冷遇花嫁の離縁状〜さようならを言いに来たのに、夫は私を離してくれません
よかったら下にリンクを貼った異類婚姻譚(神様×巫女)読んでください!4P漫画で中身の紹介もおいてます。完結保証、書籍予約受付中です。また、12月に異世界恋愛継母育児ファンタジー書き下ろしも出ます。下に置いてます。よろしくです。
ウィルス侯爵家の次男、レイナード様に嫁いで三年。私――クララは夫の顔も知らぬまま義実家で酷使されていた。
夫は魔術師で、尖塔に詰めているため忙しくて結婚式には出られなかった。
もちろん初夜もなければ、指輪の交換だってない。
ウィリス侯爵家の兄夫婦は、いずれ弟も帰ってくると言う。
その言葉を信じ、私は介護の手伝い、女主人としての使用人の管理に屋敷のチェック、庭の裏手にある墓の毎日の手入れなど、必死に働き続けていた。
魔術師である夫を、ウィリス家の人たちはあまりよくは思っていないようだった。
「結婚式にも出ないで。貴族において結婚がどれだけ大事なものか知らないのかしら」
魔術師は特別な職業だ。しかし、一般的な世界と違う理屈で生きている。
そのため貴族の一部は魔術師になった人に厳しい眼差しを向けるのだ。ウィリス家のみなさんも、そんな人たちだ。
私は彼の妻として、いたたまれない日々を過ごしていた。
ある日どうしても夫に連絡をしたくて手紙を出せば、返ってきた返事は辛辣なものだった。
魔術師として忙しいから帰るわけがない、わがままをいう嫁は生意気で嫌いだ、ウィリス家の言う通りに嫁としての務めを全うしろ、というものだった。
私は希望を捨てて、幸せな結婚生活を諦めた。
14歳で嫁いで、今は17歳。
貴族学校を卒業して嫁ぐ令嬢が多いなか、私は珍しい古風な結婚だと言われた。
仕方が無い。実家ミスト侯爵家の両親は高齢で、婿養子をとった姉も病弱だ。
私が家を出て、ウィリス侯爵家のお世話になるのが一番誰にとっても、幸せだったのだ。
――しかし。
毎晩、北側の寝室の湿ったベッドで眠る時に、星空を見上げながら思うのだ。
いつ、私の旦那様は会いに来てくれるのだろうかと。
「離縁しなさい。クララもう限界だろう」
突然来訪し、義両親に隠れて言ってきたのは姉の婿、つまり義兄のエミリオ義兄様だった。
「いいかいクララ。レイナード・ウィリスは帰ってくるつもりがない。君がずっと待っていると知っている癖に、もう三年も待たせているではないか。今の君なら白い結婚の権利を行使できる。紙一枚で離縁できるんだ。君は早く自由になりなさい。僕が逃げ出させてあげよう」
そういうなりエミリオ義兄様はウィリス家の方々と話をまとめた。
意外なほどにあっさりとウィリス家の方々も離縁を了承し、たちまち離縁状の手筈を取り結び、郵送で離縁状を送る事になった。
私が離縁状にサインをすると、旦那様の兄である、ウィリス侯爵が手を差し出した。
「クララ、離縁状はこちらに。あとは我々で手続きをする。薄情者のあの次男には会う必要はない」
隣で侯爵夫人がため息をつく。
「まったく、魔術師はこれだから……」
私は少しいたたまれない気持ちになる。
魔術師は悪く言われる。
だからこそ私は夫の悪評にならないように、花嫁として頑張ったのだけれど……
私は離縁状を見つめ、そして自分のバッグにしまった。
皆が驚いた顔をしている。
「私が持って行きます。顔も知らないないまま離縁をしたくありません。せめて一度でも」
「そうか、では僕が付き合おう。おじゃまいたしました、ウィリス家の皆さん」
そうして私とエミリオ義兄様は一緒にウィリス家を後にした。
ずっと出られないと思っていた嫁ぎ先から呆気なく解放されて、不思議な気持ちだった。
「さあ、では明日一緒にレイナードの元に行こう。今日は宿で休むんだ」
そう言ってエミリオ義兄様と一緒に港町の宿に泊まる。
不安ではないかと同じ部屋に寝るか聞かれたけれど、私は別の部屋をお願いした。
一応、私はまだレイナード様の花嫁だからだ。
ベッドに一人潜り込んで、夜空を見つめながら考える。
夜空の星は尖塔の魔術師達が管理していると噂をきいたことがある。
顔も知らぬ旦那様は、同じ夜空をみつめているのだ、きっと。
私は翌朝、夜が明けぬうちにこっそりと宿を抜け出し一人で船に乗った。
エミリオ義兄様には書き置きを残し、先にミスト家に戻るようお願いした。
『勝手な行動をお許しください。
私は結婚してから一度も、夫に顔すら見てもらえませんでした。
とても悲しく、辛い日々でした。
私相手だけではなく、ミスト侯爵家に対する不義理でもあると思います。
ミスト侯爵である義兄様が離縁状を渡しに直接向かうのは、きっと相手に対して、こちらが下手に出ることになります。だって相手は爵位持ちでも家長でもないお方です。
また、郵送を用いて顔を見ずに離縁するのも私は避けたいです。
