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意地悪

蟻宮吉野と周防すももの出会いの場面を、蟻宮視点で書いていきます。この話から読み始めた人は、最初から読んだ方が楽しめると思います。

すももちゃんは、わたしより4歳も年上なのに、全然、年上に見えない人だった。




赤ラインの入った地下鉄桜通線の電車が名古屋駅で止まった。チャイムが鳴り、ホームドアに続いて電車のドアが開いた。わたしは、地下鉄を降り、何本かのエスカレーターを乗り継いで、FASHION ONEと呼ばれる地下街へと進んだ。


名古屋市の地下には無数の通路や階段が何層にも渡って張り巡らされており、世界最大の地下迷宮となっている。特に名古屋駅地区は7本もの地下街と、着工中のリニア中央新幹線を含む9本の鉄道線が集結していて、地元の人でも、よほど詳しくない限り、地下街を通って目的地にたどり着くことは至難の業だ。スマホのナビも使えないしね。KDDIとNECが地下街で使えるナビシステムを開発中だが、今のところ栄地区限定の試験運用で、商品化は未定となっていた。


FASHION ONEは、名古屋駅の東西を結ぶ中央コンコースの真下を通っている。名古屋駅は1日80万人が利用する巨大ステーションで、平日の昼日中であっても、地上1階の中央コンコースは人で埋め尽くされている。それが朝ともなれば、その混雑具合は耐え難いほどだ。なので、毎日のように名古屋駅を利用する地元民は、それぞれが少しでも空いている地下街ルートを開拓して、そこを通り抜けていた。


わたしは、FASHION ONEの西の端まで通り抜けると、階段を上り、地上へと出た。名古屋駅は、東側に世界的自動車メーカーをはじめとするオフィスビルや商業ビルが集中しているが、西側は最近になって建造された高層ビルと昭和から続く古い建物が混在するエリアになっていて、人通りも少なかった。


わたしは、駅からほど近い真新しい高層ビルに入ると、エレベーターで15階へと上がった。

「失礼します」

指定された部屋に入ると、そこは、小さなオフィスになっていた。扉を入ってすぐのところに4人掛けの応接セットがあった。

「ああ、よく来たね」

応接セットの奥には、会社でよく見るようなスチール製のデスクが4つ向かい合わせに置かれていた。その奥の席から、えるるさんが立ち上がった。えるるさんの隣でPCの画面を睨んでいた女性も立ち上がり、えるるさんに続いて応接セットのソファーに並んで座った。わたしも、促されるまま、向かい側に座った。

