すもも、蟻宮と出会う
すもも視点のお話の2話目です。すもも回は、どうしても暗くなっちゃうんだけど、もうちょっとだけ、お付き合いいただけるとありがたいです。
周防すももは、蟻宮吉野が大嫌いだった。
「すももちゃん、今日も帰らないん?」
雛菊がすももに聞いた。
「うん、もうちょっとやってく。あたし、下手くそだからさ。早くみんなに追いつきたいし」
春先のオレンジ色の夕日がダンススクールの教室のフロアーに差し込んでいた。レッスンが終わった後も、自主的な練習が認められているので、数人が残って練習をしていた。
「すももちゃんは、頑張り屋さんやねえ。うちはお先に帰るね」
「うん、おつかれー」
すももは、雛菊を見送った後、すっと笑顔を消した。鏡を見ながら、今日の課題だったダンスを最初から踊り始めた。動き出しのタイミング、指の角度……。細かいところまで確認し、少しでも間違えたら一つ前のセクションに戻って再び踊った。繰り返し、繰り返し……。
すももは、フリージア加入に合わせて、高校時代から通っていたアクターズスクールを退学し、今の音楽事務所が経営するダンススクールに入学した。このダンススクールでは、カリキュラムコーディネーターが、生徒一人一人のスキルを確認し、生徒の希望も聞きながら、スキルに応じたカリキュラムを組んでくれるシステムだ。ダンスだけではなく、歌唱指導のカリキュラムも用意されていた。すももたち、フリージアのメンバーも、特別扱いされることはなく、一般生徒と同じように、それぞれのスキルに応じてレッスンを受けていた。
「すももさんの希望を見て、カリキュラムを組んでみたんだけど……」
カリキュラムコーディネーターの麻生が、すももの前にタブレットPCを差し出した。
「うわ~、びっしりだね~」
マネージャーの依木が、すももの横から画面を覗き込んだ。
「これでも、全部は入らなくて……」
麻生が申し訳なさそうに言った。
「すみません!社長がバイトはしなくていいって言ってくれたので!」
「うん……」
依木は、どうしたものかと考え込んだ。
依木は事前に社長から言われていた。「すももは、スケジュール、パンパンに詰め込んでくるから、ゆのがざくざく削って。あの子、泳ぎ続けないと死んじゃうマグロみたいになってるから」と。
「社長、これ、無理」
依木は降参しちゃおっかなっと思ってしまった甘い自分を、頭を振って追い払った。
「すももちゃん、ここから10個減らそうね」
「?どうしてですか?」
心底不思議そうな顔をするすももを、依木は絶望的な気分で見た。
「えっとね、人間には、ご飯食べたり、休憩したりする時間が必要なの」
「あたしは大丈夫です!お昼ご飯は10秒で終わらせます!」
「10秒で終わらせるな!ちゃんと食べて!お願いだから!」
依木は、カロリーメイトをドヤ顔で見せつけてくるすももに、内心、半泣きになりながらも、何とか突破口を探った。
「すももちゃん、ちゃんと食事したり、寝たりするのも仕事なの。アスリートだって、ちゃんと食事したり寝たりしないと記録が落ちちゃうでしょ。大事なことだから、もう一度言うね。食事したり寝たりするのは仕事です」
「……わかりました。仕事なら仕方ないです」
どうやら「仕事」というキーワードで押せそうだ。
「彩花ちゃん、削れそうなカリキュラムは何かな?」
この機を逃すまいと、すかさず依木が麻生に聞いた。
「そうですねー。毎日声は出した方がいいからボイストレーニングは必須として、演技系の発声練習は削ってもいいかなー。あと、こっちの基礎体力トレーニングは必要ないかも。こんだけダンスやったら、カロリー消費やばいでしょ」
すももは、「なるほどー」と言いながら、麻生の提案を素直に聞いた。依木はほっとしてすももを見守った。
が、甘かった。
社長が言ったようにマグロは泳ぐのを止めると死んじゃうのだ。すももは、毎日のように居残り練習を始めた。
すももには、すももの事情があった。
すももがフリージアに加入してから1か月が経った。雛菊、雀、あかねの3人は、フリージアのいわば一期生だった。3人ともダンスが得意で、Vチューバーとしての配信や路上でのダンスパフォーマンスで細々と活動していた。チャンネル登録数は3,000程度。町内会やショッピングモール、学校でのイベントに呼ばれることもあった。まごうことなきローカルアイドルである。
3人に遅れること1年でフリージアに加入したすももは、どちらかというと歌の方が得意で、ダンスには苦手意識があった。フリージアに入るまではバイトが忙しかったので、ダンストレーニングは減らさざるを得なかった。社長からは、「ダンススクールの費用は会社が出すから、バイトは辞めていい」と言われた。生来が生真面目なすももは、社長の手厚い計らいに感謝すると同時に、恩に報いるという古風な考えから、思い切ってバイトを全て辞めた。
背水の陣。
「ダンスが苦手なんて言い訳で3人の足を引っ張っるようなことになったら……あたしは、自分で自分を許せないのよ」
すももは、追い込まれた猫のような目をしていた。
「お、やってるねー」
「社長!」
教室に社長が入ってきた。依木と、もう一人、見知らぬ少女がいた。
「ごめんねえ、練習の邪魔して。すももちゃん、ちゃんとご飯食べてる?」
「はい。依木さんから、食事と睡眠はきちんと取るように言われてるので」
「うんうん」
社長は満足そうにうなずいた。すももは、社長の後に付いて入ってきた少女をじっと見た。
「私が拾ってきた。フリージアの5人目の花だよ」
「……社長、捨て猫を拾ってきたみたいに言わないでください」
依木が突っ込んだ。
「蟻宮吉野です。よろしくお願いします」
春の陽光を紡いだような金色の髪、抜けるように白い肌、青みがかった淡い瞳。文句なしの美少女だった。容姿だけでなく透明感のある甘い声が印象的だ。
「アントちゃんには、フリージアのメインボーカルやってもらうから」
「アントちゃん?」
依木が社長に聞いた。
「蟻だからアントちゃん。私が名付けたんだ」
「うわ、相変わらずセンスありませんね」
「うっさい!」
すももには、社長と依木の掛け合いも耳に入って来なかった。
え?あたしがメインボーカルじゃなかったの?
