第二十話
虹色の発光体が帝都の夜を徘徊していた。光はふわふわと漂いながら、やがて一軒の骨董品店の扉をすり抜けて入って行った。店内には無数の美術品が所狭しと並んでいる。光はその中の、古びたヴァイオリンの前までやってくると、その弦楽器に吸い込まれるように消えた。
翌朝、店の奥から出てきた店主は、開店の支度を始める。掃除をして、店内の品物のチェックをする。そこで、突如としてあのヴァイオリンが勝手に演奏を始める。
「何だ?」
店主はヴァイオリンの前までやってくると、目を疑った。ヴァイオリンの弓が宙に浮いて、勝手に楽器を演奏しているのである。
「これは……」
そこで、店主の目が虚ろなものに変わった。店主はヴァイオリンを手に取ると、外に出て、演奏しながら歩き始めた。
「アルフレッド」
朝食を終えてコーヒーを飲んでいる皇太子のもとへアリーサがやって来た。
「どうしたの。こんな朝から」
「大変なのよ。都がパニックに陥っていて」
「何の話をしているんだ」
「とにかく、急いで身支度して」
「全く……どうしたっていうんだい。そんなに大事件が帝都で起こるっていうのかい」
「いいから早く」
女神にせっつかれ、アルフレッドは衣服を着替えた。アリーサはアルフレッドの手を取って、窓から空に飛び立つのだった。
アリーサは防音障壁を展開すると、ヴァイオリンを鳴らす男の上空へ飛んだ。
「見てあれ」
アリーサは眼下を指差す。だがアリーサに言われるまでもない。アルフレッドは帝都の民が混乱状態に陥っているのを見た。笑って踊り狂っている者。地面に転がって叫んでいる者。笑いながら喧嘩をしている者。とにかく、錯乱した民で溢れかえっているのだ。
「これは一体どういうことだ」
「あれよ。あのヴァイオリンのせいなのよ。あの演奏を聞いて、みんなおかしくなってしまってるのよ」
例のヴァイオリンを演奏している男は、のんびりと歩きながら拡大する混乱と錯乱を従えて、悠然と歩いていた。
「じゃああれを取り上げよう」
「待って、危ないわ。あなたがヴァイオリンに取り込まれるかも知れないし」
「じゃあ君では?」
「分からない。でも私が乗っ取られたら誰も止めることが出来ないでしょう」
「ではどうするのが良いと?」
「それを考えているのよね」
「そうだ、ビームで破壊すればいいんじゃないのか」
「あの男の人に当たるかも知れないわ」
そうこうする間に、第一軍団のクライヴ元帥が連隊を率いて現れた。
「制圧する気か」
連隊は突入する。しかし、何とヴァイオリンを持った男は、攻撃的な戦慄を鳴らすと、空間に出現した音符の形をした爆弾を連隊にぶつけた。吹っ飛ぶ連隊の兵士たち。
「馬鹿な! 何だ今のは!?」
元帥は唖然として状況を見やる。
空からそれを見ていたアルフレッドとアリーサもびっくりした。
「あいつ、攻撃できるぞ」
「音符爆弾ね」
「そんな馬鹿な話があるかよ」
連隊は一時後退する。
男は音符爆弾を連射して、周辺を破壊していく。
そこへユリウスとシルヴァ、ヴィサらが空を飛んでやってきた。
「随分苦戦しているようだな」
ユリウスの言葉に、アリーサは「見てのとおりですお父様」と応じる。
「それにしても、不思議なこともあるものね。骨董品のヴァイオリンがパニックを引き起こすなんて。呪いかしら」
シルヴァが言うと、ヴィサは唸るように言った。
「何れにしても、あの演奏を止めさせないと。神が四人、戦力は十分ですよ」
「どうする気お兄様」
「あのヴァイオリンを奪い取って、即座に防音障壁の中に閉じ込める。それしかないだろう」
「成程……それならばいけるかも知れません」
「我々で注意をそらす。その隙にヴィサがことを成就する」
ユリウスは言って、「アリーサ、婿殿を安全な場所に下ろしておきなさい」そう娘に言った。
「分かりました父上。アルフレッド、少し離れた場所へあなたを下ろすからね」