「大学帰り?」

「はい」

えるるさんが尋ね、わたしは短く返事を返した。

「大学、楽しい?」

「え?」

わたしは、そんなことを尋ねられると思ってなかったので、思わずえるるさんの顔を見た。

「いや、私、大学行ってないからさ。勉強嫌いだったし。小学生から、ずっとこの業界にいるからさ」

「そうなんですね」

わたしは、どう答えようかとちょっと迷ったけど、やっぱりいつものように短く答えた。

「うん。まあ、でも、大学は行った方がいいよ。アントちゃんも、フリージアの活動と両立は大変だと思うけど」

「わかりました」

えるるさんは、短い返事しかしない、わたしを見て、ふっと笑った。

「じゃあ、ゆの、手続き進めてくれる?」

「よろしいのですか?」

先ほど、えるるさんの向かいの席に座っていた女性が問い返した。

「どの道、採用って決まってたから。それに、今ので何となくわかった」

えるるさんの、あけすけな雰囲気が消え、思慮深い大人の女性の顔が一瞬だけ現れた。

「アントちゃん、こちらはゆの。副社長と兼任でフリージアのマネージャーをしてもらってるんだ」

依木よりきゆのです」

女性がぺこりと頭を下げた。えるるさんも社長としては若いが、依木さんは、えるるよりもさらに若く見えた。説明されなければ新入社員かなと思ったぐらいだ。

「ゆのは、わたしがアイドルグループにいたときのメンバーの一人なんだけど、わたしがフリージア立ち上げたときに手伝いに来てもらったの」

「社長に無理やり引き抜かれました」

依木さんは、無表情でさくっと言った。

「ゆのったら、照れちゃって!えるるのためなら喜んで何だってするわって……」

「言ってません」

依木さんは、えるるさんににっこりと笑顔を向けて断言した。

「では、手続きを進めますね。こちらが契約書で……」

依木さんは、てきぱきと書類を並べ、わたしは言われたとおりにサインをしていった。


手続きは数10分で終わった。

「じゃあ、トレーニングルームに行こうか」

「はい」

えるるさんに促さるまま、エレベーターに乗り、2階で降りた。


正面の自動ドアの上には『Charis』の文字。

「カリス?」

「そう。よく読めたね」

えるるさんが、感心したように言った。わたしはパパの影響で多言語が得意なので自然と読めた。

「ギリシア神話の「輝きのアグライアー」「喜びのエウプロシュネー」「花盛はなざかりのタレイア」の3姉妹の女神の通り名だよ」

えるるさんは、ギリシャ語で書いておけばよかったかな、といたずらっぽく笑った。


春先のオレンジ色の夕日が、広い部屋の床に落ちていた。今日のレッスンは終わったのか、人気の絶えたトレーニングルームで、一人の小柄な少女が鏡を見ながら、一心不乱に踊っていた。


「お、やってるねー」

「社長!」

えるるが声をかけると、小柄な少女は、ぱっと振り返ってえるるを見た。そして、すっと視線が横にずらして、わたしを見た。

「ごめんねえ、練習の邪魔して。すももちゃん、ご飯、ちゃんと食べてる?」

この子は、すももちゃんというのか。この時、わたしは、すももちゃんのことを、わたしと同じぐらいか、もっと下の歳だと思っていた。

「はい。依木よりきさんから、食事と睡眠はきちんと取るように言われてるので」

少女は表情がない……というよりは、仮面のような硬い表情をしていた。


なんて張り詰めた人だろう。毎日を、恐らく何年も必死で生きてきて、きんきんに固まって、石を投げたら、ガラスのように割れて砕け散ってしまうんじゃないかと思うような人だった、。


「うんうん」

えるるさんは、何も気に留めていないかのように笑顔でうなずいた。


少女の視線はわたしを真っすぐ見つめていた。何だろう?男子のような熱に浮かされた目でもなく、女子のような嫌悪に満ちた目でもなかった。混じり気のない純粋な興味が、わたしに注がれていた。

