13、スクールライフ
アカデミーの大講堂では、ステンドグラス調の窓から射す光が、新入生たちの姿を淡く照らしていた。
「王女マチルダ・ローザリア。本日より本学園への入学を許可する」
学院長の声が堂内に響いた瞬間、ざわめきが波のように広がる。マチルダはその気配を受け流し、堂々と前を向いた。
マチルダが身を包んでいる制服は、深緑色の生地に金糸の刺繍が彩られた膝下丈の上品なセパレートドレスだ。そしてその肩から腰までを覆う短い外套には、黒レースがふんだんに使われており、彼女の黒髪とよく合っている。
(ついに、来たわ。アカデミーに)
拍手はまばらだった。代わりに、抑えきれない好奇の囁きが耳に届く。
「あの方が影の王女?」
「暗くて近寄りがたいって噂よね」
「意外と普通じゃない?」
「シッ……静かに。聞こえるわよ」
マチルダはそっと口元を緩めた。
(聞こえてるわよ)
その微笑みだけで十分だった。噂をしていた生徒たちは一斉に口を閉じ、視線を泳がせていた。
そんな入学の儀が終わり、マチルダは制服の裾を優雅に翻し、一人回廊へと向かった。
(リチャードお兄様は研究科……ここでもしばらく会えないわね)
アカデミーは全寮制で、自然に囲まれた広大な敷地に三棟の学舎を持つ。年齢による学年分けはなく、入学時期と成績によって棟が割り振られるため、入学したばかりのマチルダがリチャードと顔を合わせる機会は少ない。
「マチルダ様、どちらへ?」
聞き慣れた声を聞いて振り返る。
そこには、周囲の空気とはまるで違う――誰もが目を惹かれる華やかな美青年、フェリシアンが立っていた。彼も今日から復学するのだ。
彼は金糸の刺繍が施された深緑のロングジャケットに身を包み、黒の外套を片肩にかけている。彼が歩くたびにそれが優雅に揺れ、その姿は他の男子生徒と同じはずなのに、なぜか仕上がりが一段階違うようにすら見えてしまう。
「図書館よ。あなたがここにいるの、なんだか不思議な感じね」
「そうですか? でも今日から同じクラスです」
「……あなた、二年目じゃなかったの?」
「進級してませんよ」
フェリシアンは涼しい笑顔でそう話す。その優雅な見た目に似合わない発言に、つい笑みがこぼれそうになる。
「あなたも初級生ならやることが多いわね。だけどせっかくだから、学生生活も楽しんでね。……もし他に――」
(共に過ごしたい人ができたなら、その人を選んで)
そう言おうとして、言葉は喉元で途切れた。不意に、別の声が割り込んできたからだ。
「きゃ! アスベル令息! 本物だわ!」
「はじめまして! フェリシアン様とお呼びしても?」
「噂には聞いていましたけど、本当にお美しいですね!」
「よかったらこのあとランチでもご一緒しませんか?」
黄色い声が次々と重なる。瞬く間に、フェリシアンは女子生徒たちに囲まれてしまった。
もちろんその輪の中に、マチルダへ向けられた視線はひとつもなく、背を向けて挨拶すらない。
(すごい人気ね……)
この感覚は以前の人生で、幾度となく味わった空気感だった。
マチルダはそっと一歩後ろへ下がる。二回目の人生で以前より逞しくはなったけれど、このような場では、自ら気配を消す癖が無意識に出てしまう。
だがその瞬間、フェリシアンは自然に腕を伸ばした。マチルダは腰に手を添えられたまま、彼の隣へ引き戻される。
(えっ……)
突然のことにマチルダは目をぱちくりさせ、じわじわと耳が赤くなる。
周囲は呆然。フェリシアンはこれが当然といった表情で笑顔を作る。
「今、王女様がお話されていました。それを遮るとは何事でしょうか」
フェリシアンは微笑んだまま、女子生徒たちにそう問いかける。笑っているのに、その声色は今までにないほど低く冷淡だった。
その温度差に、女子生徒たちは慌てて取り繕ろう。
「そ、そうでしたの。気づきませんでしたわ!」
「ご無礼をお許しくださいませ、フェリシアン様っ!」
「……あの、無礼なのはマチルダ様に対してです。お間違えなく」
彼のその一言で、更に場の空気が凍りつく。
これ以上は彼と話すことは難しいと判断した女子生徒たちは、悔しそうにマチルダを一瞥して足早で立ち去ってしまった。
「あなたがここまで言うなんて……」
「当たり前です。ああいうの迷惑なので」
珍しく棘のある彼の口調に、マチルダは少し驚きつつ苦笑する。
(以前の人生なら、私を庇うなんてしなかったのに。本当にあなたは変わったわね)
「……それで」
フェリシアンが視線を戻す。
「さっきは何を言おうとしていたんです?」
美しい碧眼にまっすぐに見つめられて、胸が高鳴る。
先ほど言おうとした言葉――もし彼と親しくなる女性が現れたら、そう思うだけでマチルダの胸の奥がちくりと痛む。
「……忘れたわ」
本当は言うつもりだった。
もし、ここで出会った誰かを好きになったなら、自分のことは気にせずそちらを選んでほしい、と。
それが、自分の父親が彼の家族を壊し、人生を縛ってしまったことに対するマチルダができる唯一の償いだった。
(フェリシアンには、いずれ自由になってほしい。それは本心なのに)
