アンゲルス
アンゲルス。
それは、人造人間の俗称である。
男型、女型と人間を模倣して造られ、その性格や造りも人間に似せてある。ゆえに、感情豊かに人間と親しみを持って接する事ができる。
彼ら、彼女らは、一時代の兵器として創り出された。
戦争は、戦車や銃といった物々しい武器ではなく、アンゲルスに取って代わられた。
銃弾では傷付かない身体、鉄をも砕く拳、戦車の厚い装甲をも粉砕する武器を持ち、手榴弾等の爆撃は相殺する事ができるエネルギー弾を放つことができる。
各国は、直ぐにアンゲルスの研究に没頭した。自分達の造るアンゲルスこそが他国より優れ、戦争でも優位に立つことができるのだと証明する為に。
アンゲルスが兵器として精を宿してから十五年あまりが経ち、彼らは兵器としてだけでなく、従来のロボットの代わりにもなった。介護や人身救助などあらゆる面で活動を始め、社会的にも存在が周知されるようになる。
それとほぼ同時期に設立されたのが、国立アンゲルス養成学校である。
ここは、アンゲルスと人間の両方が在籍している稀有な学校。日本にはたった二校しかなく、現在のところ在籍している人数は一校につきアンゲルスと人間を合わせてもたった六十名程しかいない。
何故アンゲルスと人間の両方が同じ学校に通っているのか、それにはアンゲルスの仕様に理由がある。
戦闘型のアンゲルスは、それぞれ【天技】という個々特有の能力を使うことができる。
天技というのはアンゲルスが本来持つ技のことで、機体によってさまざまな固有能力が与えられている。
電気を発する個体もあれば、水を放出したり光弾に炎など、魔法めいた力を科学の力で実現したものだ。
スキルは、アンゲルス相手であっても絶大な効力を発揮する。と同時に、アンゲルスを危険視する対象とする理由にもなっている。
しかし、アンゲルスは自身でこの天技を使うことはできない。彼らを管理する人間からの命令が必須となる。
ゆえに、戦闘型アンゲルスには一体に一人、人間がパートナーとして、契約者として付くことになっている。アンゲルスと人間、協力しあって任務に臨むというわけだ。
この国立アンゲルス養成学校は、アンゲルスを育成する場所であるのと同時にパートナーを決める場でもある。アンゲルスは学校の管理科にいる人間を、人間は戦闘型アンゲルスを見定め、契約してやっとアンゲルスとしての試験が可能になる。
彼らもまたアンゲルスと人間、二人で一組のコンビだ。
◇◇◇
「なんであたしがランクBなの〰〰〰〰!?」
「スペックが足りなかったんだろう」
誠実そうな青年が愚痴を吐き散らかすツインテール少女を宥めようとしていた。
少女は、ムッとした顔をしてはいるが、街を歩けば誰もが二度見するだろう顔立ちが整っている。
鮮やかな赤紫色の髪が特徴的で目は切れ長、その赤い瞳で青年を睨みつける様は威圧感がある。
程よい膨らみの胸を持ち上げるようにして腕を組み、近くにあるベンチを足蹴にしてイライラを表していた。
対して青年は、眼鏡をかけているだけの取り立てて特筆すべきところのない平凡な男性。
少女の憤った高圧的な態度に呆れながらも彼女の性格を理解しているように苦笑いを浮かべている。
二人の間には身長差がある。青年が一六八センチなので、二十センチ近く差のある少女は背丈が小さい方だろう。
彼女の手に負えなさに普通は放っておくだろうが、青年はその場を離れようとはせず、しかし呆れながらも言葉を続けた。
「次頑張ればいいじゃない。Bランクだって上位でなくても性能を認められているよ!」
「あのねえ……あたしはクローバー族なの!! Bじゃお姉様に合わせる顔がないでしょう!!」
「君はランクを気にしすぎだ。実際の戦闘にそんな階級付けは意味をなさないだろうに」
二人が話題としている『ランク』というのは、アンゲルスの階級である。
これは外部――軍や管理局での強さの指標にもなり、またアンゲルス同士の上下関係にも影響を及ぼすとされ、アンゲルスはランクを気にするのが常である。特に上昇思考の強いこの少女のようなアンゲルスは、是が非でも上位ランクに入り込もうとするだろう。
ランクは上がS、次にAときてその後はアルファベット順でEまである。その内のBであることが彼女にとっては面白くないのだ。
「あのねえ! あんたもあたしのパートナーなら、もっと落ち込みなさいよ! なにを冷静に構えちゃってんの!?」
「いやあ……残念には思わなくもないけど、叶がそんなにもイライラしてるから……」
「あたしがイライラしてるからなに!? 人のせいにしないで!」
「ご、ごめん……」
「ああもう! あんたなんかを追い詰めたってなんの意味もないじゃない!」
青年の申し訳なさそうな顔を見てやっと吐き散らかすのをやめたのか、「フン」と一蹴してベンチに座る。
やっと落ち着いて話せると青年はホッと胸を撫で下ろした。しかしそれも束の間、少女からおもむろに出た言葉に絶句することになる。
「あたし、ハーレクインに宣戦布告してきたから!!」
「っ……!!?」
ハーレクインとは、アンゲルスの別名の一つだ。しかも花の名前、ダリア・ハーレクインのことを指す。
アンゲルスの中で花の名前――花名を付けられているのは、初期スペック(アンゲルス個体の完成時点の性能)で優秀と判断された個体にだけである。
叶も同じく花名を持っている。
――クローバー族プリンセスシリーズ、イザベラ。
皆にはプリンセス・クローバー・イザベラと呼ばれ、アンゲルスを知る者ならばこの名前は既に聞き馴染みのある有名どころだ。
現在の階級で言えば、叶はBに対してハーレクインはA。スペックでは劣っていると断定されたも同じ。叶は、そのランクが間違っていることを証明する為にあえて自分よりもランクの高い相手に宣戦布告したのだ。
自身の成績を上げるのが目的なのであれば、宣戦布告という形を取ったことは置いておくとして、相手は同ランク以下にするのが標準である。アンゲルスに勝利、または上回っている事を証明するのが成績を上げる近道であるのだから。
ゆえに彼は、驚きながらもそうした理由を問い出そうとする。
「な、なんでそんな事したんだよ!?
せ、宣戦布告ってことは、先の実技試験の相手を彼女に決めたってことかい!?」
「そう。だから、試験までにシンクロ率をあげないといけないわ! 早急に戦法を練るわよ、相手はAランクと断定されたハーレクイン。せいぜい鼻が伸びているでしょうが、その出鼻をあたしが挫いてやるのよ! わかった!?」
「は、はあ……」
(そういうのは契約者である僕に先に言ってもらわないと……。
どうせ押し切られただろうけど、上位ランクが相手って気が重すぎるよ!!?)
