17、謎の人
学舎の一角にある食堂は、学食というよりも洒落たカフェテリアに近い造りをしていた。
高い天井と、緑豊かな観葉植物が並ぶ広々とした空間。そこは昼休みともなれば、生徒たちが自然と集う。
その片隅のテーブル席で、フェリシアンとミレイユは向かい合って腰を下ろしていた。
「……なるほど。つまり、フェリシアン様はマチルダ様との距離の詰め方を間違ってしまった、と」
ミレイユは神妙な顔で頷いた。
「たぶん、そうなんだろう」
フェリシアンはこの世の終わりのような表情で呟く。
「マチルダ様は……優しすぎるから。本当は私に失望しているけれど、悟られないように無理をしているのだと思う」
数日前の自分を今なら全力で止めただろう。しかしあの時は、彼女のことで頭がいっぱいで、その先など考えていられなかった。
ミレイユは落ち込む彼とは対照的に、前菜のサラダをモリモリと勢いよく頬張りながら声をあげた。
「うーん、失望したんですかね?」
「……え?」
「いやー、あれはどちらかと言うと恋する乙女に見えたんですけど」
思いがけない指摘に、フェリシアンは固まる。
「……そんなはずはない」
「どうして言い切れるんです?」
「それは……あの方に守られているのは、いつも私の方だから」
華やかな容姿に見合わず、フェリシアンは暗い顔でぼそぼそと話す。
(これは思ったより拗らせてるわね……)
ミレイユは軽い気持ちで相談に乗ってしまったことに若干後悔したが、彼女は最後まで責任を持つ性分だ。
「えーつまり、フェリシアン様はご自身に自信がないと」
彼の煮え切らない様子に苛々してしまいそうになるが、ここは堪える。
「一人でぐるぐる考えすぎです。拗れる前にきちんと話せば解決します」
ミレイユはそうきっぱりと言い切った。
「マチルダ様を大切に思っていることも、苦しいことも、全部胸の中にしまい込んでしまっています。でもそれじゃ、伝わらないですよ」
「……だが」
「ちゃんと、言った方がいいです。どう思っているのか。あなたはどうしたいのか」
少し照れたように笑いながら、ミレイユは続けた。
「昔は、もっと素直に話してたじゃないですか」
その言葉に、フェリシアンの胸に懐かしい感覚が蘇る。
幼い頃、田舎の領地では自由だった。膨大な自然の中、ミレイユや親戚の子供たちと船遊びをしたり、狩りの真似事をしてて走り回った。あの頃は互いに気軽に言葉を交わしていた。
「……ありがとう」
フェリシアンはぽつりと、心からの礼を口にして柔らかく微笑んだ。
「話を聞いてもらえて、少し楽になった」
「えへへ。そう言ってもらえると、頑張った甲斐があります!」
二人の空気は、いつの間にか穏やかで、どこか昔に戻ったような和やかさを帯びていた。
そのとき。
「あの……」
控えめな声に、二人が同時に顔を上げる。
そこに立っていたのは、マチルダだった。
「私もここに座って……いいかしら」
「マチルダ様……」
「もちろんです!」
ミレイユは嬉しそうに立ち上がり、隣の椅子を引く。
マチルダは一瞬戸惑った顔を見せたが、そのままそこへ腰を下ろした。
(さっきはミレイユと何を話していたの? なんだかすごく……楽しそうだったけど)
二人が話していた様子が頭の中でフラッシュバックする。それだけで胸の奥が、ちくりと痛んだ。
(……って、傷ついちゃだめ。これでいいのよ。フェリシアンを縛りつけてはいけないわ)
マチルダは心の中で自分に言い聞かせる。
「えーっと、私はお邪魔ですし、失礼しますね。あとはお二人でごゆっくり」
「え?」
空気を読んで立ち去ろうとするミレイユに、マチルダは思わず声を上げる。
「待って。行かないで」
「マ、マチルダ様?」
自分でも意外なほど、強い声だった。
「まだ食事が終わっていないでしょう。三人で食べましょう。せっかくなんだから」
そう言うと、ミレイユは一瞬驚いたように目を丸くし、すぐに破顔した。
「はい! では、ご一緒します!」
こうして、三人での昼食が始まった。
しばらくはミレイユが中心となり、他愛のない話が続いた。しかし気を抜けば沈黙になってしまう。
そんな二人に痺れを切らせ、ミレイユはいつも以上に口数の少ないフェリシアンに向かって小さく目配せをした。
(フォローしてあげるから、今すぐ言うべきことを言って!)
