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リヨンの夜

エレーヌの護衛を続けつつ、合気道も教えることになったハヤト。3年の月日が流れ、二人は……

フランス第2の都市リヨン。


旧市街にあるノートルダム大聖堂やリヨン・サンジャン大教会は、日本人でも知っている人が多いのではないだろうか。ソーヌ川とローヌ川が市内を流れる美しい街だ。そんな観光都市にインターポールの本部は置かれていた。




人が二人、畳に並んで立ち、両手を前に突き出していた。一人は大柄な男性、もう一人は小柄な女性だ。身長差から親子のようにも見えた。二人は同時に左足を前に出し、滑るように体を移動させた。


そこは、リヨンにある合気道の道場だった。フランスには合気道の門下生が30万人もいる。そのため、各地に道場が立っているのだ。


二人は、前へ出たり後ろへ下がったり、くるりと向きを変えたりという動作を軽快に繰り返した。二人の所作しょさは、足を出すタイミングから手足の角度に至るまでぴたりとそろっていて無駄がなく、まるで一緒にダンスを踊っているかのようだった。


一連の動作が終わると、二人は向かい合い、組み合った。小柄な女性が大柄な男性の腕を取り、すっと後ろに流すように体重をかけると、一瞬で男性はうつぶせに倒れ、そのまま腕を押さえられた。二人は立ち上がると、同じ動作を何度も繰り返した。


合気道は、心身の修練を目的としているため、優劣を競い合うことはしない。試合で競争して1位を取ったり、勝ち負けを決めたりという一般的なスポーツの目的がないので、未経験者からは理解が難しい武道といえる。また、基本となる動作はあっても、型を覚えればいいというものではなく、相手の体格や力に合わせて動作を変える必要があった。例えば、手刀は、上から振り下ろすのが基本だが、相手が自分より大きい場合は、振り下ろすのでなく突き上げる。そして、技が効くかどうかを試し、技が効いたら、同じ動作を繰り返して体で覚えるのだ。


二人の動作は流れるように続いていた。合気道の経験がある人なら、二人の力量が優れていることは見て取れた。


やがて、二人は互いに礼をして稽古を終えた。


「ハヤト、今夜の予定は空いている?」

小柄な女性、エレーヌは、大柄な男性、高松隼人たかまつ はやとに声をかけた。

「ああ、大丈夫だ」

高松が落ち着いた声で答えた。


高松がエレーヌとルーブル美術館で会った日から3年が過ぎていた。3年前に比べて、エレーヌは少しだけ大人びたが、幼い顔立ちと背の低さは相変わらずで、ぱっと見には少女のように見えた。エレーヌはモデル業の傍ら、合気道を習い続けていた。そして、稽古が終わった後は、高松を誘って食事に行くこともよくあった。


「今夜は、会ってほしい人がいるの」

「構わん」

「そう。ありがとう」

エレーヌは、ぱあっと笑顔を咲かせた。道場を出る入口で振り返ると、再び高松に向かって、ヒマワリのような笑顔をきらめかせた。

「じゃあ、いつもの店で待ってるね」

高松は無言で手を振り、上機嫌で出て行くエレーヌを見送った。




リヨンは、フランス料理界の巨匠ポール・ボキューズが生まれた「美食の都」として知られている。「レストランはパリよりもリヨンの方が美味しい」と言うフランス通の旅行者もいるほどだ。


高松が訪れたのは、三ツ星ではないが、裏通りの一角にある、落ち着いた雰囲気のクラシカルなレストランだった。いつもの席には、エレーヌと初老の男性が座っていたが、エレーヌが立ち上がるのに合わせて立ち上がり、高松に向かって軽く一礼をした。

「父です」

エレーヌの紹介を受けて、高松は驚いたが、初老の男性に向けて礼を返した。


エレーヌの父といえば、DCPJ(la direction centrale de la police judiciaire:刑事司法警察局)の局長であり、警察としての地位は高松より遥かに上だった。

「今日は、DCPJの局長としてではなく、エレーヌの父としてここにきたのだ。堅苦しいのはなしでお願いしたい」

「わかりました」

エレーヌの父、ジルベールは、自然な所作しょさで高松に席を進めた。高松が座ると、エレーヌとジルベールも席に着いた。やがて食事が運ばれてきた。

「この魚はうまいな。塩加減がまた絶妙だ」

ジルベールが口を開き、話題は料理のことになり、和やかに時間が過ぎて行った。


料理の皿が片付けられ、食後のコーヒーが運ばれてくると、ジルベールが再び口を開いた。

「ハヤトくんには、娘がいつもお世話になっているね」

「いえ。フランスで合気道を教えることになるとは思いませんでしたが、むしろ、同好の士が増えるはありがたいことです」

「合気道だけでなく、休日もよく付き合わせているそうじゃないか」

「娘さんの護衛を仰せつかりましたので当然のことです」

ジルベールは、カチャりとコーヒーカップをソーサーに置いた。

「ほう。すると、君は、仕事のつもりで娘に同行していたのかね」

高松は、少し考えた。

「最初は仕事でしたが、もう、3年になりますからね。今は、友人と遊びに行くぐらいの気持ちでいますよ」

エレーヌは、高松の答えを聞いて、不満そうに頬を膨らませた。

ジルベールは娘の顔をちらりと見て、高松に言った。

「君が娘に同行してくれたおかげで、娘の安全は守られた。感謝しているよ。娘も君と過ごす時間は楽しかったようだしな。君がいてくれたおかげで行動の制限がかなり自由になった」