「私が拾ってきた。フリージアの5人目の花だよ」

「……社長、捨て猫を拾ってきたみたいに言わないでください」

わたしの後ろに静かに立っていた依木さんが口を開いた。

「蟻宮吉野です。よろしくお願いします」

わたしは、前に出て、すももちゃんの正面に立ち、深々と頭を下げた。



次のひと言が、すももちゃんの仮面を打ち砕いた。



「アントちゃんには、フリージアのメインボーカルやってもらうから」

その一石は、えるるさんから投じられた。


無表情だったすももちゃんの表情に現れたのは、最初は驚き、次に失望、最後に怒りだった。わたしは、思わず振り返り、えるるさんの顔を見た。


えるるさんは、笑っていた。


この人、わざとだ。


「納得できません」

すももちゃんの口から、とげとげした言葉が飛び出した。


「どうして……どうして蟻宮さんなんですか?あたしじゃだめなんですか?だったら、あたしは、今まで何のために頑張ってきたんですか?」

堰を切ったように、すももちゃんの口から次々と言葉が飛び出してきた。目尻の上がったきれいな目から、涙があふれ出していた。


「すももちゃん……」

依木さんが一歩踏み出そうとしたところを、えるるさんが手で素早く制止した。

「すももちゃんは、どうしたいのかな?」

えるるさんが、静かに尋ねた。


すももちゃんは、涙を腕で2、3度ぬぐうと顔を上げて、えるるさんを真っすぐ見た。

「この人と、蟻宮さんと勝負させてください。勝負の方法はお任せします」

わたしは、一瞬で打ちのめされ、立ち上がり、挑もうとするすももちゃんを、かっこいいと思った。

「それで、あたしが負けたら、あたしは、ご迷惑をおかけした責任を取ってフリージアを辞めます」

揺るぎない、上段構えから、迷いなく剣を振り下ろしたような、すぱっとした言葉が、えるるさんに向かって放たれた。

「すももちゃん!」

依木さんが再び前に出ようとするところを、えるるさんが、またもや素早く手で制止した。

「すももちゃん、わかった。勝負の方法は、ゆのから聞いてね」

依木さんは、目を見開き、それから、いたたまれないように目を伏せた。

「はい。生意気言ってすみませんでした」

すももちゃんが、えるるさんを真っすぐ見て頭を下げた。

えるるさんは、それには答えず、黙ってきびすを返すと、黙ったままトレーニングルームを出て行った。依木さんが、すももちゃんと社長の背中を困ったように交互に見て、それから諦めたようにため息をついて、えるるさんの後を追った。わたしは、何も言われなかったけど、そのまま、ここに残るほどの度胸はなかったので、慌ててえるるさんと依木さんの後を追った。


「社長……」

エレベーターの扉が閉まると、待ちかねたように依木さんが口を開いた。

「なに?」

えるるさんが扉の方を見たまま答えた。

「意地悪ですね」

依木さんが責めるように言った。

「あれ、わざとですよね。わざと、すももちゃんを怒らせましたね」

「だってさあ、ああでもしないと、すももちゃんの殻割れないじゃん?ほんと頑固なんだから。一人で頑張って、一人で何とかしようって思ってるうちは、何もできないのよ。固い殻の中に閉じこもって、愛想よくしてるうちは、何もできないのよ。泣いてくれてよかったあ」

そういう、えるるさんの表情こそ泣き出しそうだった。

「社長」

「なに?」

えるるさんが振り返った。期待するような表情が浮かんでいた。

「やっぱり意地悪ですね」

えるるさんは「心外」といった顔をした。

「ひどい。すももちゃんに怒られて、私はこんなに傷ついてるのに」

そのまま、泣く真似をした。意外と演技がうまい。

「噓泣きは止めてください。気持ち悪いです」

依木さんが氷のような声で言った。

えるるさんは、はあっっとため息をついた。

「私の周りの人間は、私に優しくないんだよなあ。こんなに頑張ってるのに」

「自業自得ですね」

依木さんの声は、さらに温度を下げていた。


3人で事務所に戻ったところで、この日は解散となった。勝負の方法は明日、わたしとすももちゃんがそろったところで話があるそうだ。


うう、気まずいよう。わたしは、明日、どんな顔をして、すももちゃんに会えばいいんだろう?

小説が追いかけ再生のようになってますね。前回、このシーンを書いたのは第6話でした。わたしにとっては、この第6話を書いたのが、つい、昨日のことのように感じるのですが、リリースの日付が3月なので、すでに3か月が経過し、話数にして10話も前のことなのですね。時間軸が、あっちに行ったり、こっちに行ったりしたあげく、ようやく重なってきたということでしょうか。わたしは、小説の場面を映像的に見ているので、文章に書けなかった(書かなかった)場面も見えていますし、「あのとき、この人は、こんなことを考えていたんだ」ということも、なんとなくわかっています。だからといって、伏線を張り巡らせて、後から回収するような複雑なことをしているつもりはありません。ただ、自然に辻褄が合うように書いているだけです。前作と同じように「だいたい20話ぐらいで終わりにしようかなあ」と思っているので、結局、回収せずに終わるエピソードもありそうですね。フリージアの他の3人のメンバーの話とかね。

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