それでも、その言葉を口にできなかったのは、彼が誰かの隣に立つ姿をまだ想像できなかったからだ。
(いつか言える日が来る。……別に焦らなくていいわ)
マチルダは自分にそう言い聞かせて、小さく息を吐いた。
入学から三ヶ月が経った。
マチルダは座学から実技まで欠かさず出席し、魔法の扱いや剣術などを一つ一つ身につけていった。
学生生活の合間を見つけては、兄リチャードの周囲を探り、未来を変える手がかりを一つでも多く見つけるために研究棟にも足を運んだ。
その隣にはいつもフェリシアンがいた。
そして最初は距離を取っていた周囲の生徒たちも、マチルダの謙虚で真面目な姿勢に心打たれ、少しずつ彼女に心を開く者が現れはじめた。
「先日王女殿下が教えてくださった魔法式、今日の実技でとても役立ちました」
「そう、よかったわね」
「はい! ありがとうございました! あの……もしよろしければ、王女殿下のこと、お名前でお呼びしてもよろしいですか?」
「え?」
「ああっ、やっぱりダメですよね。私のような下々の分際で……!」
「何を言ってるの。いいに決まってるでしょ。ぜひマチルダと呼んで」
「はわわっ、ありがとうございます! マチルダ様ぁ!」
ぱあっと花が咲いたように笑うこの生徒は、ミレイユ。
彼女は、下級貴族の出であることに加え、少々ふくよかな体型のせいで入学当初は一部の生徒達に嘲笑されていた。
しかし、マチルダがその場を静かに鎮めたことをきっかけに、ミレイユはマチルダに憧れの眼差しを向けるようになったのだ。
マチルダはマチルダで、常に裏表のない彼女に好印象を持っていた。
そして彼女は、フェリシアンと旧知の仲であるという話を聞いて密かに興味を抱いた。
「……ミレイユ、そういえばあなた、フェリシアンと同郷らしいわね」
なるべく自然に、変な威圧感を伴わないように注意を払い、マチルダはついにそのことについて聞き出した。
「あ、はい。彼から何も聞いていませんか?」
あまりにもあっさりとした返事に面食らう。マチルダは静かに首を振る。
「……聞いていないわ」
「そうですか。ええっと、父が昔一緒に事業をしてたよしみで……幼い頃に少し交友がありました。でも、昔の話です」
ミレイユは謙遜するように言葉を続けた。
「今ではなんだか昔とは別人だし、話しかけにくい雰囲気になっちゃって……」
その言葉にマチルダは息を呑んだ。フェリシアンを変えてしまった出来事。それを知っているからこそ、胸が痛むのだ。
「あっ、申し訳ありません! 私ったら、マチルダ様の婚約者を悪く言うなんて!」
「ううん、違うわ、謝らないで。私はただ、フェリシアンの過去を知っているあなたなら、以前のように彼と関われるんじゃないかって思って」
「あー、それは無理だと思いますよ。あの人はマチルダ様以外に興味がな……」
ミレイユがそう言いかけた時、背後から聞き覚えのある声が降ってきた。
「私がどうしたんですか?」
「げっ……!」
「あら、フェリシアン」
突如現れたフェリシアンに、ミレイユの顔が引き攣った。
「で、ではマチルダ様! 午後はオースティン先生の物真似を披露いたしますからお楽しみに!」
「え?」
「おほほほ、ごきげんよう〜!」
逃げるように高笑いで去っていくミレイユを、マチルダは困惑しつつ見送った。
しばらく彼女の後ろ姿を眺めたのち、マチルダは思い出したかのようにフェリシアンを見上げる。
「ミレイユから聞いたわよ。ただの同郷だって言っていたのに、本当は幼い頃からの友人だったじゃない。どうして早く教えてくれなかったの?」
「……お伝えするほど親しくもなかっただけです。もう五年以上会っていませんでしたし、忘れていました」
「忘れてたって……本当に? じゃあもう一度お友達にはなったらどう? 彼女、とてもいい子よ」
マチルダの提案に、フェリシアンは整った眉をわずかに顰める。
「マチルダ様は、私が他の女性と親しくなっても平気なんですね」
その言葉に胸がぎゅっと締め付けられる。決して平気ではない。でも、そう言えば彼はずっと縛られたままだ。
ミレイユはいい子だ。彼女となら、フェリシアンも辛い過去を癒しながら、昔のように笑って過ごせるかもしれない。それなのに、せっかくの再会を潰してしまっては勿体無い。
マチルダはそう思い、明るい口調で声を上げた。
「あなたが自由でいることは私の願いでもあるの。だから、私のことは気にしないで交友を深めて構わないわ」
その言葉に、フェリシアンの表情が固まった。
(……そんな答えは求めていないのに)
フェリシアンの胸の奥に黒い感情が湧く。
最近、自分だけが特別であるという実感が薄れてきているのだ。その度にその事実を受け入れられず、苛立つ。
(この想いを言葉にすれば……今まで積み上げてきた関係が崩れてしまうかもしれない)
フェリシアンは自身の気持ちを隠すように言葉を選ぶ。
「私は、自分の意思でマチルダ様の隣にいるんですよ」
「そう……そうだったわね」
(そんな風に言われると、ちょっと嬉しい……だなんて)
彼の心の葛藤など知る由もないマチルダは、彼の言葉に無邪気に安堵してしまっていた。




