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蟻宮、Vチューバーとしてデビューを果たす(ただし7秒)

突発的に始まった路上ライブは最終日を迎えていた。果たして結果はどうなったのか?

「あんたたち、もう、ここでの路上ライブは無理だね」

「キリカさん、なぜ!?」

キリカの言葉にすももが驚いて言った。

「なぜ!?……じゃないのよ」

キリカは腕組みして、あきれたように言った。

「見ればわかるだろ、この状況」

キリカに言われてすももと蟻宮は駅前広場を見渡した。


駅前広場は人で埋まっていた。正確な人数はわからないが100人は集まっていそうだ。駅へ向かう人が通れるようにと、ゆのが必死で交通整理をしていた。小柄なゆのは、荒波にまれる海鳥のように、今にも人の海に飲み込まれてしまいそうだった。


そんなゆのを見かねてか、自然と有志が集まって交通整理を手伝っていた。

「これ、よかったらどうぞぉ。来月、ライブハウスのライブイベントに出演しますぅ」

ゆのは、わたわたしながらも、集まった人たちにフリージアのチラシを笑顔で手渡した。ゆのの言葉を聞いてか、四方八方から手が伸び、手に持ったチラシは、あっという間に厚みを減らしていった。

「ゆのさん、追加」

有志の一人らしき男性が、ゆのにチラシを渡した。

「ありがとうございます!」

ゆのはチラシを受け取ると、また、笑顔で配り始めた。


ゆのは、チラシを持ってきてくれた男性の名前を知らない。交通整理を手伝ってくれている人たちの名前も知らない。この地方都市は、閉鎖的でよそ者には冷たいとの悪評が全国に知られていた。ゆのは、東京生まれの東京育ちだ。東京は、どこに行っても人が多かった。電車に乗るにも、行列に並ぶにも、ほとんどの人がルールを守って整然と行動していた。それは、本能で一斉に行動する動物の群れのようだった。ただ、困っている人を見て声をかけたり、ましてや、こんなふうに手伝ってくれたりすることはなかった。「人を見たら泥棒と思え」なんて言葉があるが、店先の傘立てに傘を置いたら、誰かに持っていかれるのは、傘を置いたやつが悪いって話だ。チラシの束なんか預けようものなら、そのまま持って行かれるのでは?悪用されるのでは?と思うのが普通ではないだろうか。


ゆのは、この地方都市には、温かさがあると思った。地元の人は気付いていないようだが。


「みなさん、聴いてくれてありがとうございました。今日で路上ライブは終わりです。来月、ライブハウスでライブをやるので、よかったら来てください」

すももの声に拍手が起きた。拍手の音が大きくなりすぎたので、すももが、マイクを持った手の人差し指を唇にあて、反対側の手で抑える仕草をした。拍手の音は小さくなったが鳴り続けた。

「ほら、ありりも挨拶しなよ」

すももが蟻宮にマイクを渡した。

「え!?あ、えっと、来週から動画配信も始めます。よかったらそちらも見てね」

蟻宮が、たどたどしく挨拶をした。

「名前がわかんねえぞ」

集まった人の中から声が飛んだ。

「あ、そっか、えっと……」

「動画配信見てもいいよって人は、スタッフが配っているチラシを見てくださいね。ありりの詳細は、その動画配信でお伝えします。チラシは全部配っちゃったので、持ってる人、Twitter……じゃなかったXで拡散してもらえるとうれしいです」

すももが蟻宮の手からマイクを取り、呼びかけた。


最後の挨拶が終わると、集まった人たちは、物足りなそうにしていたが、すももと蟻宮が片付けを始めたのを見て、潮が引くようにさーっといなくなった。チラシは社長の指示で1万枚用意していたが、1週間で全部なくなった。路上ライブ3日目にオリジナル曲を歌ったときの動画がSNSで拡散したことが影響したようだ。翌日には数十人の人が集まり、その様子が動画で拡散されて、さらに多くの人が集まった。ゆのを初めとして事務所の手の空いていたスタッフが駅前広場に駆け付け、必死に対応したが、キリカの言う通り、この場所で路上ライブをやるのは、もう限界だった。


「駅前広場に降臨した二人の天使」「マシュマロボイスとパワーボイス萌え」「低身長女子かわゆ」といった投稿がすごい勢いで拡散されていくのを、すももと蟻宮は恥ずかしさに身もだえながら見た。


