14、キスバトル(前編)
アカデミー生となって、初の休暇の季節がやってきた。普段は寮で過ごしているマチルダだったが、今日は祭事が催されるため王宮に戻ることになっていた。
彼女が数ヶ月ぶりに王宮の回廊を歩いていると、会いたくない人物に鉢合わせした。
「まあ、珍しい。影の王女はアカデミーで学生ごっこを楽しんでるって聞いたけど。今日は王女ごっこをするのかしら? 取り柄がないから必死ね」
わざとらしく声を上げる異母姉リリアナに、取り巻きの侍女たちも嘲るように笑った。
マチルダはうんざりしたが、相手にするのも面倒なので、その挑発を受け流した。
「ええ、必死です。私も早くお姉さまのような大層な品格を身につけたいものです」
マチルダは淡々とそう言い放ち、余裕の笑みを見せた。
どちらが品格がある王女であるかは一目瞭然。
リリアナの下品な笑みがぴたりと止まった。
幼稚に挑発しておきながら簡単に受け流され、しかも皮肉めいた賞賛を返された。侍女たちも気まずそうにたじろいでいる。
マチルダは彼女たちを気にも止めず、凛と前を向いて歩き続けた。
リリアナはその後ろ姿を悔しげに見つめた。
(……あんたの勝ちじゃないわよ。いくらアカデミーに行って自信をつけたって、あんたは所詮卑しい生まれの役立たず。マチルダ、あんたが一番困ること……やってやるわよ)
リリアナの顔が歪み、再び意地悪な笑みを浮かべた。
その日の午後。
マチルダに招かれていたフェリシアンは、客間の一室のソファに掛けていた。
いつもならば、もうマチルダが来てもおかしくないほど時間が経ったのに来ない。不審に思ったフェリシアンは静かに立ち上がる。
その瞬間、勢いよく扉が開かれた。しかし扉に先にいたのは、マチルダではなかった。
「……リリアナ殿下?」
そこにいたのは二つに結った巻き髪を靡かせて笑うリリアナと、その後ろに数名の侍女たち。
「まあ、こんなところで会えるなんて運命ね」
「お部屋をお間違えですよ」
フェリシアンは貼り付けた笑顔のままそう言った。声色は心なしか冷たい。
しかしリリアナは気にしない。彼女は妖艶に微笑み、そのままフェリシアンに近付いた。
「……あなた、本当に綺麗な顔ね。家柄がショボいことを差し引いても素敵だわ。マチルダなんかにはもったいない」
その言葉と共にフェリシアンは作り笑顔すらなくし、無表情でリリアナから距離をとった。
部屋の隅にいた使用人たちも困惑して顔を見合わせていた。それを見兼ねたリリアナは口を開く。
「お前たち、消えてちょうだい。私はフェリシアンと二人きりになりたいの。命令よ」
命令とあっては、使用人たちは大人しく退出するしかない。
部屋の中の人数が減り、静かになる。
「これで完璧。あなたたちは誰も入ってこないように扉を閉めていて」
リリアナの一声に、侍女たちはびくりと肩を上げ、言われた通りに扉の前に張り付く。取り巻きたちですら困惑している様子に、フェリシアンは眉を顰める。
「何ですか」
「もう、そんなに怖い顔しないで。……実はあなたに相談があるのよ。マチルダに関係することなの」
「……マチルダ様に?」
マチルダのことで、と言われると彼は一応聞く耳を持つしかなかった。
リリアナは息を吐き、眉を下げてか細い声を出した。
「そうよ。マチルダのこと……私、あの子にずっと酷いことしてきたでしょ? でもね、本当は仲良くしたかったの。構って欲しかったのよ。……だから、その……謝りたいの」
「……そうですか。では、そうされては?」
(マチルダ様が謝罪を受け入れるとは思えないが……)
フェリシアンは頭の片隅でそう思いながら、淡々とそう返事をした。
「ただ謝るだけじゃダメでしょ? だって私……それだけのことをしてきたんだもの」
「自覚がおありでしたか」
「ええ、だからね、その……『計画』があるのよ。とりあえずそこに座って。今から大事なことを話すから」
「計画? そんなもの私は……」
「……いいから座って。第一王女の私がそう言っているのよ」
リリアナは高圧的な態度で、ソファを指差した。
(……怪しい。でも、しばらくすればマチルダ様が来られる。それまでにその計画というものを聞き出しておいた方がいいかもしれない)
フェリシアンはリリアナの言動を怪訝に思いながらも、とりあえず彼女の指示に従うことにした。
その時だった。
彼がソファに腰掛けた瞬間、リリアナはニヤリと笑い、全体重をかけて彼の上に覆い被さってきた。
そしてフェリシアンの頬を両手で押さえ、唇を尖らせて顔を近づけようとした。
「はっ……? 何するんですか、離してください!」
フェリシアンは反射的に彼女を突き飛ばしていた。
(ありえない……!)
