11、地下書庫潜入
王宮の地下書庫は、庭園の奥に佇む旧離宮の地下深くにある。
そこは普段は人通りもなく、昼間は警備も控えめだ。
しかしその静寂の奥には、国王のみが閲覧を許す秘密の書物が息を潜めているという。
離宮の門をくぐり抜け、あらかじめ手に入れていた鍵で開錠する。そしてそのまま二人は人気のない廊下を進み、その先の石造りの階段をゆっくりと降りていった。
フェリシアンは長い睫毛を伏せ、片手にランタンを持ち、着慣れない侍女服の裾をつまみながらぼそりと呟く。
「あなたに協力すると誓ったとき、まさかこんな格好をする羽目になるなんて、夢にも思いませんでした」
「ふふ、よく似合ってるわよ」
マチルダは愉快そうに口元を緩め、肩まで垂れた彼の鬘を整えてやった。
「……本気で言ってます?」
「ええ、本気。どこからどう見てもあなたは侍女よ。男の子には見えないわ」
そう言われたフェリシアンは、複雑そうに顔を顰め、仕方がないと諦めるように溜息をついた。
階段を降りきると、奥の廊下に曲がり角があった。その物陰からそっと覗くと、重厚な鉄扉の前に一人の兵士が立っていた。
「やはり見張りはいますね」
「想定内よ」
マチルダは胸元に下げた魔法具をそっと握りしめた。
すると淡い光が彼女の全身を包み込む。そしてその後、彼女がいた場所に立っていたのは――灰色の髪に吊り目が印象的な、少々横暴そうな顔つきの青年。
マチルダは異母兄で第一王子のレオニスに変装したのだ。
「完璧ね」
声までもレオニスそのものだ。
「……複雑です」
「仕方ないでしょ。王宮の一室に侍女を連れ込んで遊んでるって噂、レオニスお兄様が勝手に広めたんだから。忍び込む口実に利用させてもらうわ」
フェリシアンは不満そうに目を細めていた。それを見たマチルダはわざとらしく咳払いをする。
(そんなに女装するのが嫌だったの?)
「もちろん、私が侍女であなたがレオニスってパターンも考えたけど、リスクが大きいの。これが一番安全な策なんだから」
「わかってます。ですが、なんだか落ち着きません。私はレオニス殿下のことが……あまり、その、得意ではないので」
「……ふうん、あなたが誰かをそんなふうに言うのは珍しいわね」
マチルダは以前の人生で、彼がレオニスの長話に付き合わされるのを何度か見たことがあった。
(私の知らないところで関わりがあるのね)
そう思うとなぜか悔しい。
レオニスに扮したマチルダはまっすぐに彼を見つめて口を開く。
「気に入らないわ。あなたは私の婚約者なんだから、私の知らないところで仲良くしてはだめよ。あの人は昔から何考えてるか分からないし、それにあのリリアナの実兄なんだから……って何笑っているの」
「……いえ、レオニス殿下の姿でもマチルダ様はマチルダ様だな……と」
「はっ……? 当たり前でしょ。ほらもう行くわよ!」
マチルダはそう話を切り上げて、フェリシアンの腕を掴んだ。そして大股で見張りの兵士の前へと歩み出た。
「ここは立ち入り禁止です。ご用件を……」
「おいおい、そんなに堅いこと言うなよ」
マチルダは片眉を上げ、気怠げな笑みを浮かべる。その姿はまさしく第一王子のレオニスだった。
彼の姿をしたマチルダは派手な外套を翻しながら、ゆっくりと兵士へと歩み寄る。
「……れ、レオニス殿下?!」
「そう、俺様だよ。ちょっと内緒で通してくれよ」
レオニスを装ったマチルダが肩をすくめると、横に控えた侍女がかすかに頬を染めて視線を落とした。
もちろんそれはフェリシアンだ。彼はこの瞬間を、恥じらうという設定で顔を伏せて乗り切ろうとしている。
「しかし……中は国王陛下の許可がなければ……」
「おいおい、話がわかんねえな。この俺に陛下の許可がいるとでも? それに俺たちは中の難しい本なんて微塵も興味ないんだよ」
マチルダは兵士の肩に腕を回し、低く囁いた。
「分かるだろ? こういうのは、こっそり楽しむのがいいんじゃねーか」
そう言いながら、連れている侍女をちらりと見る。
フェリシアンは唖然としているが、兵士の視線を感じて咄嗟に下を向いた。
結局、兵士は一瞬ためらったが、仕方なく中の部屋の鍵を渡した。
「……一時間だけですよ」
「ハッ、ありがとな。なんも壊したりしないから安心しな。あと、くれぐれも俺らが中に入ったって記録は残すんじゃねーぞ」