顔を見ずに結婚するという不義理に、こちらが不義理でお返しするのは嫌だからです。
私はきちんと、旦那様に直接、私が離縁状を届けようと思います。
魔術師の方は理を大切にされるときいています。きっと、これが一番の方法です』
船に乗りデッキに立ち、私は離れ行く港を見送った。
朝焼けに輝く波も、冷たい海風も、誰かに逆らい自分で考え行動するのも、初めての経験だ。胸が高鳴る。呼吸をするだけで、じんじんと体が震えるようだ。
「義兄様、……ごめんなさい」
私は空を見上げた。
昨晩夜空を見上げたときに、強く思ったのだ。
この夜空の先にいる人を知らないまま、この三年間の決着はつけられないと。
◇◇◇
船で対岸の島にたどり着き、私は町の人を頼って夫の住む尖塔のある小島まで向かった。
学校に行ったこともなく、実家と義実家と買い物に出る街くらいしか知らなかった私にとって、船旅と馬車旅を繰り返す旅路は初めての経験だった。
ありがたい事に島の人たちは心優しく親切で、旅慣れない私が魔術師の妻だと聞くと、喜んで道を教えてくれたり船の乗り方を教えてくれたりしてくれた。
平民は魔術師を尊敬しているというのは、本当の事だったらしい。
「こんな若くてけなげで可愛らしいお嫁さんを持って、魔術師様は幸せね」
「魔術師様によろしく言っといてくれ」
笑顔でこういう風に言われると、罪悪感がちくちくする。
だって私は離縁するために、夫に会いに行くのだから。
数日をかけた旅路の後、ついに私は夫の住まう小島にたどり着いた。
実家のお屋敷の数倍ほどの広さの島は、無造作な薬草園と林が広がっている。
小道を抜けた先に、夜の色で染めたような黒いレンガの尖塔が建っていた。
ついに出会う。
この旅も終わりだ。
離縁状を抱きしめ深呼吸をして、私は尖塔の扉をノックする。
すると出てきたのは、ローブをさっくりと羽織った、長い金髪の背の高い男性だった。
吸い込まれそうな青い瞳。眼差しの強い、ぞっとするほど美しい人だ。
――これが、魔術師……旦那様……
飲み込まれそうになって、はっとする。
私は息を吸って名乗りを上げた。
「はじめまして、私はミスト侯爵家からレイナード様に嫁いだクララと申します。本日は離縁状をお渡しに来ました」
早口で伝えて、私は体温ですっかり温まった離縁状を差し出す。
顔を見られない。鼓動が痛いほど脈を打っている。めまいがしそうだ。
彼は何も言わない。沈黙が長く続き、私も緊張がほどける。
「俺結婚してたの? 聞いてないんだけど」
「え」
夫の顔を見上げた。彼は口元を抑え、困惑しきった風に私をしげしげと見つめる。
「こんな可愛い奥さんいたんだ」
「えっ……」
「知らなかった。遠くて大変だったよね、怖い目に遭わなかった? 無事でよかった、まあとにかく入って。話はゆっくり聞くからね」
彼に促されて屋敷に入る。
私は狐につままれた思いだった。
◇◇◇
尖塔で聞いた話によると、夫は私との結婚をまったく知らなかった。
魔術師の才能を発現し、実家から出て行ってからはウィリス家と一切の連絡をしていなかったらしい。
「ウィリス家は魔術師を気味悪がっていたからね。両親も兄も、『貴族と平民の均衡を壊す恐ろしい存在だ』ってね。だからまさか、知らない間に俺の名義を使ってお嫁さんを貰っていたなんて知らなかった」
「そうだったのですね……」
私は落ち着き払った夫を前に恥ずかしくなっていた。
一人で「冷たい旦那様に意気込んで離縁状を突きつけよう!」なんて、大それた事を考えてしまっていた。
「君も嫌な思いをさせられたんじゃない?」
「いえ、……大丈夫です。ただ、いつか旦那様とお会いできるかなと思って待っていただけで」
私は家でこき使われていたことを言わなかった。
知らない間に花嫁がいた夫も被害者だ。彼に、私の事情なんて伝える必要は無い。
私は立ち上がった。
「それでは離縁状、お渡ししましたので恐れ入りますが手続きお願いいたします。ご存じないあいだに離婚歴を作ることになって申し訳ないのですが、事情を役所に伝えれば考慮していただけるかも」
「まって、君はどうするの?」
「私は……実家に戻るのだと、思います」
そういえば、私はどこに行きたいかも考えていなかったことに気付く。
彼は薄く微笑んで「まあ座ってよ」と促す。
「君は俺の心配だけをしてくれたけど、バツイチになってしまえば君も大変だよね?」
「それは……」
「事実関係をちゃんと調べて適切な対応をしたいんだ。よかったらしばらく一緒に暮らさない?」
「え……ええっ!?」
「大丈夫。部屋は別にするし、君はお客様気分でゆっくりしていいから。尖塔には精霊もたくさんいるから、二人ぼっちじゃないよ」
困惑する私の足下に、ちちちちとハムスターが寄ってきた。可愛い。
「それは執事としての仕事を任せてるハミルトン」