「おつかれさん」

すももと蟻宮は、出会った時と変わらずぱりっとした黒シャツを着た女性を振り返った。

「キリカさん、ありがとうございました」

すももが頭を下げた。

「あたしゃ、何もしちゃいないよ。よかったじゃないか。明日から、また、静かに路上ライブができるけど、何だか寂しいねえ」

キリカがにかっと笑った。

「完成度はまだまだだけど、スタートに立ったと思って頑張れよ」

今日もスーツ姿の男性、小碓が軽く言った。

「あんたは、いちいち、ひとこと多いんだよ」

キリカが突っ込んだ。すももと蟻宮が笑った。最初に出会った時が懐かしく感じた。

「すももちゃん、ありちゃん、片付け終わったよー」

「ゆのさん、ごめんなさい!任せきりにしちゃって」

すももが慌ててゆのに謝った。

「いいのよー。最後ぐらい、わたしたちに任せてよ」

「ゆのさん、ありがとう」

蟻宮がお礼を言った。

「んー、ありちゃんは、もっと愛想よくなった方がいいんじゃないのかな。お姉さん心配だよ」

「わかります!明日からの配信、なんかやらかしそうで心配……」

「すももちゃん、どういう意味?」

「俺もわかるぞ。その心配。だが、その愛想のなさも金髪ちゃんの持ち味だからな」

「小碓さん、どういう意味?」

蟻宮の声の温度は一気に低下した。

「まあ、頑張れ!」

小碓は、蟻宮のつららのような目を一向に気に介さず、爽やかに笑い飛ばした。




春の夜の夢のような1週間が終わり、翌週の金曜日22時。蟻宮の初配信の日、同接(同時接続人数)は開始前に100人を超えていた。さほど知名度のないフリージアでは、破格の数字と言えた。


時間になり、事務所にあるレコーディングスタジオで蟻宮の初配信が始まった。コントロールルームのモニターでは、金髪セミロングの少女のアバターが、眠っているように目を閉じ、体を丸めてふわふわと浮いていた。


Vチューバ―は「Virtual YouTuber」の略で、2016年に活動を始めたキズナアイが初めて「バーチャルYouTuber」を名乗った。3D動画より圧倒的に手軽に始められる2D動画ソフトの普及により、学生を始めとする一般人が、自分でアバターを作成し、簡単にVチューバ―なれるようになった。毎月500人以上がVチューバ―としてデビューしている。


Vチューバ―は、設定されたアバターを演者が演じる、いわば、アニメのキャラクターと声優のような関係だ。初期の頃は、「中の人」の実在を視聴者に感じさせないことが求められていた。しかし、最近では「中の人」そのものをアイドルタレントのように売り出すことも珍しくなくなってきた。


フリージアは?というと、動画配信はライブも含めて全てアバター、オフイベント(対面型イベント)は演者が出演していた。そのため、ホームページには、蟻宮の写真とこのアバターの画像が並び、名前だけが「???」と伏せられた状態で公開されていた。




「いい?蟻宮さん。まずはキャラ設定から始めるよ」

3か月前、すももの特訓が終わってへろへろになっていた蟻宮は、マネージャーのゆのに、事務所に呼び出されていた。

「キャラって、事務所が考えるんじゃないんですか?」

蟻宮が不思議そうに聞いた。

「うーん、確かに事務所がキャラ設定を決めるところが多いんだけど、フリージアでは、社長の方針で、キャラは演者と事務所が一緒に考えることになってるのよ」

「そうなんですね」


Vチューバ―は、芸能事務所がプロデュースする「企業勢」と、個人がプロデュースする「個人勢」がある。個人勢だと、キャラ設定から確定申告まで一人でやらなければならないが、企業勢の場合、キャラは事務所が用意し、演者は事務所が決めた設定に従って演じることが多い。


「アバターはVチューバ―にとってもう一人の自分だよ。うちを辞めたらアバターは置いてけって?あたしは、そんな生皮を剥ぐようなこと言うつもり、ないからね」

と、社長のえるるは宣言していた。


アバターは自分で作るなら無料でも作れるが、人気の絵師に依頼すれば、それなりにお金がかかる売れたいと思うなら諸々含めて100万円以上の出費は覚悟した方がいい。


企業勢の場合は、事務所がアバターを用意するが、その場合のアバターは事務所にとって元手のかかった商品であり、売れなければ演者を交代させてアバターは再利用するのはよくある話だ。人気が出れば、キャラクター商品を次々に販売して利益を得ることができる。場合によっては、動画配信はとっくに終了しているのに、版権を押さえておけば、キャラクターの利用料が流れ込み続けることもある。いわば金の卵を産むガチョウなのだ。


