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4、まさかの展開


「あの……」

「何?」

「頬を手当てされた方がいいのでは?」

「……そうするわ」


 ぎこちない空気が流れる。

 フェリシアンは一見心配しているように見えるが、その割にはマチルダのそばに駆け寄ったり、頬の傷の具合を見ようとはしない。

 相変わらず表面的な言葉だけ。だからマチルダには彼の本心が分からない。


 すぐさま使用人が氷を運んできた。

 すでに二人の間に会話はない。

 マチルダは黙々と自分の頬を氷嚢で冷やす。フェリシアンはそれをただ眺めていた。


(それにしても、何で今日はこんなに視線を感じるの……?)


 先程からずっと彼に無言でじっと見られていることに、マチルダは居心地の悪さを感じた。

 

「見苦しい姉妹喧嘩を見せてしまったわね。呆れたでしょ?」


 フェリシアンと視線が合う。

 彼女がこう言えば、また彼は当たり障りのないことを言うのだろうと思っていた。

 しかし……。

 

「……いえ。清々しました」

「……え?」


 予想外の返答に、思わず息を呑む。

 マチルダの知っている彼は、こんなことを言わない。


 彼女が怪訝そうに見つめると、彼はようやく自分の失言に気付いたのか、サッと青ざめて、手で自分の口元を覆った。


「っ、今のはどうかお聞き流しを」

 

 声色は冷静だが、彼の目は泳いでいる。珍しく彼は動揺しているのだと気づいた。

 マチルダはあえて彼の顔を見ないように視線を外し、氷嚢で頬を冷やし続けた。


(こんなの、前の人生ではなかったわ……)

 こうして、今日何度目かの沈黙が再び訪れた。

 だが、それも息を切らして現れた人物によってあっけなく破られた。




「マチルダ! 無事か!」

「リチャードお兄様!」

 異母兄リチャードは祭事用の白い正装姿のまま、荒い息を吐いていた。

 その姿に、マチルダは思わず目を丸くする。

 フェリシアンも突然の王子の来訪に、席を立ち表情を強ばらせた。


「向こうでリリアナが暴れていてな。もしかして、マチルダと何かあったんじゃないかって思って走ってきたんだ……って、何だその頬は!」


 リチャードは腫れたマチルダの頬を見て叫び、純白の外套を靡かせながら彼女を強く抱きしめた。


「リリアナにやられたのか? 痛かっただろう……可哀想に」


 リチャードはそっとマチルダの頬を撫で、その温もりに彼女は目を閉じた。彼はいつも味方でいてくれた。以前の人生も、今の人生も。決して変わらない存在だ。


(やっぱり、お兄様が大好き)


「お兄様、私は大丈夫。それにね、リリアナに言い返したの。勝ったの! 初めて!」

「本当か?! やるじゃないか!」

「お兄様のおかげです。こないだのお兄様の言葉が、私の背中を押してくれたの」

「そうか……それはよかった」


 リチャードは安堵したように、温かな笑みを浮かべた。それにつられてマチルダも笑みが溢れる。

 和やかな空気が二人を包んだ。

 

 そしてマチルダは、近いうちにリチャードに頼もうと思っていた外出の件をふと思い出した。


「あの、お兄様……実は王宮の外でやりたいことがあるんです。きっと私の都合だけでは許可が降りないと思うので、ご一緒に外出してくださいませんか?」

「ああ、もちろんだよ。だが……いずれな」


 爽やかな笑顔でそう答えられ、思わず足元が揺らいだ。

 しかしマチルダはここで食い下がるわけにはいかなかった。


「……あの、いずれではなく近々外へ行きたいのですが」

「ああ……そうか! はは、そうだよな。うーん。行ってやりたい。だが今の時期はちょっと厄介だな」

「……お忙しいのですね」


 マチルダは肩を落とした。

 以前の人生でもリチャードと出かけたことなんてなかった。なぜ今世では行けると思ってしまったのか。

 小さな溜息が出た。


 その様子を見たリチャードはしばらく考え込んだのち、彼女の背後に佇む彼女の婚約者に目をやった。そしてふと思い立ったように口を開く。


「そうだ。フェリシアンと行けばいいじゃないか。君たちは正式な婚約者なんだから、外に出る正当な理由になる」


 その言葉にマチルダとフェリシアンは二人して目を見開いた。


(えっ、な……なんでそうなるの? フェリシアンと外出だなんて考えたこともなかった。それに彼は私とそこまで深く関わりたくないはず……)


 マチルダは以前の人生での出来事を思い出した。フェリシアンは夫になってからも一定の距離感をとっていた。王族の義務や命令には従順だったけれど、個人的な願望はいつも上手くかわされた。

 リチャードはフェリシアンの肩をポンと叩き、快活に口を開く。

 

「どうだろう、フェリシアン。妹に付き合ってはくれないか?」


 王子にそう言われて簡単に断ることができれば誰も苦労しないだろう。

 マチルダは兄の背中越しにフェリシアンと目があった。


(相変わらず、何考えてるのかわかんない顔)


 マチルダはフェリシアンにだけ分かるように首を横に振って合図した。

 やめましょう――と。

 

「お兄様、やはり外出は諦めま……」

「ぜひ、お供をさせていただきます」

 フェリシアンの静かな声が、マチルダの言葉を遮るように重なった。彼女は呆然としたまま、彼の顔を見つめるしかなかった。


「おお! よかったな、マチルダ!」

「え……あ……はい」

 呆然としたままのマチルダに向けて、フェリシアンは柔らかな微笑みを浮かべた。


 完璧に整った、隙のない笑み。何も感じていない人形のようでいて、それでいてどこか優しげにすら見える。

 

(笑顔はいつも通り。なのに、この違和感は何? あのまま何も言わなければ、あなたは私と一緒に出かけなくて済んだのに)

 

 彼らしくない選択だと思った。

 マチルダの胸がちくりと疼く。


(彼について考えるのはやめよう。もう愛さないって、決めたんだから。利用できるものは、全部利用する。それだけ)


 マチルダは自分にそう言い聞かせ、固い表情を作って小さく頷いた。

 

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