「は、はむ……ですか」
「ハミルトンだねえ」
夫はくすくすと笑いながらハミルトンさんをぐわしと掴んで、手の中でもみもみと撫でる。ハミルトンさんは揉まれながら私にきゅっきゅと挨拶したような気がした。
「それによかったら、俺も君の事を知りたいよ。だってこんなかわいい花嫁さんがいたんだし?」
「えっ……!?」
「あ、魔術師は気持ち悪い? それならごめんね?」
「いいいいえ、私、でよろしければ、その……」
「じゃあ決定。遅くなったけど新婚生活楽しもうね。クララって呼んでいい?」
夫はにっこりと笑う。
「は、はい……旦那様」
「クララも普通に話してよ。レイって呼んでくれたら嬉しいな」
「わ、私は……! 落ち着かないので、その……もう少しこのままで……」
「そうだね、落ち着く言い方が一番だよね。わかった、いつでも好きに呼んでくれていいからね」
「はい……」
――そうして、私たちの奇妙な新婚生活が始まったのだ。
◇◇◇
旦那様――レイナード様は魔術師として尖塔の高い位置にある研究室の窓辺で、夜な夜な星々を見つめて過ごしている。星の動きが未来予知に繋がったり、天候を左右したりするらしい。
「未来予知ができるってすごいですね」
「そうは言っても、世界全体の流れの予知だからね。クララみたいなお嫁さんがくるなんて、ちっとも予知できなかったよ」
彼は屈託なく微笑んで、私に星空を見せてくれる。
美しい景色に見とれていると、彼が私を見て微笑んでいた。
「可愛い。本当に可愛いね、クララ」
「……親からも、そんなに可愛いなんて言われたことありません」
「えーもったいないよ。そんな細い首で生きていけるのって不安になるくらい華奢で、目が大きくて、髪もいい匂いがして可愛くて」
「っ……!」
「気持ち悪かった?」
「そんなことないですけど……い、いわれたことがないことばかりで」
「あはは、じゃあ言われ慣れるまで言っちゃおうかな」
「っ……」
「ふふ、幸せだなあ」
私は困ってしまう。
幼い頃から両親の注目は病弱な姉にあったし、嫁ぎ先では『不出来な次男の迷惑な嫁』として、とにかく叱責を受け続ける毎日だった。見た目を褒められたこともないし、気にする機会もなかった。
長い金髪にくっきりとした二重の瞳、吸い込まれそうな美形のレイナード様に穴が開くように見つめられ、かわいいね、かわいいねと言われてしまえば、なんだか嫌でも自分の容姿を気にしてしまう。
「恥ずかしいです……」
「恥ずかしがっているのも、可愛いよ」
にこにこと笑うレイナード様は、私をいつでも甘やかした。
上げ膳据え膳、日々の仕事は特になく、強いて求められるのは、一緒に時間を過ごすことだけ。
私は無為に過ごすのが耐えられなかったので、ハミルトンさんや精霊さんと一緒に家事を手伝った。レイナード様は仕事に集中すると寝食を忘れるらしく、私は次第にスケジュール管理や日々の生活の管理をするようになった。
「レイナード様、朝ですよ」
「んーーー……ハグしてくれたら起きる」
「えっ……」
「あはは、冗談だよ。起こしに来てくれるだけで嬉しいから。後で髪をといてくれたら、もっと嬉しいな」
「はい。今日は天候をご覧になるご予定なので、乱れないように三つ編みにしますね」
「ありがとー」
いつだってレイナード様は、眩いくらいに美しい。
私が気後れしていると、精霊さんやハミルトンさんは私にオシャレをしたらと勧めてきた。
レイナード様もノリノリになり、どこからともなくプレゼントとして可愛らしい服を用意して貰ったり、お化粧をして貰ったりした。
困惑しているとレイナード様は「これまで放っておいたお詫びだよ、受け取って」と笑う。
「そもそもウエディングドレスさえ着せてないのに」
「そ、そんな私にはもったいないです……!」
大慌てで私は否定する。
「私は突然やってきた嫁で、できることと言えばほんの少しのお片付けの手伝いだけで……」
私にはほとんど学がないし、家事労働しかできないつまらない女だ。
そう言うと、彼は眉間に皺を寄せて違う違うと首を横に振る。
「家事ができるってすごいよ? 俺、精霊がいなかったらすぐゴミ屋敷だし。尖塔の中でもよく迷うし。クララみたいに家事なら何でもできる上に、精霊達ともすぐに仲良くなって、尖塔の部屋も覚えるって本当にすごい、すごいんだよ?」
「れ、レイナード様……」
「それにさ」
レイナード様は、私の手をそっと握る。
最近レイナード様は、ほんの少し触れてくれるようになった。
彼の体温に私は胸が高鳴った。
「クララは俺と一緒に食事をとってくれる。おはようを言って、おやすみを言ってくれる。俺が外から戻ればおかえりなさいって言ってくれるし。それがどれほど嬉しいことか、わかる?」
私は胸がつきんと痛くなる。
彼は魔術師として、幼い頃から親に冷淡に突き放された。
