10、三年後
マチルダとフェリシアンは、あの夜に誓いを交わしてから、未来を変える手がかりを探し続けていた。
成果のない日も、数えきれないほどあった。それでも、二人は決して諦めなかった。
謎に迫るため、マチルダ自身も着実に力をつけていった。
冷遇された王女である彼女には、専属の教師すら最低限。魔法や学問は教えられず、王女として必要な最低限の教養だけしか学べなかった。
しかし今世ではフェリシアンの支えを糧に、様々な種類の学問や魔法の基礎をほぼ独学で身につけていった。
知識を身につけたことで、彼女は見える世界が以前とは変わった。そして胸の奥にあった「リチャードの死は王宮内の陰謀ではないか」という疑念が、今では揺るぎない確信へと変わっていた。
三年後。
清らかな青空の下、王宮の庭園は春の風が吹いていた。広々とした石畳の道の両脇には、大きな樹木と色とりどりの草花が並んでいる。
その中央で、マチルダは久しぶりに会った異母兄リチャードを嬉しそうに見上げている。
三年前とは違い、マチルダの顔つきは大人びて背も伸びた。
前髪にかかるほど長かった黒髪はすっきりと整えられ、後ろ髪は上品に結い上げられている。身についている黄緑色のドレスは相変わらず華美ではないけれど、気品のある着こなしができている。
十五歳の彼女は、年相応のあどけなさと、その中に秘める王女としての気高さが共存していた。
「会いたかったです。お兄様」
マチルダにそう言われて、リチャードは優しげに微笑む。
成長した彼もまた背が伸び、落ち着いた紺色の宮廷服がよく似合う青年に成長していた。
「久しぶりだな、マチルダ。見ないうちに大人びたな」
「お兄様こそ。だけど少し痩せた気がします。お顔も……少し疲れてる」
「ああ……ちょっとな」
濁すようにそう言って、軽くこめかみを押さえるリチャードの仕草に、マチルダの眉が寄る。
「頭痛が続いていると聞きました。お薬は飲んでいるのですか?」
「ああ、大丈夫だよ。君が心配することじゃない」
リチャードはマチルダの言葉に被せるようにそう言って、彼女の頭を優しく撫でた。
「そんなことより、今日はお土産があるんだ」
「お土産?」
突然、声色を明るくしたリチャードは懐から一通の封筒を取り出した。重厚な金の封蝋で厳かに封じられている。
「アカデミーの入学許可証だ。ついに正式に入学を許可されたぞ」
リチャードの明るい笑みに、マチルダの瞳は大きく見開かれた。
(ついに……! ついにこの日が来たのね!)
アカデミーへの入学は、三年前から願い続けてきたことだった。
前の人生では教育の機会すら十分に与えられず、入学することなど夢のまた夢。
しかし今世では違う。努力の末、入学にありつける実力をつけてきた。
いつかリチャードと同じ学び舎で学び、彼の周囲を知り、死の真相に迫る。そして自分自身の力を高めるためにも、必ず入学すると決めていた。
とはいえ簡単なことではなかった。
本来なら王家が負担するはずの学費も、「影の王女に無駄な金は使えない」と何度も拒まれた。それでも諦めず勉学に励み、学費免除の特待生としての狭き門を潜り抜け、ようやく掴み取った成果だった。
「よく頑張ったな」
「お兄様が陛下とアカデミーに口添えしてくださったおかげです」
マチルダは頬を緩め、大事そうにアカデミーの封筒を抱きしめた。
「王女殿下、アスベル令息がご到着です」
背後から現れた侍女の声に、マチルダは勢いよく振り返る。
そこにはフェリシアンがいた。
マチルダと同じく十五歳になった彼の美しさは、王宮の庭園で咲き誇る華麗な花々が霞むほど。
背もすらりと高くなり、中性的な美貌に藤色の外套がよく似合う。絹のような艶やかな髪を耳にかけ、彼はマチルダを真っ直ぐ見つめてそこに立っていた。
「やあ、フェリシアン。久しぶりだな」
「リチャード王子殿下、ご無沙汰しております。マチルダ様もお元気そうで」