やれやれと冷や汗が滲む青年は、肩をがっくりと落とした。
実技試験の勝敗は、アンゲルスだけでなく契約者である彼の成績にも影響する。その成績如何で卒業後の配属も決まるため、青年にとっても死活問題のはずであった。
しかし、彼は既に彼女の勝手には諦めをつけており、天を仰ぐようにして空を見上げる。
この我儘な素行は今に始まったことではなく、彼らにとっての日常茶飯事である。今迄幾度となく注意を促してきたが、改められたことは一度も無い。
彼が諦めて、もしくは許容しているのは、そういう事が何度もあったがゆえである。
自分では彼女を言いくるめることなどできないと承知済みなのだ。
「なにしてんの……?」
「いやあ……僕の契約したアンゲルスは努力家だなあって思って、ました……」
「そう、ならいいのだけど。なんだか不満そうよ? あたしの契約者ならもっとシャキっとして貰わないと、あたしの面目に関わるんだからね!」
「気にしないでください」
不機嫌を露わにするように彼女は青年を叱咤する。
しかし、半分涙目になる青年を見ると、「仕方ないわね」と零しながら労うように歩み寄り彼の手を握った。
女性経験の薄い青年は赤面し、狼狽えている。あわあわと口に出し、目を回していた。
軍に入隊するまでは勉強三昧。女性と話した経験は流暢な幼稚園児にも劣る。童貞かと聞かれれば二言目には「そうですけどなにか」と開き直ることを度々想像するほど。例え相手がアンゲルスであってもむやみに近付くことなどできない性分だ。
そんな彼がなんとか彼女と話せるようになったのも距離感を気にしない彼女の性格のおかげであるのは言わずもがな。されど理由もなく顔を近づけるなどといった彼曰くの「チャラ行動」とは縁も所縁もなかった。
目付きは尖っているが、改めて近くで見るとその凛とした目も可憐な印象へと様変わりする。
戦闘型アンゲルスは皆、基本的に美形である。というのも、戦闘型アンゲルスは開発会社の顔となることが多い為、その顔を整えるのは当たり前となっている。中でもイザベラはクローバーシリーズの後継機であり、前作よりも精工に作り込まれた。
人間と同じにしか見えない容姿は勿論だが、万人が美しく思う容姿端麗さには息を呑む。
そんな彼の狼狽した反応は気にせず、叶は祈るようにして両手を束ねた。
「安心なさい。あんたと契約したのは、クローバー族のイザベラよ! 簡単に負け――いいえ、必ず勝つわ!
そして、あたしはあんたの実力を疑っていない。見た目はただの紐だけど、演算能力と指揮能力はマスター気質。二人なら絶対勝てる!!」
「う、うん……」
(僕は紐と思われていたのか……。古めきながらトホホと言いたくなってしまうセリフだ。
ドキドキさせられっぱなしだけど、こういう時の叶は心から本音をぶつけてくれるからなんか嬉しい。今迄僕にとってそういう友人はネットの中にしかいなかったし、こうしてちゃんと話せる友人も叶だけかもしれない)
「なに、もっと嬉しそうにするとか、シャキッとするとかしなさいよ! あたしだけに突撃させるつもりじゃないでしょうね!?」
怪訝そうに見る叶に対し、青年は一心不乱に首を横に振った。
その大袈裟な行動で逆に叶の表情が引きつってしまった。だが彼の意思は伝わったようで、
「なら、これから早速特訓よ! ついてこれないなんて、絶対許さないから!」
「わ、わかってる!」
二人は、弾んだ足取りで訓練棟を目指したのだった。
◇◇◇
国立アンゲルス養成学校。
元々廃校になっていた大学を改装したので見た目は普通の大学と変わりない。
しかし、それにしては生徒数が少なく、廃校以前の大学で最大千人規模だった校舎を持て余しているのが現状。学科の数も二つしかなく、アンゲルス特務科とアンゲルス管理科のみ。
創立間もない当校にはアンゲルスの数と人間の数を合わせても六十人程度しか在籍していないのだ。
というのも、まだ当校預りのアンゲルスが二十機近くしかおらず、管理する側の人間、契約者候補も人を増やすことはできない。
ゆえに、一クラスの生徒数はその学年の生徒数と同義。しかも、それら全員がライバル同士であるというのだから、殺気立つのも仕方がないだろう。
ライバル意識を燃やす理由として、第一に契約の問題がある。
アンゲルス一体につき一人は付くことになるので、十機しかいないアンゲルスに対して二十人もいれば半分は溢れてしまうのだ。
この年を逃せばもう二度とアンゲルスと契約することができなくなる訳では無いが、先の十人から一年出遅れるデメリットは大きいと考える者は多い。
第二の問題は、アンゲルスと契約した後にある。
皆、契約したアンゲルス共々成績を付けられるわけなのだが、その成績がトップであれば軍での指揮官クラスが約束されるからだ。
ここに未成年の人間は存在せず、皆成人した軍の人間だ。陸軍、海軍、空軍とまちまちではあるが、それらの隔たりも相まって物々しい雰囲気が教室に充満している。
――そんな中、宣戦布告というイベントが起これば尚更、彼らを焚きつける要因になるだろう。
「おう、縁!」
制服の上からでも判るガタイの良い筋骨隆々の男が心狭い思いで冷や汗を流す眼鏡の青年に声を掛けた。
太く威厳のある眉が印象的。顎が二つに割れていて、その面相は自信に満ち溢れた強かさを物語っていた。
「い、伊賀くん……」
(伊賀大成くん、僕と同じくアンゲルスと契約が済んでいる一人。そのアンゲルスは男形で、ランクは叶と同じBだ。
いつもなにかしら託けて僕に干渉してこようとする。たぶん、一年生の総合成績が同じくらいだからだと思うけれど、僕と伊賀くんは体型も違えば得意分野も違う)
「挨拶してんだろうがよ!」
袖を捲り上げて腕の筋肉を見せびらかすようにし、彼の机の上に手を置いた。
その置き方がまた豪快で、机の脚が折れてしまうではないかと危惧してしまうほどに力強い。
脅しか、もしくは力を誇示する為かは測りかねるが、威圧するには十分の効力があった。
ギィギィと机が軋む音に尻込みし、縁と呼ばれる青年は「はい!」と上官に呼ばれた時のようにハキハキ返事する。
「お前んとこのアンゲルス、ハーレクインに喧嘩売ったって? おい、なんで俺達じゃなく、上位ランクのハーレクインなんだ?」
ニコやかな表情の裏には憎たらしさが孕んでいるように見えた。
契約が済んでもその先で待っているのは他のライバル達だ。こうして契約済みの相手を警戒するのは何も伊賀だけではないだろう。
しかし、彼はあからさまに行動に移しており、内向的に思われがちな縁から、と思惟したようだ。契約しているアンゲルスが同じランクというのも引かれた理由の一つだろう。
縁は愛想笑いで誤魔化しつつ嘯く。
「あ、あはは……な、なんか……ほら、あの人達に相性がいいような気がするかな〜なんて思って……。あはは!」
「へーん? そうやって俺から逃げんのかい、この腰抜けめ!」
(ここに叶がいなくて良かった……。あの子なら第一声に相手にならないから、とか言いそうだし。
契約して貰えたのは嬉しかったけど、その後に伊賀くんに目を付けられるようになったんだよな……)
「にしても相手はあのハーレクインか。アンゲルスの中じゃ一番のスペックだと噂されているが、実際どうなのかねえ……。
へん、噂をすれば、か。上位ランク三機のうちの一機を従えてる徳嶺が来たぞ!」
男の視線を追って振り向くと、髪を金色に染めたサングラスの男が最前列中央の席に座るところだった。
手をポケットに入れ、教室内の視線を独り占めしている。
殺伐とした雰囲気の中を意気揚々と佇む様はまさに天上天下唯我独尊。そんなオーラを放ち、未だ契約していない者も含めて誰もが彼を警戒している。
叶とハーレクインとの間にあった宣戦布告の事態を彼が知ってか知らずか、徳嶺という男は全く縁を視界に入れず、また気にしてもいなかった。
「徳嶺!」
彼が席に着いて同じく、伊賀が大きく呼び寄せる。