修行を経て魔術師になってからは、精霊達とともに尖塔でひとりぼっちで仕事をしていた。外に出ることもあるし、来客もたまにある。精霊たちも仲良しだ。
それでも、彼はどこか寂しかったのだろう。
「……俺、嬉しかったんだよ? 俺にこんな可愛いまっすぐなお嫁さんがいてくれて。本当だよ」
「レイナード様……」
私とレイナード様は、星空の元に見つめ合った。
私はレイナード様の事がだんだん好きになっていた。これは恋愛感情なのだと思う。
けれど気になることがあって、そのまま恋愛に夢中にはなりきれなかった。
――初日以降、私は尖塔の外の話を一切聞かない。
実家のエミリオ義兄様に連絡を取りたいと言ってものらりくらりとかわされる。
義家族の件は「調査中だから、今はここでゆっくりしてて」とごまかされる。
それだけではない。レイナード様はなぜか、私を尖塔から一歩も出そうとしないのだ。
「クララは俺との暮らしを楽しんでいればいいんだよ。俺だけの花嫁でいてね?」
「……はい……」
私は彼の言葉に逆らえなかった。魔術師の言葉――だから強いのだろうか。
そんなある日、窓の外に伝書鳩がやってきたのが見えた。足輪が実家のものだ。
見えない壁に阻まれて、何故か尖塔の窓から外に手が伸ばせない。
私はこっそりと裏門から庭に出て、鳩から手紙を受け取った。
手紙にはエミリオ義兄様の手書きの文字が書かれていた。
『クララ無事か。レイナードは危険な魔術師だ。お前を手放す気が無い。この手紙が届いたら鳩に結んで飛ばせ。三日目の夜に逃げろ』
文字が頭に入ってこない。呆然としていると、私に影が落ちる。
「こら、だめだよ。……尖塔から出ないでっていったでしょ?」
後ろから手紙を奪われ、振り返る。レイナード様が手紙をどこからともなく灯した火で燃やす。魔術の炎だ。私は恐怖にこわばっていた。レイナード様の顔は逆光で見えない。
「あ、あの……」
「おいで」
「あっ」
「……いったでしょう? 俺に任せてろって。クララは危ないから、外に出ないで」
腕を引かれ、私は尖塔に戻される。
彼は扉に手を触れ何かを呟く。魔術で封じているのは私でも分かる。
振り返った彼は、いつもの優しい笑顔を私に向けた。ぞっとするほど、いつもと同じ笑顔を。
「……お願いだから。俺から離れないで。いい?」
「理由を聞くことは……できないのですか?」
「今は言えないよ。外界が君にこうして接触できると分かった今、余計に言えない」
「っ……」
「ごめんねクララ。怖いよね。俺を信じて。……俺から、離れないで」
レイナード様は私を抱きしめる。
背の高い彼の腕の中に、私はすっぽりと収まってしまう。
脳裏に、彼がハムスターを掴んでいるときの様子が不意に浮かぶ。
――彼は私を握りつぶせる。体格でも、魔術でも。
それから私は感情を殺した。
恐怖を押し殺して彼の言う通りに日々を過ごし、何も考えないようにつとめた。
けれど夜、ベッドの中一人考え事をすると、次々と悪い想像が浮かんでくる。
――彼は私を閉じ込めて、何か不都合に気付かれないようにしているのだろうか。
――エミリオ義兄様が言っていた、危険だって。
――彼の実家も、魔術師の彼を危険だと言っていた。
「……怖い人、なのかな」
私はぐるぐると考える。
そのまま寝落ちして朝になり、うっかり寝坊してしまった。
気まずい思いで身を起こそうとすると、体が重い。起きてこない私に熱があると知るや否や、レイナード様はベッドルームに朝食を持ってきてくれた。
入っていいかとノックされたので答えると、彼は部屋に入ってきた。
「……大丈夫? 医者を呼ぼうか?」
「いえ……ただ熱があるだけですので」
「無理しちゃダメだよ?」
布団で身を隠しながら答えると、彼はふうっと息を吐く。心配しているみたいだ。
「食欲は? 朝食食べさせてあげる。俺が作ったリゾットだよ」
「えっ、リゾット作れるんですか?」
「じゃーん。実はお米を炊こうとして失敗して水っぽくなっただけでした」
お皿を見せられると、言葉の通り、ぎこちない味付けの水っぽいご飯があった。
私は思わずクスッと笑う。
「苦手なのに、作ってくださったんですね」
「ハミルトンに頼んだら作ってもらえるんだけど、でも俺が作りたかったんだよ」
心底悔しそうに肩をすくめる彼。その様子に、私は昨晩の迷いが吹き飛ぶのを感じた。
私はずっと、彼の事を知らないまま冷たい人だと思い込んでいた。
しっかり顔を見て、彼を知ってから行動を起こしたいと思った初心を忘れる所だった。
「ありがとうございます」
私がお礼を言うと、彼は嬉しそうにはにかんだ。
「ありがとう。……お願いだから、ここを出るなんて言わないでね」
言い含めるように、彼は私に願った。
◇◇◇
その日は突然訪れた。
