すもも、蟻宮にデレる
すももは、蟻宮が大嫌い。それは、嘘ではなかったんだけど……デレるの早くない?
これだから真面目な子は……
「蟻宮さん、大丈夫?」
フロアーに崩れ落ちた蟻宮に、すももが尋ねた。「どうでもいいけど」と続きそうな熱の感じられない声だった。
「だ、だいじょうぶだよ」
蟻宮は、床の上からにへらっと笑みを返す。それを見て、すももの口元がわずかに引きつり、瞳はさらに温度を低下させた。
「すももちゃん、今日も容赦ないなあ。アリーも歌えてるんやし、そんなもんでいいんちゃうの?今時、しごきなんて、はやらへんで」
雛菊が、蟻宮の頬によく冷えたスポーツドリンクを押しつけると、蟻宮が「ひゃんっ」と妙な悲鳴を上げた。
「しごきとか……そういうんじゃないから」
「すももちゃんは、まじめやからねえ」
雀が、蟻宮を上からのぞき込みながら、ほんわりした口調で言った。
「けど、すももは、蟻宮と勝負するんだろ。何で、蟻宮の指導してるんだ?」
あかねは、さくっと聞き、スポーツドリンクのストローをくわえた。
「あたしは、フリージアのリーダーだから……」
そう言うと、すももは、きゅっと口を閉じた。
「わかってるって。わたしは、そういう、すももちゃんの一途なところ、好きだなー」
雛菊が、すももをぎゅっとハグして、優しく頭をなでた。
「ちょっ、雛ちゃん、わたしのが年上……」
すももは、雛菊を振り払おうとじたばた手足を動かしたが、さして力を入れているようには見えない雛菊の腕から抜け出せなかった。
「おれたちは、応援してるぜ。まあ、頑張ってみるんだな!」
あかねは、すももに向かって親指を立てた。そういう暑苦しいポーズが、あかねだとさわやかに決まるのが不思議だった。
「あかね、男前!」
「よせやい!」
じゃれる雀とあかねをさりげなくトレーニングルームから押し出して、雛菊が振り返った。
「すももちゃん、うちらは、お先に失礼するねー」
「うん、お疲れー」
すももが、ちょっとだけ、表情を和らげた。そして、蟻宮の方に向き直ると、すっと表情を消した。
「蟻宮さん、立てる?」
「うん、だいじょうぶ」
蟻宮がゆっくり立ち上がった。
「じゃあ、続きから行くよ」
「うん、すももちゃん、お願いします」
すももがキーボードを弾き、蟻宮が歌声を乗せた。
「声!張らない!つぶれるよ!喉だけ開いて!」
「トーンは落とすな!出だし遅れた!」
「姿勢!腰、肩、首ずらさない!」
容赦ないすももの声が次々と飛んだ。蟻宮は、ひたすらに言われた通りに歌い続けた。歌は、あらゆる筋肉を使う全身運動だ。10分もすると、蟻宮の全身から汗が噴き出し、フロアーにしたたり落ちた。
実際のところ、蟻宮の上達はすももの予想を超えていた。素人同然だった蟻宮の歌は、たった1週間で、並のアイドルの技量を上回った。蟻宮は、すもものやり過ぎとも思える過酷な練習に、文句一つ言わずついてきた。もちろん、すももは、蟻宮をつぶそうとしたわけではない。すももが全力で与える指導のすべてを、蟻宮は、吸水性ゲルがコップの水を吸い上げるように余すところなく吸収した。すももは、つい、夢中になり、やり過ぎてしまったのだった。
一方で、すももは悩んでいた。再び力尽きて、フロアーで崩れ落ちている蟻宮への憐憫は一切ない。ましてや不満もない。蟻宮は確実にうまくなっていた。アイドルとして歌うだけなら十分なほどに。けれど、すももは知っていた。どんなにうまくても、「これではだめだ」と。正確に歌うだけならAIには勝てない。AIはメロディーと歌詞さえあれば、どんな高難度の曲も完璧に歌いこなす。それでも人が歌うことに価値があるのは、AIにない「何か」があるからだ。その「何か」が聴く人に伝わり、熱狂的に支持されるのが「売れる」ということなのだ。
蟻宮に才能が全くなかったなら、すももは諦めもしただろう。しかし、蟻宮の歌声には、不思議な魅力があった。蟻宮の甘い歌声は、蟻宮が大嫌いなすももの心さえも揺さぶった。どんなに努力しても得られない才能を、蟻宮は確かにもっている。それを、すももは認めざるを得なかった。それでも、すももにはわかってしまう。かつて、その歌声で人々を魅了し、それゆえに「普通の」生き方を外れ、今なお光の見えない樹海をさ迷うすももには、完璧なまでの技量を習得してなお全く売れなかったすももには、わかってしまうのだ。「これでは売れない」と。
とはいえ「売れた」ことのないすももには、どうやったら「売れる」ようになるのかわからなかった。むしろ、わかるぐらいなら、すもも自身が最初からやっていた。すももにできる全力は、すももが通ってきた道を、蟻宮の手を強引に引っ張って、突き進むことだけだった。
あたしができるのは練習しかない。でも、それは正しいことなのだろうか?