レオニスの横暴に、一介の見張りは逆らえるはずもない。彼は渋々階段の上へと去っていった。
静寂が戻ると、フェリシアンは大きく息を吐いた。
「……そんな言葉、どこで覚えたんですか」
「え?」
フェリシアンは眉間に皺を寄せながらも、耳の先がほんのり赤い。
「私の言葉じゃないわ。レオニスが言いそうなことを真似しただけよ」
「似せすぎですよ」
ぼそっと呟くフェリシアンの声に、マチルダは得意げに肩をすくめた。
「だからうまくいったのよ。さあ、中に入りましょう」
「はい。というかその変装、いつまで続けるんですか」
「帰りまでこのままよ。何か問題でも?」
「いえ……」
フェリシアンが小さくため息をつくと、レオニスに扮したマチルダは楽しげな笑みを浮かべて扉の取っ手に手をかけた。
中に入ると、地下書庫の空気が二人を包み込んだ。
ひんやりと湿った空気に、古い紙とインクの匂いが混じって鼻をくすぐる。
ここには今の王家が力を持ち始める前、旧王家時代からの貴重な書物が並んでいる。
石造りの壁に並ぶ本棚には、分厚い本がずらりと並び、どれも重厚な装丁がなされている。
フェリシアンはランタンを高く掲げ、埃を被った本棚を見上げた。
レオニス――もといマチルダは、迷いなく奥の棚へと歩み寄る。
(私が以前の人生で死んだ時、古代王家の紋章がついた剣が目に入った。旧王家については、書物は神話ぐらいしか残ってないけれど……見ておく価値はありそうね)
指先が止まったのは、黒革に銀の箔押しが施された一冊だった。
『時戻りについての神話』
マチルダはそっとその本を取り出し、閲覧台へ運ぶ。表紙を開くと、古風な筆致で綴られた文章が現れた。
【かつて賢王は言った。「血こそ鍵なり」と。時の宝剣は王家の血にのみ耳を貸し、その血なければ決して開かれぬ。】
(宝剣……王家の血? それが時戻りと関係しているというの?)
文字を指でなぞり、読み解く。しかし抽象的な内容ばかりで、核心に触れられない。
マチルダは大事そうな箇所だけ抜き出して書き写す。
【鍵は二つ。ひとつは、王家の血、ひとつは、時戻しの血。二つ揃わば、時は十年遡る】
(十年……私が戻った時と同じだわ)
マチルダの喉が、かすかに鳴った。
鼓動が早まる。
(ただの神話ではなさそうね)
そんなマチルダの隣で、別の本をめくっていたフェリシアンが、はっとしたように顔を上げた。
「……見てください」
彼が開いていたのは、黒い革表紙の分厚い記録帳。『王族系譜および身体記録』と書かれている。
「リチャード殿下の欄です」
そこには簡潔な記録だけが並んでいた。
【第二王子リチャード殿下:偏頭痛 体質的なもの経過観察】
「……これだけ?」
思わず呟く。
以前の人生で謎の死を遂げたリチャードには、実は重い持病があるのではと疑っていたが、書かれているのは軽い偏頭痛のみ。他に重大な持病はなさそうだ。
フェリシアンはそこを開いた後、前のページに戻る。
「それでこちらは……ルーカス国王陛下の記録です」
フェリシアンが指差す先を見て、マチルダは目を見開く。
そこには、幼少期からの病歴がびっしりと記されていた。
「お父様が……こんなに? 聞いてないわ」
国王は、公の場では常に威厳に満ち、健やかそのものに見える。だが、この記録はそれとはまるで別人のようだった。
(お父様が病弱だなんて信じられない……)
時戻りの神話。そして、衰弱であることを隠し通している国王。
胸の奥で、憶測と真実がほんのわずかに交わりそうになった。
その時だった。
突然、ギィと扉が軋む音が部屋に響いた。
マチルダとフェリシアンは反射的に顔を上げる。
「……まさか」
マチルダの額に汗が伝う。
フェリシアンはマチルダの一歩前に出て顔を強張らせた。
次の瞬間、重い扉が勢いよく開き、一人の人物が立っていた。
そこにいたのは、灰色の髪をかきあげた吊り目の青年。黒と銀色の派手な模様の外套を肩にかけ、気怠げな表情でこちらを見ている。
「……俺の名を使って、女を連れ込んでるのはどこのどいつだ?」
そこにいたのは本物のレオニスだった。
マチルダとフェリシアンの顔がサッと青ざめる。
部屋の中は一瞬にして静寂に包まれた。
⭐︎おまけ
【王宮相関図】
第一王妃ーー第二王子リチャード(17)
第二王妃ーー第一王子レオニス(18)、第一王女リリアナ(15)
第三王妃⦅故人⦆ーー第二王女マチルダ(15)