「ごめんクララ。王宮から呼び出しが入った。俺が調査して貰っていた件だから足を運ばないわけにはいかない。君はここにいてね。誰が来ても、絶対に出ちゃダメだよ?」
彼は私に何度も言い含め、尖塔を出た。
残されたのは精霊達とハムスターじゃなくてハミルトンさんと、私だけ。
家の片付けをしたり、ハミルトンさんを揉んだりしながら過ごしていたけれど、一週間経っても帰ってこない彼に次第に不安になってきた。空を飛べる魔術師だから、一両日で帰ってくると言われていたのだ。
だから息を切らして玄関を叩いたエミリオ義兄様に、私はつい対応してしまったのだ。
彼を迎え入れた後、私はレイナード様の言いつけを破ってしまったとはっとする。
けれど目の前にいるのは、私の実家の家族であるエミリオ義兄様だ。
どちらも尊重するべき相手なので、おろおろしてしまう。
以前の手紙はレイナード様が燃やしてしまっていただけに、余計に義兄様に後ろめたさがあった。
「ここから逃げるぞ、クララ。急がなければ間に合わない」
「義兄様、お待ちください。レイナード様に断りなく尖塔を出るわけには」
「何を言ってるんだ。あいつを外におびき出したのは僕だ」
「えっ」
「罠なんだよ、ここにあいつが君を閉じ込めたのは。あれは実家ウィリス家を乗っ取るためにお前と結婚したんだ。とにかく、急いでここを逃げよう。逃げながら話をするから」
義兄は強い力で私を引っ張り森を駆け抜け、強引に船に乗せて尖塔を後にする。
義兄は恐ろしく何かを焦っているような顔をして、私をマントに包んで次々と馬車と船を乗り継いで、ついに街に向かう大きな船に乗り込んだ。
船の貴族向けの客室にて、ようやく息をつく。
出かける準備をしないまま出てきたので、服は普段着だし、荷物もほとんど無い。
「すまないね。まずは君を連れ出さなければ話ができなかった」
義兄はそう言ってベッドに座り、話を続けた。
「あれは魔術師として生まれたので、実家ウィリス家を追い出された。それを恨みに思っているんだ。あれは極秘裏にウィリス侯爵家の名を使い、禁術の薬を売って私腹を肥やしていた。名義はウィリス侯爵家だから露見すればウィリス侯爵家が断罪される。それどころか、あれはミスト侯爵令嬢の君と結婚した縁を利用して、ミスト侯爵家名義の借金もしていたんだ」
「そんな……」
私は困惑した。義兄を疑うわけではないが、信じられなかったのだ。
彼は生活に困っている様子はなかったし、むしろ贅沢はほとんどしていなかった。
魔術師を慕う村の人たちと物々交換的に食料を得て質素な料理を食べて、自分自身はお金をほとんど使わず、魔術師として支給される道具や服を使うだけ。
給金が貯まりすぎていて大変だからと、投資をしていたら、それで益々増えて困ったという話も聞いた。だから私に服を買ってくれたり、村の学校や船の修繕にもお金を出していた。私腹を肥やすというのがイメージと結びつかなかった。
「お金には困っていないご様子でしたが……」
私の頭を撫で、義兄様は微笑む。
「クララにはわからないかもしれないが、人には裏の顔がある。君だっておかしいと思うだろう? 僕からの手紙を燃やして、君を閉じ込めて、何も教えてくれなかったんじゃないのか?」
「それ、は……」
「やっと会えた夫があんな美形で信じたくなる気持ちもわかる。情も湧くよな。だが、クララ君は何も知らない。恐ろしい人間だっているんだ」
「なに、僕に任せていればいい。全てうまくいく」
「これから、私はどこに行くのですか?」
一瞬、義兄は沈黙する。そして答えた。
「ミスト侯爵家だよ。僕たちの家に帰ろう」
「ですが……出戻りの私が戻っては、家族にご迷惑が……」
「そのことなんだけどね、クララ」
義兄は鼻を擦り、ぎこちなく切り出した。
「僕は君と再婚しようと思っているんだ。いいね?」
「えっ」
私は驚いて義兄の顔を見た。
ふと、その時義兄の距離があまりに近いことに気がついた。
レイナード様なら隣に座っていても違和感はない。手を繋いだり、抱きしめられたりしても、ふわふわと幸せな気持ちになった。けれど触れない距離でも――どこか、怖かった。
「君の姉であり僕の妻であるアザリアは体が悪いからね。結婚して数年経ったけれど子どもができない。このままではミスト侯爵家は跡継ぎが生まれないことになってしまう。……僕はお世話になっているミスト侯爵家のために、少しでもよい未来を模索したいんだ。アザリアの妹の君なら、代わりに僕の子どもを産むこともできる」
急に声が出なくなる。恐ろしくなったのだ。
私が後ずさると、彼はぐんと距離を詰めてくる。
「私は……まだ、離縁状が……レイナード様に渡したままで……」
「大丈夫。言っただろう? 白い結婚なのだから、君の離縁状一枚で離縁できるんだ。岸に着いたらそのまま役所に行こう」