そういうオトナの事情を知っているゆのからすれば、えるるの「事務所を辞めたらアバターは持って行っていい」というのは、破格の好待遇だ。そこまでの説明はしないものの、演者にはきちんと説明がされ、契約書にも明記されていた。


「蟻宮さん、アバターはもう一人のあなたなのよ。だから、あなたが納得いくまで作りこむ必要があるの。気に入らなかったら何度だってやり直していいわ。大事にしてあげてね」

ゆのの、いつになく真剣な口調に、蟻宮も神妙になってうなずいた。


当然、やり直すたびに、コストはかさんでいく。全て事務所持ちだ。時間的にもコスト的にも、フリージアがキャラを量産できない理由は、ここにあった。デビューまでの3か月は、蟻宮のトレーニングのためだけではなく、アバターの準備のためにも必要な期間だった。


蟻宮は、レコーディングスタジオに一人で座り、目の前に置かれた高精細有機ELモニターを静かに見つめた。軽くウェーブがかかった金髪を揺らしながら、小さな女の子のアバターが、目を閉じて、膝を抱え、ふわふわと浮いていた。


何度も何度も動かして、細かな調整を重ねてきたアバターだ。蟻宮は妥協はしなかった。絵師も最後まで付き合ってくれた。毎日のようにアバターと向き合い続けてきた蟻宮にとって、画面の向こうのアバターは、ゆの言う通り、もはや、もう一人の自分だった。


コントロールルームに座るゆのが、時計を見て、隣のえるるをちらりと見て、もう一度時計を見てから、ガラス向こうの蟻宮に指でカウントダウンの合図を送り、四角いボタンを押し込み、ボリュームスライダーを一気に上げた。蟻宮とアバターが、ネットワークの上で情報的に接続された瞬間だった。


アバターが目を開き、薄青色の瞳が画面の向こうから視聴者を見つめた。


「は、初めまして、蟻宮吉野です!……あ」


ぱっと画面が暗転し、数秒後に「本日の配信は終了です―――7秒―――」という白い文字が表示された。


「あははははははははっ!」


ゆのの隣でえるるが腹を抱えて笑い転げていた。ゆのは、ボタンを押し込んだまま、手を真っすぐに伸ばした姿勢で硬直していた。ガラスの向こうでは、蟻宮が「あ」という声を発したままの表情で固まっている。


先に金縛りが解けたのは、ゆのの方だった。


「まあ、社長のアント・ワ・ネットとかいう、正気とも思えないセンスのネーミングが世に出なかったのは、不幸中の幸いでした」

「なんだよぅ。可愛いじゃんか」

えるるがコントロールルームのデスクに頬を付けたまま、目を三角にして、拗ねた口調で言った。

「これも天命です。諦めましょうね」

ゆのは、静かに言って、モニターの一角を指した。

「配信済み」となった、たった7秒間の動画の再生回数が、1万、2万と、とんでもないスピードで伸びていた。


こうして、蟻宮吉野はバーチャルの世界に生を受けたのだった。


……たった7秒だったが。


小説ってどうやって書くのかといったら、今回のお話の場合は、ピアノでいう即興演奏のような感じで書いています。つまり、イメージだけで書き始め、後は、登場人物たちの演技に任せるスタイルです。作者は紡ぎ出されてくる場面やせりふを小説としてまとめていきます。今回、公開までに時間がかかったのは、わたしがVチューバーって何?をほぼ知らなかったからです。「蟻宮吉野がVチューバーになる」ってテーマは夢の産物ですから、わたしにVの推しがいたり、わたし自身が配信した経験があるとかでは、全くありません。その「にわか」ぶりが、ここにきてハードルになっています。この2週間ぐらいは、いろいろな人の動画を見て勉強しています。中でも多く見ているのは、うら飯紺汰さんという人の動画です。2023年6月にデビューした個人勢の新人の歌枠Vチューバーさんで、2024年7月に公開された『リスタート』というオリジナル曲が1.7万人視聴の大ヒットとなっています。何度も聴きたくなるほどいい歌でした。「何となく」で配信しているのではなく、確固たる目標をもって努力を続けている姿を見ると応援したくなります。後付けで見ているので、もちろんフリージアのモデルになったというわけではありませんが、今後、わたしの小説に何らかの影響はあると思います。よかったら、うら飯紺汰さんの動画も見てみてください。

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