徳嶺は、顎を上げて後ろの二人を見た。不格好であるが、これが徳嶺のスタイル。自由奔放を体現しているように思えた。
黒いサングラスによって目元は判らないが、とぼけたようなその面からは気だるさを思わせる。
「こいつ、今度お前んとこのハーレクインと勝負するイザベラの契約者だ! 今のうちに知っといた方がいいぜ!」
伊賀はお節介だ。勝負する以上、いつも以上に敵対心を持たれるというのにそんなものを気にせずに付き合わせてくる。
などと憂鬱に思う縁の下に徳嶺はやってきた。
サングラスで目は見えないが、キョトンとしているのはわかる。
徳嶺と縁は面識も同じ教室にいるという以外無かった。入学した時の自己紹介や授業中などで度々顔を見ることはあってもそれ以上相手を知る機会は無い。
「こいつがか?」
やはり、徳嶺は縁と勝負するのを知らなかったようだ。小さく指をさして確認すると、伊賀は面白そうにして笑った。
「やっぱりそうは見えねえか! ハハハハハ!!」
(徳嶺くんは上位ランクでも中距離戦闘に特化したあのハーレクインと契約している。彼女の目に留まる程の実力を持ち合わせているのは勿論のこと、自分より劣る者を気にしないのは当然だろう)
「しかし、見てろよ徳嶺。この抜けた顔をした縁とアンゲルスが、お前んとこのハーレクインをボコボコにするんだ!」
全く関係ないというのに、伊賀は代弁するようにして勝利宣言まで。まるで自分が戦う気迫だが、今回対決するのは縁である。
縁は空いた口が塞がらず、しかし訂正することもできず、気まずいながらも徳嶺の顔色を窺った。
しかし、縁の危惧した事とは対象的に徳峰はニヤリと楽しげな笑みを浮かべている。
「そんじゃま、一つよろしくな! 俺は、徳嶺啓治」
「え、あ……うん。僕は柴崎縁、よろしく……」
徳嶺が差し出してきた手を取り、縁は握手を交わした。
てっきり怖い顔で睨みつけられると思っていた為、あっさりとした挨拶に少しだけ肩の荷が降りる。
しかし、目を合わせて思い返すこととなった。
徳嶺の目の奥でふつふつと燃える闘争心が自身の奥深くを睨んで離さないのだ。
縁は、真の強者の風格を目の当たりにして息を飲んだ。
◇◇◇
実技試験当日、風車の音が流れる体育館裏。
日陰が彼らを隠すようにして薄暗く、湿った空気は緊張を涼やかにした。
縁と叶が二人して作戦会議ならぬ、緊張を解きほぐす時間をここで設けていた。
しかし、その名目も縁だけのもの。叶は、一人集中を切らさぬように腕を組んで佇んでいる。
縁には落ち着きがなく、じっと構える叶の周りをうろうろ歩いては唸っていた。
「さっきからうるさい! もっと胸張って構えられないの!?」
「だ、だって……宣戦布告なんてしたのに負けたら、僕ら笑いものじゃないか!」
「なんで負けた時なんかのこと考えてんの!? あたしが負けるって言いたいわけ!? 自分のパートナーを信じられないって、そういう事!?」
「ち、違うよ! だけど、僕はそんなに気持ちが強くできてないんだ……。
徳嶺くん、本当に強そうだった。まさに百戦錬磨って感じで、下馬評通りの威圧感を持ってて僕とは比べ物にならない。逢って直ぐに負けを認めてしまうんじゃないかって踏ん張るのがやっとだったよ」
「……言っとくけど、あんたが使えなかったら、あたしはとっくに契約を解除してるから!」
「え……?」
「あんたが不安になるのも仕方ないとは思ってるけど、あんたとだから上位ランクのハーレクインにだって勝てるって計算してんだからね!
あたしはこの学校でのトップを狙ってるって知ってるでしょ。あたしがあんたを選んだってことも忘れないで!!」
縁は戸惑った。
結局なにが言いたいのかわからないのはさておき、元気づけようとしてくれいるのはわかる。しかし、今迄何故自分を契約者に選んだのか、聞いたことがなかったからだ。
アンゲルスと契約するのに互いの同意が必要になるが、管理科に所属する人間が「このアンゲルスがいい」と名指しするばかりではない。アンゲルスもまた、人を選び名指しすることができるのだ。
縁と叶の場合、叶から一方的なアプローチがあった末にこの契約が成されているのである。
縁は、自分がアンゲルスと契約することはできないと踏んでいたので、叶からの誘いは素直に嬉しく、断るなど選択肢になかった。
縁はこれまでアンゲルス、つまりは叶との距離感に悩んでおり、今回疑問に思ったようなつけいった話をするタイミングはなかったのだった。
「叶はなんで、どうして僕を選んだの……?」
率直な疑問を投げかけて直ぐ我に返ると、叶は頬を赤く染めていた。
恥ずかしいことなのかと首を傾げるが、叶もまた話す気を起こしているようだった。
視線を明後日の方に向けて口を隠し、羞恥を帯びながらもゆっくりと話し始める。
「あたしは、あんたの計算能力が欲しかった……ってだけ……」
細々とし、ギリギリ聞こえるかどうかという声に耳を澄ませてやっと一言一句聞き漏らさなかった。
だが、それは結局「そうだよな」と変わり映えしない感想を生むに留まる。ただ、それだけなはずなのに絶えず恥ずかしそうにしているのには別の理由はあるように思えた。
やはりそれだけではなかったようだ。ボソッと話に付け足しが添えられた。
「あと、あんたあたしの事、助けてくれたし。あれができるなら、まああたしの事見ててくれそうかなって思ったりした……みたいな……」
これまた家の外にいる雀の鳴き声の方がまだ聞こえるというくらいの小さな声だ。髪をいじりながらソワソワしているのが判る。
ちゃんと聞こえていた縁は眉を顰めて疑問符を生じさせた。
(助けた……? 契約をする以前に僕が叶を助けたって……?)
「その顔、やっぱり覚えてない!」
叶は恨みを持つような怖い形相で睨んでいる。
機嫌を損ねたのには自覚があったが、何故、というところが不明だった。
しかし、「ごめん」と不思議に思いながらも申し訳なさに謝罪し頭を下げる。
更には精一杯を尽くして、頭の脳内メモリーから叶と出逢う以前の記憶を探そうと暗闘した。
すると、一つの記憶が当てはまりハッと顔を上げる。
◇
それはこの学校の入学式に招待された華々しい日。
皆の門出を祝うような桜に迎えられ、縁が学校までの道を歩いている時だった。
――一人の少女が空から降ってきた。
それに気づいたのは、上から大きな悲鳴が途切れなく先に降ってきたからである。
空を見上げるとスカートを靡かせながら落ちてくる少女がいた。
必死に股を抑えながら、されど白い下着と際立ったお尻の形が眼下に現れ困惑する。
(お、女の子が降ってくる!!? え、え……なんで!? どうしよ、どうすればいいんだあ!?)
しかし、上から降ってくる彼女は時間を与える間もなく落ちてきており、縁は咄嗟に持っていた鞄を捨て受ける体勢をとった。
次の瞬間、縁の腕と胸の丁度中央に赤紫色の髪をした少女が落ちてきた。
ツインテールの髪によって縁の視界は遮られ、彼女の顔はよく見えない。
細い腰回りはすっぽりと容易した腕の中に収まり、柔らかい肌は弾力もあって腕にはそれほどの痛みは無い。目の前に現れて直ぐに香る花のような匂いが漂ってきた。
だが、それを気にする間もなく縁の腰が悲鳴をあげる。
アンゲルスは構造状体に金属が含まれる為、通常の人間よりも見た目と違って重い。
少女の見た目、主に体の大きさから見るに中学生から高校生そこそこである。ゆえに、縁はこれ程の重さであるとは思っていなかった。
しかし、縁も自分が男であると戒めながら痛みを堪える。
なんとかゆっくりと少女の事を降ろし、後退りながら「大丈夫」という言葉を用意していた。
少女が心配する、もしくはお礼をされると思ってのことだが、彼女は縁の方を一瞥もせずに慌てて走り去ってしまった。
縁は、その背中を暫し見送ると気を抜くようにしてへたり込む。腰を撫でながら大きく息を吐いた。
(お、お礼は無しか……まあ別に期待してなかったけどね?