「で、ですがアザリアお姉様に相談はなさったのですか? アザリアお姉様はお義兄さまを愛していらっしゃいます。子どもができないからって、私が奪うのは」
「大丈夫」
彼はにっこりと笑った。
「言っただろう。白い結婚は、片方の離縁状一枚で離縁できると」
「……っ!」
「一緒に役所に行けば簡単に終わるよ。君も実家に帰れるし、辛い思いをしたウィリス侯爵家とは全部の縁を切ることができる。恐ろしい上に冷たい魔術師の嫁にならずともすむんだ。本当は連れ出したあの日、そのまま役所に行くつもりだったのだけど……君も挨拶を済ませて納得できたんだから、これでよかった」
「……」
なぜエミリオ義兄様は、決まったことのように言うのだろう。
岸辺が近づいてくる。波に船が揺れる。ぐらぐらと足下が揺れる感覚に襲われるのは、きっと船の揺れのせいだけではないだろう。
黙っている私に、エミリオ義兄様はすっと表情を無くした。
「……クララ。それとも君は、白い結婚を貫いてないというのかい?」
ひゅっと喉の奥が鳴る。
無表情のエミリオ義兄様が、私の腕をぐいと掴んで引き寄せ、瞳の奥を覗き込んだ。
「……よかった。まだ処女だね」
にこりと笑う。
「魔術師と関係を持つと、瞳孔が魔術師の色に染まるんだ。まあ心配はしていなかったけれどね。君はわかりやすいから。まだ処女の顔をしていたと、僕はすぐに分かったよ」
「……エミリオ義兄様……」
「大丈夫。安心して。僕はちゃんと抱き方を知っているよ。君の姉さんは手を出す気にもならなかったけれど、幼い女の子の扱いは心得ているよ」
「……っ……!」
その時。船がガタンと揺れる。岸についたのだ。
エミリオ義兄様はころりと態度を変え、私から離れて頭を撫でた。
「混み合うから早めに出ようか。ここでまたはぐれてしまっては、危ないからね」
手をきつく握られて痛いと思う。けれど悲鳴をあげることすらできなかった。
◇◇◇
人混みに飲まれながら、私は義兄に引かれてタラップへと進む。
貴族用の船室をとれたとはいえ、飛び込みだったのであまり良くない部屋だったらしい。ごった返す乗客の波で、義兄が舌打ちする。
「ったく、急いでんだよこっちは」
ご婦人や子どもを押しのけて進もうとするので、私は居た堪れなくなる。
義兄はこんな人だったのか。家にいるときのにこやかな彼しか知らなかったので、怖い。
「おい! この調子じゃ役所に間に合わないぞ!」
「申し訳ありません」
船員に怒鳴り散らすのを見て、恥ずかしくて泣きたくなった。
その時、私たちの間にぐいっと人のキャリーケースが入る。
一瞬手が離れる。ぐいぐいと人の波に吞まれ、私と義兄の間に僅かに隙間が空いた。
「……!!」
たった一瞬の間に、私は色んな事が頭を過った。
義兄の言う通りだ。人は、自分に見せる一面と違う顔を持つ。
義兄だって優しいだけの人ではなかった。
レイナード様もきっと隠していることがある。
シンプルな話だ。私は義兄と、レイナード様。どちらと添い遂げたいか。
清濁併せ呑んで、添い遂げたいと思うのか。
――突然やってきた私に、とても親切にしてくれたレイナード様。
――寂しそうに一人仕事をする、星空を見上げる真剣な横顔。
――私を心配して、ウィリス侯爵家から連れ出してくれた義兄様。
――義兄様の姉に対する言い草。私の体を舐めるように見る、視線。
私は、自分の目で見たものを信じたい。
私は言葉でしか、まだレイナード様の悪い話を知らないのだから。
「ごめんなさい」
覚悟が決まってからは早かった。私は人の流れと逆側に逃げ、当てずっぽうに客船を走り回り、知らない部屋に入る。
そこはメイドの休憩室だった。
貴族らしい服を着ながら、人混みで髪もめちゃくちゃ、靴も失って、手荷物もない私を見て、彼女たちは顔を見あわせた。
「どうしたんだい、何があったの」
突然やってきた私に、彼女たちは真っ先に気遣いの言葉をかけてくれた。
レイナード様との初対面を思い出し、私の視界は歪んだ。
「助けてください……しばらく、かくまってください……」
私は襟についたブローチと髪をまとめたリボン、それに手袋を外して、メイド達に差し出して深く頭を下げた。一人の女性が私の手をそっと包み込む。
「事情があったんだろ。いいよ、出世払いでね」
彼女たちはウインクをして、私にメイド服を着せてくれた。
髪を包むメイド帽とやぼったい眼鏡とそばかすメイクまでしてくれて、私は全くの別人になった。
後で船員の男性達が人捜しにやってきたけれど、メイド達はなんとわざと下着姿になって、着替え中だよ!と叫んで追い返してくれた。
船はあっという間に動き出す。復路に向かい出したのだ。
忙しく仕事に戻り始めるメイド達。
休憩中のメイドの何人かが、私を見て励ましてくれた。
「ここのメイドは色々訳有りな子を知ってるからね。大丈夫、船はもうすぐ折り返すよ」