すももが通ってきた道を蟻宮の手を引いてたどっても、行き着く先は同じ樹海ではないのか?真っ暗な樹海の底に二人で取り残されるのではないか?そんな恐怖がすももの焦燥を煽り、すももの練習をさらに過酷なものへとエスカレートさせていった。練習に耐える蟻宮もつらいが、練習をリードするすももは、もっとつらかった。だからこそ、過酷な練習を押しつけられて、へらへらしている蟻宮を見ると、すもものやるせない気持ちは、どうしようもなく膨らんでいくのだった。
「えるる、もう限界じゃない、あの二人?わたし、見てられないよ」
物陰からすももと蟻宮を見ていた社長に、マネージャーが耐えかねて声をかけた。
「ゆのは甘いなあ。それがゆののいいとこだけどね」
「このままだと、二人ともつぶれちゃうよ」
「二人ともそんなヤワじゃない。私らができるのは、信じて見守るだけだよ」
えるるの毅然とした言葉に、ゆのがうなずいた。
「そのゆのの優しさを、ちょっとだけでいいから、私に向けてくれてもいいんだよ?」
「えるるは、つけあがるんで、絶対ないですね」
二人は軽口を言いながら、そっとトレーニングルームから離れた。
『路上ライブ!?』
二人の叫び声が重なった。
「そ。許可取っといたから」
社長は、手に持った紙をひらひらさせた。
「アントちゃん、まだ、人前で歌ったことないでしょ。経験積んどかないとステージなんて無理だから」
「路上ライブのが無理ですって。まだ、パートも決まってないんだから」
すももが言い返した。
「そんなん、歌いながら決めればいいよ。路上ライブってそういうもんでしょ」
「だから無理ですって!」
「すももちゃん、これ、『お仕事』だから」
「くっ……」
すももが言葉を詰まらせた。
「相変わらず『お仕事』って言葉に弱いんだから……」
ゆのがつぶやいた。
「わかったわよ。やります!で、いつから?」
「今日から1週間」
「きょ……え?はあっ!?」
すももは、信じられないものを見るような目で社長を見た。
「すももちゃん、いいね。その、走り幅跳びする亀を見るような目つき、ぞくっとくるわぁ」
「どんな目つきなのよ!もういいです!その紙ください。ありり、行くよ!」
すももは、社長の手から許可証をひったくるように取ると、蟻宮の手をつかんで歩き出した。
「すももちゃん……」
「何!?お仕事なんだから、しょうがないでしょ!」
「そうじゃなくて……」
「何よ?言いたいことあるなら、社長に言いなさいよね」
すももは、珍しくもじもじしている蟻宮に、じれったそうに言った。
「すももちゃん、今、ありりって……」
「あ」
すももの顔が急速に赤くなった。
「い、いいじゃない!『蟻宮さん』なんて、文字数多くて、咄嗟に呼んでいられないじゃん!嫌なら止めるわよ」
「嫌じゃない」
蟻宮の言葉を聞いて、すももの動きがストップした。
「うれしい」
蟻宮のほわっとした笑顔を見て、すももの顔がさらに赤くなった。
「もう!先に行ってるから!」
すももは、反対を向くと、ダッシュで社長室から出て行った。
「アントちゃん、すげえ」
社長が感心したようにつぶやいた。
蟻宮は、社長に何がすごいのか聞いてみたいと思ったが、「ありり、遅い!早く!」というすももの声に「あ、はーい!」と返事して社長室を出て行った。
「社長、よかったですね」
ゆのが満面の笑顔でえるるに話しかけた。
「ゆの、その『わかってます』って顔するの止めて。うざいから」
「はいはい」
えるるの暴言にもゆのは笑顔を崩さず、慈母のような顔でえるるを見た。えるるは、そのゆのの表情を見て、恨みがましく上目遣いをすると。デスクに突っ伏してしまった。
「すももちゃん、ありちゃん、こっちです」
事務所前に駐車したボックスカーからゆのが降りてきた。
「路上ライブともなると、多少の機材は必要ですからね。社用車を使いましょう」
どうやって先回りしたのかと驚嘆して立ち止まる二人の前で、ゆのはボックスカーのスライドドアーを開けた。路上ライブに必要なものは、全て積み込み済みだった。こうなることがわかっていないとできない用意周到さだった。
「さすが陰の社長と呼ばれるだけあるわね」
すももは舌を巻いた。
「うちの事務所は万年人手不足なので、私が運転しますね。でも、現場に着いたら準備、手伝ってくださいね」
こうして、当の本人達にとってもゲリラでしかない突発路上ライブが幕を開けたのだった。
前回で、予告したように、すもも回、3話で終わりませんでした。これって、ライブハウスでのライブが終わるまで続くんと違う?
今回でストックを使い果たしました。後は、少しずつ書いていくつもり。何か登録すると、更新のお知らせが行くみたいな説明をどこかで読んだ気がするので、よかったら登録しておいてね。3日前に「なろう」使い始めたとこだから、どうやってやるかは知らんけど(泣)