「ああ」
そうして、四人の神は行動を開始する。
ユリウスとシルヴァとアリーサは、男の周辺に降り立つと、言葉を投げつけた。
「おい、呪われたヴァイオリン、お前が男を操っていることは分かっているぞ。さっさとその男を放すんだ」
すると、男はにこっと笑った。
「いやあ、参りましたな。あなた方。人間ではありませんな」
「私たちは神ですよ。あなたを破壊することなど簡単なことです」
「破壊する? やって御覧なさい」
「自信満々ですね」
「それはそうでしょう。神と言えども、この世界で生きている以上、民を巻き込んで無茶は出来ないでしょう」
「それはどうかな」
ユリウスは手を男に向けた。男の体が浮かび上がる。
「ほう、念力ですか。それでどうなさるおつもりですか」
「こうする」
ユリウスは男の手の指を動かしてヴァイオリンから放した。落下するヴァイオリン。
直後、ヴィサが男の上空から突進し、ヴァイオリンをキャッチした。そしてヴィサは防音障壁の中にヴァイオリンを閉じ込めた。
「よし、やった」
ヴィサは着陸すると、ヴァイオリンを見やる。
「何?」
ヴァイオリンの中から虹色の発光体が現れて、一気に加速して離れた場所にいたアルフレッド目掛けて飛んだ。
「しまった! ヴァイオリンではなく、奴が本体か!」
神々が油断したその隙を突いて、発光体は高速でアルフレッドに向かった。アルフレッドはよける間もなかった。発光体はアルフレッドの体の中に入り込んだ。
アルフレッドは、正確にはアルフレッドの中に入り込んだ何者かは、笑声を上げた。
「こいつはいいですね。皇太子の肉体ですか」
乗っ取られた体は歩き出した。そして皇子は歌い始めた。すると、またしても家の中から現れた人々は錯乱状態でアルフレッドの後を追い始める。
「あの声を何とかしないと」
「静寂の術でアルフレッドの声を封じましょう」
アリーサは言って、皇太子の声が無音になる魔術を行使した。アルフレッドの声は聞こえなくなった。
だが問題は解決したわけではない。
アリーサはアルフレッドに加速すると、抱きついて痺れ光線を放った。
「ごめんねアルフレッド!」
たまらずアルフレッドの肉体から出てきた虹色の発光体を、アリーサがビームで撃ち抜いた。
発光体は微かに震えて、爆発して消滅した。
「アリーサ……」
「アルフレッド、気が付いた?」
「俺は一体……」
「何でもないわ。もう大丈夫よ。事件は片付いたわ」
「そうか。それは良かった」
アルフレッドはよろめいた。
「何だか……体がふらふらするんだが……」
「大丈夫。さ、私に捕まって」
「ああ……」
その様子を見ていたユリウスとシルヴァは、微笑んで頷き合う。そして後退した連隊に事件の解決を告げに飛び去ったのであった。
アリーサは、アルフレッドに順を追ってことの顛末について語った。
「成程、で、痺れ光線をフルパワーで食らったってわけか」
「ごめんね」
「いや、いいさ。乗っ取られるよりは遥かにましさ。しかし何だったんだろうな、あの虹色の光は」
「多分、音楽の霊に近いものだと思うわ」
「音楽に霊がいるのか」
「ええ。音楽は多くの人のエネルギーを集めるでしょう。だから、中には霊になる音楽もいるのよ」
「そんな話は初めて聞いたな」
「今回の霊はかなり強力だと思うけどね」
「そりゃそうだ。こんなことが平然とまかり通っていたら音楽家は廃業だ」
「どこかで少しお茶でもしていく? それとも宮廷に戻る?」
アリーサの提案に、アルフレッドは吐息した。
「お茶にしよう。しばらく音楽は聞きたくないな」
「はいはい、そう苛々しないでよ。じゃあ行きましょう」
アリーサはアルフレッドの手を取ると飛び立つのだった。
そして……。
その夜……無数の虹色の発光体が帝都にやってきたことに、誰もまだ気づいていなかった……。
了