和の武道
パリコレに出演するモデル、エレーナから護衛の依頼を受けたハヤト。エレーナの身に迫る危険をハヤトは退けることができるのか?
(それっぽい前書きになったなあ)※心の声
シャキシャキとハサミの音、カタカタとミシンの音、衣擦れの音、鋲を打つ音……。音は、ルーブル宮殿のモルタル壁にぶつかって跳ね返り、重なり合って混然となった。観客は、パリコレが誕生した100年前の活気に満ちた服飾工房にいるかのような、ノスタルジックな気分に包まれた。やがて、ばらばらに鳴っていた音にリズムが生まれ、リズムに合わせて音が整列を始めた。パリ・オートクチュール・コレクションが始まった。
天井の大きな窓から冬の柔らかな陽光が差し込み、象牙色の壁面に落ちて、ルネサンス様式の豪奢な模様を立体的に浮かび上がらせた。暗幕もない。ライトも最小限。部屋でくつろいでいるときのような、自然光の元、白いドレスをまとった金髪の少女が先頭を歩いてきた。
少女はステージの端まで歩いてくると、一瞬だけポーズをとり、印象的な笑顔をきらめかせると、くるりと向きを変えてステージ奥へと戻っていった。その後ろから、人種も体格も年齢も様々な女性が続いた。全員が違うデザインの、それでいて統一感のある衣装をまとっていた。全ての衣装が、モデル一人一人の個性に合わせて仕立てられた1点ものだった。
オートクチュールは、世界最高峰といえるオーダーメイドのブランド服だ。1着1着が、とんでもなく高額であり、世界中の王侯、政治的指導者、富豪が顧客だ。パリコレには入場券はなく、招待された客しか入場できない。顧客以外では、服飾関係者かファッション専門の報道関係者のみである。ただ、裏技があって、招待客は必ず来るとは限らないので、空席ができると順番待ちしていた一般客を入れてくれる。何人入れるかは当日までわからないので、一般客は、入場できることを期待しながら列に並ぶのだ。
高松は、片隅に立ち、会場を見回した。一般客も含めて、高級ブランドのファッションショーを見に来るにふさわしい、きちんとした格好の客ばかりだ。だからといって、高松は油断しなかった。犯罪者は常識の裏をかくものだと知っているからだ。
日本人自身が、あまり気づいていないが、実は日本は独創的な犯罪が次々と発生する特別な国だった。例えば、1995年に東京都で起きた「地下鉄サリン事件」は、化学兵器である毒ガスのサリンを地下鉄の中で散布し、無差別に多くの人を殺害するという前代未聞の事件だった。このとき、警察は事件の発生を予見できなかった。その反省から、日本の警察は、常識に囚われずに、あらゆる可能性を考えるようになっている。
高松は、親友の真淵に言われたように「無駄に優秀」な人間だった。そうでなければ、気づかなかっただろう。高松は、数刻前から、一人の女に注目していた。理由はと問われても高松は答えることはできなかっただろう。混雑の中、高松には、その女が「違って」見えたのだ。
ファッションショーが終わり、観客が退出し始めた。高松は壁際からすっと離れ、通路に向かった。
「待て」
一人、列から離れて建物の奥へと足を向けた女を、高松は呼び止めた。女は振り返らなかった。高松が近づくと、瞬時に身を翻した。金属質の反射光が一瞬だけ見えた。女は高松の懐へ飛び込み……投げ飛ばされた。まるで重力がないかのように、女の体がくるりと一回転して石の床に叩きつけられた。
鬘が宙を舞い、痩せた男の顔が現れた。男は起き上がることができなかった。高松は床に落ちたナイフをハンカチで広い、そのままくるんで懐にしまった。男は駆け付けた警備員に取り押さえられた。
しばらくして、男が向かおうとした廊下の先から、外出用の服に着替えたエレーヌが出てきた。
「今の、何?」
エレーヌが真剣な表情で高松に聞いた。
「見てたんですか?」
「まあね」
エレーヌの表情は硬いままだ。高松は「無理もない」と思った。自分の命が狙われたのだ。監禁された場所から自力で脱出し、非常階段から落下するほどのお転婆であっても、怖いものは怖い……
「ハヤトは、忍者はいないって言ったよね。あれってうそだったの?」
エレーヌは頬を膨らませた。
そっちか!?
「嘘ではないですよ。日本には武士も忍者もいませんよ。俺が使ったのは合気道です」
高松は内心の突っ込みは口に出さず、冷静に答えた。
「アイキドー?」
「日本の武道の一つです。相手を傷つけずに無力化することができるんですよ」
エレーヌのふくれっ面は消え去り、目をきらきらとさせていた。
合気道は、日本の武道家、植芝盛平が創始した武道で、戦後、民間に広まった。自ら攻撃をせず、相手からの暴力を制する武道だ。体格や体力に恵まれなくても効力を発揮することができるのが特徴で、女性や子どもを含めて日本で100万人、世界で160万人が取り組んでいる。特にフランスは合気道熱が高く、30万人が取り組んでいると言われている。
「ハヤト!」
「はい?」
「わたしにもアイキドーを教えてほしい!」
「え?」
「ハヤトみたいに相手を投げ飛ばしてみたい!」
「投げ飛ば……いや、それは、どうかと」
「だめ?ねえ、だめ?」
高松は考え込んだ。人に言いふらすようなことはしていないので、あまり知られていないが、実は高松は祖父の厳格な指導により、合気道六段の段位を取得していた。合気道では六段以上で「師範」となるので、高松は指導者としての資格を持っていた。そして、祖父の教えは「合気道を志す者には、分け隔てなく指導を与えるべき」というものだった。
「わかりました。エレーヌに合気道を教えましょう」
「やった!ありがとう!」
パリコレは1週間ほど続く。それが終わればお役目御免だと高松は思っていた。どうやら、そうはならないらしい。それが、いいのか悪いのか、自分で自分の気持ちがわからなくなる高松だった。
今回は短編になりました。趣味で書く小説は、自分で好きな量にできるからいいよね。
わたしはパリどころか、フランスに足を踏み入れたことはありません。フランス編の舞台設定は、全てWEBによる情報収集の結果です。ただ、フランスの人とチャットで話したことはあります。「The Lord of the Rings: The Battle for Middle-earth」というゲームを遊んでいたとき、対戦相手の人がフランス人で、わたしが日本人だと知ると、『ナルト』についての質問攻めにあったんです。わたしは、『ナルト』は読んだことがない、忍者は知ってる、と答えました。これは、ゲームをしながら行われた会話で、その時は、相手の集中力を奪うために会話を仕掛けるという作戦が流行っていたので、それかな?とは思いましたが、その後もフランス人に出会うと、日本人に強い関心を示したり、アニメやマンガの話が出たりしました。どういうことだろ?と思って調べてみると、フランスでは、アニメ、マンガ、J-POPといった日本文化熱が高く、JAPAN Expoは20万人もの人が集まる、フランスで3番目に大きいイベントになっていることがわかりました。江戸時代に印象派の画家が日本の浮世絵に影響を受けたことは広く知られています。日本文化ってすごいんだな、と感銘を受けたことが、今回の話にも反映されました。