5、外出
ついにフェリシアンと王宮の外へ外出をする日になった。
(相変わらず何を考えているのかよく分からないわ)
馬車の正面に座っているフェリシアンは、窓の外を見つめている。その横顔は相変わらず美しい。
(戸惑うことなんてない。利用してしまえばいいんだわ。私は王宮の外に出て、自分のやりたいことをやるだけなんだから)
マチルダはそう自分に言い聞かせて、彼から視線を逸らした。
「今日はどちらに?」
「えっと……魔術に関する本をいくつか。あとは魔法具店ね。護衛を撒いて行ければいいけど」
マチルダは聞かれたことを淡々と答える。胸元には亡き母の形見の装飾品が光る。
冷遇されているマチルダが自由に使えるお金はかなり少ないので、今日買うものの金額によっては、この形見を手放すつもりだ。
もちろん母の思い出の品を手放すのは惜しい。しかしリチャードと自分の死を阻止することさえできるのであれば、マチルダはどんなことも我慢できた。
「今日は色々と連れ回してしまいそうね」
「いえ、私が申し出たことですから」
フェリシアンはさらりとそう言って微笑む。
以前とは違う、目元まで柔らかな笑みにマチルダの心が少しざわつく。しかし我に返って声を上げる。
「そ、それにしても驚いたわ。どうして断らなかったの?」
「……それは」
フェリシアンは一拍置いてから、先日の出来事を思い返した。
記憶に残るのは、マチルダの気高い一声だった。
『私はもうあなたの思い通りにはならないから』
そう宣言し、彼女はあのリリアナを言い負かした。
(あの時、あなたがあんな風に言葉を返すなんて思わなかった。今まで蔑まれることを受け入れ続けていたあなたが……)
「気づいたらそう言っていました。自分でも不思議です」
「ふうん……」
マチルダはそれ以上言及せず、無言で窓の外を眺めた。
今日の目的地は、市街地から少し離れた街。
書店や学問所、魔法具店等が集まっている隠れた知の名所だ。
マチルダはまず、表通りの書店で魔法の入門書や、最新の学術誌を探した。
これは彼女にとって必要なものではあるが、実は王宮でも取り寄せられる品物。要は護衛たちに怪しまれないためのカモフラージュ用でもあった。
「ちょっと寄り道してもいいかしら? あなたはここにいてもいいわ」
荷物を従者に預けている間、マチルダはフェリシアンに静かに耳打ちした。
「お供いたします」
「……そう。じゃあ一緒に来て」
ここからが目的の場所だ。
マチルダは表の店に入る振りをして、細い裏路地に入る。フェリシアンもそれに続いた。
荷物を乗せて遅れをとっていた護衛たちは、表の店に入ったと思い、店の前で待っている。うまく騙せた。
二人は外套についたフードをかぶり、俯きながら早足で裏路地を歩く。
古びた店が並ぶ一角に、一際廃れた外装の赤い屋根の道具屋があった。
「……ここが魔女の店?」
(前世で、部屋付きのメイドが得意げに話していたのよね。裏路地に古びた赤い屋根の魔女の店があると。それがもしここなら、きっと今はあれが出回っているはず……)
マチルダは傾いた扉を恐る恐る開けた。ガランガラン、と入店を知らせるベルが鳴る。店には自分たち以外誰もいない。
部屋の中の棚には奇妙な道具がずらりと並んでいる。
そしてその中でも、奥のガラスケースに入っているネックレスは一段と怪しい光を放っている。
(あった……)
マチルダはすぐに目を奪われた。
一見普通のネックレスだ。しかしよく見ると独特な光を放つ青い宝石がついている。これは王宮にあった『姿替えの魔法具について書物』で見た通りの形をしている。
この魔法具を使えば、条件はあるが誰でも姿を自在に変えることができてしまう。
これは古の大魔術師が製造した貴重な品で、一つは王家が保有しているが、他は貴族から庶民までいろんな人々の手に渡っている。
「あらあら、お嬢さん。それが何か分かるのね」
店の奥から、艶やかな声が響いた。
カウンターに立っていたのは、長い髪をゆるくまとめた妖艶な女性。この女性が店主であろう。こちらを見て愉快そうに笑っている。
「でもねぇ、これは子どもが遊び半分で買うもんじゃないよ?」
「遊び半分じゃないわ。これが必要なの」
マチルダは迷いなく答えた。
その真っ直ぐな目に、店主は目を細める。
「へえ、でもこれは特別なお客専用よ。お金があるなら別だけど」
そう言って示された額に、マチルダは目を見開いた。
(覚悟はしていたけど高すぎる……!)
マチルダは小さく唇を噛んだあと、胸元からペンダントを取り出した。
光を帯びた赤い小さな宝石がついたペンダント。これは彼女が母から譲り受けた、数少ない形見だ。
「これを買い取ってくれないかしら」
それを聞いた店主は黙ってペンダントを受け取り、光にかざす。
「これは……神力が宿っている。もしや、あなたは聖女様の……」
店主の瞳が、先ほどとはまるで違う。
「ふふ、影の王女がご来店ってわけね。なんの因果かしら」
一瞬にして正体を見破られたマチルダは額に汗をかき、顔を強張らせた。フェリシアンも目を顰めて警戒している。
「怖がらなくていいわよ。私はね、聖女様に恩があるの。呪いに蝕まれた私を、あの方が救ってくださったんだから」
マチルダの心臓がドクンと鳴った。
(聖女様……母は多くの人からそう呼ばれていたわね)
店主は無造作にガラスケースを開けた。
そして手に持っていた形見のペンダントと一緒に、例の魔法具をマチルダの手にそっと乗せた。
「持っていって。代金はいらないわ。その形見も買い取れるわけないしね」
「……どうして」
「言ったでしょ? 聖女様に恩があるって」
きょとんとするマチルダに、店主は真剣な眼差しでそう言った。
「ああ、その代わり、使うときは覚悟を決めてね。姿を変えるってのは、ただのお遊びじゃない。まあ、それ一つじゃ、やれることは大したことないけど。騙せるのは三人まで。その場に四人目が現れた時、姿が戻るから。健闘を祈ってるわ」
「……どうもありがとう」
マチルダは小さく頭を下げた。予期せぬ幸運に安堵しつつ、亡き母にも感謝した。
フェリシアンは何も言わず、彼女の後について店を出た。
「本気でお母上の形見を出すつもりだったのですか」
裏路地を歩きながら静かに問いかけるフェリシアンの声に、マチルダは足を止めた。
振り返ると、彼は柄にもなく辛そうな顔をしていた。
「必要だったの。そのくらい覚悟していたわ」
短く答えたマチルダの声は、少しだけ震えていた。フェリシアンは黙って彼女を見つめ、苦しそうに声を上げた。
「……どうしてそこまで」
(なぜあなたがそんな顔をするの)
自分を心配してくれているようなその表情は、かつての自分が渇望していた眼差しだ。でも、今は違う。
『私の立場とは、そういうものです』
冷たく突き放された以前の記憶での彼の声がこだまする。
(またどこかでそう言われる日がくる。それなのにまた愛してしまったら、耐えられない)
「どうしてって、あなたには関係ないわよ」
つい強い口調で言ってしまった。フェリシアンはそれを聞いてゆっくりと表情が消えていく。
「……そうでした」
彼はそれ以上何も言わなかった。
沈黙ののち、ついに背後から護衛たちが追いついてきた。
「王女様! 勝手な行動はお慎みください!」
マチルダは小さくため息を吐き、隣のフェリシアンに向かって呟いた。
「時間切れね……帰りましょう」




