第十九話
その夜、帝都ヒルヴィンストンは、狼の大軍に包囲された。正確に言うなら、狼男と狼女が率いる狼王国の大軍に、である。前代未聞の事態に、皇帝マクシミリアンは軍の動員を急がせた。
「一体どうなってるんだ」
アルフレッドはアリーサの力を借りて空から帝都を見やる。月明りでしか見えないが、確かに野生の狼たちが帝都を包囲している。だが、狼の巨大な大軍は、整然と隊列を組んで、静かに鎮座していた。
「アリーサ、何か分かるかい」
「ええ。これは、狼王国の求婚式よ」
「何だいそれ」
「青の狼王国の狼王子と、赤の狼王国の狼王女が繰り広げる式なの。狼男の王子は王女を追い、狼女の王女は王子から逃げる。それを人間の都で執り行う伝統的なものよ」
「そんな話聞いたことないぞ」
「そりゃそうでしょうね」
「で、狼男と狼女は全部で何人くらいいるんだ」
「多分……記憶が確かなら五十人から百人くらいかしらね」
「父上に知らせないと」
「兄様が皇帝陛下のもとへ向かったわ」
ヴィサは、皇帝マクシミリアンのもとへ参上すると、これが狼王国の狼男と狼女の儀式であることを伝える。
「ですから、彼らはこの人の都を利用して、いわゆる鬼ごっこをして求婚の儀式とするのです」
ヴィサの言葉に、マクシミリアンは言葉を失う。
「では、我々はただ傍観しておればいいというのか」
「いえ、人間から妨害されることは狼たちも知っています。それすらこの儀式の障害物でしかないのです。ですが、こうしてお伝えしたからには、狼の儀式に手出しは無用かと存じます。彼らの目的は破壊にはありません。ただ、私とアリーサは、面白そうなのでこのゲームを妨害してみようかと愚行する次第です。すでにアリーサはアルフレッド様と町へ出ております」
「アルフレッドが何をする気だ?」
「さて、アリーサがお誘いしたのではないでしょうか。何れにしても、軍の手出しは無用でございます。いたずらに負傷者を出すだけでしょう」
「分かった。軍にはその旨伝えよう。あとは帝都の民のことが気がかりだが」
「恐らく大丈夫なはずです。この儀式において殺生は禁じられているはずです」
「何とも得体の知れない出来事だな」
「では陛下、私はこれにて。楽しみの時間が過ぎてしまいます」
ヴィサは部屋の窓から飛び立った。
「アリーサ、いたぞあそこ! 屋根の上を駆けている!」
「確かに」
アリーサは降下する。
青い服を着た狼男と赤い服を着た狼女が駆け回っている。狼男は三人で一人の狼女を包囲せんとしている。
「それでは面白くないでしょう」
「アリーサ、どうする気だ」
「こうするんです」
アリーサは掌から光の玉を撃った。狼男の前で光の玉が爆発する。これはただの目くらましの光で、建物には影響はない。狼女は危地を脱して逃走する。
遠くの方でも閃光が爆発している。
「あれは兄様ね。アルフレッド、ここはもういいわ次行くわよ」
「お、おう」
それから夜を徹して、狼王国の求婚の儀式は続いた。アルフレッドはアリーサとともに空からその様子を見物することになる。アリーサの妨害は狼男に向けられた。そんな万難を拝して狼女を捕まえた狼男は、その場で求愛し、めでたくカップルとなった。月が沈む前に、儀式は終焉を迎え、狼男や狼女たちは帝都から離脱していく。アリーサとアルフレッドはそれを追い、帝都の外で待機している狼の前に降り立った。
と、変身が解けて巨大な野生狼の姿となった狼がアルフレッドらのもとへとやってくる。狼は人語を発した。
「今宵は帝都をお借りしてかたじけない。良い儀式であった」
「良かったわね。こちらの男性は皇太子殿下よ。私たちはあなたたちの儀式を見ていたわ。閃光弾で妨害もさせてもらったけど」
「ほう……皇太子殿下か。では帝都の重要人物ではないか」
「良い儀式が出来たのならそれで良い。神から事情を知らされておらねば父上は卿らに対して武力を行使したはずだ。その意味でも良かった」
「神だと?」
「そうだ。空を飛んできたこの女性はこの宇宙の女神だ」
「それは……恐れ多き事ながら」
「しかしこれ程の野生狼を従えているとは、これはみな王族である狼男の権威によるものか」
アルフレッドは好奇心から尋ねてみた。
「左様ですな。狼男や狼女に変身できる者は、数の少ない我らが王族です。その血を絶やすことなく、こうして儀式を続けているわけで」
「狼の王族か……。狼にもそのような血族がいるのだな。私も見習うべきことがある」
「皇太子殿下におかれては、その女神様と夫婦になられるのか」
「いっ……いや、まだどうなるかは未定なんだよ。なあアリーサ」
「知らないわよ。狼の言葉に惑わされるなんて」
アリーサはむくれてそっぽを向いた。狼は巨躯を揺らして笑った。
「皇太子殿下にはまだまだ学ぶべき点が多いようですな」
「それを言われると一言もない」
「今日の出会いは友情として受け取っておこう。それでも結構ですかな、殿下」
「ああ、分かった」
「では我々は森へ帰る。さらばだ友よ!」
狼たちはさざ波が引くように帝都周辺から去り、地平の彼方へと消えていった。
「行ってしまったか。何だか不思議な出会いだったな」
「アルフレッドは狼の王族の友を得たのよ。凄いじゃない」
「父上や母上に話したら何と言われるか」
「さあ、私たちも帰りましょう。徹夜でベッドが恋しいわ」
「そうだな。俺も今は食欲より睡眠を満たしたいよ」
そうして、アリーサはアルフレッドの手を取って飛び立った。
朝日が、ヒルヴィンストンに差し込もうとしていた。
了