すももは歌に自信をもっていた。歌こそが、自分の存在価値だとさえ思っていた。
「納得できません」
すももの口から、とげとげした言葉が飛び出した。
「どうして蟻宮さんなんですか?あたしじゃだめなんですか?あたしは今まで何のために頑張ってきて……」
止めようとしても言葉が止まらなかった。すももは、自分にびっくりしていた。
すももは、どんなときも気持ちを抑圧してきた。クラスメイトが、自分を置き去りにして次々にデビューしていったときも、脚光を浴びるクラスメイトの後ろで黙々とバックコーラスをやっていたときも、たった一人で逃げるように学校を去ったときも。
すももの両目から、涙があふれてきた。すももは、ずるい女みたいに泣く自分さえ許せなかった。
「すももちゃん……」
すももに近付こうと一歩踏み出そうとした依木を社長が手で制止した。
「すももちゃんは、どうしたいのかな?」
「この人と、蟻宮さんと勝負させてください。勝負の方法はお任せします。それで、あたしが負けたら、あたしはご迷惑をおかけした責任を取ってフリージアを辞めます」
「すももちゃん!」
耐えかねて依木が叫ぶ。再び社長が手で制止した。
「すももちゃん、わかった。勝負の方法は、ゆのから聞いてね」
「はい。生意気言ってすみませんでした」
すももは神妙にうなずいた。
社長は黙って教室を出ていった。
「社長……」
ビルを上昇するエレベーターの中で、ゆのが咎めるような眼を社長に向けた。
「なに?」
「意地悪ですね」
社長は「心外」といった顔をした。
「ひどい。すももちゃんに怒られて、私はこんなに傷ついているのに」
「噓泣きは止めてください。気持ち悪いです」
ゆのは容赦なく言った。社長は、はあっとため息を付いた。
「私の周りの人間は、私に優しくないんだよなあ。こんなに頑張ってるのに」
「自業自得ですね」
ゆのの冷めた目は、わずかも温度が上がらなかった。
「ライブハウスでライブ配信!?」
すももは、驚いて声をあげた。
「100,000いいねの獲得?それってすごいの?」
蟻宮は、よくわからないという顔をした。
「しかも、この曲、ボーカルの指定がされてないじゃない。どうやって勝負付けるのよ」
「どのフレーズをどう歌うかは、お二人に任せるとのことです。勝負については、お二人のどちらにいいねを付けるかを選べるようにするので、その結果を見て判定するって」
依木が淡々と言った。
「丸投げじゃない!プロデューサーは、それでいいって言ってるの?」
「お金がないので、プロデューサーは、社長自らやるそうだよー」
すももは、大きなため息をついた。
「なんか、はめられた気分だわ。あの人、何かたくらんでるでしょ?」
「存じません」
「でしょうね。知ってても言わないわよね」
依木は答えなかった。
「じゃあ、とりあえず、歌ってみるよ」
すももと蟻宮は、ダンススクールの1室、スタジオに移動した。ダンススクールの課業後は、フリージアの練習のために無償で使っていいことになっていた。渡されたサウンドトラックを何度か聞いて、歌のイメージをつくった後、実際に声を出してみた。
「蟻宮さん」
「なに?」
「下手くそね」
「ひどっ!」
すももは、内心で頭を抱えていた。これでは勝負にならない。蟻宮は全くの素人で「歌」になっていないのだ。
「依木さん」
「何?すももちゃん」
「空きスケジュールを全て二人の練習のために押さえてほしい」
「いいよー」
「蟻宮さん」
「はい」
「基本からやるよ」
「ご、ごめんね。わたし、音楽の授業ぐらいでしか歌ったことなくて……」
蟻宮の言葉を聞いて、すももは手で額を押さえた。
「いい。言ってもしょうがないから」
「すももちゃん?」
「ちゃん?」
「あ、ごめん、すもも、さん?」
「……ちゃんでいいわよ!」
周防すももは、蟻宮吉野が大嫌いだった。たった23年の人生とはいえ、その全てをかけて勝ち取った場所に、いとも簡単に入り込んできた蟻宮が許せなかった。それでも、すももは、与えられた課題を「いい加減にやる」なんてできなかった。蟻宮が素人同然のまま当日を迎え、お客さんが失望するのは見たくなかった。すももが余計なことをしなかったら、蟻宮に楽勝で勝てるとしても、そんな勝ち方は絶対にしたくなかった。
こうして、すももによる容赦ない蟻宮の特訓が始まったのだった。
すもも回、3話で終わらせようと思ったけど、無理だったことが今日わかったw
すももにどっぷりはまりそう。




