第十六話
アルフレッドはその日の教授の講義を全て終えて、私室に戻った。ベルを鳴らして従卒にコーヒーを持ってこさせる。芳醇な香りが上質の珈琲であることを示している。
「さあてと……夕食までどうしたものかな」
アルフレッドは、部屋を出ると宮廷内の図書室に向かった。アメテリシア大陸史の一巻を手に取ると、アルフレッドは読書にふけった。
そうしてしばらくしていると、アリーサが図書室に入ってきた。
「アルフレッド」
「やあアリーサ。どうしたの図書室に来るなんて珍しいね」
「あなたを探しに来たのよ」
「僕を? どうして。何か悪いことしたかな……」
アルフレッドは記憶の糸を辿るが、アリーサは「そんなんじゃないわ」と言って皇子の向かいに座った。
「考えてみると、私たち、まだ一回もまともにデートもしたことがないじゃない?」
「ああ……まあそう言われてみれば……」
「そこで私思ったの。次の週末日曜に、デートしましょうよ」
「デートか、まあ、いいよ。今更って気もするけどな……」
「楽しみにしてるわ。ところで何読んでるの?」
「歴史書」
「ふーん……デートでは歴史からは頭を離しておいてね」
「はいはい」
「じゃあ週末」
「どこで待ち合わせすればいい?」
「私が迎えに行くわ。昼前にはこっちに来るから」
「分かった」
アリーサは嬉しそうに出ていった。アルフレッドには今更まともなデートに意味があるとは思えなかったが、アリーサのご機嫌を損ねるわけにもいかず、無事にことが終わるのを願うばかりであった。
日曜日。宮廷の外で待っていたアルフレッドのもとへ、空からアリーサがやってきた。
「アルフレッード!」
アリーサは降り立つと、「お待たせ」と笑った。女神はカジュアルな服装で、髪を結い上げていた。いつもと雰囲気が違うのは髪型のせいだけではなくメイクのせいだろうか。アリーサはバスケットを持っていた。
「じゃあ行きましょう」
「どこへ?」
「セントラルパークよ。一度二人で行ってみたかったの」
「じゃあ馬車を手配するよ」
「何言ってるの。私がいるのに」
アリーサは微笑んだ。アルフレッドは肩をすくめる。
「そっか、君と飛ぶってことか」
「そうよ。行きましょう」
アリーサはアルフレッドの手を取って舞い上がった。そうして二人はセントラルパークに向かう。
グレーゲルとテレーシアはアリーサと同じ邸に住んでいるので、今日のデートのことは知っていた。ほんのいたずら心が湧いてきても不思議ではなかった。
「障害があるほど二人の恋は燃え上がるというものだ。そうは思わないかテレーシア」
「あら、それは正鵠を射ていますわねグレーゲル」
「よし、我々も行こう」
二人は飛び立つと、アリーサを追った。
空から降りてきた二人に周囲の人々は驚いた様子であった。アリーサはさっそくレジャーシートを広げると、サンドイッチと魔法瓶を取り出した。
アルフレッドはのんびりとシートに横たわって背伸びをした。
「ここに来たのは何年ぶりかなあ」
「良いところね。サンドイッチ食べる?」
「ああ、いいね。少しお腹もすいてきたかな」
「はいどうぞ」
アリーサはお弁当箱を開けた。
「今日もまた豪華なサンドイッチだね」
「サンドイッチには妥協しない主義なの」
「恐れ入りますよ」
アルフレッドは笑って、サンドイッチを頬張った。
その時だった。黒い服をきた小人が上空から飛来し、お弁当箱を持って空へと逃げた。
「あ! 何するのよ!」
アリーサは慌てて小人を追う。アリーサは瞬時に追いつき小人を掴んだ。
「ちょっと! あんた誰?」
「グゲゲ……黒き小人、シッチャカメッチャカとはわしのことだ」
「使い魔ね。誰の差し金?」
「そんなことが言えると思うか?」
そう言うと、シッチャカメッチャカはボン! と破裂して煙を残して消えた。アリーサは咳き込みつつも、慌てて弁当箱をキャッチする。
「ふう……」
そして、眼下のアルフレッドを見やる。すると、何とテレーシアがアルフレッドの傍にいて、今まさにキスをしていた。
アリーサは急降下して、「何するのよテレーシア!」とビームを撃った。
