第九話
朝がやってくる。いつもと変わらぬ朝である。アリーサの寝室にキッチンワゴンを運んできた女官が入ってくると、カーテンを開けた。
「アリーサ様、朝ですよ」
女神は布団の中でもぞもぞと動いた。
「もう朝?」
「お食事をなさって下さい」
「はいはい」
アリーサが上体を起こすと、女官が朝食をのせたテーブルを彼女の前に置く。トーストにスクランブルエッグ、サラダにスープだ。アリーサはそれらに手を付け始める。
食事を終えると、女神はパジャマを脱いでローブに着替えた。そして、窓を開けると、そのまま空へと飛び立った。
「あら? 何かしらあれ」
宮廷の噴水近くに着陸したアリーサは、水面に浮かぶ大きな黒い鳥を見上げた。大きな鳥だ。二メートル以上はある。鳥はガアガアと鳴いて、翼をバタバタとはためかせた。
「何の鳥かしら……私の記憶にもないわね」
アリーサはテレパシーで鳥に話しかける。
(あなたどこから来たの?)
(飯くれ! 飯くれ!)
「あら、お腹が空いているの」
アリーサは少し考えて、(ちょっと待ってて)そう言って宮廷内の保冷室に向かった。
そこへ行く途中で、彼女はアルフレッドと会った。
「おはようアリーサ」
「アルフレッド。おはよう」
「何だいこんなところで?」
「噴水に鳥の雛が浮いているのよ。でね、テレパシーで話しかけたらお腹が空いているっていうから、ちょっと保冷庫から肉でも持っていこうかなって思って」
「肉か。鳥の雛が肉を食べるかな」
「噴水へ行ってみて。大きな雛よ」
「そうか」アルフレッドは少し考えて、「まあ、見るだけ見に行ってみるかな」そう言って歩き出した。
アルフレッドはどうせまた大げさな話なんだろうと思っていたが、噴水の池に浮かんでいる雛の大きさを見てびっくりした。
「な、何だこの鳥は」
ガアガア! 黒い鳥はアルフレッドを見て鳴き始めた。
「まあ、待てよ。もうすぐアリーサが餌を持ってくるから」
程なくして、空を飛んでアリーサが肉の塊を幾つか持ってきた。
「ほんとに鳥にこれをあげるのか?」
「大丈夫よ。きっと」
そう言って、アリーサは肉の塊を雛の口許に持っていった。黒い鳥は、肉をひと飲みにしてしまった。
(まだ欲しい?)アリーサの問いに、
(飯くれ! 飯くれ!)雛はガアガアと鳴いた。
「アルフレッド、この子に肉をやって頂戴。まだお腹が空いているって」
「ほんとかよ」
アルフレッドは肉を大きな雛に差し出した。黒い雛は肉の塊をばくばくと食べてしまった。
すると、黒い雛は羽をバタバタさせて。噴水から出て、歩き出した。
「おい! ちょっと待てって! 宮廷内を歩ていたら人目につきすぎるだろう。森へ移動させよう」
アルフレッドの提案にアリーサも従った。
(鳥さん。ここは目立つから森へ行きましょう。食用肉にはなりたくないでしょう)
(俺を食用肉にするとは、良い度胸だな。だがまあいい。いうことを聞いてやろう)
そうして、二人は黒い雛を森へと連れて行く。
それから森に姿を隠した巨鳥は、アルフレッドとアリーサの手で育てられた。毎日肉や水をやって雛の食欲を満たした。
「お前たち良い奴だな」
ある日、鳥が人語を発した。二人は驚く。
「お前、話せるのか」
アルフレッドの問いに、
「まあな。俺は高貴なる存在だ。人間などよりも遥かにな」
「あなたまさか……」
アリーサは言った。
「不死鳥の雛?」
すると黒い鳥は応じた。
「そうだ。よく分かったな女」
「やっぱり。普通じゃないと思ったわ」
「不死鳥って……そんなものが実在するのか」
「俺は五百年くらいに一度灰の中から生まれ変わる。つい先日生まれ変わったばかりだ。ここへ来たのはたまたまだが。餌には困ることがないと思ってな」
「食いしん坊だな」
と、そこでセシリア公爵令嬢と公子クリストファーが姿を見せる。
「セシリア、クリストファー、どうしてここに?」
アルフレッドの言葉に、二人は肩をすくめた。
「君たち二人が連日森に入っているのは噂になっているからね。今日は後をつけてきたんだ。不死鳥だって?」
「きっとみんな見たがるわ。知らせないと。不死鳥の血には不老不死の力があるって聞いたことがあるわ」
「駄目だよ! こいつはもうすぐ飛び立っていく。君たちはこいつを殺す気か?」
「だって、不死鳥がいるなんて知ったら、絶対みんな血を欲しがるわよ」
「駄目駄目! 絶対駄目だよ! この子は殺させないよ」
アルフレッドは、不死鳥の前に立ちはだかった。
すると、不死鳥の雛は笑声を発した。
「人間の浅知恵よな。そんなことをしてみろ。我が身に触れる者、ことごとく焼き尽くしてやろう」
「不死鳥、お前……」
そうして、不死鳥の言葉にも関わらず、宮廷の人々は森に殺到した。皇帝マクシミリアンを筆頭に、大貴族たちも押しかけ、近衛連隊が森へやってきた。しかし、不死鳥はアルフレッドとアリーサの手によって森の奥深くへと身を隠していた。
「私の血に不老不死の力があるなどと言うのは単なるおとぎ話にすぎんのだが。人間どもの浅ましさと言ったらないな」
「不死鳥、お前はいつここを旅立つことが出来るんだ?」
「間もなくだ。私のパワーは間もなく成鳥になる」
「アルフレッド! みんながやってくる! ここに居られるのも時間の問題よ」
アリーサが言った。
「案ずるな。もう間もなくだ。私は完全に復活する」
「でも……」
「何としても不死鳥を我々の手に」
マクシミリアンや大貴族たちは意気盛んに森を抜けてやってくる。彼らは不死鳥の血を欲していた。息子がまさか不死鳥を育てていたことなど知ることもなかったマクシミリアンは、残念だった。
「一言伝えてくれていれば、確実に不死鳥を仕留めて見せたものを……」
その頃、不死鳥に異変が起きていた。アルフレッドとアリーサはその様子を見守っていた。黒い雛は翼を広げた。ぶわっと、炎が巻き起こり、不死鳥を包み込む。黒い羽根は瞬く間に紅蓮の炎へと変貌していく。
「凄い……」
「鳥の神ね」
二人が見守る中、不死鳥は成鳥へと生まれ変わった。炎を身にまとい、その姿は神々しいまでに美しかった。
そこへマクシミリアンらが殺到してきた。
「父上」
「アルフレッド、なぜ黙っていた」
「不死鳥を殺すなど、いけません」
「ええい者ども、銃を構え! 不死鳥を逃がすな! 撃て!」
近衛連隊は発砲した。しかし。
銃弾は全て不死鳥に届くことなく、その手前でバリアに弾かれた。
不死鳥は羽を広げると、舞い上がっていく。
「さらばだ人間たちよ。もう会うこともあるまい」
そうして、不死鳥は炎の軌跡を残して空の彼方へと消えていった。
アルフレッドとアリーサは手を振った。
「元気でな不死鳥」
マクシミリアンたちは地団太を踏んだ。
だがこれで良かったのだ。あれは神だ。人の手にかけてよいものではない。アルフレッドもアリーサも、思いは同じであった。
了