「恐縮です」

高松は短く答えて礼をした。そんな高松を見てジルベールは苦笑した。

「君は動じないな。来月、3月末でインターポール勤務を解かれ、帰国すると娘からは聞いている」

「宮仕えのつらいところです。フランスの水にも慣れたところでしたが」

それを聞いて、エレーヌがぱっと顔を伏せた。ジルベールは、そんなエレーヌの様子を見て、口を開いた。

「そこで、君にお願いがあるんだが」

「なんでしょう?」

「娘を一緒に日本に連れて行ってほしいのだ」

「お父様!」

エレーヌは音がしそうな勢いで顔を上げた。耳まで真っ赤になっていた。さすがの高松も、これには面食らったが、ジルベールは冗談を言っているような顔ではなかった。

「理由をお伺いしても?」

「うむ」

ジルベールは目を閉じてうなずくと語り始めた。

「エレーヌの母は、エレーヌが幼い頃に亡くなった。病気や事故ではない。ギャングに殺されたのだ」

高松は目を見開いて、ジルベールの顔を見た。そこには、何年経っても癒されない悲痛な表情があった。

「私はDCPJの捜査官として、人身売買組織を追っていた。とある決定的な証拠をつかみ、関係者を一網打尽に逮捕したんだ。そこには、警察の高官も含まれていた。私の個人情報は、裏切り者を通してギャングに伝わっていたんだ。ある日、自宅に帰った私が見たのは、無残に斬り殺された妻の姿だった」

高松は息を呑んだ。

「わたしは、変わり果てた妻の体の下から、自分の娘を抱き上げた。娘は傷一つなく、眠っていたよ」

ジルベールはエレーヌを見た。

「エレーヌ、すまない。おまえにはつらい話だったな。だが、私は彼に知っておいてほしいのだ」

エレーヌは黙って首を振った。

「娘だけを生かしておいたのは、慈悲ではなく、私への警告だろう。捜査を続けるなら、次は娘の番だと」

ジルベールは感情を感じさせない静かな声で続けた。

「だが私は、その日から、ギャングの撲滅に向けて、それまで以上に仕事に打ち込むようになった。それこそ寝食を惜しんで、がむしゃらに捜査を続けた。そして、いつの間にか、私はDCPJの最高責任者になっていたのだ」

容赦のない操作で「銀髪の鬼」と警察内外から恐れられる局長の背景には、そんな事情があったのか。高松は、ジルベールの話に聞き入った。

「君には誘拐された娘を救ってくれた礼も、3年間もの間、守ってくれた礼も言えず、すまなかった」

ジルベールは席を立ち、日本人がそうするように、高松に向かって深々と頭を下げた。

「局長、頭を上げてください。俺は当然のことをしたまでです」

高松も席を立ち、さすがに慌てて言った。ジルベールは顔を上げると、高松の顔を見て、にやりと笑った。

「当然のこと?それは、どういう意味で言っているのかな?」

「お父様!」

エレーヌがたまりかねたように叫んだ。

「おっと、娘に怒られてしまうな」

ジルベールは席に座りなおすと、高松にも座るように促した。

「残念ながらフランスには、君のように安心して娘を預けられるような人物はいないのだ。君さえよければ、娘も日本へ連れて行ってほしい。フランスを離れ、治安のいい日本で、君と一緒にいるなら、わたしも安心できるというものだ」

「いや、しかし、エレーヌの気持ちは……」

ジルベールは怪訝な顔を高松に向けた。

「君は何を言っているんだ。エレーヌが嫌がるようなら、最初からこんな話をしたりしないさ」

高松はエレーヌを見た。エレーヌは再び耳まで真っ赤になった。これまで女性には縁がなかった高松だが、ジルベールの言葉の意味を間違えなかった。

「わかりました。謹んでお受けいたします」

答える高松の顔も少し赤くなっていたかもしれない。




リヨンの夜は長い。テーブルにはジルベール秘蔵のワインが運ばれてきた。3人の話は尽きず、その日、レストランの閉店まで3人のほがらかな声が響いた。

こんなこと、読者の皆様にとっては大したことではないのですけど、実はわたしにとって、結婚する男女を書くのは初めての経験でした。わたしの人間不信が心の結構深いところに刺さっていますので。エレーヌとハヤトが結婚することは最初から決まっていたことで、フランス編は二人がどのように出会い、どのように結婚に至るかまでを書くのがテーマでしたので、避けては通れないというか……。今回の話を書き上げて、サッカーの試合でドリブルで相手プレイヤーをかわしながら、渾身の一撃を放ってゴールを決めたトップのような気分です。ああ、顔が熱いわ。

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