でも今の……一体なんだったんだ? もしかしてあれが――戦闘型のアンゲルス、なんだろうか)
これが縁と叶の出逢いであるはずなのだが、縁は彼女の顔も見なければ彼女の体重と落下速度による弊害しか記憶に残っていなかったのである。
◇
漸く思い出し、「嘘……」と戸惑いながらに呟き目を丸めた。
あの時助けた少女がいつの間にか自分と契約していた事が信じられなかった。
また、叶は髪色で初めに気づくと思っていた。その為、いつその話を切り出そうかと迷い、いつ話しかけてくれるのかを待ちながら、結局のところ隠すハメになってしまっていた。
納得のいかない叶は頬を薄紅色に染めながらも視線を逸らしている。
「なんで言ってくれなかったんだよ……」
「気づくと思ったの! 髪色で大体わかるでしょ、この色はあたししかいないんだし……!」
「いや、あはは……」
(あの後、保健室に厄介になって入学式出そびれたから忘れるようにしてしまっていた。僕にとってはあまり誇れる事じゃなかったし……。
でも、確かにあの時ほのかに嗅いだ花の柔らかい香りは叶の匂いに似ている気がする。というか、本人なのだからそれも普通か)
「なに変顔してるわけ?」
考えるあまり難しい顔になっていたのを叶に指摘されて縁は傷付いた。恥ずかしさのあまりに出た言葉だったが、「変顔」と揶揄されたのが良くなかったらしい。
しおらしくなる縁を前に叶は弁明紛いに鼓舞しようとする。
「ていうかそれより、これであたしがあんたを頼りにしてる理由もわかったでしょ!
このあたしを担ぐことができるのは、あんただけなのよ! わかったら、どうすればあたしを勝たせられるのか考えなさい!」
叶なりの応援であり、それ以上の言葉を掛ける余裕はなかった。それほどまでに羞恥心で混乱していたのだ。
しかしまた間違った言葉選びをしてしまった、と後悔し言葉を付け加えようとあたふたし始める。
「えと、だからね……別にあんたがダメとか、じゃなくて……人には人の良さがあって、ていうか……」
(あの頃から僕が叶を支えることが決まっていた――みたいに思うとあの時腰を痛めたのも悪くなかったのかもしれない。
暴走してしまうのが玉に瑕な剛毅さだけれど、僕を選んでくれたそれだけで僕はこうして救われているんだ。どんな理由であれ僕を見つけてくれた叶には感謝しても感謝しきれないだろう。
だから僕は、これからずっと君と一緒に戦う覚悟を決めたんだ!)
「わかってるよ、勝ちに行こう! 僕が君を勝たせてみせる!!」
「……そ、それならいいの!」
縁と叶は約束を告げるようにハイタッチした。
緊張から挑戦心へと変わる心は彼らを明るく、されど決意の強い一つの意思として昇華する。
二人は同じ道を同じように見た。
◇◇◇
アンゲルスの実技試験には多大な助成金がおりる。その為、もしアンゲルスが故障などしても無償で修理することが可能である。また、試験によって会場を損害したとしても助成金の対象となるので問題は無い。
このアンゲルスの育成計画において、国が多大なお金を投資している最たる例と言えるだろう。
よって、試験に参加するアンゲルス達は心置き無く実力の全てを出し切ることができる。互いに本気で戦う原動力にもなっているだろう。
二人の主君、そしてそれに仕える人造人間がそれぞれ試験会場である、ここ学校敷地の最北に位置するアンゲルス実技棟へ集まっていた。
天井が吹き抜けになっており、涼やかな風と暑い日差しが入ってきている。
見学することも可能であり、試験者以外の主に他の管理科やアンゲルスに融資している企業、アンゲルスを研究する者、軍人、更には来年この学校に入学を希望または決まっている者達は、二階観覧席や別棟から中継で観戦する。
郊外不出の為、カメラでの撮影や録画等は禁止。中継も学内より外にはされないようになっている。これも国外に情報が出ないようにする対策であった。
全員の注目が集まる中、縁と叶もまたこの会場に足を踏み入れた。
今日は各々、アンゲルスは武装をしている。軽く肩や胸を護る防具を身に着けていた。白銀に光るそれが太陽の光を反射している。
契約者達は利き手と逆の腕にデバイス――AMD(Angeles Management Device)を装着し、片目にはASG(Angeles sight Glass)を着けている。
AMDは、アンゲルスの戦闘においてスキル発動や簡単な指揮命令を送ることが出来る。また、日常でも体調管理などアンゲルスの管理に役立つ代物でもある。
が、今回は戦闘支援用として扱われる。契約者がスキルを指示する時はこれを操作するようになっている。
ASGは、アンゲルスの視点を見ることが出来る。主な用途としては、AMDと組み合わせる事で契約者の狙いをいち早くアンゲルスに伝えるというものだ。
グラスが契約者が見ている点を読み取り、アンゲルスに伝える。アンゲルスはそこを狙うという流れである。
縁もまたこれを見に纏っている。彼は右利きなので左腕にAMD、右目にASGを装着していた。
おそらく、見学者の主な目的人物は上位ランクに相当するアンゲルスとその契約者だろう。
そう思って気楽に、もしくは楽観的とも言えるくらい気にせずに入場した縁は、至る所にある視線に困惑の色を見せた。
叶に「しっかりして」と諭されながら手を引かれ、縁はとぼとぼと恥ずかしそうに歩く。
そこは既に試験会場であり、これから戦場となるフィールドだ。
屋内であるというのにも関わらず、いつもアンゲルス達が訓練している床ではなく、土でできた地面。足場もいいと言えるものではなく、所々隆起しているので縁は顔を顰めた。
事前に会場は知らされていたが、その状態までは今初めて知る。戦場の「未知」をできるだけ再現しようとしているのだろうが、なかなかにやりにくそうであった。
――こんな所で戦うのか……。
そんな愚痴が思わず零れだしそうになった。
実技試験は、事前に相手を作った者達から始める。
叶と縁は、事前に相手を指名しそれを先方と共に教員蓮に申請を提出済みだ。ゆえに、順番は早くなるだろうことは予想していた。だが、その順番もここに来て初めて知る。
到着して直ぐに目に入る二階よりも上部に設置された掲示板が目に入る。そこに大きく今日の対戦相手とその順番が表示されていた。
「最初、か……」
「みたいね」
「イザベラ対ハーレクイン」の文字が掲示板の一番上に表示されており、縁は身を引き締める。
叶のアンゲルス名であるイザベラが使われているが、それはこれが実技試験であるのと同じく彼女と自分の成績を決めるものであることも示唆している。
アンゲルスはアンゲルスとして振舞わなければならず、契約者である縁も叶をアンゲルスとして見なければならない。
ここではアンゲルスの呼称をアンゲルス名とし、契約者の命令には絶対服従。破ればその時点で失格となる。これは戦場を想定した絶対条件だ。
「いつやるのだって同じ。早いか遅いかだけで、結果には変わりないわ!」
叶は、早くもハーレクインを睨み付けていた。
ブロンド美女であり、縦ロールが印象的な英国王女のような外見。その佇まいは閑雅であり、二階から降ってくる彼女への黄色い声援に対して細やかに手を横に振っていた。
彼女は異性だけでなく、同性、同じアンゲルスからも慕われているようである。
まだ二年生のはずが、表情や態度は大人以上に落ち着いており、この場の誰よりも冷静に思えた。
隣には例の飄々とした青年、徳嶺がいた。彼は大勢に囲まれる中、暗いサングラスで判り難いが、縁だけを一心に見ている。縁もそれに気付いて身構えながらも見返した。
すると、彼に「ハッ!」と一笑され、縁は口をへの字にする。彼の思考が全く読み取れない。
(なにを考えているかわからないけど、だからこそ強そうだ。
徳嶺君がすごいのは、攻撃的でも冷静に周りが見えるところ。いや、重視すべきは冷静なところだろう。軍の経験からほとんどの者が冷静だが、徳嶺君は階級が少し高いので部下を動かすこともしばしば。若くても実力のある者の一人だ。
僕も冷静に叶を動かす必要があるし、なによりもアンゲルスの状況判断を怠ってはいけない。その点では劣るかもしれないけれど、叶を勝たせたい気持ちは誰よりも強いつもりだ!)
