛下、男は娶れません。そのようなことを勝手にお決めになっては母上が怒り狂いますよ」

「ふむ。ならば……婿にするか。リリアナは既に相手が決まっておるし、残るはあの出来損ないか……だが、それでもよい」


 国王は静かにそう呟くと、処刑のために剣を抜こうとしていた衛兵の手を止めさせた。


「この件の処罰は取り消す。そしてフェリシアン・アスベル。そなたは成人後、我が末娘マチルダの夫となり、王家の繁栄に努めよ」


 威厳ある国王の一言に、皆は従うしかなかった。

 その後、アスベル男爵は国王より伯爵号と王都の邸宅を下賜された。そしてアスベル夫人の死の真相は隠され、病死ということにされた。

 アスベル伯爵は以前のおおらかな性格とはかけ離れた冷徹な当主となり、周囲に心を閉ざしていった。

 





 それから、フェリシアンの人生は百八十度変わった。

 王命が下ってまもなく、王宮より専属の教師陣が派遣された。名目は花婿教育。

 だがその実態は、未来の王女の婿として恥のない人形を仕立て上げるための矯正であった。


「アスベル令息」

 屋敷にやってきた上品な雰囲気の初老の紳士が、杖を叩きながら呼びかける。彼はフェリシアンの専属の教師のうちの一人だ。

「あなたの最大の長所はその美貌です」


 値踏みするような視線が、フェリシアンの顔をなぞる。まだ幼い顔つきの彼は、背筋を伸ばして怯えるように固まる。


「あなたは『影の王女』に足りぬ王族としての華やかさを補い、将来的にはそのお子……聖なる力を持つであろう『国王陛下と聖女の孫』に、あなたの容姿を受け継がせる役目があります。国民の心を掴む外面を作ること。それが陛下より賜ったあなたの使命。実に光栄な人生なのですよ」


 光栄な人生。今のフェリシアンの心には響かない言葉だ。


「……はい」

「声が小さい。それになんですか、その不満そうな顔は」

 教師は眉間に皺を寄せて、荒々しく杖で卓を叩く。


「光栄なことのはずです。もっと喜びなさい。笑いなさい」

 そう言われ、鏡の前で何度も練習させられた顔を思い出す。口角を優しく引き上げて、目元と口元は崩れないように少し力を入れる。

「そうです。その顔です。忘れぬように」


 教師の後ろにいた補助係が、フェリシアンをまじまじと見つめながら必死に何かを書き留めている。まるで商品の検品でもしているかのように。


「では次。故郷ではどのように過ごしていましたか」

 そう聞かれ一瞬だけ、あの雨音がよみがえる。

 王都に引っ越してきて、一度もあの場所には戻っていない。あんなことがあって、戻れるはずがない。

 しかし今は笑顔を崩してはいけない。

 フェリシアンは頭に浮かんだことを話す。


「……近くに大きな湖がありました。私はよく釣りや、船遊びを」

「野蛮ですね」

 厳しい声色で、間髪入れずに切り捨てられる。

 まだ十歳すぎの少年には耐えきれないこの仕打ちに、フェリシアンは俯いてしまう。


「釣りや船遊びなど王女の婿に相応しくありません。今後は『詩を読んでいた』と答えなさい」

 そう言われて、フェリシアンの中から故郷の湖が静かに消える。

「はい」

 教育という名のもと、彼の過去が修正されていく。

 

(僕の人生は、なんだったんだ)


 母の笑顔も。湖面のきらめきも。あの嵐の夜さえも。すべてが、なかったことにされていく。


(父上は変わってしまったし、僕も元の僕には戻れない。これから生き残るには、従うしかないんだ)


 フェリシアンは目から溢れそうだった涙を引っ込めて、小さく息を吐いた。


(このまま自分を消せばいい。人形になった方がましだ。感情があるから、苦しい)


「アスベル令息、聞いていますか」

「はい」

 今度は完璧な微笑みだった。教師は満足げに頷いた。

 その日からフェリシアンの中で何かが静かに閉じ、彼は王家が求める完璧な人形に近付いていったのだった。



 


明日からは夜一回更新です!

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