しかしビームはテレーシアのシールドに遮られる。
「うふふ……アリーサ! 恋には試練が付きものよ!」
テレーシアは飛び去った。
アリーサは、「アルフレッド! アルフレッド!」と呼びかける。
アルフレッドの瞳はぼんやりとしていて、「テレーシア……テレーシア……」と、呟いている。
「駄目! テレーシアは私たちの邪魔をしに来たの! アルフレッド!」
そうして、アリーサはアルフレッドにキスをした。すると、アルフレッドの瞳に理性の光が戻った。皇太子はびっくりして女神から顔を離した。
「アリーサ、急にどうしたの」
「何も覚えてないの? テレーシアがあなたにキスして意識を奪ったのよ」
「テレーシアが?」
「だから私が呪縛を解いたのよ」
しかし災厄はまだ終わらない。上空からシッチャカメッチャカの大軍が降ってきたのだ。セントラルパークは混乱に陥った。シッチャカメッチャカはカップルに襲い掛かり、手にした三叉の槍でみんなの食べ物を荒し回った。
「ここには入れないわよ!」
アリーサは結界を張ってシッチャカメッチャカの侵入を防いだ。この使い魔たちは結界に押し寄せ、ぎゅうぎゅう詰めになりながらもどうにか侵入しようとしていたが、女神の術は強力であった。
「何なのこいつら? アリーサ」
「多分グレーゲルかテレーシアが放った使い魔ね。それしか考えられない。だってデートのこと知っているのは一緒に住んでいる家族とあの二人だけだもの」
「ま、何にしても、君の結界は破られることはないんだろう?」
「まあね」
「じゃ、落ち着いてサンドイッチでも頂こうかな。魔法瓶には何が入ってるの?」
「紅茶よ」
「それももらおうかな」
アルフレッドは、ティーカップに口をつけるとサンドイッチを食べた。
シッチャカメッチャカは何やらわめき散らして、次々と押し寄せては結界を破ろうとしていた。
「せっかくデートを楽しみにしていたのに……これじゃあ雰囲気も台無しね」
「女神さまとのデートには試練がつきものかな」
「アルフレッド……」
「そう気にするなよ。このサンドイッチも紅茶も美味しいよ。君の口づけも頂いたしね」
アルフレッドの言葉に、アリーサは救われたようであった。
と、シッチャカメッチャカが全て爆発して煙となって消えた。
セントラルパークは騒然としている。
アルフレッドとアリーサはまだ結界の中にいて、周囲の様子を窺っていた。
空にはグレーゲルとテレーシアが浮いている。
「まあ、これくらいでいいだろう。俺達は帰ろうテレーシア」
「そうね。ま、ちょっとした茶番劇だもの。ふふ……」
テレーシアは微笑んでいた。そうして、犯人の二人は飛び去った。
それから昼も過ぎ去って、セントラルパークを後にしたアルフレッドとアリーサは、馬車で帝都中央の大噴水広場まで足を延ばした。アリーサはバスケットを開けると、ビスケットを取り出した。
「はいおやつ」
「ビスケットか。あれ? これクリームをサンドしてあるの?」
「ええそうよ」
「へえ……」
アルフレッドはビスケットを口に放り込んだ。
「美味しい」
「どうぞ召し上がれ」
「頂きまーす」
それから二人は広場のベンチに腰かけて、流れる人々の景色を眺めていた。
「ねえ、アルフレッド」
「うん?」
「実際のところ、私たちどうなるの?」
「核心に迫ってきたね」
「茶化さないでよ」
「そうは言っても、難しい話だよ。そんな軽々しく答えられる質問じゃない」
「そう……そうね……」
「君のことは好きだよ。でも、これから先どうなるか、そこまではまだ考えられないよ」
「クレアや他の令嬢たちがいるから?」
「いや、それよりも、僕が皇太子だからだ。僕の妻となる人は将来の皇妃だからね。それは僕一人の問題じゃない。分かってくれるかい」
「ええ……」
アリーサはそんな風に言われるとは予想外であった。政治……か……。
「でもまあ、今日のデートは楽しかったよ」
アルフレッドはそう言って、笑顔を見せた。
「私のせいでとんでもないことになっちゃったけど」
「いいさそんなこと。気にしてないよ」
そうして、二人は手を繋ぐと歩き出した。その姿は、雑踏の中に消えていった。
了