実技試験前の顔合わせが済んだところで、教員の開会の言葉があった後、試験者以外はそれぞれ別室に移動した。
フィールドに残ったのはたった四人。叶、縁、ハーレクインに徳嶺。
試験官は別室でドローンや周囲に取り付けられたカメラから観る為、ここに残るのは戦う者のみとなっている。
それも被害を出さない為の処置だ。このくらい警戒しなければならないほどアンゲルス同士の戦闘は熾烈になるのが常である。
縁と徳嶺はそれぞれフィールドの端、指定された場所に配置される。そこだけ白線が引かれており、それよりも前に出ることは禁止されている。
アンゲルス同士の戦いに契約者は命令以外の役割はなく、実技試験において手出しすることはできない。これはあくまでもアンゲルスの戦闘能力、そして契約者の指揮命令能力を評価する場である為だ。
それでも縁は緊張が収まらず、必死に呼吸をしていた。
「マスター!」
そうしていると、叶が縁の方を振り返った。殺気立った目だというのに、口元には笑みが浮かんでいる。
どうしたのかと縁は眉を顰めた。
もうそろそろ開始の合図が出るというのに、叶が自分を気に掛けるのに呆れてしまっていた。
しかし、叶はなにも言わなかった。ただ縁と目を合わせるだけであり、余計な口出しはしない。
余計な思考をさせまいと気を遣ったのだろう、と縁は思ったが、それすらも邪推な気がした。
(勝つ、ってことでいいのかな……)
叶が再び前を向くと、ハーレクインがほくそ笑んでいるのに気が付いた。
「あら、ごめんなさいね。あんなに頼りがいの無いのを契約者に選んで、それでわたしに宣戦布告だなんて、少し肩透かししただけですから」
「皆そう言って彼を侮るけど、外見と内面は必ずしも一致しないのよ、覚えておきなさい。
えっと――……髪の毛ぐるぐるおばさんでよかったかしら?」
「……そう、そういう子というわけですね。
Bランクに断定されたからってどう生き急いだのか知りませんが、ランクが一つ違うのは強さに大きな壁があると判定されたからなのですよ? 正直に申しますが、わたしと戦うには貴女では役不足です。恥を掻かぬ内に棄権した方が貴女とその契約者の為だと思いますけど?」
「前々から思ってたけど、お高くとまってるあんたがあたしは嫌いだった。皆の前ではいい顔してるみたいだけど――やっと本性が見れたみたいね。
よかった、心置きなくあんたを壊してランクをあげられるわ!!」
「あまり関わりがなかったから少し可哀想に思っていたのだけど……こちらもよかったです――叩き潰しがいのある女狐で!!」
「精々あたしの踏み台になりなさい、グルグル!!!」
うるさいほどの「ビー」という警笛と共に掲示板に「開始」の文字が表示される。
それを皮切りに叶は早速腕を刃へと変えた。
アンゲルスは、その身に幾つもの武器を備えている。個体差はあるが、叶は近接戦闘型で主に盾と剣を使う。
右腕を上げると、手が引っ込み肘から先が裏返り刃が出てきた。
左手の平を開けば、半透明の盾が現れ掴んだ。
ハーレクインは近接戦闘もできるが、中遠距離を得意とするオールラウンダー。得意武器は、光銃とされている。
ハンドガンを少し大きくした程度の銃で、白い銃身がキラキラと輝いていた。
光銃は、アンゲルス相手には威力不足。決定打に欠けるが、ハーレクインの場合はそれを戦闘に組み入れ主に揺動に使う。
今回もその構えであり、銃を出し叶へと向けていた。
「行くわよ!!」
叶は盾を前に置きながら踏み込み、相手に向かって突っこんだ。
ハーレクインは表情一つ変えず余裕の笑みで光銃の引き金を引く。
銃口から無音で放たれるのは、光の丸い銃弾。
通常の光銃と比べ、かなり緩慢である。プロ野球の球と同じか少し速いくらいで、避けようと思えば無理はないだろう。
その速度に縁と叶は違和感を覚えた。
(遅い……今まであんな光銃、見たことない。ハーレクイン専用に改良された専用武器か、近づくのは愚策だな。ここは一応天技で大幅に避けておこう!)
「《ターンラップ・ストライド》!!」
叶は、すぐに直線的な動きを止め光弾を離れるように大きく避ける。残像を残しながら瞬間移動にまで及ぶ速度で大きな空間を光弾との間に作り、尚且つハーレクインとの距離を詰めた。ジグザグとした動きは滑らか、スキルの恩恵もあって素早い。
されど、ハーレクインはその場から動かず光銃を放つ。その度に叶は避け、それが三度続く。
あと残り五メートル近く、叶の刃がもう少しで届きそうかというところ。ハーレクインはようやく叶と同じく盾を出す。
しかしその瞬間、縁が大声で叫んだ。
「イザベラ、戻れ!!」
叶は、腕を振り上げる前に縁の指示に従い元の場所まで距離を取った。
理由も判らずに縁の指示に従ったが、戻ってやっとその理由を悟る。
先程撃った光弾がハーレクインを中心として浮遊展開されており、まるで罠のようにフィールドを囲んでいる。
「バレたか……」
残念そうに肩を落とす徳嶺。しかし、未だ楽観的な態度は変わらない。
叶は縁と顔を見合わせた。
「イザベラ、気を付けてくれ。アレはまだ効果を発揮していないだけだ!」
「ええ、でも……」
(あの光弾、たぶんただの光弾じゃないわ。操れるかどうかはわからないけれど、いざっていう時に使われたら優勢になれても逆転されかねない……面倒ね)
(既に先手を打たれていたのか、見えない策略を張り巡らせるのが彼の得意技なのかもしれない。注意するに越したことはないな)
「先にあの光弾を壊そう! 問題の先送りはまずい!!」
「わかった!」
叶は進行方向を変えると、光弾へと向かう。
展開されている光弾は四方に分かれており、距離を見るにそう簡単に破壊させてはくれないだろうというのが縁の考えだった。
案の定、ハーレクインもその場を動く。光弾へ向かうことで背を向ける為、隙と捉えられた。
「背中を見せるなんて愚の骨頂だと思わなくて?」
「イザベラ、来てるぞ! 迂回して一つ先の光弾を狙うんだ!」
「っ――!!」
叶は頷くと、相手の方へと振り返った。
しかし、それを狙ったかのように光弾は牙を向く。
浮遊する光弾は、その光に隠れて鋭い電撃を放った。
雷のような蛇行ではあるものの、ほぼ直線的に移動し叶の背後を襲う。
叶は一応の警戒をしており、直撃は免れたものの左肩を切り裂かれてしまう。防具が意味を成さないほど鋭く焼き切り、赤い血で腕を濡らす。
「うっ……!」
(発動タイミングが彼女の思い通りの電撃。あれはやっぱりスキルだったんだ……!)
体勢を崩すには充分の勢いだった。
アンゲルスには五感があり、もちろん痛覚も備わっている。ゆえに、叶は盾を持つ腕から力が抜けた。
それを狙いすましていたかのようにハーレクインは銃口を再び上げる。
彼女の狙い通りの展開は勝利を確信したような笑みを生み出していた。
その顔色を面白く思わなかった叶は剣を構える。少しでも威嚇、抵抗する考えからである。
(あの電撃は、こちらの邪魔をする威力には十分過ぎる。初めから避けるのではなく破壊するのが的確だったんだ。あののろさをもっと警戒すべきだった……!
いや、まだ先手を取られただけに過ぎない。気負っちゃダメだ……なんたって叶はこんな時、逆に燃えるんだから!!)