「そうそう。船便で手荷物なしに泣いてる子といえば、まあそりゃあ……だからねえ」
「こまったら戻った先で尖塔の魔術師に相談するといいあの人は優しい人だから」
「あの人の支援でできた学校に通ったんだよ。私も娘もね」
「……っ……!」
私はまだ涙が零れた。また一つ、レイナード様の一面を知ることができた。
船は動いていく。
私は退勤のメイドさん達と一緒にこっそり、元の港に降り立った。
「家はどこだい? 知ってる場所なら送ってやるよ」
「ああ、それは……」
私が言おうとすると、空から声が降ってきた。
「クララ!」
「レイナード様!」
焦った顔のレイナード様が、杖に跨がって空を探していた。
舞い降りてきた彼は、ためらいなく私を抱きしめる。
周りのメイドたちから感嘆が聞こえた。
「あらまあ……」
「魔術師様……」
彼は腕を緩めると、私の頬をペタペタと触る。
「大丈夫? ハミルトンから聞いたよ、エミリオ・ミストが来たんだって!? 大丈夫? 大丈夫じゃないよね!? 怪我は!?」
「落ち着いてください、大丈夫です。……皆さんが私を助けてくださいました」
顛末を簡単に話すと、レイナード様は眉を下げて、紳士の辞儀でメイドさん達に深く頭を下げる。
「ありがとう。俺のお嫁さんが拐われていたのを助けてくれて。皆さんは恩人だ! 落ち着いたら改めて、お礼を言わせて」
「いいんですよ!」
「ふふ、魔術師様のお嫁さんね。どうりでかわいいと思ったわ!」
「ちゃんと守っておあげくださいな、いい子なんですから」
「うん、もちろん」
それから空を飛び、私はレイナード様の尖塔に戻った。
メイドさんたちから離れると、レイナード様の表情は真剣になっていた。
尖塔に降りたって、部屋に戻ってお風呂に入って。
綺麗にしたところで、私はレイナード様に顛末を詳しく説明した。
「冗談じゃない。逆だよ。俺の名を使って、ウィリス侯爵家が不法な薬を売っていたんだ」
「えっ」
「俺の知らないところでクララと結婚させたのも、クララが配偶者の代理人としてサインをすれば、俺の名義でできるってことになるからね」
「サインなんて、私……!」
「ああ、大丈夫。サインも偽造。クララの筆跡と違うことは俺が証明した」
ぺらり、と私が書いた離縁届を見せる。
「そもそも君と俺の婚姻届も偽装。嘘だらけだ。……その件についての調査と対応で、俺も王宮に行っていたんだけどね。こちらの動きに気付いて焦ったエミリオ・ミストが性急に事を進めようとしたんだ。きっと、俺の実家――ウィリス侯爵家から情報が漏れたかな?」
私はまだ混乱していた。
レイナード様は経緯を詳しく説明してくれた。
「全てはクララの義兄エミリオが王都の違法なお店で借金を作り、困ったところでウィリス侯爵家と出会ったことから始まるんだ。ウィリス侯爵家は王国では禁止されている劇薬や媚薬を売りさばいていた。エミリオが出入りしていた違法な店の界隈でね。その時はまだ、俺の名義は使っていなかったけれど」
「違法なお店って、どんなのですか……?」
「クララにはあまり教えたくないけれど、……まあ、幼い女の子がよくない仕事をしているお店、かな」
苦々しくぼかしたレイナード様の言葉で、世間知らずな私でもうっすらと察した。
レイナード様は話を続ける。
「エミリオの本当の狙いは、最初から君だったらしい。でも年齢が釣り合わないと君の父上、ミスト侯爵が反対して、仕方なくアザリアと結婚した。ミスト侯爵としても病弱な姉に婿入りしてくれる貴族令息はありがたかったから、丸め込まれてしまったんだ。エミリオはアザリアが病弱なのをいいことに子どもをあえて作らず、同時に君をウィリス侯爵家に売った」
「そこからウィリス侯爵家は調子に乗って、『魔術師レイナードの調合』の触れ込みで価格をつり上げた違法薬物で儲け始めた。当然俺は違法薬物に関わっていないし、作れるはずもない。魔術師協会も俺も違法薬物の尻尾を掴んでる最中だったんだ。……まさか、実家がやってたとはね。エミリオは地下紳士サロンに顔が広くて、上手に薬物の出所を隠していた」
「あの義兄様が……」
「魔術師である俺が貴族の地下紳士サロンに歓迎される訳がないから、皆俺の身の潔白を信じてくれたんだけどね。皮肉だと思わない?」
レイナード様は軽く肩をすくめた。
「君を利用する事で、見事お互いの利害が一致したわけだ。ウィリス侯爵家は都合の良い『魔術師レイナード』の名義を借りやすくなり、エミリオは都合良く君を手に入れられるようになった。……初めの日、君が尖塔に来なければ、エミリオの思い通りになっていたかもしれない」
ぞっとして震える私を、案じるようにレイナード様が見つめた。
「怖いよね、この話」
「いえ、大丈夫です。……続きをお願いします」