そう言ったフェリシアンにマチルダは密かに目配せする。
(……そう。今日はあの計画を実行する日ね)
マチルダはそんなことを考えながら一歩踏み出した。
「フェリシアン! 待ってたのよ! そうそう、今日はあなたと二人で薔薇を見る約束をしてたのよね! 楽しみだわ!」
彼女は嬉しそうにそう声を上げると、フェリシアンの首に手を回し、勢いよく抱きついた。
「……っ」
突然のことにフェリシアンの肩はびくりと揺れ、硬直する。リチャードも目の前の出来事に目を丸くしている。
「……お願い、今は私に合わせて」
マチルダはフェリシアンの耳元でそう囁くと、彼の頬がかすかに染まった。
「こら、マチルダ。フェリシアンが困っているじゃないか。早く離れなさい」
リチャードは笑顔のままではあるが、静かな圧を放ちながら二人を引き剥がした。しかしマチルダはフェリシアンの手を握って離さない。
「お兄様、今日は突然お兄様が来てくれてとっても嬉しかったです。でも本当は今日はフェリシアンと二人でお花を愛でる予定でしたの」
「あーそう、なるほどね。お兄様はお邪魔ってわけ?」
リチャードは目を細めて唇を尖らせる。
「違います! 大好きな大好きなお兄様に、私の大好きなフェリシアンのことも知って欲しいのです。ですからぜひ、一緒にお花を見ましょう? そしてお兄様にフェリシアンの素敵なところを百個お教えしますね。聞いてくださる?」
饒舌に語りだすマチルダに、リチャードは苦笑する。
もちろんこれは作戦だ。
この世の中に、妹の生々しい惚気話を聞きたい兄がどれほど存在するだろうか。少なくともリチャードはそういった類ではない。
「いや、遠慮しておくよ。今から母上のところに寄らないといけないから。また後でな」
リチャードは明るくそう言うと、仲睦まじげに手を繋いでいる二人を一瞥して去っていった。
「もう行ったわ。護衛も近くにいない」
マチルダは静かになった庭園で、落ち着いた口調でそう言った。
「だから……その、手を離してもいいわよ」
「……っ、はい」
ずっと握られていた手が離れる。
リチャードをこの場から遠ざけるための演技であったが、フェリシアンはいつの間にかマチルダの力では振り解けないほど、強く手を握っていた。
フェリシアンは焦って手を離し、少し気まずそうに彼女を見た。
「いいのよ。私が合わせてって言ったんだから。今日お兄様が帰ってくるなんて思いもしなかったし」
「はい。驚きました」
「お兄様は気まぐれだからね。でもちゃんと要件があったのよ。ほら」
マチルダは誇らしげにアカデミーの封筒を見せた。
「これって……」
「アカデミーの入学許可証よ。やっと手に入れた。あなたが私に勉強を教えてくれたおかげよ。本当にありがとう」
マチルダにそう微笑まれ、フェリシアンは思わず頬が緩む。
「それは良かったです。アカデミー入学はマチルダ様が望んでいたことでしたから」
「ええ。これで一歩進んだわ。アカデミーに行けば、きっと私はもっと強くなれるし、その分未来を変える選択肢が広がるわ。あなたのように協力者になってくれる人が現れるかもしれないし……」
マチルダが何気なくそう言うと、フェリシアンの表情が固まる。
「協力者ですか? 私以外に?」
「ええ、まあ……できればって話だけど。信頼できる人がいればね」
「信頼できる人……」
フェリシアンはいつもより低い声でそう繰り返した。彼の瞳の中にわずかに影が落ちる。
この感情が何なのか、彼は薄々気づいてはいる。しかしそれはマチルダに気付かれるべきものではないと思っていた。
彼はそのまま胸の奥のざらつきを飲み込み、いつもの冷静な声を発した。
「ところで、今日は具体的に何を?」
「今日は前回伝えた通り、王宮の地下書庫の潜入するわ。ちょっと大変だけど、変装して忍び込む予定よ。ちゃんと準備してきたら、きっと上手くいくわ」
強い眼差しでそう答えるマチルダに、フェリシアンは真剣な表情で頷いた。