叶は、まだハーレクインが撃たないと見るや再びハーレクインへと突進していった。
すると、ハーレクインは光銃を構えながら足を止める。
(たぶん今度はさっきの光弾じゃない! だけど、一応……!)
縁は、自身の左腕に付けた白いガジェットを操作した。
半透明のディスプレイが展開され、それに触れると英文字でスキルが現れた。
縁は、その内の一つを選んで押下する。
すると――ガジェットから浮き出ていたディスプレイが変形しスキルの文字列が彼の腕を取り囲んだ。
「――《エレメンタル・エンチャント》!!」
叶の速度が急激に増す。ハーレクインまでの距離を瞬く間に無きものとし、盾で相手を吹き飛ばした。
「くっ……この!」
「スキルをここで使ってきたか! だが、それだけじゃあ決定打にはなり得ないぜ!!」
(エレメンタル・エンチャントは、アンゲルスの本来の力に近い能力を解放するスキル。近接戦を得意とする叶にとってはまさに水を得た魚の水だ!!
徳嶺くんの言わんとしていることはなんとなく判る。今のだけじゃ牽制にはなっても、ダメージ比率じゃこっちのが不利だ! だけど――)
「行け、イザベラ!!」
追撃に掛かる叶だったが、ハーレクインは銃を持っている。迎撃の構えとしては叶よりも上手であり、ハーレクインは地面を転がりながらも光銃の引き金を引いた。
やはり、今度の光弾は先程よりも速く、それでいて鋭く空気を貫くようにして放たれた。
叶は咄嗟に盾を前にして防御体勢となったが、着弾によって爆発が起こり、その爆風で後退りを余儀なくされる。
せっかくの勢いを殺されてしまった上、ハーレクインの体勢修正の時間を与えてしまった。
徳嶺がいつの間にかAMDを操作していた。それもただの光弾ではなく、スキルによるものだった。
「《ミニボム・バズーカ》だ……当たらなくても距離を取るには持ってこいだ。威力こそ微弱だが、相手のエネルギーを削れる上に風圧だけはかなりのものだろう?」
「徳嶺くん、大技は出さずに機転の利いた立ち振る舞いだ。体力を温存させつつ、長期戦で勝負をつけるつもりなのか……?」
(叶の弱点を知っていての振る舞いなら、まずい……!)
「マスター! 相手を気にするのもいいけど、まずはあたしを見てて!」
叶は、立ち上がり再び戦う構えを取っている。次は盾ではなく腕の武器を前にしていた。
(叶の考えてる事、なんとなく理解る気がする。もう煩わしい罠だとか多種多様なハーレクインの技に惑わされるのが面倒になったんだろう。危険を背負うのは仕方ないけれど、このまま僕の考えるままに立ち回るのは、徳嶺君の術中にハマってしまう気がしてならない。
叶を支えよう、初めから僕のできることはそれしかない!!)
「――行こう、もう後には引かない……!!」
縁の言葉に叶は喜ぶように笑みを零す。
ハーレクインは制服を叩き汚れを落としていた。そうするだけの余裕は徳嶺同様の飄々さが窺える。ハーレクインも徳嶺と同じく、今の間に手を出そうとはしていなかったのだ。
自分達に時間を与えてどうしようというのか、一時思考してしまうのを縁は振り払った。
(今見るべきは相手じゃない、叶だ。僕が支えるべき相手であり、支えたい僕の契約者。
勝たせてあげたい! 上位ランクになれなかった腹いせのようなマッチングだったけれど、それでも僕は叶の背中を押す。僕には叶が夢を見ているように思えるから!!!)
「イザベラ! 光弾から出る雷撃は僕が警戒するから、気にせず向かっていけ!!」
「わかった!」
そう答えた叶は、大きく一歩を踏み出すと滑らかな動きでハーレクインへと迫る。
「下だ、ハーレクイン!」
ここで初めて徳嶺が明確な指示を出した。
すると、ハーレクインはすぐさま叶が通るであろう地面に向けて光弾を打つ。
光弾が着弾し、地面が粉砕された石礫が散りばめられた。
(目眩し!? いや、違う……進行の妨害か!
それなら――)
「飛べ!」
叶は、指示を受けて飛び上がった。
アンゲルスの滞空時間は人間の比にならない。跳躍力は元より、肉体の構造が違う。
しかし、それは狙われる時間を増やす意味もあった。
ハーレクインのような銃を扱うアンゲルスにとっては格好の的となる。
「自分から的になって頂いたようで、感謝しますわ。その間抜けな契約者にもね!!」
勝ち誇った笑みと目が合ったかと思うと、トリガーが引かれる。
「《マルチ・バレット》!!」
五つの光弾が同時に発射され、宙を浮く叶には逃げる手段がない。
マルチ・バレットとは一度の銃撃を五回分にすることができる。威力の低い光弾でも、複数着弾ならその限りでは無い速度重視。
しかし、それら全てを叶は空中で弾いた。刃の側面で上手く流している。
紙一重にも思えるが、その剣戟は研鑽されたものだった。剣の達人と入れ替わっているのではないかというしなやかで華麗な流しだった。
だが、これも天技による自動的な剣技。対象を指定すればなんなく達人級の剣戟を行うことが可能である。
「速い! だが、まだあと三つスタン・ボムが――!!?」
先程設置した、三方向に散りばめられた浮遊光弾は、いつの間にか消滅していた。
そして今、最後の浮遊光弾がマルチ・バレットの流れ弾によって着弾する。
「まさか初めからこれを狙って自分を囮にわたしから銃弾を誘ったというの!?」
「そうか! 今のマルチ・バレットをスタン・ボムの方に弾いて相殺したのか!!
それも計算したのは縁、お前がどこを狙えばいいのか指示していた。空中でそれを成せる技はあってもまだ空気抵抗と摩擦の計算が出来ないアンゲルスには不可能だ!!」
縁はASGを通して叶に指示を出していた。光弾の警戒は怠らず、叶の現在位置から光弾のどこの部分を狙えば目標位置に飛ぶかを計算してのけた。
光弾は通常の銃弾よりも面積が広く、縁にとって計算しやすかった。
問題は天井が吹き抜けで上下する気流だけだが、事前の計算によりこの問題をクリアしている。
これによって実質問題の先送りになってしまっていた罠を全て消し去ることができた。
――しかし、徳嶺はまだ奥の手を隠していた。
空中からそのままハーレクインへ襲いかかろうと構える叶に再び銃口を向ける。
その瞬間、縁は警戒するように目を見開き、光弾が来ることを予測して軌道を計算した。
(高く跳び過ぎて着地までの時間が長すぎた。あと一発の余裕をこの時点で作らせてしまった……!
おそらく着弾までの時間はさっきよりも短い。だけど、一瞬さえあれば――計算してみせる!!!)
