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2、二度目の人生


 目を覚ました瞬間、マチルダはなぜか心地よさを感じた。

 

 固くて古いベッドに、ボロボロのレースのカーテン。王宮の一室とは思えない陽の当たらない部屋。


(なつかしい……)


 ここはマチルダが幼少期を過ごした部屋である。

 なぜこんな夢を見るのか。マチルダはぼうっと天井を見つめながら考えた。


(死後の世界へ行く前の、走馬灯ってやつかしら)

 

 しかし、それにしては動きがない。

 不審に思って体を起こすと、夢とは思えないほどしっかりとした作りの現実がそこにあった。


 急いでベッドの縁から身を乗り出して、鏡を覗き込む。


「うそでしょ」


 思わず口に出していた。

 鏡に写っていたのは、小さな女の子。カラスのような黒髪が無造作にまとめられ、身につけているシンプルなドレスにはしわが目立つ。この姿は紛れもなく、子供の頃のマチルダだった。

 

(なんなの、これ)


「目が覚めたかい?」

「ひっ」


 背後から少年の声がして、マチルダの肩がびくりと跳ねる。


「はは、そんなにびっくりしなくてもいいじゃないか。君の大好きなリチャードお兄様だよ」

「えっ……」


 その声を聞いて振り向いた瞬間、マチルダは息が止まりそうになった。

 そこにいたのは気品ある整った顔つきに、ウェーブのかかった赤毛の少年だ。

 マチルダは彼のことをよく知っている。

 彼は快活で正義感が強く、王宮で唯一マチルダを気にかけてくれた異母兄のリチャードだ。


 リチャードは第一王妃の一人息子で、第二王子という複雑な立場にあった。

 それでも心は常に真っ直ぐで、だからこそ彼の死は、マチルダにとって何よりも悲しかった。

 

 そんなマチルダの目の前で今、亡くなったはずの彼が子供の姿で無邪気に笑っている。

 その光景に、彼女は大粒の涙をポロポロと流した。


「うわっ、どうしたんだマチルダ! もしかして、私は何か気に触ることを言ってしまったのか?」


 突然の彼女の涙に、リチャードはあたふたと慌てた。

 そんな彼にマチルダは静かに首を振る。


「……いいえ、私はまたお兄様に会えて嬉しいのです。こうやって死後の世界でまた会うことができて……」

「待て待て待て、一体何の話をしているんだ。マチルダ、縁起でもないことを言うんじゃないよ。君は昨日、十二歳になったばかりじゃないか」

「……?」

「覚えてないのか? 昨日、リリアナが君にプレゼントだって言ってひどい仕打ちをしたんじゃないか。それから君はずっと気を失ってたんだ。全く、リリアナのやつ……」


(……確かに、そんなこともあったわね)


 第二王妃の娘リリアナ。彼女はマチルダにとって異母姉であったが、毎日のようにマチルダに嫌がらせをしてきた。

 昨日の出来事――――誕生日プレゼントだと渡された箱の中には、毒蛇の剥製が入っていた。

 それに腰を抜かすマチルダを見て、高らかに笑うリリアナの意地悪な顔が思い出される。

 マチルダの母は、彼女が五歳の時に毒蛇に噛まれて亡くなった。リリアナが渡したプレゼントは、母の死を茶化すようなものだった。

 毒蛇の恐怖と母の死のトラウマがマチルダを同時に襲い、幼い彼女は寝込んでしまったのだ。


(だけどこの時の嫌がらせなんて、まだ可愛いものだわ)


 以前は寝込むほどショックだったけれど、今のマチルダはそこまでショックを感じない。その後のリリアナからの仕打ちはもっと酷かったからだ。

 

 目の前にいるリチャードを見て、幼い頃の記憶が蘇る。


(私が十二歳ってことは、お兄様は十四歳ね)


「お兄様はこの後、アカデミーに行かれるのですか?」

「そうだよ。またしばらく会えないな」


 その返事に自然とマチルダの肩が落ちる。

 アカデミーとは、『王立魔法学アカデミー』のことだ。

 身分の高い者だけが通うことができる場所であるが、本来王子であるリチャードが通う義務はない。

 しかし王宮で国王の次に力を持つ第二王妃の策略で、彼は入学させられた。王宮から遠ざけることが目的だった。


「今年から遺跡の研究室に入るんだ。楽しみだな」


 しかし策略の意に反して、王宮の外が楽しそうなリチャード。その姿を、マチルダは複雑な表情で見守る。

 彼は一年のほとんどをアカデミーで過ごし、めったに王宮には戻らない。


「来週の祭事にはまた帰ってくるよ。今度リリアナに何かされたら、やり返してやるといい」


(それができなかったから、私はずっとリリアナのおもちゃだったんだよ……。どうして行っちゃうの。研究なんてどうでもいいでしょ。私は一人なのに。もっとちゃんと助けてよ。ずっと私を守ってよ)


 と言いかけてやめた。


「……はい、リリアナのことはご心配なさらないでください。お兄様も気をつけて行ってきてくださいね」


(お兄様に頼ってばかりじゃ、何にも変わらない)


 マチルダは俯いて小さく息を吐いた。

 しばらくしてリチャードが部屋を後にすると、侍女たちがマチルダに遅い朝食を運んだ。


 料理は王族用の豪華な食事だが、食器は欠けているし、パンの上には誰かの髪の毛が落とされていた。

 他の王族の食事ではありえない仕打ちだが、マチルダはこの扱いに慣れていた。


(食べられればなんでもいいわ)


 彼女はそう思いながら、無言で食事の上の髪の毛を払う。

 外は明るいのでおそらくもう昼に近い時刻なのだろう。温め直されることのなかった冷めたスープを口にする。


(食事はちゃんと味がするし、頬をつねれば痛い……やはり夢じゃない。走馬灯でもない)


 マチルダはこれが本当に二度目の人生なのだと確信した。


 どうしてこうなったのかは分からない。神の気まぐれか、それともこれが自分の業なのか……そんなことは正直、彼女にとってどうでもいいことだった。


(もう一度、やり直せるのね。……お兄様も私も生きている。以前の人生のような終わり方はしたくない)


「今度こそ……」


(お兄様の死を防ぐ。私もあんなに簡単に死なないんだから。リリアナにも負けないわ。それに……)


 以前の人生でお飾り夫であったフェリシアンの顔が思い出される。

 彼を愛していたが故に、マチルダの孤独は深まるばかりだった。努力しても虚しく、仮面夫婦を続けるしかなかったのだ。

 死の間際、彼に抱き寄せられた。しかし彼の意図など知る由もない。

 彼女にとって、彼はいつも傍観者。


 マチルダは唇を噛み締め、姿見鏡に映る幼い自分を睨んで宣言した。


「もうお飾りの夫は愛さないわ」



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