「いったぁ……! フェリシアン! あなた、なんて乱暴者なの!」
「……正気ですか。二度とこんな真似はおやめください!」
フェリシアンは声を張り、強く言い放った。
「あら、怖い。でもこれであなたもマチルダに後ろめたくなったでしょ? それが狙いよ。私たち、すぐ噂になるわ」
リリアナは楽しげにそう笑い、侍女達たちを引き連れて去っていった。
その後、何分経っただろうか。ついにマチルダが部屋にやってきた。ほんの数分の出来事であったが、フェリシアンにはかなり長い時間のように感じられた。
「今日はもう帰っちゃったのかと思ったわ」
何も知らないマチルダは、いつもと変わらない様子で彼の隣に座る。いつもならば彼らを引き合わせる使用人がいたのだが、リリアナの策略で今日は手違いを起こされていた。
フェリシアンは彼女の顔を見ると、先程リリアナに言われたことを思い出してしまう。
好きでもない、むしろ嫌いな人物にあのような迫られ方をされた。
口づけは未遂に終わったが、部屋から出て行ったところを何者かに見られていれば、すぐに噂になって尾びれ背びれがつくだろう。それに部屋を追い出された侍従や取り巻きの侍女たちも、このことをきっと誰かに話すだろう。
リリアナの狙いはそこだった。
フェリシアンは改めて、もっと警戒すればよかったと後悔した。
曇りのない目でこちらを見ているマチルダを、フェリシアンは直視できずに俯く。額から冷たい汗が流れていた。
(マチルダ様がこのことを知れば、どう思うだろう。迂闊だと呆れられる? 嫌われる? どちらにせよ、今後私のことを信用してくれなくなるだろうな)
フェリシアンは暗い顔で、唇を噛んだ。
「あなた……さっきから何を隠してるの?」
明らかに様子がおかしいフェリシアンに、マチルダはそう声をかけた。
「またレオニスに何か変なこと言われたの? それともリリアナ?」
リリアナという単語に、フェリシアンはわかりやすく固まった。その様子にマチルダは眉を顰める。
「リリアナね。何? あの子、今度はあなたに何か言いにきたの? 意地悪でもされた?」
「申し訳……ありません」
フェリシアンはそう言うしかなかった。
「なぜあなたが謝るのよ。悪いのはあの子。ほんと懲りないわよね。で、何て言われたの?」
そう問われて彼の息が止まる。思わず口元を覆い、目は泳ぐ。尋常じゃなく動揺している彼に、マチルダも次第に冷や汗をかく。
「……何? 大丈夫なの?」
「……」
「怒らないから、ちゃんと話して。何があったの? あなたの口から聞きたい」
マチルダの瞳の奥も揺れていた。フェリシアンは苦しげに唇を噛み、吐き出した。
「さっきリリアナ殿下と二人きりになってしまい……逃げましたが、その……口づけされそうに……なりました」
その言葉ののち、沈黙が訪れる。
マチルダの胸の奥には、煮えたぎるような黒い感情が湧き出した。
これは怒りだ。もちろんリリアナへの。
「……そう」
彼女はふっと息を吐き、彼の手に自身の手を重ねて優しく撫でた。彼が一番の被害者であることは一目瞭然だった。
「あなたはここにいて、すぐ戻るから」
マチルダはそう言って立ち上がると、扉の方へ歩き出した。
フェリシアンは焦ってその手を掴む。
「……ど、どちらへ行かれるのですか?」
「リリアナのところよ。心配しないで。ただ分からせてあげるだけよ。私を怒らせたらどうなるかを。……だから、ちょっと待っていて」
有無を言わさない圧を放つマチルダを前に、フェリシアンは彼女を見送ることしかできなかった。