徳嶺はその姿をまるで嘲笑うかのようにスキルを宣言した。
「《ハイネスト・バレット》!!!」
その瞬間、ハーレクインは引き金を引き、銃口からは銃とは不釣り合いの大きな光弾が飛び出した。
直径二、三メートルはあるだろかという人一人飲み込む事など安い大きさの光の砲弾が叶の視界を埋めつくした。
「これなら弾けないでしょう、イザベラ!!」
「っ――」
「まだだ!!」
着弾に身構える叶に喝を入れるような縁の叫びが届いた。
(まだだ……まだまだまだまだまだまだ――)
叶のアンゲルスの視界に一つの希望たる赤い点が表示されていた。
縁がそこを狙えと訴えているのだ。
避けようとしても空中では直ぐの回避は不可能。ましてや体勢不十分の現在においてはむしろ避けるより防御体勢を取るほうがいい。
そんな思考を吹き飛ばす契約者の一縷の望みを、叶は抵抗することなく一目散に掴もうとした。
「――そこだ!!!」
刃を光弾の中央やや左、特別光弾のそこに穴があるというわけでもない。しかし、縁の答えを証明すべく突き刺した。
刃が光弾と接触すると、ミルクレープのように何層にもなった光のエネルギーが破けるようにして刃の部分から切り離されていく。
すると――刃が触れた箇所から一瞬でエネルギー体がバルーンの破裂のように割れる。中はマトリョーシカのような構造であり、次々と中のエネルギーを割っていった。
やがて直ぐに爆発せずただ彼女の後ろで霧散する巨大なエネルギー体から姿を現した。
「う……そ……」
叶の起こした事象にただただ絶句するハーレクイン。
エネルギー体の構造上、爆発するのは必至。それがどんな影響をもたらす事象の介在があろうとも、その爆風によるノックバックは彼女を地面に叩きつけるには十分の巨きさだったはずである。しかし、プリンセス・クローバー・イザベラというアンゲルスは、ただ無為な所作のみでハーレクインの一番の攻撃手段を相殺、もしくは消滅させた。
これが何を意味するのかを考えると、ハーレクインは身の竦む想いだった。なぜなら、ハーレクインの攻撃の主軸である光銃が今後一切意味を失くすのではないか、という不安が重く彼女の背中にのしかかるからだ。
徳嶺もまたこれには驚愕を隠せなかった。彼は気付いていた、今の一連の事象が柴崎縁の叩きだした演算結果によるものであることを。
エネルギー体の構造は既に科学によって定義、証明されているものだ。おかげでアンゲルスはそれを武器とし、ロケットランチャーさながらの威力を手軽に扱うことができる。しかし、エネルギー体の構造は一定のものではなく、ワンタイムパスワードのように毎秒もしくはもっと短い期間で移り変わりいくもの。それはその場の環境に左右されるが故であるが、それを全て計算済みであるという現在の状況はあまりにも信じがたかった。
徳嶺は、名状しがたい恐怖心が足下から迫って来るのを感じていた。
(いったいなんなんだ……なんなんだお前は……!! エネルギーが着弾する時点の構造を脳内だけで、暗算でやってのけたというのか……! ありえない……ありえるはずが――はっ、まずい!!)
「ハーレクイン、立て直せ!! いったん距離を――」
「「――そんな時間は与えない!!」」
二人は今起こった出来事に数秒の間上の空となっていた。その合間に叶はハーレクインとの距離を詰めている。
呆然と立ち尽くすハーレクインが現実に戻った時には彼女は渾身の一撃を頭上から売り降ろそうとしていた。
叶の本気に塗れた表情が歓声を沈め、ハーレクインから余裕を断ち切った。
再び銃を構えるのも遅く、叶の剣によって振り払われる。
――やられる。
ハーレクインはそう確信した。
「行くぞ、叶ッ!!」
(僕と――)
(あたしの――)
((第一歩を証明する!!))
「「――《ライオット・ストライク》!!!」」
銃を手放して腕が上がり、腹部に大きな隙が出来ていた。そこを突くようにして、叶は赤い電撃を纏う刃を振るう。
刃を震わすほどに迸る雷が彼女の剣戟を縦に蛇行させたが、叶はその震えさえも薙ぎ倒す勢いで振り切った。
刃に纏っていた電撃が斬撃のように放たれ、勢いよくハーレクインを吹き飛ばした。
「きゃあ!」という彼女の悲鳴が鳴り、宙を転がって体には赤い電気が帯電している。更には優に百メートル近くを飛んだ。
今ので捉えきれなかったと思ったのか、叶は追撃とばかりに更に加速した。先程使用したスキルの恩恵もあってみるみるうちに速度が上がるのを感じる。
――だが、それがイザベラの限界でもあった。
加速は瞬く間に止み、疲れ切ったようにフラフラと歩き始める。
「イザベラ……?」
異変に思った縁だったが、その実不安は背負っていた。
(ハーレクインのスキルが小技ばかりなのに対し、イザベラが使っていたのはかなり燃費の悪い大技ばかりだった。特にエレメンタル・エンチャントとライオット・ストライクは多大なエネルギーを消耗する。
まだ学生のイザベラは、大技を連続して出せるほどのスペックは持ち合わせていない。しかし、それがイザベラの弱点であるのも確か。エネルギー効率の悪さは以前から指摘があり課題とされていた。
なのに、なにをやっているんだ僕は! 勝負を焦るあまり叶の事が眼中になかったんじゃないか!!)
叶は、フラフラになりながらも追撃を諦めようとしていなかった。
落下しながらも再び起き上がろうとするハーレクインににじり寄っていく。
「ダメだイザベラ――…………」
(――ここで「動くな」と言っても叶は止まらないだろう。あの子は頑固で一途だから。だけどそれは契約者の命令に違反したとして印象は悪くなる。
これ以上叶は戦えない。エネルギー不足は身体能力にも影響を及ぼし普通には戦えない。今の一撃でハーレクインを損傷させたとしても近接戦しかできない叶では勝ち目がない)
「力を示すのは、なにも自分の為だけじゃない。あたしを生み出してくれた研究所の皆、あたしを支えてくれてる仮親、先代に続く為、なによりあたしの契約者は凄いでしょうって証明する為でもある。
成るのよ……あたしは絶対に成る! 上位ランク、そして一番のアンゲルスに!!!」
ハーレクインが立ち上がっていた。技の影響により上手く腕をあげられていなかったが、時期に照準が合い叶を打つだろう。
それでも叶は足を止めずに最後まで戦うことを選んだ。勝つ以外の道が見えていなかった。
「っ――ごめん」
小さく謝りながら縁は叶を抱き寄せて止めた。
その瞬間、縁と叶の負けが決まる。縁がフィールド内に入るという危険行為にて負ける事となった。
悔しげな息を漏らす叶を他所に申し訳なさそうに項垂れる縁は、ひたすらに「ごめん」の言葉を脳内で言い続けた。
(表での計算ばかりして叶の計算を怠った……僕のミスだ。
ごめん叶、ごめん……)
二人を取り残すように掲示板に敗北の文字が刻まれるのと同じくして、ハーレクインと徳嶺ペアに勝利が飾られた。
単なる試験と割り切るには大きい文字が二つ、縁と叶にのしかかった。
しかし、納得出来なかったのは縁と叶だけではない。徳嶺とハーレクインもまた、眉をひそめて立ち尽くしていた。
「勝者は――徳嶺、ハーレクイン!!」
大きな歓声は姦しい程だったが、その場を退く叶と縁にとってはただの雑音でしかなかった。
縁は、足元の覚束無い叶を抱き上げ、そのまま修理室へと足を向けた。
いつもなら情けなくて反抗するはずの叶も、後悔に苛まれるように静かに縁の腕の中で縮こまっていた。
◇◇◇
先程までいた会場と比べれば閑散とした一室。人の声など一切無く、外で鳥が鳴く声が少し入ってくるという所。
窓が開き、一陣の風がカーテンを靡かせ、ひっそりと佇む机の上にあった本を捲る。
白い天井が見つめるここで叶は目を覚ました。
直ぐに反応する体に任せて飛び起きると、異様なまでに静かな場所で困惑しているようだった。
暫くして「そうか、負けたんだ」と納得するよううに心が落ち着き、項垂れた。
むしり取るように自身に掛けられた布団を掴み、不思議と出る涙で自身の手を濡らした。
悔しい想いに苛まれ、自分を責めようとした。
しかし、それはある者の後ろ姿によって阻まれる。
特別何かをする訳ではない。ましてや動いた訳でもない。ただ叶が横になっていたベットの下で小さくなった縁の背中があった。
叶は、縁を見つけて強がり、声や息を漏らさないようにした。
涙は見せまいと拭い取り、呼吸を整えて縁の肩を叩く。
しかし、縁は応答せず、振り向いてもくれなかった。
よく見れば、縁は疲れ果てたようにして眠っていた。眼鏡がずれ、泣いた跡が腫れた目元で判る。
叶は、縁を自分の代わりにベットへ寝かせると、膝枕をした。
危ないからと眼鏡を外し、前髪をかきあげる。
安堵するような笑みには母性が溢れていた。
「疲れて寝ちゃったの?