その合図に彼は躊躇ったが、マチルダの横顔を見つめ、真剣な面持ちで口を開いた。
「あの、マチルダ様」
「なに?」
「……先日のことについて、きちんと話したいと思っていました」
マチルダは息を呑む。
フェリシアンは一度、深く息を吸った。
「あの時、あなたを責めるべきではありませんでした。マチルダ様は私に変な噂が立たないようにリリアナ殿下と……」
「……」
「それなのに私は、一人で嫉妬して、マチルダ様を困らせた。そしてあの後……私の衝動的な行動であなたを失望させたこと……申し訳なく思っています」
彼の伏目がちの瞳が揺れて、長いまつ毛が影をおろす。
一瞬の沈黙が訪れた。
しかしマチルダは静かに首を振り、明るい口調で声を上げた。
「……私こそ、あの時はおかしなことをしたわよね。その後も……変な態度をとってごめんなさい」
マチルダはフェリシアンの手を取って微笑んだ。
「でも、もう大丈夫だから。私はあなたに失望なんてしてないの。ただ、ちょっと照れ臭かっただけ」
フェリシアンは顔を上げ、まっすぐに彼女を見つめる。
そして、言葉を選ぶように、噛み締めるように続けた。
「私は、マチルダ様を……婚約者としてだけではなく、一人の女性として大切に思っています」
声音は低く、けれど確かだった。
「だからこれからも、貴女の力になりたい。隣に立つことを……許してください」
その言葉は、マチルダの胸にじんわりと広がった。
「……当たり前でしょ」
マチルダははにかみながら素直に答えた。
そして、ゆっくりと言葉を継ぐ。
「これからも、ちゃんと頼らせてちょうだいね」
その言葉にフェリシアンは安堵したように深く頷いた。二人の間には、ほがらかな空気が流れた。
そしてミレイユも、二人のやりとりに胸を撫で下ろしながら、大盛りのパスタをもりもりと頬張った。
「それで……早速頼ってしまうことになるんだけど……」
マチルダは少しだけ表情を引き締め、視線を落とした。
「さっき、不思議な人に会ったの。ジェイス・クロードという人よ。二人とも、彼について何か知らない?」
その問いにフェリシアンの表情がわずかに硬くなる。彼はマチルダの口からよく知らない人物――しかも男の名前が出てくるとは予想もしていなかった。
「……誰ですか、それは」
彼の声は落ち着いている。だが、どこか張りつめていた。
「最近、クロード家の養子になった人らしいわ。東国の生まれの異国人で、背が高くて、黒髪で不思議な感じの人」
「……あ、その人知ってます! 一つ上の学年の方ですよね。東国の亡命貴族らしいですよ。しかもかなり高貴な家柄だって噂です!」
ミレイユが思い出したように頷くと、フェリシアンは冷淡な口調で呟いた。
「……その者と、何かあったのですか?」
「ちょっと話しただけよ。でも彼、前に私と会ったことがあるみたいな言い方をしたの。でも私にはその記憶がないのよね」
(東国の知り合いなんて……あの子しか思い浮かばない。だけど、あの子は……関係ない)
マチルダの頭に浮かぶ、幼き日の記憶。
東国がまだ崩壊する前、東国の王女が一度だけ王宮に滞在していた時期があった。彼女のことなら知っている。しかし……ジェイスと関係があるとは思えない。
(それにあの子はもう……)
クーデターに巻き込まれ、悲しい最期だったと聞く。彼がそんな王女の関係者とは考えづらい。
マチルダは顎に指を当て、真剣な顔で考え込む。その横で、フェリシアンは不機嫌そうに目を細める。
「その者のことは知らないですが、おそらくマチルダ様が気になさるほどのことではないと思いますよ」
抑揚のない声色でフェリシアンはそう断定した。その様子はいつもより苛つきが感じられる。
ミレイユも尽かさず口を挟んだ。
「そうですよ! どうせ東国の口説き文句じゃないですか。いやですねぇ、マチルダ様に向かって、そんな白々しい嘘をついて」
「嘘……なのかしら」
マチルダは小さく首を傾げる。本当に自分を知っているような、嬉しそうな顔をしていた。あれが嘘だったのだろうか。マチルダは疑問に思った。
「その者については、私が調べておきます」
固い表情のままフェリシアンはそう続ける。
(私が目を離した隙に、虫がついた……)
その苛つきを隠すように言葉を重ねた。
「今後はその者にお一人で近付かないよう、お願いします」
柔らかな口調とは裏腹に、有無を言わせない圧があった。
ミレイユは彼のその執着心に内心苦笑しながらも、重ねてフォローをする。
「わ、わたくしも! 調べておきますからね! マチルダ様はご心配なさらず!」
「ありがとう。あなたたちって頼りになるわね」
二人の心情などつゆ知らず、マチルダは無邪気な笑顔でそう言った。