「うん。……俺が王宮に赴いたのは、この件についての件だったんだ。エミリオとウィリス侯爵家の関係、禁術の薬、違法な金の流れ、全部を暴くため」
「私を閉じ込めていたのも……」
「うん。外部と接触させないようにしていたのは、君を守るためのつもりだった……可愛いし、心配だったし」
私は納得した。
でも、最後にひとつだけ謎が残る。
私はレイナード様を見上げた。
「何故私にずっと黙ってらっしゃったんですか? 閉じ込める理由を、おっしゃらなかったのですか」
「それは……怖かったんだ。色々と」
レイナード様は申し訳なさそうに苦笑いする。
「魔術師の俺が君を閉じ込めて、まだ証拠もない状態で、君が信じているエミリオ・ミストの疑いを口にしたら……きっと、君は真実を知るために動きたくなると思った」
あっと思う。
私は自分の目で真実を確かめるため、レイナード様に直接会いに来ていた。
その行動力を見ているのであれば、私が半端な知識を元に暴走するのを恐れるのは当然だ。私は肩を落とした。
「……私は私の行動故に、情報を遮られていたのですね」
「君を信じ切れなかった俺の落ち度だ、本当にごめん」
「いえ、私の自業自得なので……」
「でも、一番俺が恐れていたのは……俺が、本当に信じてもらえるかだよ。怖かったんだ。だって俺は魔術師だ。実家からも嫌悪され、貴族社会からは怖がられる存在なのを知っている」
「レイナード様……」
「俺が臆病だっただけ。クララに嫌われるのが、疑われるのが怖かった」
私は席を立ち、レイナード様の隣に座る。
レイナード様の綺麗な瞳が、びっくりしたように私を見つめた。
「クララ」
「私、離れているあいだに、レイナード様の事をずっと考えていました。エミリオ義兄様が怖かったとき、思い出したのもレイナード様で。エミリオ義兄様がどれだけ悪い事を言っても、レイナード様を信じたかった。そしてメイドさんたちは、私がレイナード様の花嫁だと知らないまま、レイナード様の素敵なお話をいっぱいしてくださいました。……離れている間に、私……」
言葉が、上手く出てこない。
私は勇気を出して、レイナード様を見て言った。
「私、レイナード様をもっとよく知りたいと思いました。ここに帰ってきて、レイナード様と、もっと一緒に……暮らしたいと思って……その」
「帰る場所、と思ってくれたんだ」
レイナード様は私の手を包み込んだ。
エミリオ義兄様に触れられた時のような嫌悪感はない。むしろ、胸の奥が温かく満たされた。
「クララ。俺のお嫁さんになって。魔術師な俺だとしても嫌じゃないなら、ずっと傍にいてほしいな」
「……どんなお立場だとしても、私はレイナード様の傍にいます」
「ありがとう。愛してるよ、俺の大切なクララ」
レイナード様は私を抱きしめた。
互いの熱が触れ合って、わたしは理屈ではなく体で「この人だ」と感じた。
――私は、この人をさみしくしないために、生まれてきたのだと。
添い遂げたいと思った。
◇◇◇
それからレイナード様は綿密に揃えた証拠を元に、自分の身の潔白と実家ウィリス侯爵家の不法薬物売買、エミリオ義兄様の借金についても明らかにした。
高齢ですっかり弱っていた父、先代ミスト侯爵は憤然とエミリオ義兄様を断罪し、アザリアお姉様と離縁をさせて、なんとレイナード様に将来的に爵位を相続させる話を持ち込んだ。レイナード様は魔術師なので、継承には色々と複雑な手続きが必要らしいけれど、少なくとも、レイナード様の将来の子どもにはしっかりとミスト侯爵家の財産が受け継がれることが決まった。両親はわざわざ尖塔に訪れ、私に深く謝罪した。
「すまない。私たちがエミリオにだまされていたせいで、アザリアにもクララにも酷い思いをさせてしまった」
「ごめんなさい。親として、申し訳なく思うわ」
私はただただ謝罪する両親の手を取り、許した。
「そんなことを言わないでください。私は素敵な旦那様と結婚できたんです。アザリアお姉様の病気もレイナード様のつてで回復できるといいますし、これからどんどん幸せになれます」
事実、アザリアお姉様は王都の病院でどんどん回復している。
そこで良い人との出会いがあったという話も、アザリアお姉様から聞いている。
まだお父様には伝えていないけれど。
◇◇◇
それから私は尖塔で末永く、レイナード様と夫婦として過ごすことになった。
全ての問題が解決しても、レイナード様は私を外に一人で出そうとしない。
外に出るときはいつもべったりと一緒だ。
「魔術師は怖いんだよ? 愛情に飢えているから、愛されたら何億倍も愛するんだから」
べたべたとくっついてきてはにこにこと笑うレイナード様は幸せそう。
不思議な青い瞳に映る私も笑顔だ。
私の瞳には薄い青い光が入っている。春には、待望の第一子が生まれる。
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