――……ごめんね、勝てなくて……」
次第に涙が溢れた。
叶は雫をこぼさないように拭うが、次から次へと溢れ出てくる。
歔欷する声が部屋に響き、縁の耳にも微かに聞こえていた。
気がついた縁は、その泣き声に誘われるようにして瞼を開く。
叶が必死に涙を堪えようとしているのが下から見えた。
既に涙は雨のように縁の頬や髪に落ちてきていた。だが、それを嫌悪する訳でもなく、ゆっくりと艶やかな髪をなぞるようにして撫でる。
叶は頭を撫でられてやっと、縁が起きたことに気付いた。
しかし、涙が止まることは無かった。むしろ、涙が更に勢いを増してしまう。
「ごめん……僕のせいで……」
叶は反論したそうだったが、悲しみに暮れてまともな言葉を発せられる状態ではなく、思わず咳き込んでしまう。
ゆえに、縁が一方的に謝罪するという叶にとって不本意な形になってしまっていた。
「相手のことばかり見て、叶が見えなくなってしまった。早く気付くべきだったんだ、叶はなにも悪くない。僕の計算ミス、本来あるべき数を計算に入れなかった僕のせいだ。
計算が得意とか言いながら、大事な所が欠けていたら世話ないよね……。僕のせいで体にも負担を掛けてしまったし、叶が僕との契約を切るって言っても仕方がな――」
彼の言葉は逆効果に叶の焦燥を煽るものだった。
憤りが限界に達した叶は、咄嗟に縁の口を塞いだ。
その手はやや濡れていて、しょっぱかった。しかし、それを言うのは変態だろうと戒め、縁は叶からの言葉を待つことにした。
叶は怒っているのか悲しんでいるのか分からない微妙な表情をしていた。
少しして縁の口から手を離すと、今度は両手で縁の耳を塞いだ。
疑問符が生じる行動に縁は怖気付いていた。
「バカ――――ッ!!!」
すると、部屋中が軋むほど大きな声で罵声が轟いた。
力んだ叶の表情からしても、耳を塞がれても聞こえてきた声からしても、とても大きな声であっただろうと予想がついた。
「な、なんで……?」
唐突の叱責に困惑する。
しかし、叶は理由を説明せずに軽く縁を往復ビンタする。もはや鬱憤を晴らす為でしかないと思えた。
依然顰め面の叶に、狼狽していた。
「叶どうしたんだよ……せつめ、説明してくれ!」
話が進まないと思った縁は、叶の腕を掴み説明を求めた。
叶は不機嫌になり、フンと鼻息を漏らしてそっぽを向いた。
縁は起き上がって気になったように眉を垂れ下げるも、諦めようと溜息を吐く。更には、仕方なしとベッドから出ようとした。
その時、縁のシャツの袖を叶が掴む。振り返り見れば、無理をするように気の張った叶がいた。
ベッドから出るのを許さない行動が縁には理解できなかったが、無言でベッドに腰を下ろした。
「勝手に終わったことにしないで」
「ごめん……」
「勝手にあなたのせいにしないで!」
「で、でも……どう考えたってあれは僕のせいだよ。スキル構成だって事前に考えていたのと全然違ったし、思い通りにいかなかった」
「そんなの当然でしょ。実践でなんでもかんでも上手く行くなんてありえないって事、初めからわかっていたわ。
そんな事よりも、やっぱりあたしのスペックが足りていなかった。Bランクに位置づけられるのも頷ける最後、笑っていいわよ。
エネルギー不足は自覚していたけれど、ああやって人前でガス欠を起こすなんて……明日から皆の前に顔を出せない……」
「それは違う! それを考慮していなかった僕のせいであって、叶が卑屈になる必要なんて一つも無いんだ!!
確かに叶はエレルギー量が通常より少しだけ低いけど、全然戦えないレベルじゃないんだ。契約者である僕が、エレルギー効率の計算をしていなかったのが事の発端、できる事をしなかった僕が悪いんだ!!
初めのハーレクインの攻撃だって嫌な予感はしたのに……ただ避けるなんて判断で終わらせるなんて僕はどうかしていた!」
縁が必死になって否定するのに叶は目を丸めていた。
ここまで頑なに譲らないのは初めてであり、意外な一面に呆然とする。
すると、縁は自分がおかしい事でも言ったのではないかと思い、あたふたとし始める。
「いや、だから……反省点が多すぎるんだ! 指示が的確でなかったし、ハーレクイン相手に背中を見せたのはやっぱりいけなかったんだ。もっと広く見なくちゃいけないのに視点を僕に絞り込んでいたし……」
その様子が可笑しく、叶はほくそ笑んだ。
「え、え……なに」
「あんたってやっぱり変!」
その表情からは怒られているのかそうでないかの区別がつかず、縮こまる。罵倒は覚悟していたが、意外な言葉が来て泣きっ面に蜂となってしまう。
叶は、「仕方ないな」とでも言いたげな表情で小さく溜息をつくと、
「もういいよ、この話やめよ?」
問題の棚上げを提案した。
縁はやや不満げであったが、これ以上情けない姿を見せるのは不本意であり、うんと頷いた。
今迄ならばまだ抵抗していただろうが、彼女の提案を拒否するのは適当ではないと思えた。
「だ・け・ど……このままじゃストレス発散法が出来ないじゃない?」
「ま、まあ……そうだけど……」
嫌な予感に顔が引き攣っていく。
『ストレス発散』という言葉を聞いて、なにをされるのか気が気でない様子だ。
縁は、今にも逃げ出しそうにベットの端ににじり寄った。少しでも逃げやすいようにする為だったが、それが余計に叶の機嫌を損ねてしまう。
「なに逃げようとしてんのよ!」
細い目で睨まれ、「いやあ……」と微妙な返事をする。彼女の悪戯を企むような表情にドキドキしていた。
すると、叶は自身の体を縁に近づけ人差し指を立て再度提案した。
「街に出るよ!」
「……街?」
思っていたものとは違って肩透かししたが、叶ならばまだ何かあるのではないかと完全に警戒を解くことはできなかった。
案の定、「ニシシ」と笑う叶から出たのは紐を使う王女様らしい脅迫だった。
「一つの行事が終わって疲れちゃったから、なにかスイーツでも食べて元気を取り戻すってこと!
あんた、あたしの契約者なんだから当然奢ってくれるよね?」
叶は微笑みかけていたが、縁は彼女の目が笑っていないことに気付いている。
この言葉は脳内で「奢れ」という命令語に変換された。
「ぜ、是非……奢らせて……下さい」
言わされた感の拭えない科白に肩を落とすも、叶の機嫌は良くなっていた。
にんまりと笑みを浮かべ、街へ出ることを心待ちにしているようである。
対して、縁は嫌な予感が覚めなかった。
試験での戦闘は皆に評価されるものだった。だが、一部には「真の勝者はイザベラだった」と口にする者もおり、あの戦いに納得のできない者が多かったのも確かだ。
しかし、叶がランクを上げることはなかった。縁の演算能力とそれに対応する叶の技量は評価されたものの、彼らの目標の結実は先延ばしとなった。
――この時、まだ誰も二人を見つけ出してはいない。
後にこの世界をひっくり返すほどの大事件を起こすコンビであるというのに……。
アンゲルスという可能性は彼らと同じくまだ誰も知らない未来への道標だ。
しかし、アンゲルスの可能性を見出すことができるのはそれを研究する者ではなく、アンゲルスとその契約者のみ。
彼らの可能性は無限に広がるこの世界の異端者をも呼び寄せるだろう。彼らが現在を彩るのはその異端者に対抗、または抵抗する為なのかもしれない。
ただ一つ言えるとすれば、兵器自体に感情が必要だと考える者などいないということだ。